【完結】追ってきた男

長朔みかげ

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第五章

第19話

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 俺が無言になってしまったのを気遣ってくれたのか、八朔は涙を払って声の調子を明るくする。

「生まれつき身体のどこかに痣がある人は、生まれ変わってもそれを頼りに迎えに行く、って前世の恋人に付けられたっていうおとぎ話もあるよ」

 甘酸っぱい話に照れ臭さを感じて、俺も自然に笑みが零れていた。

「お前って意外にロマンチストだよなぁ」
「可笑しいかな? 笑ってもいいよ」

 俺を優しく見つめて、八朔は切なげに笑う。きっと今、俺の腰にある法輪の痣のことを思い浮かべているのだろう。思わず腰の辺りに手をやった。

「……俺のこの痣は、火事でできた火傷の痕なんだよ。生まれつきでもないし、そんな感動的なものじゃない」

 火傷を負ったのは物心つく前だったらしいから、火事の記憶はまったく残っていないが、母親から教えられたので間違いないだろう。八朔の期待を裏切るようで、俺は何だか申し訳ない気分になる。

 それに――――。

「それにさ、もし他にも同じような痣を持つ人がいたらどうするんだ?」

 急に複雑な想いに捉われて、俺はそんなことを口走ってしまっていた。

 俺の痣は生まれつきでもない、感動的でもない、ただの火傷の痕。生まれ変わりの目印なんて、そんな奇跡的な話が本当にあるとしたら、それは俺じゃなくて誰か別の人の身体に残っているのかもしれない。

 どうしてこんなに悲しい気持ちになるんだろう。焦りとも切なさとも言える不安が押し寄せてきて、俺は言い募る。 

「俺のことを好きだ、愛してるって言いながら、そういう人が現れたらそいつにも……」
「……黙って」

 八朔が俺の唇に人差し指を押し当てた。すらりとした長い指に塞がれて、俺は言葉を呑み込む。

「俺の言葉を疑わないで。俺が探していたのはあんただよ。追いかけて来たのはあんたしかいない。あんたを見て懐かしいと思ったし、夢で見る錦とあんたは雰囲気もよく似てる」
「だけど、俺には分からないし……」

 八朔は頑なに俺を「錦」だと信じて疑わないが、俺には何の確証もなくて、猜疑心にも似た感情が渦巻き始める。信じきれない俺の気持ちを読み取ったのか、八朔は悲しげに頷いた。

「……そうだね。あんたにも俺の記憶を共有できたらいいのにと思うよ。それ以外に証明できるものは何もないから」
「八朔……」
「あんたが疑う気持ちも分かる。前にも言ったけど、前世の俺には奥さんも子供もいて、結局あんたとは添い遂げられなかった。あんたを失ってからも、俺はそのあと何年も生きたようだしね。だけど自分が死ぬとき、最期に思い浮かべたのはあんたの顔だったよ。確かに人は何度も恋に落ちるし、数回結婚する人だっている。だけど、もし明日自分が死ぬとして、最期に一体誰の顔を思い浮かべると思う? きっとその人が人生で最愛の人だ」
「……そんなの、死ぬ瞬間にならないと分かんないだろ……?」

 俺は苦しくて目を閉じる。八朔の確信めいた声が聞こえてくる。

「俺はきっとまた、この人生で死ぬときもあんたを想うよ。だから俺を信じて」

 唇に熱くて柔らかいものが触れた。優しく触れ合うだけのキスだ。何だか俺は泣きそうになっている。

 信じて、と八朔は俺に乞う。頑なに信じようとしない俺を、俺の気持ちを変えようと必死になる。
 俺が八朔に変わってほしいと自分の気持ちをぶつけたのと同じだ。他人の心や思考を変えようなんておこがましいことかもしれない。だけど、それだけ自分を理解してほしいと願っている証拠でもある。理解し合えないならもういいと、背を向けて諦めるのは簡単なのだから。

 八朔は変わろうとしてくれた。だったら俺も変わらないと。

 前世の記憶なんて、おそらく大多数の人が夢物語だと笑い飛ばすだろう。八朔もきっとそれは分かっていて、たとえ誰に嘘つきだと嘲られようと歯牙にもかけないはずだ。

 八朔が信じてほしいのは俺だけなんだから。俺だけに向けられた想いなんだから。
 だったら俺は信じてみよう。嘘か真実かなんて結局誰にも分からなくて、答えを決めるのは自分の心次第だ。――――俺はもう、八朔を否定するのは止める。

 そう覚悟を決めると、次第に心が落ち着いてきた。
 名残惜しげに唇が離れていくのを待って、俺はゆっくりと瞼を上げる。すぐ傍にぼやけた八朔の顔がある。俺がキスを拒まなかったことが嬉しいのか、口元に笑みが浮かんでいた。

