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虚像の愛と蜜月 Ⅰ
しおりを挟む「エドームに行く?」
星夜祭の一件が終わり、何日かが過ぎた頃だった。
シンディの犯した罪はサイの間では大きな噂になり、数日たっても沈静化する気配はなかった。
ライアンが毒を一瞬にして見分けたことや、命を狙われても冷静なままでいられたことなど、城内の人間は彼に恐れを抱き始めていた。
イリスは傷ついた心を癒やすことも出来ずにいたが、国内に溜まっている問題を片付けるため、いつものように各大臣や上位の騎士を集めて会議を開いていた。
その最中、レインを連れたライアンが堂々と室内に進入してきて、イリスをエドームに行かせると言ったのだ。
「いきなり言われても、すぐには参れません。それに私には公務があります。サイから離れるわけにはいきません」
エドームに行くなんて、どれだけ危険に襲われるか分からない。ライアンと同じような人間が何人もいるなんて想像しただけでめまいがする。
「そんなもの、誰かに任せておけばいい。それともサイはイリスを頼らなければ何も出来ない弱小な国だったか?」
ライアンが小馬鹿したようにサイの人間を見下せば、癇に障ったような何人かがガタッと立ち上がった。
イリスはすぐに、やめなさいと言葉を落として、溜息をつきたいのを我慢してライアンを見つめる。
「……決定事項ですか」
「そうだ。五日後に出発する。以上だ」
くすっと笑って踵を返し去っていくライアンを目で追いながら、イリスは白目になりそうになるのを必死で堪える。
五日後?なぜそんな急に。唖然とする一同はあんぐりと口を開けたまま、数秒だけ静かになった。
「イ、イリス様、大丈夫ですか?」
「ええ……大丈夫、大丈夫よ。あの人の自由さには慣れているから……何とか、するわ」
何とかできる問題ではなかったが、ぶつぶつ文句を言っている暇が勿体ない。
すぐに切り替えをすると、国内に分散する農村の収穫の報告書をまとめる作業に移った。
イリスは忙しく進んでいく日々に必死でついていき、五日後の朝を迎えた。
ライアンは詳しい話をしないまま、いつものように夜を共にし、朝の光が見えていく時間帯に別れる生活を送る。
シンディの亡骸は星夜祭の日に火葬され、その後城内の人間で密やかに別れを告げた。天に召されたらカーマと幸せに過ごしていけることを切に願った。
涙はあふれて止まらなかったが、ロズが抱きしめてくれた。こうやって悲しみは分かち合えるものだとそっと教えてくれた。
こんな悲惨な出来事は皆につらい思いをさせてしまう結果となり、イリスは苦しくなる。
「言い忘れていたが、屑もエドームに同行する」
いきなり爆弾発言が投下され、イリスの意識はぐっと浮上する。
「は?」
やっとの思いでエドームに向かう準備を整え、いざ出発する瞬間に言われて、目が点になる。
ディルもエドームに行く?その理解しがたい内容はさすがに混乱しそうになった。
最近はカモーアの復興に追われながら、直に城へ拠点を移すと聞いたばかりだったのに。
もう会う機会も少なくなると思うと胸のどこかが苦しくなったが、これでいいんだと言い聞かせていた。
「どうして、もっと早く教えてくれなかったのですか……」
ディルは多忙であるはずなのに、エドームに行く暇などあるのだろうか。
主君がいないままでカモーアは大丈夫なのかと思ったが、ミレイアや心強い味方がいたら安心なのかもしれない。
カモーアはディル無くして機能しないような柔な国ではないはずだ。
「エドームにいる父上が正式に協定を結ぶためにあの屑を寄越せと文が来たからな。なんだ、屑が一緒だと問題があるのか?」
「そんな訳では……」
星夜祭で助けてくれた時は、礼も言えずに別れてしまった。いま思えば、どうして来てくれたのか…守ってくれたのか分からない。
正直に言うとあまり会いたくなかった。どんどんこの気持ちに歯止めが利かなくなってきている。ミレイアに煽られたせいもあるが、きっと相手が誰であろうと嫉妬していたはず。
あの日ライアンに乱された心もやっと落ち着いてきたところで、まさかこんなことになるなんて思いもしなかった。
「まあいい。最初はあの小娘が行かせないと喚いて聞かなかったようだな。父上が屑以外は応じないと言っても納得しなかったくらいだ。イリスを警戒しすぎだな」
クックッと笑うライアンに、イリスは複雑な顔をした。
「ミレイア様はここに残るのですね……」
その方が気が楽だと心の中でほっと安心した。
二人の関係性を見せびらかされるのは苦痛だった。自分の勝手な思い込みかもしれないが、意識しすぎて嫌でも視界に入ってくる。
「ディルがいてもいなくても問題ありません」
強がりでもそう呟いてしまえば、この心に銀色の波風は立たないと思い込めるような気がした。
ライアンは何も言わず、どうだろうなと言わんばかりに唇は弧を描いた。
まさかあんな事態になるなんて、この時イリスは知る由もなかった。
王城を後にして、エドームへ向かう一行の列は乱れることなく続いていた。
ライアンの目が回らない状態で王都は大丈夫なのか不安で仕方ないイリスだったが、今は先へ進むしかない。
父の長年の側近で面識もある信頼できる大臣に今後のことは頼んだ。
