化け物騎士は元令息の血塗られた手を離さない

コムギ

文字の大きさ
4 / 34

4【脱獄の時】

しおりを挟む
 ついに決行の日がやってきた。恒例になっている看守の折檻はなかった。

 バルトルトはここ最近、折檻されるときには挑発をやめていた。

 擦り切れたボロ人形のように身体を丸めていれば、折檻は終わった。苦しみに歪む顔が楽しみなのに、それが見られないとなると、おもしろくないのだろう。

 弱者をいじめて楽しむ心理はわからないが、何にしても飽きというのは来るらしい。おそらくは式典の忙しさも手伝っているのかもしれない。何にしても、ここを自力で出られない囚人には考え及ばないことだ。

 最後の食事を平らげると、バルトルトのやることはなくなった。後は時間が来るのを待てばいい。体力を温存するため、横になって目をつむった。

 僅かな物音でバルトルトの目は覚めた。壁かけの松明が大きく揺れている。錆びたような臭いが鼻を突く。戦場でよく嗅いでいた臭いだ。窓のない牢獄では強く臭ってくる。

 見張りの看守が通路に立っていたが、背後の影が一瞬揺れたかと思うと、黒い腕が伸びて、血飛沫が上がった。叫び声もなかった。汚れた地面に赤い血が流れていく。

 看守が崩れ落ちると、フードを被った小柄な男が立っていた。黒い手袋が赤黒く染まっていた。フードの下の唇が、笑っているように歪んだ。バルトルトに戦利品を見せつけるように、手の中の鍵束を振ってみせた。

 フードの男は鉄格子に近づいてきて、扉の鍵を開けた。小ぶりの鍵を使って、手枷と足枷を外して回った。

 バルトルトは自由になった手首を回した。剣を握っていた手首は、あまり使っていないせいか、心なしか痩せた気がする。重りのなくなった足は、一歩前に出しただけでも軽さを感じた。

「バルトルト、待たせたね」

 目の前に現れたときから、男の正体はわかっていた。先に牢から出ようとするマレクの腕を掴む。

「お前はいったい何なんだ?」

 無駄のない動きで看守の喉を狙っていた。暗殺者の類か。一瞬、組織を頭に浮かべたが、その組織にバルトルトを活かしておく有益な意味はない。

 マレクはフードの下で笑った。

「マレクだよ。あんたを助けようとしている変わり者の看守!」

 バルトルトは初めから答えを期待したわけではなかった。これほどの腕を持つマレクが、なぜここにいるのか。聞いても答えてはくれないだろう。自分がどうして騎士をやっているのか、言えないのと同じように。

 身体を丸めて、牢屋の外に出た。格子戸の中と外ではまだ脱獄できた実感はわかない。それには外の空気を吸う必要があるだろう。

 マレクを先に行かせて、通路を歩くと、そこかしこに息絶えた看守たちが転がっていた。今宵のうちに、どれだけの看守を殺めたのだろうか。血の臭いがひどく充満している。

「こいつら全員、殺す必要があったのか?」

 マレクは立ち止まってあどけなく首を傾げる。その仕草だけでは、とても人殺しには見えない。

「邪魔だったしなぁ。何より、バルトルトを虐めてたから、その報復ってとこかな?」

 血溜まりにたたずんで、楽しそうに笑っているマレクに、バルトルトはもう何も言わなかった。

 地下水道への入り口の穴を下った。これまたひどい臭いをしていた。

 薄暗い穴の中をマレクの松明が照らす。中は暗く、光の反射できらめいた。

「地図は大体、頭の中に入ってるんだ」

 マレクはこめかみを人差し指で叩いて、誇らしそうに言った。地下水道の地図まで頭に叩き込んだとは、優秀な文官になれそうだ。バルトルトは何の根拠もなくそんなことを思う。まるで、グロッスラリア王国の城で、そう働いて欲しいかのように。