「何もしないって約束だろ」

 俺が頬を膨らませて怒った真似をすると、八朔は「そうだった。残念」と苦笑して身体を正面に戻した。綺麗な顎のラインを見つめていると、

「一つ、お願い聞いてくれる?」

 と不意にそんなことを言う。

「お願い?」
「名前で呼んで」
「え」
「二人きりのときはレオって呼んでほしい」

 突然の要求に俺は戸惑う。聞いていた話と違ったからだ。

「名前で呼ばれるの嫌いなんだろ? ファンにも公言してるって、花ちゃ……じゃなくて水無瀬さんに聞いたけど」

 八朔のヤキモチが再燃しないように、俺は慌てて言い直す。八朔は一瞬ムッとしたように口を噤んだが、天井を見つめたままぼそりと言った。

「うん、ペットみたいだから好きじゃない」
「ハハ、なるほどな」
「でもあんたは特別。あんたには呼ばれてみたい」

 照れているのかこちらを見ずに再度お願いしてくる。案外可愛い頼みごとじゃないかと、俺は軽い気持ちで名前を呼んでみた。

「レオ?」
「――――」

 しん、と部屋が静まり返る。八朔が無反応なので、無言の催促なのかと俺も焦る。

「え、も、もう一回? れ、レオ……」

 改めて呼んで、遅れてきたようにどっと照れ臭さが押し寄せてきた。顔が熱くなるのを感じて、「駄目だ。恥ずかしいからもう無理」と音を上げる。八朔がくくっと小さく笑った。

「本当だね。結構クる。俺も無理かも」

 自分で頼んだくせに、八朔も照れているのか片手で顔を覆っている。部屋が薄暗いから判り辛いが、きっと赤面しているに違いない。

「ばか。もう大人しく寝ろよ」

 俺は八朔の肩を軽く小突いた。そろそろ本当に寝ないと朝になってしまう。二人で遅刻なんてしたら大問題だ。八朔もそれを理解したのか従順に頷く。

「じゃあ、最後のお願い。朝になるまでここにいて。俺が眠ってる間にいなくならないって約束してくれ」

 さっきとは違って真剣な口調だった。本当のお願いはこっちだったのかと、そんな想いに駆られる。八朔の言葉の端々に孤独な心が垣間見えるようで、俺は嫌と言えなくなる。

「大丈夫だよ、ちゃんといるから。約束する」

 八朔はまるで大きな子供みたいだ。純粋で、素直で、ヤキモチ焼きで、寂しがりやだ。
 俺は子供にしてあげるみたいに、八朔の首元まで布団を掛けて、ぽんぽんと二回叩いた。

「……あんた、やっぱり優しいね」

 安心したように囁いた八朔が、すうっと穏やかに眠りへと落ちていく。起きているときは冷たささえ感じる整った顔が、今はひどく幼く見えた。

「綺麗な顔して、子供みたいに寝るんだな……」

 俺はしばらくその寝顔を見つめていた。

 心が温かいもので満たされている。急速に八朔に惹かれていくのを感じる。そりゃそうだ。こんなにも魅力的な男が俺に夢中なんだ。悪い気はしないのは当然だ。
 だけど、ただ絆されているわけじゃない。俺はこの男の色々な顔をもっと知りたいと思っている。孤独な心を理解したいと思い始めているのだ。じゃないとキスを受け入れたりなんてしない。

 そう自分の想いを認めようとすればするほど、複雑な感情が頭をもたげてくる。

 八朔は俺を「錦」だと信じて疑わない。だけどそれは、俺じゃなくて今でも前世の恋人である錦を愛してるってことにならないだろうか。
 俺には八朔の前世がどんな奴かなんて知り得ない。だから、俺が惹かれているのは間違いなく今この世に生きている八朔レオという男だ。だけど前世の記憶がある八朔は? あいつが求めているのは、錦なのか、俺なのか。

 人は何をもって「その人」が「愛する者」だと認識するんだろう。

 例えば、映画の題材であるクローンは、同じ遺伝子細胞を持つ二人の人間のことだ。愛する人を失って、同じ姿かたちをしたもう一人のクローンが現れたら、魂や記憶が違っても「その人」と言えるだろうか。

 対照的に、前世は同じ魂が転生を繰り返しているという概念だ。魂が同じであれば、姿かたちが違っても、もう一度愛せるんだろうか。

 頭で考え始めたらキリがなくなる。答えは出ない。

 なあ、八朔。お前が好きなのは本当に今の俺なのか? 
 その答えを知るのが、俺はまだ――――怖い。
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