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第一章
第3話
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「お疲れ様、仁木くん! とっても良かったよ!」
会場の隣に用意された前室で休憩していると、遊間さんが笑顔で駆け寄ってきた。いつもスーツ姿にフレームの細い眼鏡をかけている遊間さんは、真面目で優しい俺のマネージャーだ。
細身で背が低く、リスのように可愛らしい顔をしている。寝ぐせだろうか、少し髪が跳ねているところを見ると、どこか抜けている印象もある。
「すごく疲れました……。俺、こんな派手な記者会見、初めてだったから」
げんなりと肩を落とした俺に、遊間さんは、
「大丈夫! ちゃんと堂々としてたよ!」
と、興奮したように全力で褒めてくれる。
「八朔くんと並んでもまったく引けを取らなかったし、仁木くんの真面目で実直なところが良く表れてたし!」
顔を赤らめて子供のようにはしゃぐ遊間さんは幼く見えて、とても三十代前半とは思えない。事務所に所属した当初から面倒を見てくれているマネージャーで、いつも手放しで俺のことを褒めてくれる。前回のドラマ主演で俺の知名度が上がったことを誰よりも喜んでくれている一人だ。
それにしても、「八朔に引けを取らない」は、よいしょが過ぎないか? どうも我が子が世界一可愛く見えるという親の心境に達しているようだ。俺は嬉しいような恥ずかしいような気持ちで苦笑した。
「ありがとうございます。そう言ってもらえて、ちょっと安心した」
遊間さんが紙コップにお茶を入れてくれたので、一気に飲み干して喉を潤す。やっと緊張から解き放たれて、ほっと一息ついた。
「今から今後の打ち合わせしてくるから、ここで待っててね」
と言い置いて、遊間さんはまた部屋を出ていく。
そのとき、入れ替わるように長身の男がすっと部屋に入ってきた。瞬時に、俺はまた緊張でぴしっと固まってしまう。
八朔レオだ。
俺に気づいた八朔は僅かに目を瞠ったが、そのまま俺の前を横切り、用意されていた飲み物を物色し始めた。
偶然にも部屋には俺たち二人きりだ。八朔は俺を気にする素振りもなく、離れた席に座って飲み物を口にする。長い足を組み、手持ち無沙汰に携帯をいじり始めたが、それだけで雑誌の表紙を飾れそうなほど絵になる男だ。
しんとした静寂にいたたまれなくなって、俺はすぐに腰を上げた。
「ほ、八朔くん」
無理やりにも引き攣った笑みを作りながら、八朔の傍に立って右手を差し出す。
「これからよろしくお願いするよ。まだまだドラマ撮影には慣れてないから、迷惑かけるかもしれないけど……」
ことさら穏やかに愛想よく話しかけた。八朔は俺の差し出した右手を完全に無視して、冷めた目でじっと俺を見上げてきた。目尻にいくほど二重になる奥二重の瞳は、冴え冴えとした美しさとミステリアスな輝きがある。
「――――あんたさ」
「え」
「ドラマでは結構いい味出てたけど、実際会ってみると案外地味なんだな」
一瞬何を言われたか分からなくて、俺はぽかんと口を開けた。まじまじと八朔を見つめ返し、何度も頭の中で反芻する。
あ、あんただと? 俺年上なのに! そりゃお前に比べれば、大抵のやつが地味の部類に入るだろ!
