あやかし屋店主の怪奇譚

真裏

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第四章 人狼の激情譚

人狼サマの噂

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「なぁおい、知ってるか?人狼サマの噂」

現代文の授業が終わり、教科書とノートを机にとんとんと叩きつけ高さを揃えているところにやって来てオカルト話をしに来たのはクラスメイトの辻村竜馬だ。吉沢と仲が良くて、交際をしているんじゃないかと疑っているがそういう訳ではなさそうだ。

ちなみに、竜馬が話題にしていた‘‘人狼サマ‘‘というのは、ここら近隣で噂になっている都市伝説のようなものだ。言うなれば、トイレの花子さんや口裂け女、テケテケと同じ扱いのオカルト。
たしか、満月の夜になると遠吠えが聞こえるんだったかな。あまりオカルトに詳しい訳ではないので曖昧だ。噂に尾びれがついているだけだとは思うが、人間を食い殺すという逸話もある。

うーん…やっぱりにわかには信じがたい話だ。

こういった下らないような話をする時ほど真面目になってしまう竜馬の顔をちらりと見ると、やはり真面目な表彰をしていたので吹き出しそうになってしまった。まぁ、真面目になっている人を笑うのも可哀想だな、と俺の良心が働き、笑いを堪えながら先程の問いに答えた。

「噂だけなら知ってるよ」

「すっごい広まってるしなぁ」

「でもさ、実被害とかないでしょ?なんでそこまで危険視されてんのさ」

そう、人狼サマが人間に危害を加えたことはないのだ。たしか。
俺が聞いていないだけかもしれないが、噂になっているのは遠吠えや容姿、出てくる条件のみだ。本当に実在するならの話だが、人に危害を与えていないのに恐れられるのは人狼サマが可哀想だ。実在すれば、の話ね。

「…確かに、食われるとかいう噂はあるけど、本当に食べられたやつは知らないな。そういう犯罪すらニュースにならないし、その上行方不明者とかも出てない」

「やっぱり噂は噂なんだって。人狼サマは温厚な生物だと信じたいし…」

もし遭遇してしまった時も、温厚な性格をしていると分かっていたら怪我をすることもないだろうし。まぁ、本当に人間を取って食ってたら俺に未来はないけれど。
…あ、いや、俺には妖術があるんだった。これは勝つ。

「でも会ってみたいよな。どんな外見してるのか、噂でしか知らないし」

「えー、食われるかもしれないじゃん」

「もしかしたらめっちゃもふもふで可愛いかもしれないじゃん」

竜馬は瞳をキラキラ光らせて夢を語った。
そういえば、竜馬は大の動物好きで、家では猫を四匹とハムスターを二匹、ウサギを一匹飼ってるんだったかな。
オオカミともなれば動物好きの竜馬が飛びつくのも分からなくはない。それが危険を冒してまで、となると話は別になってしまうが。

「こう…耳の辺りの毛がふぁっさふぁっさしてて…んでさ、目はきっと黄金だろ?それから…」

もはや俺のことなど眼中にないようで、一人で妄想ワールドに入国してしまった。よほど想像している人狼が可愛いのだろう。こうなるともう誰にも止められない。

それにしても、人狼サマか…。
紗世さんや猫又さんなら詳細を教えてくれるだろうか?いや、そもそも知っているかが問題になるだろうが…。
実被害が出てしまえば、あやかし屋の俺たちが動かざるを得ない状況になる可能性が高い。依頼がくるというのもそうだが、この街の治安が悪くなるのも紗世さん曰く、「商売が成り立たなくなるからやめてほしい」んだそうだ。危険なものは排除しておいて損はない、と彼女なら言うだろう。

あくまでも、実被害が出たら、の話にはなる。

動物好きの竜馬の為にも、実被害が出ないことを願う。






■■■






人狼サマによる実被害が出ないようにと願った日の一週間後、それは突如として現れた。

「…えっ!?なにこれさっむ!!」

あやかし屋の玄関が開けられたかと思えば、想像を絶するほどの寒気がひゅぅぅっと店内に入り込んだ。炬燵に入っていたからまだマシだったが、上半身と下半身の寒暖差にぶるると身が震える。

「…ぁぁ…すみません…お邪魔をしてしまって…」

玄関の戸を開けた張本人が、そろりそろり、ひたひた…と静かな足取りでカウンターまでやって来た。炬燵が置いてあるのはカウンターから少し離れた畳のある部屋なので、お客様がこちらに気が付くことはあまりないと思う。

