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第四十五話 「宣言だ」
帝国・黒曜宮皇帝執務室。
深夜とも呼べる時刻。
普段なら静寂に包まれるはずの執務室は、今夜だけは灯りが絶えなかった。
重厚な黒檀の机の上に、開かれたままの外交書簡。
『元王妃アデリア・ターヴァの身柄を、即刻王国へ返還せよ。彼女には王家に対する義務がある。拒否は両国間の友好関係を著しく損なうものと認識する。ローデン王国国王 ユリウス・ローデン』
カリオンは書簡を指先で軽く弾き、静かに笑った。
冷たく、氷のような笑みだった。
「……義務、だと?」
ぽつり、と呟いた声に、部屋に控えていた側近たちが一斉に背筋を伸ばす。
騎士団長シオン。宰相補佐ヴァレンティナ。諜報長ルーファス。
そして、皇太后エレーナまでが、珍しく執務室に足を運んでいた。カリオンはゆっくりと立ち上がり、窓の外に広がる夜の帝都を見下ろした。
「アデリア・ターヴァは、すでに離縁された身だ。書面に署名し、玉璽まで押されている。それなのに、“王国へ返還せよ”だと?」
彼は振り返らず、静かに続ける。
「まるで人を物のように扱っている。……許せない」
その声は低く、抑えられているからこそ、かえって恐ろしかった。シオンが一歩前に出る。
「陛下、このままでは実質的な最後通牒です。返答次第では、開戦もあり得ると──」
「開戦?」
カリオンが初めて振り返った。
金の瞳が、闇の中で燃えるように光る。
「彼女を守るためなら、構わない」
部屋の空気が凍った。ヴァレンティナが小さく息を呑む。
「陛下……それは、帝国の命運を賭けるということになります」
「知っている」
カリオンは机に戻り、羊皮紙を一枚取り出した。
自ら羽根ペンを握り、流れるような文字で書き始めた。
『アデリア・ターヴァは、現在エヴェルド帝国の保護下にある。彼女は自由市民であり、いかなる国家にも“返還義務”を負わない。これ以上の不当な要求は、帝国に対する敵対行為とみなす。必要とあらば、我が帝国は相応の手段をもって彼女の安全を確保する。エヴェルド帝国皇帝 カリオン・エヴェルド』
書き終えると、彼は蝋を垂らし、皇帝の印璽を強く押した。
「これを、明朝一番で王国へ届けろ」
ルーファスが静かに受け取る。
「……陛下。これは、ほぼ宣戦布告に近い」
「違う」
カリオンは静かに首を振った。
「これは、宣言だ」
彼はゆっくりと息を吐き、初めて柔らかな笑みを浮かべた。
「私が、彼女を絶対に手放さない、という宣言だ」
部屋にいた全員が、息を呑んだ。皇太后エレーナが、くすりと笑う。
「ふふ……やっと本気になったのね、うちの息子が」
カリオンは答えず、ただ窓の外を見た。遠く、ターヴァ領の方向に。
(アデリア……もう二度と、誰にも傷つけさせない。たとえそれが、一国を敵に回すことになっても)
彼の瞳に宿るのは、皇帝としての冷徹な決意と、
一人の男としての、揺るぎない覚悟だった。その夜、エヴェルド帝国は静かに、しかし確実に動き始めた。
ただ一人の女性を守るために。
深夜とも呼べる時刻。
普段なら静寂に包まれるはずの執務室は、今夜だけは灯りが絶えなかった。
重厚な黒檀の机の上に、開かれたままの外交書簡。
『元王妃アデリア・ターヴァの身柄を、即刻王国へ返還せよ。彼女には王家に対する義務がある。拒否は両国間の友好関係を著しく損なうものと認識する。ローデン王国国王 ユリウス・ローデン』
カリオンは書簡を指先で軽く弾き、静かに笑った。
冷たく、氷のような笑みだった。
「……義務、だと?」
ぽつり、と呟いた声に、部屋に控えていた側近たちが一斉に背筋を伸ばす。
騎士団長シオン。宰相補佐ヴァレンティナ。諜報長ルーファス。
そして、皇太后エレーナまでが、珍しく執務室に足を運んでいた。カリオンはゆっくりと立ち上がり、窓の外に広がる夜の帝都を見下ろした。
「アデリア・ターヴァは、すでに離縁された身だ。書面に署名し、玉璽まで押されている。それなのに、“王国へ返還せよ”だと?」
彼は振り返らず、静かに続ける。
「まるで人を物のように扱っている。……許せない」
その声は低く、抑えられているからこそ、かえって恐ろしかった。シオンが一歩前に出る。
「陛下、このままでは実質的な最後通牒です。返答次第では、開戦もあり得ると──」
「開戦?」
カリオンが初めて振り返った。
金の瞳が、闇の中で燃えるように光る。
「彼女を守るためなら、構わない」
部屋の空気が凍った。ヴァレンティナが小さく息を呑む。
「陛下……それは、帝国の命運を賭けるということになります」
「知っている」
カリオンは机に戻り、羊皮紙を一枚取り出した。
自ら羽根ペンを握り、流れるような文字で書き始めた。
『アデリア・ターヴァは、現在エヴェルド帝国の保護下にある。彼女は自由市民であり、いかなる国家にも“返還義務”を負わない。これ以上の不当な要求は、帝国に対する敵対行為とみなす。必要とあらば、我が帝国は相応の手段をもって彼女の安全を確保する。エヴェルド帝国皇帝 カリオン・エヴェルド』
書き終えると、彼は蝋を垂らし、皇帝の印璽を強く押した。
「これを、明朝一番で王国へ届けろ」
ルーファスが静かに受け取る。
「……陛下。これは、ほぼ宣戦布告に近い」
「違う」
カリオンは静かに首を振った。
「これは、宣言だ」
彼はゆっくりと息を吐き、初めて柔らかな笑みを浮かべた。
「私が、彼女を絶対に手放さない、という宣言だ」
部屋にいた全員が、息を呑んだ。皇太后エレーナが、くすりと笑う。
「ふふ……やっと本気になったのね、うちの息子が」
カリオンは答えず、ただ窓の外を見た。遠く、ターヴァ領の方向に。
(アデリア……もう二度と、誰にも傷つけさせない。たとえそれが、一国を敵に回すことになっても)
彼の瞳に宿るのは、皇帝としての冷徹な決意と、
一人の男としての、揺るぎない覚悟だった。その夜、エヴェルド帝国は静かに、しかし確実に動き始めた。
ただ一人の女性を守るために。
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