サイの重鎮であったエドルフの裏切りもあり、イリスは内部の人間を慎重に選ぶようにしていた。もう二度と同じような過ちは繰り返したくなかった。
もしも世間の事情も知らぬ深窓の姫君として育っていたなら、国を背負っていくことなど不可能だった。今まで政治に関わってきてよかったと何度思ったか。
イリスは薄い雲が風に流される空を見上げて、新しい息を吸い込む。
「残してきた国が心配か?」
横にいたライアンが尋ねてきたため、イリスは小さく頷いた。
「貴方がいたから、悪政もなく国が動いていたのは知っています。ライアン様が離れた今、誰かが好き勝手なことをするのではないかと不安です」
「そんな悩みなど杞憂に終わるな。俺が手を抜くわけがないだろう、仮にそんな奴がいたとしても捻り潰すだけだ」
「……頼もしいですね」
彼ならやりかねない、と苦笑いした。
広い公道をライアンと共に並んでいけば、後ろからくすくすと笑う声が聞こえた。
「いやー、後ろ姿は仲睦まじい夫婦にしか見えませんね!微笑ましいです」
ルークが楽しそうにひやかしながら、イリスを覗きこむ。
その目は心まで探るかのようで居心地が悪い。イリスは、そうですかとだけ言葉を返してライアンの様子を窺う。
「ずいぶんイリス様と打ち解けているようで安心しましたよ。ベタベタする訳じゃないみたいですけど」
「甘ったるい仲は鬱陶しい。まあ当の本人は俺の事が嫌いらしい。それでもイリスは俺だけのものだ」
そう言うライアンは緩んだ笑みを向ける。バチッと視線がぶつかってイリスは戸惑った。
「女に関しては百戦錬磨のライアン様からそんな言葉が聞けるなんて驚きですね。女を物としか考えていなかった頃が嘘みたいだ」
「ふん、自分の利益しか望んでいない奴らなど性欲処理で十分だ」
くるくるとイリスの髪で遊びながら、ルークを横目で見つめる。
「近寄ってくる女なんて一晩で相手をしなくなりましたもんね。どれも涙を武器にして媚びてくるつまらない女ばかりだとか言って」
「お前もそうだろう、ルーク?」
「まあ、興味を失くしたらそこまでですよね!慎みのある可愛い子なら、離れがたいなーと思いますし、たまに惜しく感じます」
ライアン達の繰り返される発言をイリスは聞き流しながら、後ろの方で淡々と馬を進めるディルを気にする。
周りにはディッシュを含め、五人ほどでエドームに向かっていた。 イリスが小さい頃から知っている面々ばかりで、以前のように話せないのがつらかった。
すっと冗談が零れるような、気を遣わなくてもいい関係だったのが嘘みたいで…立場が変わるとこんなにも変化してしまうのだと悲しくなった。
一日目は何事もなく終わりそうで、順調に進んでいるように思えた。
特に目立った問題もなく、イリスも初めてではない長時間の乗馬に疲れは見せなかった。
この前にライアンが冗談っぽく、繊細な女性は馬車を使った方がいいか?と聞いてきたので、むっとしつつも断っておいた。
普通の姫君なら馬に乗ることもなく、刺繍や稽古に精神を注ぐ。それでもイリスは六歳の時から好んで馬に乗り、騎士と並んで走っても差し支えのないところまで辿りついていた。
「結構進んだわね……」
時間が遅くなってきたところで、次第に辺りも暗くなってくる。
まだサイの国内の位置にいた一行は、王族の別邸である屋敷に一晩休むようになった。
イリスも何度かきたことのある大きな敷地内は、父であるブレイヴの先々代が作ったもので、造りは古かったが中身は豪華だった。
もちろん全員が入るわけがないので、何人かの騎士達は近くの宿泊所に散っていく。
ディルたちもその中に入るのかと思っていたが、意外なことにもライアンは屋敷内に引き入れた。
「その辺の地べたで身を寄せ合って寝ることになるかと思ったら、私たちも招いてくださったのですね。心遣い感謝いたします、ライアン様」
「そうしたいところだが、一応はエドームの客人という扱いになっているからな。そんなに外がいいなら異臭がする物置か糞まみれの馬小屋で寝るか?」
「折角ですがお断りいたします。エドームに入る頃には悪臭に満ちていそうなので…それでは陛下にお会いする顔がありませんから」
どちらもピリピリとした空気を発しながら、貶し合いのようにも見えるやり取りを交わす。
傍らで聞いていたイリスは子供の喧嘩のようだと心の中で呆れながら、なるべくディルの方を見ないようにする。
近くにいるだけでこんなにも心臓が高鳴っている事を彼は知らないのだろう。何とか表情を抑え込んでいるものの、見つめ合ったらどうなるか分からない。
イリスは一秒も目を合わせようとも、会話をしようともしなかった。本当は星夜祭に助けてくれた事で礼を言いたかったけれど…。
そんなあからさまな態度を受けて、ディルは感じが悪そうに顔を歪めた。
「……お姉さまの喘ぎ声が聞こえても嫌ですからね、出来れば遠くの部屋でお願いします」
「っ」
思わず赤くなったイリスだったが、視線を逸らしたままで黙っていた。
「どうせなら隣にしてやろうか、カモーアの王子様?一人で扱けるように、イリスの達しそうな声をたっぷりと聞かせてやる」
「その反吐が出る悪趣味、何とかならないのですか?あぁすみません、思わず本音が出ました。聞かなかったことにしてください」
「お前の鬱陶しい声など鼓膜の奥の奥の奥にまで嫌でも入ってくる。脳は雑音にしか捉えないがな」