あまりの失礼な言い方に、子供じみた怒りが湧いてくる。それでも何とか堪えた。芸歴としては八朔の方が俺より先輩だし、ちょっとばかし明け透けな性格をしているのだろう。それに俺が言い返して喧嘩にでもなったらどうする。我慢だ、我慢しろ、俺。
「えー、っとさ、俺が地味だとかはどうでもよくて……」
「よかったな。俺の代役務めたおかげで、無名だったあんたが今じゃ大注目の役者だ。事故った俺に感謝してほしいくらいだな」
「――――!」
ありありとした嫌味な言葉に、身体の体温がすっと下がった気がした。怒りで爆発する寸前、やけに冷静になるあの感じだ。売り言葉に買い言葉を返すつもりはなかったのに、さすがにもう我慢できない。
「あのさ……」
俺は差し出していた手をぐっと握り込んだ。
「確かに今回の役を貰えたのも、あのドラマがあってのことだ。でも、それはお前のおかげじゃなくて、俺を選んでくれたあのドラマの監督と、最後まで俺を見捨てずに一緒に乗り切ってくれたスタッフのおかげだと思ってる」
じっと見上げてくる八朔の目を、俺は精一杯強気に睨み返した。
「それに俺は、お前が事故ったことを喜ぶような卑怯な人間じゃない。見くびるな」
そんな風に思われていたのかと思うと、情けなさと悔しさが込み上げてくる。確かにきっかけは八朔の事故かもしれないが、人の不幸を喜んで伸し上がる人間になったつもりはない。
「……へえ、言うね」
八朔は愉しげに口元を歪めると、すっと音もなく立ち上がった。
身長百八十センチを超える堂々とした体躯からは、近寄りがたいほどのオーラを感じる。スレンダーに見えるが、ダンスが趣味で相当鍛えているらしく、いわゆる細マッチョという恵まれた体格が乙女たちの目の保養になっているらしい。
またどうでもいいネット情報を思い出している間に、八朔はずいと俺との距離を詰めてきた。俺も長身だが、数センチだけ八朔の目線の方が高いので、まるで見下げられているような格好になる。
「今回の映画はアクションも多いし、この前のドラマみたいな生温い演技は通用しない。俺とあんたは敵同士だ。本気であんたを追い詰めるから、呑まれないように気をつけることだな」
間近で見る八朔の顔は、思わず見惚れてしまうほどの迫力ある美貌だ。けれど内側で冷たい炎が燃えていて、無防備に近づくと噛まれてしまいそうな獰猛さも隠されているような気がする。なんというか、ものすごい敵愾心のようなものを感じるのだ。
それにしても、生温い演技とは酷い言われようだ。記者会見のときには刺激を受けた、とか何とか言っていたのに、本心ではそう思っていたということか。
「何だよ、お前。思ったよりよく喋るじゃないか。さっきまでのクールさは表向きの姿か?」
俺は負けじと嫌味で返した。俺にだって役者の端くれとしてのプライドがある。生温い演技などと言われて黙っているわけにはいかない。年上としての礼節なんて、いつの間にか霧のように霞んで消えてしまっていた。
「元より簡単な撮影になるとは思ってない。死ぬ気でお前に食らいついてってやるよ」
顎を上げて挑戦的に睨み返した俺に、八朔は、ふん、と鼻で笑って踵を返した。手にしていた紙コップをおざなりにゴミ箱へ投げ入れると、すたすたと振り返らずに部屋を出ていく。俺は奴の姿が見えなくなるまでその背中を睨んでいたが、ドアの影から恐る恐るこちらを覗き込んでいた遊間さんに気がついた。
「ほ、八朔くんと、何かあったのかい……?」
まるでウサギが耳を垂らしてプルプルと怯えているように見えて、俺はついつい吹き出してしまった。
「そんなに焦らないで下さい、遊間さん。ちょっと喧嘩みたいになったけど、大丈夫です」
「ええ!? 喧嘩!?」
遊間さんは真っ青になって口元を手で押さえた。
「これから二、三ヵ月も一緒に撮影するんだから、問題起こしちゃ駄目だよ!」
「分かってます。そこは仕事だから、ちゃんと割り切りますよ」
遊間さんを安心させようと、俺は軽い調子で答えた。途端にほっと溜息を吐いた遊間さんは、俺の耳元に口を寄せてコソコソと囁く。
