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第81話 準備

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 南の大陸には、魔王と魔女が同行してくれることになった。

 なんせ、これまで道を阻み続けてきた守り人の中の人、こちらが束になっても敵わない相手が味方になってくれるのだ。戦力としては、これ以上ない。

 まあ、それ以上が向かう先に居るらしいのが悩みの種だが。

 一行は、魔女グラディスの部屋で、そのまま一晩を過ごした。

 洞窟前で控えていたニジニの待機組も、部屋の前まで呼び寄せて食事を摂る。すでに犬頭は消えているはず。秋口に入り、肌寒くなってきた夜を吹きさらしで、警戒しながら過ごす必要はない。もっとも、精鋭たちにしてみれば大して過酷ではないようだが。食事に関しては大層喜んでくれた。

 眼鏡や若夫婦に質問攻めになっている魔女を放っておいて、椿はとっとと毛布にくるまる。いやはや疲れたよ、ほんとに……



 太陽が見えない洞窟の中、それでも夜明けの少し前に目を覚ます。この世界で身に付いてしまった習慣だ。すでに、部屋では魔女が3馬鹿と食事の準備を始めていた。

『料理なんて久しぶりだから、
 なんだか緊張しちゃうわ』

 なんとも、ワクワクを隠せない様子の魔女さん。150年も一人暮らしをしていたのだ、料理くらいできるんじゃないのか?

『うーん、私たちにはもう
 食事が必要ないのよ』

 なんとこの魔女、生きていけるらしい。

 椿にも覚えがある。身体強化魔法の効果を得ているときはお腹が減らなかった。どうやら魔女と魔王は、その先に足を踏み入れているようだ。身体の維持に必要な栄養を魔力で補うのだ。勿論、身体を動かすのも魔力という事になる。

 身体に栄養が満ちていると、脳は食事を求めない。ただし、紅茶おちゃだけは断つことができなかったそうだ。以前からの習慣には抗えられないのだ。人はそれを中毒と言う。

 中毒と言えばお酒だが、悲しいことに酔えなくなったらしい。魔力でアルコールが分解されるのだろうか?

 そもそも、魔力だけで生きていけるのは、この作り物の身体のせいではないのかね。……いや、茜が10代特有のぷよぷよの身体を鍛え、引き締まったシルエットに変わったあたり、と変わらない、ちゃんと成長する造りな気もするけど。

 魔王や魔女と同じ容れ物とは限らないしね。

 それにしても、150年を一人で暮らす、気が遠くなる話だ。魔王のおっさんと手紙の遣り取りができたとしても、独りには違いない。声とか出なくなったりしないのか? ずっと独り言をして過ごしたとか? 寂しすぎる……

 椿が思考の海を漂っている間に、やたら豪華な食事が整えられていく。

 300歳を越えるバ…… 魔女が、年若い3馬鹿と、キャッキャウフフと料理を拵えていく。すこぶる楽しそうで何よりだ。もう街に居るのと変わらない量ができあがっている、兵士たちの携帯食器が必要ないほどの皿が机を埋め尽くす。

 そうか、魔女の空間転移魔法が加わったのだ。さぞや買い物も楽になったことだろう。などと伝えたところ、それは使えなかったらしい。

『試したけど、どこの陣も壊れているようね』

 空間転移魔法は、目的地に予め魔法陣を刻む必要があるそうだ。魔法陣と魔法陣を行き来する魔法、シェロブの壁抜けと同じような仕組みか。150年前であれば、世界の各地に、刻んで廻った魔法陣があったらしい。流石に長い年月を経て、きれいに残る陣がない様子。あんな頑丈そうな扉が作れるのに、陣を刻む土台はおざなりにしたのか。詰めが甘いこと……

 空間転移魔法が使えないのであれば、この食事はシェロブの壁抜けだけで運んだのか? それにしては、量が多すぎる。机に食器、軽く見積もっても椿の体重を越えているように見えるが。

『うふふ、特訓したのよ』

 魔女の隣でコクコクと頷くシェロブ、いつもの無表情がほんの少し誇らしげに見える。カワイイ。

 特訓、もとい魔法の工夫は次のようなものだ。

 シェロブの壁抜けの魔法は、同じ意匠であれば離れていても1枚の壁のように通り抜けることができる。これまでは、通す物質に魔力を籠めていた。これが体積や重さに比例した魔力が必要な理由だ。

 魔女の助けで、壁の意匠に魔力を籠める方法を編み出したそうだ。意匠に籠めた魔力を維持するだけで、幾らでも壁を通り抜けることができるのだ。魔女の空間転移魔法も、通り抜ける量に制限はないらしい。この場合は、魔法陣に魔力を籠めておくことになる。

 なるほど、壁の意匠を魔法陣に見立てる感じか。物質には魔力を籠めることができない、この世界の常識では不可能であった。シェロブを含めた、椿以外の誰もがそれを成せない。しかし、そこに魔法陣という新しい常識を加えて、道を拓いたのだ。

 これで壁抜けに使う魔力は、魔力を籠める意匠の大きさに依存するようになる。出入り口が大きいほど、たくさん消費する形だ。それでも、これまでよりは格段に少ない魔力で壁抜けを行使できる。

 そんな特訓の成果をもって、神都から山盛りの物資を運び入れた訳だ。

 これなら、椿も壁を抜けることができそうだ。
 毎晩、神都で眠れるのでは?