 地下水道の中は、ドブネズミが駆け回るのを見るくらいで、同じような景色がしばらく続いた。入り組み、左右に別れた道をためらいもなく歩くマレクに、少しだけ疑いの目を向けたのは確かだ。

 きちんと道の終わりは用意されていた。

 地下水道から川辺りに出たときには、丸く青白い光が辺りを照らしていた。何も囲われていない壮大な闇の空が、バルトルトを待っていた。

 下水や血の臭いも風の前に消えていった。新鮮な空気がバルトルトの肺に入ってきた。夜の冷たい風に身震いを起こすが、牢獄の壁や床よりマシだ。

 小さな石造りの橋が向こう岸に渡されている。

「この通りを真っ直ぐ行くと、シモンが待っているから」

 通りと言っても旧街道なのか、使われていないようだ。ところどころの石畳が剥げていた。

「そろそろ、追手も迫ってくる頃だから、早く渡った方がいいよ」

 確かに、地下水道の入り口から、反響した誰かの声が聞こえてきていた。

 バルトルトはうなずいて、橋の中頃まで歩いた。マレクは橋を渡ろうとはせずに、バルトルトを見送っている。ここで黙って別れるのが、正解だ。グロッスラリア王国にはひとりで帰る。

 そう思うのに、バルトルトは足を止めて、後ろを振り返った。

 風がフードを押し上げて、マレクの顔をさらしていた。深く青い瞳を刻みつけるように、バルトルトは長く見つめた。

「お前は、これからどうする?」
「あんたを逃したら、また別の場所に行くよ」

 迷っている素振りはない。ただ、目的があろうともバルトルトには明かしたくないのだろう。それがわかっていてもたずねずにはいられなかった。

「俺と共に来るか?」

 なぜかこの先を、ひとりでは行きたくない。マレクとともに渡り、帰国したいとまで思ってしまった。

 マレクは首を振った。

「僕は僕でやることがあるんだ。でも、もし、この国を滅ぼしてくれたら、あんたの元に行ってもいいかもね」

 地下水道の穴から、追手の声がした。立ち止まって話を続ける余裕は無さそうだ。とどまる時間があったなら、説得し続けたかもしれない。

「僕があいつらを引き付けるから、その隙に行って。決して舞い戻ってきて、僕を助けようと思わないでね。バルトルト」
「思い上がるな。お前にそれほどの価値はない」

 そうは言ったものの、背中を向けて歩き出すのに、かなりの覚悟が必要だった。

「早く行って! ガドリン団長!」

 マレクの叱咤する声で我に返った。

 自分は騎士団を率いる団長である。

 無事にグロッスラリア王国に帰還する義務がある。

 騎士団は団である。常に仲間を意識しなくてはならない。

 仲間がここは任せて行けと言う以上、それは見捨てることにはならない。背中を任せる。バルトルトはマレクの言葉を信じて、駆け出した。



 やがて、橋を渡って旧街道を行くと、シモンが待っていた。馬を連れている。バルトルトに敬礼をした。

「ガドリン団長、久しぶりですね。大分、痩せこけちゃって」
「お前が遅すぎたからだろう」
「しょうがないでしょう。この式典がなかったら、警備が手薄にならないんですから。これでも活躍したんですよ。俺にのせられて、皆が殴る蹴るの大乱闘! 兵士やらも混ざって、その隙に逃げ出してきました」