「八朔くんの様子はどうだった? 小耳に挟んだ話だけど、あの事故以来、人が変わったみたいにボーっとしてるらしいよ」
俺は、えっ、と目を剥いた。
「そんな風には見えませんでしたよ? 俺にはやけに絡んできたし」
あの迫力はとてもボーっとしている奴に出せるものではない。初対面でマウントを取ってくるような男だ。事故を起こしてショックを受けているようにも、どこか調子が悪そうにも感じられなかった。
「噂どおり、めちゃくちゃ迫力のあるいい男でしたよ。かなり失礼で生意気な奴でしたけどね」
俺は苦笑しつつ肩を竦める。遊間さんはハラハラした様子で俺に念を押した。
「とにかく、面倒事は起こさないようにね! なるべく仲良く、穏便に過ごすんだよ? いいね?」
心配性の遊間さんに、うんうんと頷いて見せる。
たった数分言葉を交わしただけだったが、今まで会ったどの芸能人や役者の中でも、八朔レオのカリスマ性は群を抜いていることだけは間違いない。そういう相手とこれから本気で戦えるかと思うと、憂鬱さにも勝るゾクゾクするような楽しみを感じる。
そういえば、俺も相当な負けず嫌いなんだった。
会場の隣に用意された前室で休憩していると、遊間さんが笑顔で駆け寄ってきた。いつもスーツ姿にフレームの細い眼鏡をかけている遊間さんは、真面目で優しい俺のマネージャーだ。
細身で背が低く、リスのように可愛らしい顔をしている。寝ぐせだろうか、少し髪が跳ねているところを見ると、どこか抜けている印象もある。
「すごく疲れました……。俺、こんな派手な記者会見、初めてだったから」
げんなりと肩を落とした俺に、遊間さんは、
「大丈夫! ちゃんと堂々としてたよ!」
と、興奮したように全力で褒めてくれる。
「八朔くんと並んでもまったく引けを取らなかったし、仁木くんの真面目で実直なところが良く表れてたし!」
顔を赤らめて子供のようにはしゃぐ遊間さんは幼く見えて、とても三十代前半とは思えない。事務所に所属した当初から面倒を見てくれているマネージャーで、いつも手放しで俺のことを褒めてくれる。前回のドラマ主演で俺の知名度が上がったことを誰よりも喜んでくれている一人だ。
それにしても、「八朔に引けを取らない」は、よいしょが過ぎないか? どうも我が子が世界一可愛く見えるという親の心境に達しているようだ。俺は嬉しいような恥ずかしいような気持ちで苦笑した。
「ありがとうございます。そう言ってもらえて、ちょっと安心した」
遊間さんが紙コップにお茶を入れてくれたので、一気に飲み干して喉を潤す。やっと緊張から解き放たれて、ほっと一息ついた。
「今から今後の打ち合わせしてくるから、ここで待っててね」
と言い置いて、遊間さんはまた部屋を出ていく。
そのとき、入れ替わるように長身の男がすっと部屋に入ってきた。瞬時に、俺はまた緊張でぴしっと固まってしまう。
八朔レオだ。
俺に気づいた八朔は僅かに目を瞠ったが、そのまま俺の前を横切り、用意されていた飲み物を物色し始めた。
偶然にも部屋には俺たち二人きりだ。八朔は俺を気にする素振りもなく、離れた席に座って飲み物を口にする。長い足を組み、手持ち無沙汰に携帯をいじり始めたが、それだけで雑誌の表紙を飾れそうなほど絵になる男だ。
しんとした静寂にいたたまれなくなって、俺はすぐに腰を上げた。
「ほ、八朔くん」
無理やりにも引き攣った笑みを作りながら、八朔の傍に立って右手を差し出す。
「これからよろしくお願いするよ。まだまだドラマ撮影には慣れてないから、迷惑かけるかもしれないけど……」
ことさら穏やかに愛想よく話しかけた。八朔は俺の差し出した右手を完全に無視して、冷めた目でじっと俺を見上げてきた。目尻にいくほど二重になる奥二重の瞳は、冴え冴えとした美しさとミステリアスな輝きがある。
「――――あんたさ」
「え」
「ドラマでは結構いい味出てたけど、実際会ってみると案外地味なんだな」
一瞬何を言われたか分からなくて、俺はぽかんと口を開けた。まじまじと八朔を見つめ返し、何度も頭の中で反芻する。
あ、あんただと? 俺年上なのに! そりゃお前に比べれば、大抵のやつが地味の部類に入るだろ!
