12 / 63
第十二話「お願いがございまして」
朝の光がターヴァ領を優しく染め始めた頃。
アデリアはいつものように、薬草の入った籠を片手に領主館の裏門からそっと抜け出した。まだ寝静まっている館を起こさないよう、足音を忍ばせて歩く。
王都にいた頃は、こんな朝の散歩すら許されなかった。誰かに見咎められ、「王妃らしくない」と咎められるから。だからこそ、今この時間が愛おしい。石畳の小道を抜け、広場に出た途端、
「お、おはようございます……!聖姫様!」
小さな声がいくつも重なった。見れば、広場の端に、朝早くから十人以上の領民が集まっている。農夫の老人、若い母親、孤児院の子どもたち、そして村の薬師まで。
全員が、まるで神殿に詣でるように両手を組み、目を輝かせている。アデリアは思わず立ち止まった。
「……みなさん、こんな朝早くから、どうしたの?」
すると、先頭に立っていた白髪の老人が、震える手で一枚の紙を差し出した。
「実は……お願いがございまして」
紙には、ぎこちない字でこう書かれていた。『聖姫様にお教えいただきたいこと』
・新しい薬草畑の土の作り方
・赤ん坊がよく飲むミルクの配合
・冬を越すための薪と食料の貯め方
・魔物除けの結界石の置き方
アデリアは瞬きをして、ふっと息を吐いた。
「……これ、全部、私が前に話したことでしょう?」
「はい!でも、聖姫様が王都に行かれてから、誰もちゃんと覚えていられなくて……!」
若い母親が恥ずかしそうに頭を下げる。
「私たち、聖姫様のお言葉を“神託”だと思って大切にしてきたんです。でも、やっぱり直接お聞きしないと、不安で……」
アデリアは籠を地面に置き、ゆっくりと膝を折って子どもたちと同じ目線になった。
「神託だなんて、そんな大それたものじゃないわ」
優しく微笑みながら、彼女は子どもが握りしめていた小さな手を取る。
「ただ、私がみんなに伝えたいと思ったこと。みんなが元気で、笑っていられるように、って思ったことだけ」
その瞬間、ぽろり、と年配の薬師の目から涙がこぼれた。
「聖姫様……お帰りになって、本当に良かった……」
「王都の連中は、どれだけ愚かだったんだ……」
「こんなに民のことを想ってくれる方を、どうして……」
声が震え、嗚咽が漏れる。アデリアは驚いて立ち上がり、慌てて皆を見回した。
「ねえ、泣かないで。私、戻ってきたんだから。もうどこにも行かない」
その言葉に、広場にいた全員が一斉に顔を上げた。次の瞬間、
「聖姫様ぁぁぁ!」
子どもたちが駆け寄り、母親たちが手を合わせ、老人たちが深く頭を下げる。
朝の広場は、まるで祭りのように歓喜の渦に包まれる。
アデリアは、胸の奥が熱くなるのを感じた。
(ここが、私の居場所なんだ)
はっきりとそう思えた。
遠く、領主館の窓からその様子を見ていた兄レオナルドが、満足げに頷く。
そして、彼女の足元に、ふわりと白い影が寄り添った。聖獣ノアが、朝日に透けるような毛並みを揺らしながら、小さく鼻を鳴らしてアデリアのドレスに頬をすり寄せた。
アデリアはいつものように、薬草の入った籠を片手に領主館の裏門からそっと抜け出した。まだ寝静まっている館を起こさないよう、足音を忍ばせて歩く。
王都にいた頃は、こんな朝の散歩すら許されなかった。誰かに見咎められ、「王妃らしくない」と咎められるから。だからこそ、今この時間が愛おしい。石畳の小道を抜け、広場に出た途端、
「お、おはようございます……!聖姫様!」
小さな声がいくつも重なった。見れば、広場の端に、朝早くから十人以上の領民が集まっている。農夫の老人、若い母親、孤児院の子どもたち、そして村の薬師まで。
全員が、まるで神殿に詣でるように両手を組み、目を輝かせている。アデリアは思わず立ち止まった。
「……みなさん、こんな朝早くから、どうしたの?」
すると、先頭に立っていた白髪の老人が、震える手で一枚の紙を差し出した。
「実は……お願いがございまして」
紙には、ぎこちない字でこう書かれていた。『聖姫様にお教えいただきたいこと』
・新しい薬草畑の土の作り方
・赤ん坊がよく飲むミルクの配合
・冬を越すための薪と食料の貯め方
・魔物除けの結界石の置き方
アデリアは瞬きをして、ふっと息を吐いた。
「……これ、全部、私が前に話したことでしょう?」
「はい!でも、聖姫様が王都に行かれてから、誰もちゃんと覚えていられなくて……!」