早く視界から消えろと顎で示すライアンに対して、ディルは雑音で悪かったなクソ王子と本当に小さな声で一言漏らしていた。
イリスは夕食を終え、寝る時間になるとのんびりと夜の空を眺めていた。
「やっと、外に出られたわね」
今までなかなか外に出してくれなかったライアンだったが、エドームの王がイリスとディルを国へ寄こせと書状が送られるとそうも言っていられなかったらしい。
「懐かしい、この空気……」
久しぶりに国内を歩いたら、様変わりしているわけでもなく少し安心した。
公道にはエドームの商人や騎士達が多く、気がかりだった国民の反応は遠くからしか見えなかったが、恨めしそうに睨みつける者もいなくて胸がつまる思いだった。
彼らは一体どんな気持ちを抱えているのか。考えても悪い方にばかりいってしまう。
ライアンはやることがあると言って、ルークなどを集めて話をしている。故に部屋には一人だけで、自分の声だけが響く。
外は騎士達が見張りを行っているが、時折笑うような声が聞こえてくる。退屈しのぎに誰かが冗談を言って場を和ませているのかもしれない。
彼らと接して分かったことは、喧嘩っ早いし乱暴な面もあるが、仲間思いであること。
さすがにライアンの周りにいるのは忠誠心がある者ばかりで、訓練中の剣技を見る限り、なかなかの腕を持っている。ただし…女癖がだらしないのは誰にでも共通する。
イリスは何度も罵られたり馬鹿にされてきたが、彼らがライアンを慕って忠義をつくす姿勢は認めていた。
「そういえば……」
以前二人掛かりで襲ってきたあの若い騎士はどうなったのか。レインが助けに入ってくれて場は治まったが、その後の処置は聞いていない。
最近見かけないところをみると、エドームに強制送還されたのか。その方が助かると思って、イリスは長い髪をかき上げた。
白い天井を見上げて、これまでの経緯や葛藤を思い出す。
エドームが同盟を破棄して戦いを仕掛けてきたことは未だに許せない。それでも自分に落ち度があった。あの時ディルを追いかけずに、お城に留まるべきだった。
本当はシンディが望んだことを叶えるべきだったのかと思うときもある。どうしようもない怒りが湧いてくるときもある。
繰り返し迫ってくる過去への後悔。同時に心を押し潰すような焦がれる欲求。
ディル。
この屋敷の中にいる。それだけで、心が揺れる。
「引きずって、すがって、私は何がしたいのかしら……」
触れたいと思うなんて、叶わない夢をいつまでも見続ける。イリスは考えを消すように首を振り、本棚にある本を手にとって、時間を潰した。
それ以降もエドームへの安全な旅は続いていく。
相変わらずディルと距離をとるイリスだったが、本心とは逆のことばかりで心はもやもやとしていた。時間だけが過ぎていくのが虚しかった。
ライアンはイリスの思いを知ってか知らずか、何も干渉しようとはせず、いつものように接してくる。
自信があるのか、余裕があるのか。イリスはライアンに惹かれているはずがないと自分に言い聞かせる。
よくよく考えてみれば、侵略された王城の中にいたせいで不安だけが悶々と広がっていた。
めげそうな現状を打破しようと必死になってきた。追い詰められそうになった時、ライアンはここぞとばかりに優しく扱った。
大抵の人はそこで気を許し、心を開いてしまうだろう。イリスも不安定な精神で誰かに縋りつきたい気持ちがあり、心が傾きかけていたのかもしれない。
「私という存在を、押し殺したくない……」
旅の途中で一人になることがあり、イリスは言葉にすることで理性を保とうとした。
本来あるべき心が環境や第三者の手によって少しずつ誘導されて堕ちていく気がして怖かった。
ライアンの思い通りになりたくなかった。それでも抗えない引力が、ゆっくりと確実に迫ってきていた……
流れるように進んでいく道筋は、気付けばエドームに辿りつく手前にまで差し掛かっていた。
予想以上に早く着きそうだとライアンが言っていたのを思い出し、イリスは気を引き締める。 エドームの王との顔合わせは恐怖もあったが、一方で怒りも感じていた。
築いてきた同盟関係を断ち切るのに躊躇いを感じなかったのか。勝算があったからこそ、ライアンに託したのだろう。
ライアンの父というだけで、知識も経験も圧倒的に上回る人物だと頭に入れて臨まなければいけない。
何度か対面した覚えはあったが、直感的に危険な人だと悟った。深く関われば自分の身が危ない目に遭いそうな威圧感。何を考えているのか分からない目に恐れを感じた。
こんな王女が真正面からぶつかっても痛い目を見るだけだと分かっている。慎重かつ冷静に会話したいが、きっと過去を抉るような煽りもあると思う。
自分はいくら馬鹿にされても構わない。でもサイの皆を罵倒されたりするのは我慢できるか…とにかく落ち着いていつものように接しなければ。
「あれは……」
イリスは思考に蓋をして緊張感を漂わせながら、ぎゅっと馬の手綱を握り締めた。
横ではライアンが涼しそうな顔をして故郷の風を感じる。サイとは少し違った街が賑やかそうに目前に広がっていた。
今思えばあっという間だったが、ついにここまできたのだと分かる。
「エドームとの国境だ」
ライアンが呟くのが聞こえる。イリスは心のどこかで嫌な予感を抱えながらエドームへと足を踏み入れていった。
その日の内にエドームの王城へと入ることができた。
