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第49話 移動手段

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 翌朝、勝手に落ち込んでいる白侍女シェロブを放っておいて、司祭から詳しい話を聞く。

『フーリィパチまで一瞬で行けるって言っていたけど
 どうやって移動するの?』

『シェロブの魔法ですよ。
 貴女ごと、フーリィパチまで壁を越えるのです』

 あの壁抜けの魔法か。
 シェロブが道具を取り出したりしているのを見たことがあるが、どうやらヒトもいけるらしい。

『試してみますか?』

 さっきまで食堂で項垂うなだれていたシェロブが、いつの間にか側に居た。

『買い物も済んだし、外套の強化も確認したし、
 何時でも行けるよ』

 司祭に目をやると、頷いて肯定してくる。

『フーリィパチには、すでにイオシキー大司教が居られます。
 ちゃんと挨拶して、今後の予定を確認しておいてください』

 派手な、いやハゲな大司教さまはフーリィパチに居たのか。初めて面識を持ったのは、あの座敷牢の塔の中だった。てっきり神都に滞在しているヒトなんだと思っていたが。フーリィパチに居たのか。

 以前、ハゲが喚いていたのは椿を罵っていたわけではなく、椿の扱いに腹を立てていたのだと言う。初めから味方だった唯一の人物なのだ。あれもお爺ちゃんだし、ちゃんと敬っておこうとは考えている。お土産はケミカル白光ポーションで良いだろう。

 すでに出かける気でいた椿は身支度を終えている。

『では、早速移動しましょうか。
 ポーシャが来る前に行ってしまいましょう』

 シェロブがめったに見せない笑顔を惜しげもなく使って酷いことを言う。

 向かうは教会の講堂だ、文字通りの使い方がされる。女神像を背にした教壇に立った司祭が、改めてシェロブの魔法を説明してくれた。
 シェロブは壁を抜ける事ができるが、特に同じ意匠の壁であれば距離が離れていても行き来ができるらしい。以前、耳長の足を貫いた剣は、同じ模様が面付けされた絨毯の上に居たからできたのだ。手近な模様から、耳長が踏んづけていた模様に剣を通したわけだ。
 女神像をよく見ると、背後に扉の意匠の浮き彫りがあった。仏像で言うと後輪だろうか、一見すると女神像の装飾に見えるようになっていた。
 この扉から衛星都市フーリィパチに移動するのだ。

 扉の中央に手を触れるシェロブ、その身体に魔力が満ちるのが分かる。普段、魔法を行使する際に、シェロブは周りに魔力の巡りを気付かせない。そんな技量を持つ彼女でも、魔力が漏れ出すほどの大技なのだろう。
 なんせ、遠隔地に一瞬で移動する魔法なのだ。

 準備万端とばかりに椿の手を取ったシェロブの表情が曇る。壁に手を触れたまま不思議そうにしている。どうしたのかと問う椿に、声を絞り出すように答える。

『普段、人ひとりくらいは運べるのですが……
 どうやらお嬢様は重すぎて運べないようです』

『ええー……』

 申し訳なさそうなシェロブの視線を受けて、椿は自分の身体を見下ろす。

 確かに身長は180cmの半ばまであるし、体重は70kgを超えている。担いだ鞄には数冊の綴じ本に着替え、最近貰った鉄鍋に大量のポーションまで詰めてある。総重量は100kg弱だろうか。

 司祭が額に手を当てて天を仰いでいる。目論見が外れた感がひしひしと伝わる。

『えっと、今日確かめておいて良かったね?』

 椿の冗談めかしたうわ言に、司祭が苦虫を噛み潰したような顔を向けてくる。

『とにかく、ニジニには追いつかねばなりません。

 ツバキは馬に乗れましたか?
 すぐに、手配できますが』

『いーえー……』

 司祭の顔がどんどん難しくなる。

 えー、私が悪いの? と椿が零す。

 まあ、皆は難しく考えすぎなのだ。

 この教会の街からフーリィパチまでは150kmほどだ、熊モードの全力なら時速60kmで走れる。2時間半で移動することができる計算だ。元々、フルマラソンを5時間で完走する椿だ、ましては発展型の身体強化魔法で疲れ知らずの今なら余裕ではなかろうか?