若い母親が恥ずかしそうに頭を下げる。
「私たち、聖姫様のお言葉を“神託”だと思って大切にしてきたんです。でも、やっぱり直接お聞きしないと、不安で……」
アデリアは籠を地面に置き、ゆっくりと膝を折って子どもたちと同じ目線になった。
「神託だなんて、そんな大それたものじゃないわ」
優しく微笑みながら、彼女は子どもが握りしめていた小さな手を取る。
「ただ、私がみんなに伝えたいと思ったこと。みんなが元気で、笑っていられるように、って思ったことだけ」
その瞬間、ぽろり、と年配の薬師の目から涙がこぼれた。
「聖姫様……お帰りになって、本当に良かった……」
「王都の連中は、どれだけ愚かだったんだ……」
「こんなに民のことを想ってくれる方を、どうして……」
声が震え、嗚咽が漏れる。アデリアは驚いて立ち上がり、慌てて皆を見回した。
「ねえ、泣かないで。私、戻ってきたんだから。もうどこにも行かない」
その言葉に、広場にいた全員が一斉に顔を上げた。次の瞬間、
「聖姫様ぁぁぁ!」
子どもたちが駆け寄り、母親たちが手を合わせ、老人たちが深く頭を下げる。
朝の広場は、まるで祭りのように歓喜の渦に包まれる。
アデリアは、胸の奥が熱くなるのを感じた。
(ここが、私の居場所なんだ)
はっきりとそう思えた。
遠く、領主館の窓からその様子を見ていた兄レオナルドが、満足げに頷く。
そして、彼女の足元に、ふわりと白い影が寄り添った。聖獣ノアが、朝日に透けるような毛並みを揺らしながら、小さく鼻を鳴らしてアデリアのドレスに頬をすり寄せた。
あなたにおすすめの小説
【完結】聖女になり損なった刺繍令嬢は逃亡先で幸福を知る。
みやこ嬢
恋愛
「ルーナ嬢、神聖なる聖女選定の場で不正を働くとは何事だ!」
魔法国アルケイミアでは魔力の多い貴族令嬢の中から聖女を選出し、王子の妃とするという古くからの習わしがある。
ところが、最終試験まで残ったクレモント侯爵家令嬢ルーナは不正を疑われて聖女候補から外されてしまう。聖女になり損なった失意のルーナは義兄から襲われたり高齢宰相の後妻に差し出されそうになるが、身を守るために侍女ティカと共に逃げ出した。
あてのない旅に出たルーナは、身を寄せた隣国シュベルトの街で一人の騎士と運命的な出会いをする。
【2024年3月16日完結、全58話】
「地味で無能」と捨てられた令嬢は、冷酷な【年上イケオジ公爵】に嫁ぎました〜今更私の価値に気づいた元王太子が後悔で顔面蒼白になっても今更遅い
腐ったバナナ
恋愛
伯爵令嬢クラウディアは、婚約者のアルバート王太子と妹リリアンに「地味で無能」と断罪され、公衆の面前で婚約破棄される。
お飾りの厄介払いとして押し付けられた嫁ぎ先は、「氷壁公爵」と恐れられる年上の冷酷な辺境伯アレクシス・グレイヴナー公爵だった。
当初は冷徹だった公爵は、クラウディアの才能と、過去の傷を癒やす温もりに触れ、その愛を「二度と失わない」と固く誓う。
彼の愛は、包容力と同時に、狂気的な独占欲を伴った「大人の愛」へと昇華していく。
【結婚式当日に捨てられました】身代わりの役目は不要だと姉を選んだ王子は、隣国皇帝が私を国ごと奪いに来てから後悔しても手遅れです。
唯崎りいち
恋愛
結婚式当日、私は“替え玉”として捨てられた。
本物の姉が戻ってきたから、もう必要ないのだと。
けれど——
私こそが、誰も知らなかった“本物の価値”を持っていた。
世界でただ一人、すべてを癒す力。
そして、その価値を知るただ一人の人が、皇帝となって私を迎えに来る。
これは、すべてを失った少女が、本当に必要とされる場所へ辿り着く物語。
【完結】帳簿係の地味令嬢、商会の不正を見抜いて王宮に見出されました。
夏灯みかん
恋愛
王都の商工会議所で働く、地味な帳簿係エミリー。
真面目に記録をつけることだけが取り柄の彼女は、同僚から軽く扱われ、雑用を押しつけられる日々を送っていた。
そんなある日――エミリーは、孤児院への配給物資の記録に、わずかな“ズレ”があることに気づく。
数量は合っている。
だが、なぜか中身の重量だけが減っている。
違和感を覚えたエミリーは、自ら倉庫へ足を運び、現物を確認する。
そこで見つけたのは、帳簿では見えない“静かな不正”だった。
しかしその矢先――不正の責任を押しつけられ、職場から追い出されそうになってしまう。
