アンチ・リアル

岡田泰紀

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アンチ・リアル 28

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「アンチ・リアル」  28

日斗志が怪獣なのか何なのかわからない絵を描いてる横で、日出郎は曖昧な感情をもて余している。

家事の中でも、料理はしない日出郎に対し、頼子は洗い物ぐらいしたらといつも怒っている。
頼子の言葉を聞き流しながら、上の空で日斗志の絵を眺めることしかできない。
料理もしないのに、洗い物なんかできるかと日出郎は思う。
口にはしないが。

日出郎がフリーランスになってから、収入が不安定な時期が続き、頼子との関係は張り詰めたのに変わっていった。
お互いそう望んではいないとしても、金が足りないということは、金以外のすべてにネガティブな影響を与えていく。
普通の人間は、それに抗うことなどできない。
そして日出郎も頼子も、普通の人間でしかなかった。

しかしそれ以上に、頼子が変わってしまったのは、きっと日斗志の出産が大きかったのだと、最近になって日出郎は考えるようになった。

日出郎と同様、頼子も親の愛情を受けることなく大人になった。
その複雑な生い立ちを、日出郎は敢えて聞こうとはしなかった。
きっと、自分と同じなのだと思った。
余計に愛おしく思いもした。
自分が、この女を支えるのだと、あの時はそう思っていたのだ。

初めて自分たちの子どもが生まれる時に、新たに父と、母となる自分たちには、頼る実家も親族もいなかったのだ。
日出郎はその重大な事実に、残念なことに何も考えが及ばなかった。
そして、日斗志を宿した頼子は、絶望的な孤独を感じたに違いない。

出産後、日出郎はまだ会社勤めで毎晩残業で帰宅が遅く、しかも休日も少なかった。
元々地元でない場所で、頼る身寄りもなく親しい友人も少なかった頼子は、独り育児でノイローゼ気味になり、日出郎に対して感情を爆発させるようになる。
自ずと夫婦生活は、厳しいものにならざるを得なかった。

「こんなはずじゃなかった」
些細なことで言い争いをすると、決まって頼子はそう口にする。
じゃあ、どんなはずだったのだと、日出郎は言い返したかった。
しかし、その言葉が与えるダメージに打ちのめされて、もうどうにでもなれという気持ちになってしまう。

お互い、上着の上から体をまさぐるような、もどかしいすれ違いの上に、この結婚生活は辛うじて成立している。
別れの予感を常に感じながら、二人ともそれは嫌だと思っている。

まだ幼い日斗志に、両親の葛藤が伝わってしまっているのだろうか。
だとしたら、まあまあ酷い親だ。
俺たちは、自分のクソみたいな生い立ちを、乗り越えられないのか。

妊娠と出産を機に、頼子は性交を拒むようになっていた。
日出郎は、深く傷ついた。

特に、藤田との仕事のようなストレスを感じる時に、最愛の女に甘えることすら許されない現実は、更なるストレスになっていく。

薫を好きになったのは、決して頼子の代わりではない。
その薫は、「私はあなたが思っているような人ではない」と言う。

孤独だ。果てしなく孤独だ。
そして、許しがたいほど感傷的な馬鹿だ。

もううんざりだと、日出郎は思う。
無心で絵を描く日斗志を、ただ黙って見つめるだけの自分が。
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