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第31話:1年3組 初風 絆(2)

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その日、僕は梅雨真っ只中の横殴りの雨が降る通学路を、傘を斜めに向けて猛ダッシュしていた。

前日の夜、今やりこんでいるゲームの最難関のクエストに挑んでおり、何回も再挑戦し、乙ッては再挑戦しを繰り返した結果、通算31回目にして制限時間が50分の中で残り時間が49分52秒に差し迫ったところでついにクリアした僕は、まさに凱旋を果たす英雄に似たような興奮と感動の絶頂だった。

しかし、その戦いに多くの時間を費やしたせいで、就寝したのは深夜3時。

そして、起床したのが8時20分だった。

スマホの時刻を見た時に味わった、あの首筋が一気に凍える気分は、当分忘れそうにないだろう。

飛び起きて、制服に着替え、家を飛び出したのが8時25分、朝の予鈴のチャイムが鳴る5分前である。

ウチの学校の独自ルールで、予鈴がなる8時半までに登校できなければ、その日の終礼で一人起立して、反省と再発防止の宣誓を述べなくてはならない。

その際に、具体的な遅刻理由、僕の場合だったらゲームに夢中になって夜更かしした結果の朝寝坊だったとの説明もしなければならない。

誰だよあんな公開処刑じみた校則設けたヤツ!?

そんな辱め、メンタルが絹ごし豆腐の如きポヨンポヨンで崩れやすい僕が耐えられるはずがないので、それを回避するために、今死ぬ気で走っているということだ。

腕時計が差す時刻は8時28分。

もう少し、もう少し全力疾走すれば、予鈴が鳴る最中で正門に滑り込める!!

ラストスパートをかけるため、両足の筋肉に全体力を乗せて、僕は濡れたアスファルトの道を一気に蹴り出す。

その時、前方の電柱の下に人影を見つけた。

初めはボンヤリとしていたが、ダッシュで距離を詰めていくと徐々にはっきりと視界に映ってきた。

それは、ウチの学校の制服を着た女子だった。

普通だったら、気にも留めないことだが、彼女の外見は

土砂降りだというのに傘を差しておらず、制服はブレザーで耳にピンクのイヤーマフをつけ、ベージュの色のマフラーという、どう見ても今の季節に似つかわしくない装いだった。

間違いない。

彼女は、生きている人間じゃない。

もし彼女が生きている人間だったら、笑い者を通り越して道行く人の誰もが心配されるレベルだろう。

しかし、道を行き交う人達は皆、彼女の外見に一切関心がない様子だった。

そう、視えていないのだ。

正直幽霊を見たところで、今の僕は全く恐怖したり、驚愕したりしない。

だって、を専門とする部活に籍を置いているのだから。

僕が危惧するのは、『下手に話しかけられたらどうしよう・・・』、その一点に限る。

僕は今、遅刻するかしないかの瀬戸際で、不幸な運命(ただの自業自得)を必死に回避しようと抗っているのだから。

だから頼む。

お願いだから呼び止めないでぇ~!!

だがそんな僕の願いは、彼女の前を通り過ぎた刹那、脆くも崩れ去った。

「あなた、私のこと視えてますよね?」

女生徒の前を走り去った時、彼女は確かにそう聞いてきた。

出たぁ~!!

幽霊が霊感持ちに言うセリフ、ベスト5にランクインしてそうなセリフ、「あなた私のこと視えてますよね?」

ええ視えてますとも!

何だったら、ちょっとだけガン見しちゃってましたよ!!

でも僕は遅刻寸前の身、あなたに構ってる余裕はありませんっ。

「すいません、視えてるんだったら私の話を聞いて下さい。」

おいコイツ、追っかけてきやがったよ・・・

でも無視無視!

急がないと間に合わなくなってしまう。

「あの、声聞こえてますよね?」

「どうして無視するんですか?」

「ねぇ、止まって下さいよ。」

僕は視えてません!