それでもエミリーは諦めない。ただ一つ、自分が積み上げてきた“記録”を信じて。
「では、正式な監査をお願いいたします」
やがてその記録は、王宮の政務監査官リオンの目に留まり――
隠されていた不正はすべて暴かれる。
そして、彼女を軽んじていた者たちは、その代償を支払うことになる。
これは、地味で目立たなかった一人の帳簿係が、
“正しく記録した”ことで不正を暴き、王宮に見出されるまでの物語。
【完結】竜王に嫁いだら、推しの半竜皇子の継母になりました〜冷酷な夫には興味ありませんが、闇落ち予定の皇子は私が全力で幸せにします!〜
せりもも
恋愛
転生したのは、web小説の世界だった。物語が始まる前の時間、隣国の竜王へ嫁ぐ薄幸の王女、デジレに。
結婚相手である竜王ワッツァは、冷酷非道で人間を蔑む恐ろしい竜人だ。彼はデジレを、半竜(半分竜で半分人間)である息子の養育係としかみていない。けれどその息子バートラフこそ、前世の「わたし」の最オシだった。
この世界のバートラフはまだ5歳。懸命に悪ガキぶっているけど、なんてかわいいの!? 小説のバートラフは、闇落ちして仲間の騎士たちに殺されてしまうけど、そんな未来は、絶対に許さないんだから!
幼いバートラフに対する、愛情いっぱいの子育ての日々が始まる。やがて彼の成竜への通過儀礼を経て、父の竜王は、デジレに対して執着を見せ始める。
ところが、竜と人間の戦争が始まってしまう。おとなになったバートラフは人間側につき、聖女の騎士団に入った。彼は、父の竜王に刃を向けられるのか? そして、転生者デジレに与えられたスキル「プロットを破断する者」を、彼女はどう発動させるのか。
一度目で黒狼公に討たれた私ですが、二度目の夜はお父様のそばでしか眠れません
師走
恋愛
八歳の冬、リリア・ヴァルグレイは父に殺された。
王国最強の討魔貴族――黒狼公レオンハルト・ヴァルグレイ。
人にも魔にも容赦のないその男は、黒花の災厄に呑まれかけた実の娘を、自らの手で討ったのだ。
けれど次に目を覚ました時、リリアは赤ん坊に戻っていた。
もう二度と、お父様に剣を向けられたくない。
そう願うのに、夜になるとまた黒花の囁きが忍び寄る。甘くやさしいその声は、孤独な心に触れて、静かに破滅へと導こうとする。
そして、その囁きがぴたりと止むのは――世界でいちばん怖いお父様のそばだけだった。
一度目の父は、同じ城で暮らしていても遠い人だった。
リリアを見ない。抱かない。呼びもしない。
そのくせ二度目の父は、相変わらず冷たいまま、なぜか夜ごとリリアを放っておいてくれない。侍女を替え、部屋を守らせ、怯えて眠れない娘を黙って自分の近くへ置いてしまう。
人にはあれほど容赦がないのに、リリアにだけ少しずつおかしくなっていく。
怖い。近づきたくない。
それでも、その腕の中でしか眠れない。
またあの冬が来る。
また同じように、黒花はリリアを呑み込もうとするかもしれない。
今度こそ囁きに負けないために。今度こそ父に剣を抜かせないために。
一度目で父に討たれた娘は、二度目の人生でもっとも恐ろしいその人のそばへ、自分の意志で手を伸ばしていく。
小説家になろう様でも掲載中
酒飲み聖女は気だるげな騎士団長に秘密を握られています〜完璧じゃなくても愛してるって正気ですか!?〜
鳥花風星
恋愛
太陽の光に当たって透けるような銀髪、紫水晶のような美しい瞳、均整の取れた体つき、女性なら誰もが羨むような見た目でうっとりするほどの完璧な聖女。この国の聖女は、清楚で見た目も中身も美しく、誰もが羨む存在でなければいけない。聖女リリアは、ずっとみんなの理想の「聖女様」でいることに専念してきた。
そんな完璧な聖女であるリリアには誰にも知られてはいけない秘密があった。その秘密は完璧に隠し通され、絶対に誰にも知られないはずだった。だが、そんなある日、騎士団長のセルにその秘密を知られてしまう。
秘密がばれてしまったら、完璧な聖女としての立場が危うく、国民もがっかりさせてしまう。秘密をばらさないようにとセルに懇願するリリアだが、セルは秘密をばらされたくなければ婚約してほしいと言ってきた。
一途な騎士団長といつの間にか逃げられなくなっていた聖女のラブストーリー。
◇氷雨そら様主催「愛が重いヒーロー企画」参加作品です。