きちんと整備された道には一定の位置に騎士が立ち、珍しいものを見るような視線や、全身を舐めるような心地の悪い視線も感じた。
来る途中でも鍛冶屋や甲冑を扱う店、最新型の剣が店頭にあったり、武術に長けた国なのだと一目で分かる。
行き交うのも武人の恰好する者が多く、女性や子供は道の隅で並んで歩いたり、男尊女卑の気配が垣間見える。
入城すれば歴代の国王の絵画が廊下に並んでいたり、給仕や侍女が列を成して一斉に声をそろえ出迎えた。
上流の貴族でさえも恭しく一礼しているのを見て、サイとは違う点を実感する。あくまで自分は敗国の王女、としての身分。過去に同盟国だったのは一切関係がない。
「来て早々だが謁見の間で父上が待っているから先に行っている間に着替えてこい。女官が準備しているから何も言わず従っていればいい」
「わ、分かりました」
ライアンに言われて反射的に返事をしてしまった。いきなり謁見で心の準備も整っておらずイリスは驚いたが、今は時間がないらしい。
女官長を名乗る女性に案内された部屋には十人以上が既に待機しており、イリスは戸惑いながら席につく。
素早く着替えも行われ、髪のセットもそこまで時間はかからずに終わった。鏡の前にいる自分は完璧に化粧もされている。そしてイリスは女官長に声をかけられた。
「謁見の間にご案内いたします」
ずいぶんと忙しい。イリスは素直に彼女の後をついていき、すれ違う人の好奇な目を潜り抜け、奥まで続く廊下を歩いていく。
普通なら侍女のロズが後ろについてくるが、エドームには同行させなかった。危険に巻き込まれるのは自分一人だけの方がいいと説得するのが大変だったことを思い出す。
やがて大きな扉の前にやってきた。サイの謁見の間とは形が違う。頑丈な鉄製の扉の横には屈強な体つきの騎士が無言で見張りを続け、荘厳な雰囲気を物語っていた。
「私はここまでとさせていただきます」
女官長は礼儀正しく頭を下げると早々と立ち去ってしまった。置き去りにされたイリスは一瞬唖然としたが、いつまでもこの状態は無視できない。
しかし一人でこの扉を開けるのは無理がある。ちらっと見張りの兵を見たがぴくりとも動かない。
歴史を感じさせる重い空気に、縛りつけられるような緊張感に襲われたが、イリスは意を決して声を出そうとした。
「――お待ちください、お姉さま」
しかし胸を締め付けるような声が聞こえると、体が鉛を乗せたように止まる。
ああ、もう。どうして動揺してしまうの。姿を目に映しただけでこんなにもドキドキして、切なくなって、苦しくなる。
「ディ、ル…」
手の先が小さく震えるのがリアルに伝わってくる。ディルを見れば、後ろにはディッシュが歩いてきていた。
先程着替えのために別れて、別々にエドームの王と謁見するかと思ったがそうではないらしい。
「お一人では危険ですから、共に入室しましょう。ここはエドーム、何が起きるか分かりません」
「そう、ね……ありがとう」
イリスは横にいるディルを強烈に意識してしまい、声が小さくなる。ディッシュと目が合うと、何も言わず小さく笑いかけてくれる。そのおかげで少しだけ緊張が緩んだ。
久しぶりにまともな会話をした気がする。旅の間もほとんど関わることがなかった。
重厚な扉を前に、それぞれの国を背負う二人が並んだ。
「では、参りましょう」
ディルは見張りの兵に視線を送れば、ギィィと大きな音を立てて開いていった。
息をするのも躊躇うようなピンと張りつめた糸のような空間が広く続いていた。
円型の天井には武人の戦いの絵が精巧に描かれて、他にも騎士の彫像が幾数も並んでいる。
真ん中にはサイと同様に、国の頂点のみが座ることが許される玉座があった。もちろん腰掛けるのはライアンの父である、エドームの王。
中には薄く微笑みを浮かべたライアンが玉座の横で立っている。
そのほかにも威圧感を感じさせる複数の騎士が定間隔に無言で構えて、侵入者を一刀両断させるような気迫を示していた。
イリスとディルは同時に深く一礼すると、中央のスペースへ迷うことなく歩いていく。後ろにいたディッシュは謁見の間に入ろうとはせず、黙ったまま扉の隅で静止していた。
数えるくらいしか対面したことのない王は年も若くない。それ故に凡人では発せない畏怖を感じさせた。
その目は幾多の危機を乗り越えてきたかのような強さや圧倒的な存在感を放っている。
やがて凄まじい視線を投げかけるエドームの王の前へ辿りつき、先にディルが口を開いた。
「――お久しぶりです、偉大なるエドームの王。カモーア第一後継者、ディル・カモーアです」
軽く会釈をすれば、ディルはイリスに一瞬だけ視線を送り、後は黙った。
「並行してご挨拶を致します。サイ国第二王女、イリス・サイで御座います」
イリスも真意を読み取り、上品な笑顔を向けると頭を下げた。
ディルとイリス、どちらも臆した様子もなく、真っ直ぐにエドームの王と見つめあった。
ここで逸らしてはいけないと直感が告げている。何よりもディルの隣にいることが心強かった。
「……ほう、その歳にして大した自信だ。表舞台から姿を消したカモーアの王がやっとお出ましというわけだな」
しばらく黙っていた王はどこか愉しそうに初めて口を開いた。お互い緊張状態を保っていたが、少しだけ場の空気が緩む。
ライアンは何も言おうとせず、ただ立っている。