 椿はこの世界で魔法を習得した。たったひとつだが、身体強化魔法と呼んでいる。名前の通り、健康になったり、疲れが取れたり、身体的な能力が底上げされたりする。強化の効果を追求した結果、魔力から紡いだ繊維を筋肉のように纏う魔ッチョも編み出した。

 更に、その繊維を肉襦袢か、着ぐるみかと言うほど厚くするのが熊モードだ。着ぐるみに持つ椿のイメージと、熊の全速力に近い時速60kmほどで走ることができたのが名前の由来だ。

 以前は課題であったスカートの空気抵抗も、熊ぐるみの内側にまとめることで克服している。魔力の着ぐるみは、ヒトの目には見えないが、物質に干渉できるのだ。つまり、服が風を孕むのを遮ることができる。
 スカートは動きにくいので、膝のあたりで裾を纏めておくのも忘れない。イメージとしてはキュロットスカートか、伊賀袴か、そんな感じだ。編み上げブーツのお陰で、見栄えは悪くないと思う。が、これは飽くまで椿のセンスとしてだ、この世界の住人がどう見るかは正直分からない。

『よし、走るか』

『えっ?』

 今日はシェロブの表情がよく変わる。驚きと何いってんだコイツ、の顔をしている。

『なんなら、シェロブはポーシャでも運んでフーリィパチで待っていて。
 多分、5時間かからないくらいで着くと思うから』

 道を間違えないことと、トラブルがないことが前提だが。

 あれから随分と魔法の技量が上がったのだ、熊モードで全力の具合を確かめておきたい。言うが早いか、発展型の身体強化魔法を施す。椿の白い魔力が全身に満ち、白色に淡く発光する。白くなった髪を軽く編み込み、外套のフードに入れて走る邪魔にならないようにする。

『では、行ってきます』

『お嬢様待っ……』

 椿はそのまま、教会を飛び出した。

 礼拝の時間を少し過ぎた頃合いなので、通りに人通りはない。女神像のあった講堂は、名前の通り説法や催事に使う。お祈りは礼拝堂だ、ここにはヒトは来ない。
 街の人々はあちこちにある教会や、礼拝の施設で朝のお祈りを捧げるのだ。もちろん、これに当てはまらない人達も居る。商人なんかがそれだ。

 つまるところ、使う通りを間違えなければ目立たずに走れる訳だ。4kmほどある大通りを15分程で小走りに駆け抜けた。これくらいなら、まだ人間の範疇に収まっている。全力疾走する変な女くらいの印象で済むはずだ。



 しかし、大門に到着するも、やっぱり一悶着起きる。単独なので、兵達が通してくれようとしないのだ。

『最近は物騒なんだ、独りで出るなんてとんでもない!』

『ニジニの兵達の後ろを歩くから大丈夫よ』

『ニジニって、昨日の話だろ。
 おい、しかもあんた、よく見たら女じゃないか、無理だって』 

 なんでスカート履いてる人に対して、その認識が遅れてくるんだ!

 失礼な門番の言葉で、このまま押し切ろうかと考え始めた椿に、後ろから声を掛ける男が居た。

『我々はフーリィパチまで行くんだ、一緒にどうだ?』

 お、ニジニ軍の間諜こと御者くんである。

『後発隊なんだよ、急ぐから馬車は揺れるが、安全だぜ』

 どうやら椿の動向を見張って、街に残っていたようだ。常識的に考えたら、瞬間移動でフーリィパチまで移動するとか考えないものな。シェロブが有名人であれば話は別だが。

 他に4人の兵士を連れているのは護衛のつもりだろうか。まあ、この街までは殿しんがりとは言え、隊列の一部ではあった。御者くんが役目を果たすには、車列に変わる護衛が必要だろう。道中の驚異は、茜が勇者の力を存分に使って排除してくれるが、今は遙か先に居るはずだ。

『丁度良かった、少しでも早くフーリィパチに向かいたかったんです』

 御者くんに目配せして、何食わぬ顔で馬車に乗り込む。

 門番達は、まだ不安顔であったが、ニジニを名乗る武装した連中を押し止める気はないらしい。そのまま通してくれた。

 御者くんの馬車は2頭引きで、護衛は4人のうち2人が騎乗している。残りが馬車に乗り込んできた。馬車には盾や槍など武装と共に、水桶など道中に必要な物資が積まれていた。椿を含めて、ガタイの良いのが3人も乗るには手狭だった。