「…だれだろう?猫又さん、知ってる?」

炬燵の中でまんまるになっていた猫又さんに問いかけると、面倒そうにあくびを一つ、そして短い返答をくれた。

「知らないわ。きっと新しいお客さんよ」

素っ気ない声色に少しだけ申し訳ない気持ちになりながら、俺はお客様が気になってカウンターの方を覗いた。
店主である紗世さんが対応をしているのが雰囲気で分かる。

「…真っ白な着物」

一番最初に目に付いたのは、一面雪景色のような白い布と、その布に施されている、雪の結晶のような淡い水色の刺繍だった。とても綺麗で、蛍光灯の光で少し輝いている。今の季節柄に合っていて、改めて寒さを感じた。

「…寒いわね。お客さん、もしかして…」

猫又さんが炬燵からのそりと出て、カウンターの方へ歩を進めた。ぺたりぺたりと肉球が彼女の体を支えている。

「やっぱり、雪女ね。そりゃあ店内が冷えるはずよ」

なるほど…雪女さんだったのね…雪女!?あれ、雪女って普通雪山にいるものじゃないの!?
改めてお客様をまじまじと見ると、着物に負けないくらいの真っ白い肌は雪女に相応しく、悲しい群青色の髪の毛は冬を彷彿とさせている。
その証拠に、現在の店内は先程と比べ物にならないくらいの寒気に覆われている。半そで半ズボンを着た状態で北風にさらされている気分だ。チクチクと寒さが肌をさして痛い。

「それにしても…なんで雪女がここに」

ぼそりと独り言のつもりで呟くと、よほど耳が良いのか、雪女は俺の方へ顔を向けた。

「わたくしは、みなさんに冬を届けるためにこの時期になると望ヶ丘に来るんです。春夏秋は山の方で生活しています」

「あ、ありがとうございます」

あまりにも丁寧で分かりやすい説明だったので腰が引けてしまった。真っ白というよりかは青白いような肌は、紗世さんや水上國さんのような、妖怪というくくりよりも、幽霊というくくりの方が合っているようにも思える。

「本日は、わたくしがこの町に滞在している間に起きてしまった事件についてお話してみようかと、あやかし屋へ足を運びました」

「わざわざご足労じゃったな、雪女殿。もしやその事件とは、今噂の‘‘人狼サマ‘‘の話か?」

「ええ、そうなのです。さすが妖狐様、お察しがよくて助かります」

雪女が紗世さんのことを妖狐様と呼んでいることから、紗世さんがとても有名な妖怪だと言う事が分かる。
やっぱり、九尾の狐というのは相当な権力を持っているんだと思う。その九尾の狐と対等に話が出来ている猫又さんの正体が知れない。

「わたくしが被害を受けている訳ではありませんが…。ご近所で、‘‘満月の夜に息子が食われた‘‘とおっしゃる奥方がいるのです。満月の夜や、食われたという話から、人狼の仕業ではないかと睨んでいるのです」

「…なるほど。儂が妖怪の国に居った頃も、人狼についてはそのような噂が流れておったの。‘‘人狼サマ‘‘による実被害が出てしまった以上、対応せざるを得ん」

「妖狐様のお力になれるのであれば、わたくしも加勢いたします」

「其れは助かるぞい」

二人が淡々と話を進めていくのを片耳で聞きながら、俺は密かに絶望した。
竜馬に‘‘人狼サマ‘‘が退治されるかもしれないと、言える気にはなれなかった。

「ところで雪女殿。貴殿の名を控えておきたいのじゃが…」

「ああ、そうでしたね、すみません。わたくしの名は眞代でございます」

雪女が自らの名を名乗ったところで、そういえば、と猫又さんの名を聞いていないことに気が付いた。
妖怪にもやはり固有名詞があるのだろう、そう踏んで猫又さんに聞いてみた。

「猫又さんには名前、あるんですか?」

「基本、妖怪には名前なんてないわ。それこそ人間や他人に名付けられない場合はね。この前の人魚の名は店主が付けたのよ。きっと雪女に名付けた人がいるんだわ」

「なるほどぉ…で、猫又さんには?」

「…たま」

たま!!?あまりにもありきたりな名前で驚いてしまった。紗世さんが名付けるのならばもっと捻った名前にしてくるだろう。水上國蒼沙みずかみのくにあおさなんて聞いたことがなかったし。

「元々私のことを飼っていた女の子が付けたのよ。…もっと付けようがあったでしょうに」

猫又さんは心底つまらなさそうに炬燵へ戻って行った。
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