「こちらからご挨拶に出向くべき所を失礼いたしました。このような機会を持つことができて、とても光栄です」
「正式な協定とはいえ、遠路はるばるご苦労だったな。せっかく訪れたのだから、エドームでゆっくりしていくといい」
ディルが好意的に受け入れられ、イリスは内心驚いていた。
客人という扱いは本当だったようだ。静かに会話を聞いていたが、王の視線は隣のイリスへと移っていく。
「こちらが噂の姫か。ライアンがどんな手段を使ってでも欲したというからどんな女なのかと思えば……」
弱点を探られているかのような鋭い目付きで全身を観察される。居心地がいいものではなかったが、イリスは表情を崩すことなく向かい合った。
「確かに美しさは本物だ。しかし、ライアンにふさわしいかどうかは図りかねるな。かよわい女など一切の価値がない」
ふさわしい以前に貴方達に無理やり制圧させられたと叫んでやりたい。
叶うなら怒りのまま思いのすべてを吐き出してしまいたいが、そんなことをしたらどうなるか分からない。それに強欲によって属国を手に入れた感想なんて、聞きたくもない。
なぜ、どうして。同盟を破棄してまで攻めてきたのか。
平和に暮らしていた国を陥れてまで、得たかったものは何だと言うの。
口にしたら抑えることが出来ないほど、胸の中に巣食った思いは消化できない。
イリスは動じることなく、無表情の仮面を被ったまま、エドームの王と向き合う。
果てしない暗闇が広がっているような深い目に感じるのは形容しがたい複雑な思いだった。
「本当は殺したくて仕方ないほど憎しみでどうにかなりそうか、至宝の姫よ?同盟を裏切って国を滅ぼしてもわたしは何とも思わない。ただの遊戯であり、一つの暇つぶしだ」
フッと試すように見つめ笑う王に、イリスは静かな目で黙っていた。
煽っていると、分かっていた。
命を弄ぶ行為を遊戯だと言うこの人の胸倉を、怒りに身を任せて掴んでも得られるものはない。取り乱す様を見たいだけなら、能面のように構えていようと思った。
本当は怒りでどうにかなりそうだった。どれだけの人が傷つけられたのか、この人は何も知らない。
「ライアンの人形だろうが関係がない。わたしの意に反するものなら躊躇いなく殺してやろう」
パチンッと指を鳴らす音が謁見の間に響いた。その瞬間空気が一気に変わり、無言を貫いていた騎士達が一斉に剣を向けてきた。
イリスは様変わりした室内をゆっくりと見つめ、一歩も動かなかった。全身に感じる銀の光は鈍く迫ってくる。それはお城の人々の隠れた想いのようで目を背けたくなった。
隣にいたディルも巻き添えをくらい、鋭利な剣を向けられているが少しも物怖じした様子はない。
「私には抗う術も、陛下に牙を向ける意志さえありません。今この場で全身を釘刺しにされても誰も咎めはしないでしょう。ただ、お気のままに…」
でも、目を見れば分かっていた。あの人は殺す気などないことを。
挑発に乗るつもりはない。それに剣を向けられるのには慣れている。
「はっ……あの傲慢な国王とは似つかない娘だな。本当に血を受け継いでいるのか?」
手に汗握りそうな緊張に包まれていた時、目の前で漏れた声にぴくんと反応する。父の事だと分かるとイリスは少しだけ表情を変えた。
「あいつが影でやっていた真実を知ったらどうなるだろうな?絶望して苦痛に嘆くか、罪悪を感じて跪くか?」
その言葉にイリスは動揺を覚えた。父が影でやっていたこと?もし知ったらどうなると言うのだろう。
ふと横にいたディルが目に入り、瞬時に嫌な予感が浮かぶ。
こんな考えが思いつくこと自体、天にいる父への侮辱になるかもしれない。それでも一つの線が繋がるような錯覚がした。
――性、癖。
「地獄と直通するような悪事の数々を教えてやろうか?普段どんな父親を振る舞っていたかは知らないが一気に地へ突き落とされるだろうな」
「もし父が悪事を働いていたとして……なぜ陛下がご存じなのですか?」
イリスは慎重にたずねると、国王の皺の寄った笑みが深くなった。
「この娘は勘がいいようだな。我が国の情報網は多岐にわたる。サイ程度の内部事情など容易く手に入るのだ。自分の父親が何を思い、何を犯し、何を傷つけたのか答えは自分で探すんだな」
国王がひょいと手を動かせば、剣を向けていた騎士達が揃って鞘におさめた。
イリスは瞳を揺らしながら口を閉ざす国王を見つめ、聞きだすのは無理だと諦めた。
「――はい」
見つけ出すのは難しいかもしれない。知ってどうなるとも分からない。ただ知らなければいけない気がした。
沈黙を守っていたディルが僅かに顔を歪めたことをイリスは知らず、真っ直ぐ前を見据えていた。
「なかなか面白い奴を選んだな、ライアン。女々しく泣きだすものなら刺し貫いてやったものを…気が変わった。態度は生意気だがわたしを飽きさせぬだろう。しばらくは様子を見ようか」
「ええ。イリスがここで命を落とすようなことがあったら、その程度の女だったというだけです。俺が欲したのはそんな柔な奴ではありません」
ライアンの満足そうな視線がぶつかり、イリスは目を逸らす。
「ふ、お前が何年も執着し策を巡らせてまで手に入れようとしただけのことはある……それからサイの全権をお前に託そう、後は煮るなり焼くなり好きにするがいい」
「謹んでお受けします、父上」