 走り出した馬車の中で、椿はなんとなく不快感を覚えてきた。2人の兵が値踏みするように椿に視線を這わせてくるのがその原因の一端であるが、もっと根本的な生理的な嫌悪感を感じる。

 あぁ、分かった。馬車に独り、周りはニジニの兵達だ。あの時と同じ状況だ。あれらのモブとは違って、精鋭エリートらしい彼らが同じ事をするとは考えにくい。が、その信頼に足るものがないのだ、ニジニ兵には。

 あんな事をされたら、幾ら無神経な椿でも心的外傷トラウマくらい残る。

 椿は、すぐにでも馬車から降りることにした。今なら、5人居たって蹴散らせるとは思うが、嫌なものは嫌なのだ。

『御者くん、私はものすごく急いでるんだ。
 馬車に合わせると、フーリィパチまで2日は掛かる。
 悪いけど、独りで先に行かせてもらうよ。
 門から連れ出してくれた事には感謝してる』

 声がけで、御者くんへの義理は果たしたとばかりに、椿は走る馬車から飛び降りる。

『おい、先に行くってどうやって……』

 門番の手前、目立たないように解いていた身体強化魔法を再び施す。

 一歩一歩、後ろ足の爪で地面を捉えるように走り出した。目論見通り、熊の着ぐるみの中では外套もスカートも風をはらまない。後ろから2騎が追ってくる気配があったが、2分も経たずに諦めたようだ。この速度で走り続ければ馬が潰れてしまう、正しい判断だ。
 ニジニ兵からの解放と、久しぶりの熊モードでの全力疾走が、椿の暗い気持ちを吹き飛ばしてくれる。
 1歩で3mを超える距離を駆け、文字通り飛ぶように走り続けた。20分ほどすると駅が見えてきた。うん、走れば追い付けられそうだ。でも、20分くらい掛かってしまうな。

 熊モードも、発展型の身体強化魔法も、ずいぶんと腕を上げたつもりだったが、それらは移動速度には寄与しなかったらしい。恐らく時速60kmは変わらない。ひょとすると人型である限りは、これ以上を望めないのかもしれない。
 熊の足を伸ばしてみようか? でも傍から見ると、もう空を走って飛んでいるようにしか見えなくなる。却下だ、目立ち過ぎる…… それに、なんとなく間抜けな感じもする。
 ああ、荷物を含めて100kgの質量が移動しているのだ、速度が上がらないのは重量のせいかもしれない。シェロブに鞄を預けておくべきだったかな。

 椿は、駅を門番に愛想笑いだけして素通りする。心配してくれているのは分かるが、構わずに押し通った。



 更に次の駅を過ぎると、木立が点在する街道に景色が変わっていく。青鬼と初邂逅した辺りだ。気を引き締める椿を笑うかのように、木立と街道の間に亜人の死体が点々としていた。

 縦や横に分割されたゴブリンや、目玉が破裂して眼孔が落ち窪んだ青鬼も見つけることができる。ゴブリンは風の刃で、青鬼はあの雷の直撃で生きたまま体液が沸騰したのだろう。茜が勇者の力を振るった跡だ。

 この調子なら次の駅で追いつけるかもしれない、ニジニ軍は馬を休ませる休憩が必要だ。あの駅には、馬が沢山いたから入れ替えて進む可能性もあるが。どのみち彼らは、魔法の水筒を手に入れた開拓村への分かれ道の手前あたりで一泊するはずだ。

 この予想通り、教会の街から3つ目の駅でニジニ軍を見かけた。
 椿は先の駅よろしく素通りするが、それを見咎めるニジニ兵は居なかった。誰も、顔を覚えてないんじゃないか? 茜はとっとと、眼鏡のイケメンと宿にしけこんでいるのだろう、見当たらない。

 ちなみに、椿の目的はフーリィパチに急ぐことだ。ニジニに合流することではない。ニジニ軍を追い抜いた椿は、そのままフーリィパチへ向かうのだった。
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