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第28話 視線の正体

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 駆け抜ける先に、馬車の残骸が見えた。

 申し訳ないが、こちらも命が掛かっている。助けるゆとりはないのだ。そもそも既に生きている人はもう居ないように見える。残骸の傍らで、ゴブリンに馬と一緒に解体されている何かが見えた。ゴブリンは人も喰うのか。王都の周りに普通に居たぞ、ゴブリンって。
 異世界よ、ここは危険過ぎはしないかい。

 カミラや門番が外出する椿を大袈裟に心配した理由をやっと知る。大袈裟でも何でもなかったんだ。この世界は危険に満ちている。



 駅が見えたので爆走を控え、普通に走って近付く。木戸に控える兵達は、汗と埃に塗れた椿の様子を見て事情を察したようだ。疲労で震える指で来た道を指し示す椿を、労うように体を支えて木戸の中に引き入れてくれた。何事か事情を聞かれたようが言葉は分からない、いつものように首を振って「分からない」と伝える。次いで身振りを使って、デカイのが居たと付け加える。兵達は、頷きあって何事か相談を始めた。伝わったのだろうか? この辺りではすでに、あの青い鬼の被害が出ていたのかもしれない。

 しばらくして騎乗の兵が飛び出していった。椿の来た道を戻る方向と、次の駅に向かう方にも走っていく。偵察と、増援の要請だろうか。

 駅は騒然となり、日暮れも近いのに人々は出立を準備し始めた。あれ一匹とは限らないし、何より死んだのかも分からない。夜の内にここが襲われる可能性もある。椿も避難する人々に続こうと準備をする。
 取り敢えず埃を払い、井戸で顔を洗って休憩する。椿はすでに旅装であるので、周りの準備が整うのを地べたに座って待った。
 続々と馬車が出ていく。椿もその最後尾に付こうとしたとき、兵達の歓声が聞こえてきた。

 慌ただしさより、興奮が伝わる声だ。見ると、木戸から4人の武装した冒険者が入ってくる。出ていこうとする人や、すでに門を出た近場の人々にも、次々と何事かが伝えられていく。そして引き返してくる人達を見るにつけ、どうやら安全が確保されたらしい。この4人がゴブリンやらを始末したのだろうか? 兵達の扱いからして、有名人なのかもしれないな。
 騒ぎが収束する中、兵達が次々と例の現場の方に出ていく。確認やら後始末なのだろう。

 この4人、正体は分からないが、ひとつだけ分かる。こいつらが視線の主だ。

 実に良くない、あっさりと追いつかれたのだ。しかも、今は武装がない。2号は溶けてしまったのだ。

 4人の姿は、これぞ異世界パーティーという感じだ。バックラー片手の剣士風の男、重装のでかい男、とんがり帽子の魔女っぽいの、そしてサーコートの僧侶っぽい女だ。ドラクエかよ。とんがり帽子の視線には、これまで追いかけてきた魔力が含まれている。もう、そのまんまだ。

 今すぐ殴りに行きたいが、そうも行かなさそうなので、心のブラックリストにしっかり顔と魔力を刻んでおく。

 どうしよう、逃げるか、爆走で。もうバレてもいいかな。こいつらが森から出てきた4人だと思う。あのとき背負っていた荷物は馬に乗せているのだろう。それはそうだ、この世界では馬の数が凄い。ポピュラーな移動手段なのだろう。

 逡巡している内に、兵に馬を預けた4人がこちらに向かってきた。僧侶の女が小走りにやってきて、椿の前にうやうやしく跪いて何事かを話し始めた。男ふたりは少し離れたところで別の相談を始めている。魔女は跪く女の傍らで、何か馬鹿にするような目で椿と女を見ていた。

 追手で間違いはなかったようだが、どう言う状況なんだろうか。とにかくチャンスである、視線の落とし前だ。

 椿は身体強化を使わない素の全力で、魔女の顎に渾身の正拳を放つ。ズガっと、小気味よい音がして魔女は綺麗にくるんと半回転して地面に倒れた。いきなり殴ってくるとは思わなかったのだろう、魔女は目を回している。取り敢えず、正当性を主張しておこう。

「変態! 覗き魔! 次に会ったらブチ転がす!」

 スッキリした椿は、おもむろにスカートの端を絡げて魔ッチョの全力で走り出す。次の駅まで行ってしまおう、青鬼の影響でこの先は人が少ない気がする。さっき出た人達も戻ってきたし。

 呆然と見上げる僧侶と、愕然と口を開けたまま椿を眺める男達を尻目に駅を発った。



 青鬼の影響と言うより、単純に日暮れ前である時間のせいだろう、道中に人は居なかった。昼過ぎくらいに出たであろう先発組の馬車が見えるところまで追いついたら、後はそれにペースを合わせて歩いた。4人が追いかけてきたら、また走ろう。まあ、来ないだろう。あの魔女っぽいのは、もともと乗り気じゃなさそうだったし。

 内輪揉めでもしてろ。いや、是非しておいてくれ。

 そうして、王都を出てから通算で7つ目の駅が見えてきた。
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