初めて親子で会話したのを聞いたが、二人を繋ぐのは完全な上下関係のように思えた。冷え切ったわけでもないが、温度を感じないもので。
下がってよいと玉座から声がするとライアンは一礼し、イリスを連れて去っていく。後ろからディルがついてくる足音がした。
最後の最後まで強烈なオーラを感じて、イリスは気が抜けなかった。正直この謁見の間に入った瞬間から、喉元に切っ先を向けられている心地で怖かった。
ゴオオオと大きな音を立てて扉が閉まると、プツリと糸が切れたように足を支える力がなくなった。
「あ…っ」
地面に足をつきそうになる所をライアンがイリスの腕を持ち上げた。全身から震えが止まらず、イリスは戸惑ったようにライアンの体にもたれかかる。
「無理もないな、あれだけの圧に耐え抜いたせいか」
軽々とイリスを抱き上げてディルに一言も言わず、そのまま歩いていく。外で待っていたディッシュは二人を目で追うと、ディルの無事を確認していた。
「だ、大丈夫です……一人で歩けます、下ろしてください」
「強がるな、声まで震わせてそんなに怖かったか?剣を向けた時はさすがに俺もヒヤッとしたぞ」
片手でイリスを持ったまま、顔色を窺って頬を撫でる。冷たいライアンの手が汗ばんだ体にはちょうど良く心地よかった。
後ろにいるディルがじっとこちらを見ているのに気付かないイリスは、解放感でほっと安心したように息をつき上目でライアンを睨みつける。
「……嘘でしょう。動揺も、していなかったのに」
「この俺が顔に出すと思うのか?そんなヘマをするはずがない。まぁ、父上には気に入られたようで安心したぞ」
相変わらずの自信に呆れてイリスの震えも軽減されていく。
「別に気に入られたいわけではないのですが……あの、それよりこんな姿を他の方に見られたら貴方の世間体が、」
いつ誰の目があるか分からない。女にだらしないと思われても大丈夫なのかと言いたかったが、ライアンは気にもしていなかった。
「はっ、何を今さら。エドームでは俺がお前にゾッコンなのは知れ渡っている。何なら激しく交流している様子を外で見せ付けてヤるか?」
「じょ、冗談じゃありません…やめてください」
ゾッコンって。恥ずかしい事を言わないでほしい。イリスはどうにもならないライアンに抱かれながら、そのまま謁見の間を後にしていった。
「……幸せそうだな」
まるで恋人同士のような空気のライアン達を見つめ、ディルは不機嫌そうに口を開いた。
「おいディル、眉間に皺が寄ってるぞ。顔だけは文句ねぇんだから、そんなカリカリせずに淑やかに笑えよ」
ほーら笑顔笑顔とにんまりとするディッシュに冷ややかな目を送りつつ、ディルは用意された部屋へ戻るため歩き始めた。
その後ろ姿を追うディッシュは少しは素直になれよ頑固者と心の中で呟いた。
「まー確かにイリスも抵抗はしていなかったな。旅の様子を見る限り、あの王子とだいぶ距離も縮まってるみたいで?これは結婚とかも遠い話じゃないよなー?」
ディルの様子を窺いながら反応を確かめるように同意を求めてみたディッシュは、剣が飛んでこないようにあらかじめ身構えていた。
特にイリスに関していらいらした主は容赦なく武器を使って黙らせようとするため、咄嗟に防衛本能が働く。
「勝手にしていればいい。俺には関係のない事だ」
スタスタと足を進めていくディルは興味がなさそうに吐き捨てるが、本人でも気づいていないのか眉間の皺がさらに深くなっている。
ディッシュは嘘つけハゲと小さく声に出して今までの旅の途中を思い出す。
それはもう最高に機嫌が悪かったディルは、ディッシュにストレスをぶつけていた。
ライアンがわざとイリスと近い部屋を用意させたり、二人が接吻する姿を見せ付けたり、ディルの怒りのボルテージは頂上近くまで上昇して、同行していたカモーアの人間はかなり気を遣った。
決して表には出さないが確実に暗雲をモクモクと膨らませていった主の世話は骨が折れるものだった。というか折れかけた。
「色んなことがあってやっと落ち着いてきて思ったけど、最近イリス変わったよな。女らしくなったというか、色気が出てきたというか…」
「気のせいだろ」
「とろんとしてエロい顔してた時は俺もちょっとやばかったな。いつからあんな表情するようになったんだか…」
ディッシュはぼんやりとしながら呟いた。
元々凛としたイリスだったが、近頃は顔を薄く赤色にさせて目を伏せたりするなど、仕草が大人っぽくなった。
原因はあの王子だとよく分かる。あれだけ愛でられれば、女は美しく花開くのだろう。
「それよりも早くエドームを出るぞ……厄介な事に巻き込まれそうだ。嫌な予感がする」
ディルは部屋に辿りつくとさっとドアを開けて中に入る。
かしこまった窮屈そうな服を緩めると、客席用の席へ腰かけて溜息をついた。
「敵陣の真ん中にいるようなもんだからな、それには同意だ。さっさと帰って酒でも飲みながらゆっくりしたいぜー…」
「何の寝言をいってるんだ、帰ったらみっちり働かせるからな。覚悟しろよ」
「おい冗談だろ、やめてくれ」
絶望したように蒼くなるディッシュを無視して窓の外を見つめるディルは険しい顔をしていた。
「とにかく。一刻も早く帰るぞ…」
その瞳には不安な影が宿っていた。
次の日、イリスはエドームの街並みを案内してくれるという何人かの女性騎士と会うため用意していた。