 砕けたいつものやり取りに、バルトルトは緊張が解けた。それでも、マレクを置いてきたことが重く胸にのしかかっている。

「本当に、マレクさんはやってのけたんですね。看守を全部やってやると言ったときにはちょっと、疑ったんですけど。で、マレクさんは?」

 シモンの口からマレクの名を聞くのは、どうにも嫌だった。きょろきょろと忙しなく首を回すシモンがうっとおしかった。むっとしながらも、

「あいつは俺を逃がすために囮になった」

 手短に答えた。

「そうですか。死なないといいですね」

 バルトルトはシモンの頭に拳を落とす。岩を食らったかのような鈍い音に、騎士は泣きわめいた。頭を両手で押さえて、うずくまる。

「お前が縁起でもないことを言うからだ。無駄口はやめて、寄越せ」

 シモンの手から外套を受け取り、袖を通した。フードを被り、顔の造形を隠す。

「さっさとここを離れる。追手がいつ来るかわからん」
「へいへい。くそぉー、痛いな」

 シモンの批判を待たずに、バルトルトは馬の背にまたがった。その姿は、囚人ではなかった。黒いマントは無くとも、騎士団団長の威厳が溢れている。

 バルトルトとシモンは掛け声を上げて、馬の腹を足で押した。旧街道を逸れて、山道へと続く獣道を駆けていった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます

腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった! 私が死ぬまでには完結させます。 追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。 追記2:ひとまず完結しました!

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

【WEB版】監視が厳しすぎた嫁入り生活から解放されました~冷徹無慈悲と呼ばれた隻眼の伯爵様と呪いの首輪~【BL・オメガバース】

古森きり
BL
【書籍化決定しました!】 詳細が決まりましたら改めてお知らせにあがります! たくさんの閲覧、お気に入り、しおり、感想ありがとうございました! アルファポリス様の規約に従い発売日にURL登録に変更、こちらは引き下げ削除させていただきます。 政略結婚で嫁いだ先は、女狂いの伯爵家。 男のΩである僕には一切興味を示さず、しかし不貞をさせまいと常に監視される生活。 自分ではどうすることもできない生活に疲れ果てて諦めた時、夫の不正が暴かれて失脚した。 行く当てがなくなった僕を保護してくれたのは、元夫が口を開けば罵っていた政敵ヘルムート・カウフマン。 冷徹無慈悲と呼び声高い彼だが、共に食事を摂ってくれたりやりたいことを応援してくれたり、決して冷たいだけの人ではなさそうで――。 カクヨムに書き溜め。 小説家になろう、アルファポリス、BLoveにそのうち掲載します。

前世が教師だった少年は辺境で愛される

結衣可
BL
雪深い帝国北端の地で、傷つき行き倒れていた少年ミカを拾ったのは、寡黙な辺境伯ダリウスだった。妻を亡くし、幼い息子リアムと静かに暮らしていた彼は、ミカの知識と優しさに驚きつつも、次第にその穏やかな笑顔に心を癒されていく。 ミカは実は異世界からの転生者。前世の記憶を抱え、この世界でどう生きるべきか迷っていたが、リアムの教育係として過ごすうちに、“誰かに必要とされる”温もりを思い出していく。 雪の館で共に過ごす日々は、やがてお互いにとってかけがえのない時間となり、新しい日々へと続いていく――。

身代わりにされた少年は、冷徹騎士に溺愛される

秋津むぎ
BL
魔力がなく、義母達に疎まれながらも必死に生きる少年アシェ。 ある日、義兄が騎士団長ヴァルドの徽章を盗んだ罪をアシェに押し付け、身代わりにされてしまう。 死を覚悟した彼の姿を見て、冷徹な騎士ヴァルドは――? 傷ついた少年と騎士の、温かい溺愛物語。

愛を知らない少年たちの番物語。

あゆみん
BL
親から愛されることなく育った不憫な三兄弟が異世界で番に待ち焦がれた獣たちから愛を注がれ、一途な愛に戸惑いながらも幸せになる物語。 *触れ合いシーンは★マークをつけます。

2度目の異世界移転。あの時の少年がいい歳になっていて殺気立って睨んでくるんだけど。

ありま氷炎
BL
高校一年の時、道路陥没の事故に巻き込まれ、三日間記憶がない。 異世界転移した記憶はあるんだけど、夢だと思っていた。 二年後、どうやら異世界転移してしまったらしい。 しかもこれは二度目で、あれは夢ではなかったようだった。 再会した少年はすっかりいい歳になっていて、殺気立って睨んでくるんだけど。

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

処理中です...