霊感なんかちっとも持ち合わせてません!(およそ2ヵ月前に入部のために部長に移された・・・)

頼むから僕に構わないでぇ~!!

「あの!止まってって言ってるじゃないですか!!」

いきなり僕の前に飛び出してきた女生徒にビックリして、学校まであと100mないかというところで立ち止まってしまった。

「人が話しかけてるのに止まろうとしないなんて、あなた何考えてるんですか!?」

ズサァー!!

「んんえぇ?」

「お願い!!頼むから僕を放っといて~!!」

唐突にスライディング土下座をかましてきた僕に、彼女は素っ頓狂な声を出した。

地面は雨で濡れていたが、そんなこともうどうでも良かった。

「え、ちょ・・・何してるんですか?」

確かに本当にだった。

傍からみたら、僕は何もないところに向かって盛大に土下座する、かなりヤバイ男子高校生だろう。

周りからの好奇な目が恐ろしくて仕方なかったが、ここで彼女を撒かなければ夕方にクラスメイトから痛々しい視線を向けられる。

全くの赤の他人からのクスクス笑いとかはその場で終わりだが、ほぼ毎日顔を合わせる学友はそうはいかなかった。

「今にも遅刻しそうなんだよー!!そうなってしまっては待つのは地獄の時間・・・君も同じ学校に通ってたんなら分かるでしょ~!?」

「ああ、あの終礼の時の反省タイム?確かにアレはイヤですよねぇ。」

「そう!!だから・・・」

「でもそれって、結局はあなたの責任ですよね?」

「・・・・・・・。」

僕は、反論するタイミングなど、ちっとも手にすることができなかった。

彼女の言うように、全面的に僕ひとりの不始末だ。

でもだからこそ、それをフォローしようとこうして頭を下げてるんじゃないか!!

正論をぶつける女生徒に、僕は絶対に降参せず、ゴリ押しで向かう撃つことに決めた。

「最早誰の責任なのかを追及することは無意味だ。僕は自分を待ち受ける残酷な未来を覆すために、走らなければいけないんだ!!」

彼女は見るからに、「コイツ何言ってんだっ。」みたいな感じで首を傾げた。

「そうですか・・・でしたらせめて私の質問に答えて下さい。それができたら、どうぞ行っても構いません。」

有り難い!

彼女からの質問に答えたら、もう僕は解放されるっ。

どうせ答えられそうにないから適当に「いいえ。」って言っておこうかっ。

御路島おろしま高校に、があるって本当ですか?」

わ?

今、なんて?

「私には、成仏する前に絶対に解決したい心残りがあるんです。その部活のことを知ってるんだったらお願いです!私に教えて下さい!!」

僕は彼女の質問に、「いいえ。」と回答することはできなかった。

だって彼女は僕の部活を求めている。

ここで、知らないフリをしてしまうと、僕は自分を許すことはできない。

僕は彼女の、力になりたい。

僕は土下座の姿勢からゆっくりと立ち上がり、雨に濡れていない彼女の顔を静かに見据えた。

「フッ。どうやらお前は今日めちゃくちゃツイているらしいな。」

「どうしてですか?」

「だって自分の力でとっくに。」

「え?」

自分でもカッコつけた喋り方だなと分かってはいたが、僕は止めたくなかった。

だってこういう経験、一回してみたかったから。

「僕こそが、その部活“お悩み相談クラブ”のメンバーだからさ!」

「ほっ、本当ですか!?」

「そうだとも!放課後部室まで案内するから2階の旧旧校舎に続く渡り廊下で待ち合わせしよっか?」

「はい!ありがとうございます。」

こうして、新たな相談者を見つけることができた僕は、妙な達成感から悠然とした足取りで学校の正門を通ろうとした。

そして見事、門の前に立つ生徒指導の先生に捕獲され、担任の眺先生に報告が行って、見事の餌食にされたのだった。

これが僕と今回の死者そうだんしゃ、 初風はつかぜ  つなぎとの出会いだった。
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