『だめよ。
 こちらの陣が壊されたらどうするの』

 すかさず入る魔女のツッコミ。
 ああ、確かに…… 神都から仕切り直しになるよね、現実は非情だ。

 しかし、椿と違って賢いシェロブは、完全ではないが対策を準備していた。
 例の壁に掛ける扉の意匠のタペストリ、予備が幾つもあるそうだ。そう、元側に幾つか扉を残しておき、出口を確保しておくのだ。シェロブが行き来するだけなら、こちらで襲撃などで壁を失うトラブルがあっても、落ち着いてから新しい出口を用意できる。

 それなら、少数ずつが神都に戻ることもできるでしょう?

『せめて、お風呂に入りに戻りたいです!』

 そう、それ! 流石は同じ日本人、茜も同じ希望を口にしてくれた。



 お腹を満たした一行は、出立の準備を始める。

 精鋭たるニジニ兵たちは、大量の机と食器をテキパキと片付けている。シェロブの新しい壁抜けの魔法で、ロムトス神都にあるイリヤお爺ちゃん家の納戸に、大量の荷物をあっと言う間に運び込んでしまった。兵たちはその納戸を、魔女が持つ魔法の倉庫か何かと思っているようだ。まさか、ロムトスまで一足で戻れるとは思っていないらしい。

 そもそも、シェロブの魔法は機密なのだ。魔女の存在が良い目くらましになってくれている。魔法の専門家、イケメン眼鏡のマーリンの目は欺けなさそうではあるが。

 片付けも終わり、魔女の部屋を出る。洞窟の中なのに、カビ臭さとは無縁の快適な部屋であった。とても名残惜しい。

 全員が出たのを確認すると、魔女が何やらゴニョゴニョと杖を掲げながら呟く。その紡がれる言葉に呼応するように、入り口の両側から扉が生えてきた。部屋を封印するらしい。あれば、あったで便利なこの部屋、残しておくそうだ。

 そうしてから穴蔵を出て、南へ進む。
 4種の亜人が去り、もう驚異の存在しない道を往く。

 この南北の大陸を繋ぐ半島、海抜0mと聞いていたが、特に海水が迫ってくるなどはなかった。普通に草木が生え、僅かながらも起伏のある平原だ。高原と相対的に見て、低いと捉えられただけではなかろうか。

 そもそも海が見えない、高さを測る術もない。



 すぐに南の大陸と思っていたが、進む先には地平線しか見えない。これまで通りに、野営を続けながら進んでいくしかない。魔女の魔法を当てにしていたのだが。

『なにか楽に進める魔法はないの?』

『あるけど、この人数を一度には無理ね~』

 あるにはあるんか。

『この強化魔法だけで十分であろう』

 いつものように椿は、全員に身体強化魔法を広げている。魔王はこの身体強化魔法をえらく気に入ってくれた。没念の果てに至る境地に、一瞬で踏み入ることができる素晴らしい魔法との評価を頂いた。おっさんは自力で、しかも魔法なしで同じ状態になれると言うのか…… 300年も修行してれば、そんな仙人みたいになれるのかな。

 そして魔女であっても、物質に魔力を通すことはできないそうだ。魔法陣を使って様々な効果を得るのは、固有魔法なのだろう。基本的には、この世界の住人と同じか、その延長の魔法しか使えないそうだ。

 それならば、やはり椿の強化魔法は固有魔法なのだろうか。気功のイメージで発現した魔法だしね。それに結局のところ、遠距離攻撃ができるような使い方は、未だにできない。石を投げるくらいがせいぜいだ。

『いや、手から火の玉が出るとか非常識であろう?』

 おっと、椿と同じ思考回路の持ち主が居た。そうだよね、人体から火が飛び出すとか変だよね。気の塊を飛ばすとかなら解かる、できなかったが。

 つまり、魔王も何かを放出する魔法は使えないらしい。しかし、このおっさん、火の玉の魔法を非常識とか言っておきながら、身体を乗り換えるなどの非常識を実現している。更には土から武具を得たり、視界などの五感を広げたり、固有魔法を複数抱えている節もある。能力的に、正しく魔王をやっておられる。十分なチート持ちではないか。

 茜もいずれ、幾つかの固有魔法を発現するのかな?



 一行は、更に5日を進む。

 右手には海が迫ってきた。波音は崖下から聞こえてくる。いつの間にかまた、高い位置へと登っていたようだ。そして左手には、崖がせり上がっていく。

 崖が行く手を阻むと言っていたよな。なら、この崖の上を進まないといけないのでは? と思ったが、崖の向こうは急な斜面になっており、歩いて進むことはできなさそうだ。ましては、馬車など通れまい。

 迫る崖肌に覗く断層は、ほとんど縦に走っている。よっぽど激しく隆起した地形なのかも。海底の山が、海の上に飛び出してきたのだろうか。

 左手の崖はどんどん高くなり、足場は悪くなる一方だ。

 こんな所で襲われたら、難儀するだろうな。
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