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第四十三話 「正しかった証だ」
夕暮れのターヴァ領主館、二階の小さなバルコニー。
使者の馬車が土煙を上げて遠ざかっていくのを、アデリアとカリオンは並んで見送っていた。
領民たちの怒号も、騎士たちの剣を収める音も、もう聞こえない。
残ったのは、茜色に染まる空と、静かに鳴る風の音だけ。アデリアは石の手すりに両手を置き、俯いたまま小さく息を吐いた。
「……本当に、戻らないと決めてしまいました」
声は震えていない。
けれど、どこか自分でも驚くほど軽かった。
「私……あの国にいた頃の自分を、どこかで嫌いだったのかもしれません。認められなくても、理解されなくても、ただ黙って耐えて……それが王妃の務めだと思い込んでいた」
彼女はゆっくりと顔を上げ、遠くの山並みを見つめる。
「でも、もう違います。私はここにいたい。この領地で、みんなと一緒に生きていきたい」
その言葉を、カリオンは一言も遮らなかった。ただ静かに、彼女の横に立ち、同じ景色を見ていた。やがて、彼は低く、しかし確かに告げた。
「あなたは悪くない。誰よりも国を救おうとしていたのは、あなただった。それを見抜けなかったのは、愚かさと嫉妬に目の曇った者たちだけだ」
アデリアの肩が、小さく震えた。
涙がこぼれそうになるのを、彼女は必死に堪えた。カリオンはそっと手を伸ばし、彼女の頬に触れる。
冷たい指先ではなかった。
熱を帯びて、優しく包み込むような温もりだった。
「あなたは間違っていなかった。あなたが尽くしたすべては、ちゃんとここに残っている。この領地の笑顔が、豊かな畑が、子どもたちの未来が……それが、あなたの正しかった証だ」
アデリアは目を閉じた。長い間、誰からも肯定されなかった自分の努力を、この人が、こんなにもまっすぐに受け止めてくれる。
胸の奥にあった、固く凍りついていたものが、音を立てて溶けていく。
「……ありがとうございます、陛下」
彼女が目を開けたとき、涙は一粒が頬を伝った。カリオンはそれを親指でそっと拭い、
初めて、ほんの少しだけ笑みを浮かべた。
「カリオンでいい」
「え……?」
「前にも言ったが改めて言おう。ここでは、皇帝ではなく、ただのカリオンでいたい。あなたの隣にいる、肩書きではなく、一人の男として立ちたい」
アデリアは息を呑み、そして、恥ずかしそうに、でも確かに微笑んだ。
「……カリオン、さん」
その呼び方に、カリオンの瞳が揺れた。風が二人の間を通り抜ける。夕陽が沈みきる前の、最後の光が、銀金色の髪と黒髪を、同じ色に染めていく。アデリアはもう、過去を見なかった。
彼女が見つめていたのは、目の前に広がる、自分が選んだ未来だけだった。
カリオンもまた、彼女の横顔を見つめながら、静かに、けれどはっきりと心に誓った。
この人を、この笑顔を、この居場所を、何があっても、必ず守り抜く、と。
使者の馬車が土煙を上げて遠ざかっていくのを、アデリアとカリオンは並んで見送っていた。
領民たちの怒号も、騎士たちの剣を収める音も、もう聞こえない。
残ったのは、茜色に染まる空と、静かに鳴る風の音だけ。アデリアは石の手すりに両手を置き、俯いたまま小さく息を吐いた。
「……本当に、戻らないと決めてしまいました」
声は震えていない。
けれど、どこか自分でも驚くほど軽かった。
「私……あの国にいた頃の自分を、どこかで嫌いだったのかもしれません。認められなくても、理解されなくても、ただ黙って耐えて……それが王妃の務めだと思い込んでいた」
彼女はゆっくりと顔を上げ、遠くの山並みを見つめる。
「でも、もう違います。私はここにいたい。この領地で、みんなと一緒に生きていきたい」
その言葉を、カリオンは一言も遮らなかった。ただ静かに、彼女の横に立ち、同じ景色を見ていた。やがて、彼は低く、しかし確かに告げた。
「あなたは悪くない。誰よりも国を救おうとしていたのは、あなただった。それを見抜けなかったのは、愚かさと嫉妬に目の曇った者たちだけだ」
アデリアの肩が、小さく震えた。
涙がこぼれそうになるのを、彼女は必死に堪えた。カリオンはそっと手を伸ばし、彼女の頬に触れる。
冷たい指先ではなかった。
熱を帯びて、優しく包み込むような温もりだった。
「あなたは間違っていなかった。あなたが尽くしたすべては、ちゃんとここに残っている。この領地の笑顔が、豊かな畑が、子どもたちの未来が……それが、あなたの正しかった証だ」
アデリアは目を閉じた。長い間、誰からも肯定されなかった自分の努力を、この人が、こんなにもまっすぐに受け止めてくれる。
胸の奥にあった、固く凍りついていたものが、音を立てて溶けていく。
「……ありがとうございます、陛下」
彼女が目を開けたとき、涙は一粒が頬を伝った。カリオンはそれを親指でそっと拭い、
初めて、ほんの少しだけ笑みを浮かべた。
「カリオンでいい」
「え……?」
「前にも言ったが改めて言おう。ここでは、皇帝ではなく、ただのカリオンでいたい。あなたの隣にいる、肩書きではなく、一人の男として立ちたい」
アデリアは息を呑み、そして、恥ずかしそうに、でも確かに微笑んだ。
「……カリオン、さん」
その呼び方に、カリオンの瞳が揺れた。風が二人の間を通り抜ける。夕陽が沈みきる前の、最後の光が、銀金色の髪と黒髪を、同じ色に染めていく。アデリアはもう、過去を見なかった。
彼女が見つめていたのは、目の前に広がる、自分が選んだ未来だけだった。
カリオンもまた、彼女の横顔を見つめながら、静かに、けれどはっきりと心に誓った。
この人を、この笑顔を、この居場所を、何があっても、必ず守り抜く、と。
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