あまりの失礼な言い方に、子供じみた怒りが湧いてくる。それでも何とか堪えた。芸歴としては八朔の方が俺より先輩だし、ちょっとばかし明け透けな性格をしているのだろう。それに俺が言い返して喧嘩にでもなったらどうする。我慢だ、我慢しろ、俺。
「えー、っとさ、俺が地味だとかはどうでもよくて……」
「よかったな。俺の代役務めたおかげで、無名だったあんたが今じゃ大注目の役者だ。事故った俺に感謝してほしいくらいだな」
「――――!」
ありありとした嫌味な言葉に、身体の体温がすっと下がった気がした。怒りで爆発する寸前、やけに冷静になるあの感じだ。売り言葉に買い言葉を返すつもりはなかったのに、さすがにもう我慢できない。
「あのさ……」
俺は差し出していた手をぐっと握り込んだ。
「確かに今回の役を貰えたのも、あのドラマがあってのことだ。でも、それはお前のおかげじゃなくて、俺を選んでくれたあのドラマの監督と、最後まで俺を見捨てずに一緒に乗り切ってくれたスタッフのおかげだと思ってる」
じっと見上げてくる八朔の目を、俺は精一杯強気に睨み返した。
「それに俺は、お前が事故ったことを喜ぶような卑怯な人間じゃない。見くびるな」
そんな風に思われていたのかと思うと、情けなさと悔しさが込み上げてくる。確かにきっかけは八朔の事故かもしれないが、人の不幸を喜んで伸し上がる人間になったつもりはない。
「……へえ、言うね」
八朔は愉しげに口元を歪めると、すっと音もなく立ち上がった。
身長百八十センチを超える堂々とした体躯からは、近寄りがたいほどのオーラを感じる。スレンダーに見えるが、ダンスが趣味で相当鍛えているらしく、いわゆる細マッチョという恵まれた体格が乙女たちの目の保養になっているらしい。
またどうでもいいネット情報を思い出している間に、八朔はずいと俺との距離を詰めてきた。俺も長身だが、数センチだけ八朔の目線の方が高いので、まるで見下げられているような格好になる。
「今回の映画はアクションも多いし、この前のドラマみたいな生温い演技は通用しない。俺とあんたは敵同士だ。本気であんたを追い詰めるから、呑まれないように気をつけることだな」
間近で見る八朔の顔は、思わず見惚れてしまうほどの迫力ある美貌だ。けれど内側で冷たい炎が燃えていて、無防備に近づくと噛まれてしまいそうな獰猛さも隠されているような気がする。なんというか、ものすごい敵愾心のようなものを感じるのだ。
それにしても、生温い演技とは酷い言われようだ。記者会見のときには刺激を受けた、とか何とか言っていたのに、本心ではそう思っていたということか。
「何だよ、お前。思ったよりよく喋るじゃないか。さっきまでのクールさは表向きの姿か?」
俺は負けじと嫌味で返した。俺にだって役者の端くれとしてのプライドがある。生温い演技などと言われて黙っているわけにはいかない。年上としての礼節なんて、いつの間にか霧のように霞んで消えてしまっていた。
「元より簡単な撮影になるとは思ってない。死ぬ気でお前に食らいついてってやるよ」
顎を上げて挑戦的に睨み返した俺に、八朔は、ふん、と鼻で笑って踵を返した。手にしていた紙コップをおざなりにゴミ箱へ投げ入れると、すたすたと振り返らずに部屋を出ていく。俺は奴の姿が見えなくなるまでその背中を睨んでいたが、ドアの影から恐る恐るこちらを覗き込んでいた遊間さんに気がついた。
「ほ、八朔くんと、何かあったのかい……?」
まるでウサギが耳を垂らしてプルプルと怯えているように見えて、俺はついつい吹き出してしまった。
「そんなに焦らないで下さい、遊間さん。ちょっと喧嘩みたいになったけど、大丈夫です」
「ええ!? 喧嘩!?」
遊間さんは真っ青になって口元を手で押さえた。
「これから二、三ヵ月も一緒に撮影するんだから、問題起こしちゃ駄目だよ!」
「分かってます。そこは仕事だから、ちゃんと割り切りますよ」
遊間さんを安心させようと、俺は軽い調子で答えた。途端にほっと溜息を吐いた遊間さんは、俺の耳元に口を寄せてコソコソと囁く。
「八朔くんの様子はどうだった? 小耳に挟んだ話だけど、あの事故以来、人が変わったみたいにボーっとしてるらしいよ」
俺は、えっ、と目を剥いた。
「そんな風には見えませんでしたよ? 俺にはやけに絡んできたし」
あの迫力はとてもボーっとしている奴に出せるものではない。初対面でマウントを取ってくるような男だ。事故を起こしてショックを受けているようにも、どこか調子が悪そうにも感じられなかった。
「噂どおり、めちゃくちゃ迫力のあるいい男でしたよ。かなり失礼で生意気な奴でしたけどね」
俺は苦笑しつつ肩を竦める。遊間さんはハラハラした様子で俺に念を押した。
「とにかく、面倒事は起こさないようにね! なるべく仲良く、穏便に過ごすんだよ? いいね?」
心配性の遊間さんに、うんうんと頷いて見せる。
たった数分言葉を交わしただけだったが、今まで会ったどの芸能人や役者の中でも、八朔レオのカリスマ性は群を抜いていることだけは間違いない。そういう相手とこれから本気で戦えるかと思うと、憂鬱さにも勝るゾクゾクするような楽しみを感じる。
そういえば、俺も相当な負けず嫌いなんだった。
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