サイではなかなかいない女の武人に驚いたが、じっとしているよりも動いていた方がいいと誘いを快く承諾した。
ライアンも共に行くはずだったが、午前に外せない用事が出来て朝早くに出かけている。
油断はするな、常に注意を払えと言われてやはり危ないことに変わりはないようで。イリスは護身するため短剣を隠し持っていった。
ルークや他の何人かが護衛についてくれるらしい。ただ、自分の身は自分で守ると思っていた方がいい。
「おはようございます、イリス様。私が本日隊長を務めさせて頂きます、どうぞお見知りおきを」
「こちらこそ。よろしくお願いします」
待っていたのは細身の綺麗な女性だったが、鷹のような眼光を見て無意識に背中が伸びた。
姿勢は真っ直ぐで、堂々とした雰囲気。エドームの騎士と並んでも違和感がないほど、強く逞しい。
きっと重い剣でも軽々と持ってしまうのだろう。ちらっと指を見れば、小指と薬指付け根できる剣ダコがあり、相当使い込んでいると分かった。
後ろに並んだ女性騎士は大柄な体をしていていかにもという感じだった。目が合うと小さく会釈し、名前を名乗る。
「では参りましょうか。乗馬の経験がおありと聞きましたので、こちらで馬をご用意させていただきました」
「ありがとうございます」
イリスは難なく馬に跨り、行きましょうかと小さく笑った。後ろにいたルークはんーと伸びをしながら欠伸をしてついてくる。
城下をおりていく一行は他愛のない話をしながら、どんどん先を進んでいった。隊長である彼女は各地を説明しながら、イリスが飽きないように気を配ってくれた。
「イリス様は師団長と並ぶ剣術をお持ちでいらっしゃると聞いたことがあります。一度お手合わせ願いたいものですね」
「いえ、そんな大したものでは…護身程度です」
「ご謙遜を。そんな強さもライアン様はお気に召されたのでしょうね。以前は私も夜をご一緒させていただきましたが、あの頃が嘘のように今は途絶えてしまいましたわ」
ご寵愛されているようで羨ましいですと笑みを浮かべる彼女に悪気があるのか、ないのか…おそろく前者だろう。
ライアンの過去の付き合いを気にかけたことがないが、知らない内に彼と関係を持った女性たちの嫉妬や憎悪を引き寄せてしまっている。
自分が望んだことではなくとも、彼女たちの黒い感情を向けられるのは防ぎようがない。
「エドームの女たちは、イリス様を羨望の眼差しで見つめております。だから私もぜひ一度お会いしてみたかったのです」
「…それは、光栄です」
「噂通り、一点の曇りもないような美しいお方で…ライアン様のお気持ちもよく分かります、私が男なら同じ感情を抱いていましたわ。それこそ、国を追い詰めてでも…」
笑顔を浮かべながら褒め続ける彼女にイリスは恐怖が湧いてきた。
その仮面の裏ではどんな思いが込められているのか考えただけで寒気がする。鋭利な刃物のような冷たい空気が流れ、イリスは話を変えるため口を開こうとした。
しかし、道の前方からやってくる複数の列を見て一瞬固まる。その先頭にいる人物は、ライアンにそっくりだった。
――エドームの第一、王子。目が合うとイリスは背筋がひやっとして、表情を強張らせた。
「あら…ゼクス様のお帰りですわね。ちょうどいいのでご挨拶いたしましょうか」
イリスは早くなる鼓動を感じながら、ぎゅっと手綱を握り締めた。
「なんだ、もう来ていたのか。俺が帰るまでには間に合うかと思ったが、予定より早かったようだな」
「昨日到着されたばかりで。陛下にもお目通りはすませたようです」
隊長の彼女が代弁してくれる。
「へぇ……今無傷ということは一応は認められた姫だということか。面白い。これがライアンが求めた女、か」
美術品を観察するように、イリスの傍をうろつく金髪の男は愉しそうに笑った。
まさか今ここでエドームの第一王子と会うとは。イリスは平静を保ちながら、微笑して頭を下げる。
「挨拶が遅れたな、ゼクス・エドーム。ライアンの兄だ」
「お会いできて嬉しいです、イリスと申します」
「知っている。どんな生娘かと思えば、これは美しい……惜しい事をしたな。先に目をつけておけばよかった」
イリスは返答に困り、髪を掬いあげるゼクスを目で追った。
なぜエドームは女癖の悪い者ばかりなのだと問いたくなったが、口が裂けても言葉には出さない。
背が高いゼクスはイリスの髪を口付けると、魅惑的な笑みを深める。思わず赤くなるようなその熱い視線に息が止まる。
兄弟揃って、顔が整っている。ライアンと違うのは細長の目だろう、均整のとれた鼻筋を滑り落ちれば無敵を物語るような唇が曲線を描いている。
舐めるように見つめられて心臓がドクドクと高鳴り始めた。なんて居心地の悪い空間だろう…とイリスは体が少し震える。
出来るなら足を踏みつけるか突き飛ばしてこの距離をあけたくなったが、立場上遮ることはできない。
「脅えているな、俺が怖いか?ああ、そんな顔をされると陥れたくなる……このまま色街へ行こうか」
耳元で低い声で囁かれると、びくっと体が動く。可愛い反応をする姫だ…と吐息を吹きかけられ、その鍛え抜かれた腹筋に蹴りを入れたくなった。
「お戯れ、を…私など相手も務まりません。他をお探し下さい」
いつかライアンと同じような台詞を言ったことを思い出して、やはり兄弟なのだと感じる。
「相手が務まるかは試してみないと分からない。既にライアンに純潔は捧げているだろうが、少しは楽しめるだろう…」
つーとイリスの顎のラインをなぞり、顔を上に向けられる。
その気になった瞳はライアンと似ている。湧き立つような欲求と比例して、激しさが共に浮上しているから。絡まる視線がひどく熱を帯びていて纏わりついてくる。
面倒なことになった。どうすることも出来ないが、このまま抱かれる気もなかった。
「――ゼクス様、そこまでです。最早イリス様はライアン様のもの。手出しはお控えください」
すると後ろで無言を貫いていたルークが止めに入った。
「ライアンの番犬か、目障りな…見張りでも頼まれたか?」
「今日はイリス様の護衛がご命令です。ゼクス様もこの後はご予定があるはず。野暮用はいかがなものかと」
「ふん、どこから仕入れてくるのか…気に入らんな」
そうは言いながらも距離を取ったゼクスにイリスはほっと安心した。ありがとうと目線を送れば、いえと肩を傾げられた。
「まぁ様子を見る限り、ライアンに心を許し切っているわけではないようだな…いや、他に意中の存在があるのか」
クスと探られる様に見つめられ、イリスは不覚にもドキッとした。
「母親を殺し、さらには俺まで手にかけようとした男の側に恐怖したらいつでも尋ねてくればいい。ライアンは人殺しの血が滾っているからいつ命を落とすか心配だろうな」
「……覚えておきます」
また会おうと意味深い微笑みを残すと、ゼクスは家来をつれて馬に跨った。
「では行くとするか。俺はイリスを諦めるつもりはない、いずれまた誘ってやる」
そう言い去っていく後ろ姿を見ながら、イリスは半分呆然としていた。ライアンと同じく嵐のような人だと思いながら、しばらくは放心してしまっていた。
「ゼクスに会ったのか」
エドームの城に帰れば、既に部屋にいたライアンがイリスを引き寄せて尋ねてきた。
どうして知っているのと不思議そうな顔をすれば、俺を舐めるなと言葉が降ってくる。
「何かされなかったか。あいつは手を出すのが早いからな。気に入った奴はどんな手段を使ってでも手に入れようとする」
それは貴方も同じじゃ……と言いかけたがぐっと抑えつける。
不快だと言わんばかりに匂いを嗅ぐ姿を見つめ、イリスは黙ったままその胸に抱かれていた。
さっき別れた隊長の彼女もこうやって腕の中に抱き入れたのかと思うとなぜか複雑な気持ちになる。
今自分がここにいる事実は、この人がいるから。ただそれだけのことで、それ以上もそれ以下もない。
求められることが当たり前のように慣れてしまって、他の人の気持ちを考えることをしなかった。自分がミレイアに感じる想いと同様に、王子であるライアンを好いている人はたくさんいるはずで。
この国でどれだけの人が心を犠牲にする破目になったのか、そして私がこの人の隣に並ぶことがふさわしいのかなんて、思うこともしなかった。
「どうした」
「いいえ。ゼクス様にはご挨拶をしただけです。何もされていません」
迫られたことには変わりはないが、あの場で無理やり犯されはしなかった。
あの深い目が自分に狙いを定めていないことを願うが、きっとすぐに忘れ去られるだろう。エドームには強くて綺麗な人がたくさんいるのだから。
「これからはあいつに近づくな。問答無用で寝室に招き入れるだろうからな」
「はい」
出来るのならもう会いたくないとイリスは思った。ライアン一人だけでも大変なのに、これ以上は御免だった。
「どうせ、母親殺しだとか血塗られた奴だとか漏らしていたんだろう。俺が怖くなったらいつでも訪ねて来いと言ったんじゃないのか?」
「……ご名答です」
「言いたい放題だな。やってくれる」
面倒臭そうに呟くライアンはそのままイリスを抱き上げると大きなベットに下ろした。
イリスの顔の横に手を置き、顔を近付け長い髪を垂らすと、耳元に響く低い声を出して質問する。
「俺が怖いか、イリス?」
「……ライアン、様」
くぐもった声を出すイリスは、真っ直ぐに迫る視線に体を強張らせた。
「俺が母親を斬殺したのは本当だ。今までにもこの手で色んな奴らを葬ってきた。気に入らない奴だって手にかけた」
拭う事の出来ない血で染まっている、と小さく続ける。イリスにはその目が小さな子供のように見えて、胸が詰まる。
紅い過去が今の彼を形成しているのは事実で、避けようがなかった歴史を物語っている。彼がどんな言葉を求めているのか分からないが、イリスは口を開いた。
「怖くないと言ったら嘘だけれど。もし貴方が感情のない冷たい刃なら、今私はここにいない。ライアン様は無差別に人を殺すような冷徹な人間じゃないわ……」
「どうして分かる?」
「目を見れば、伝わってくるから……なんて、ごめんなさい、私の戯言です。聞き流してください」
何を言っているのだろうと思い直し顔を背けると、上からライアンの口付けが降ってきた。驚いたイリスは目を開いたまま、んんっ…と声を上げる。
「お人よしだな、お前は」
「別に、私は…」
クツクツと笑みを浮かべるライアンに、イリスは少し力が抜ける。
「この髪も、この体も、誰にも渡さない。俺だけのものだ」
そんな甘い睦言がいつまでも頭から離れない。重なる体の温度を抱きながら、イリスは意識の狭間で銀色の面影をひたすらに探していた。
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