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友達
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それは夏の暑い日の朝突然起こった出来事だ。峻希はその出来事に、少し嬉しさというか、誇らしさというか複雑な心情を感じていた。
家路の汽車の中で携帯が鳴る。
『今度、一緒に車のイベント行こうよ』
リンクが送られてくる。東京モーターサロンと書かれている。車好きなら知っている有名なイベントだった。新車の展示発表などが行われる。峻希はすかさず返事を送る。
『いいよ。でも少し遠いね』
峻希たちの住んでいる地域から、その会場までは、汽車で六井まで出てそこから、電車を2・3本乗り継がなくてはならなかった。
『ちょっとした旅行だよね』
学校は、まもなく夏休みに入る。
夏休みに入ってすぐ、そのイベントは行われた。二人は、改札口出てすぐの自販機の前で待ち合わせた。
「よっ」
「制服姿じゃないの新鮮だね」
「確かにそうだよね。いつもは制服だもんね」
駅の構内は、これからそのイベントに向かうであろう人たちでごった返している。春樹は袖の長い黒い半そでのTシャツに白のズボンで現れた。制服の時とは違って、芸能人らしい感じがする。
しかしながら、マスクや帽子、サングラスはしていなかった。
「春樹君、顔隠さなくて大丈夫なの?」
「峻希、僕が何の仕事してるか知ってるんだ」
「ごめん、中学の同級生が教えてくれたんだよね」
春樹はなぜか少し嬉しそうな顔をする。
「いいよ。峻希は友達だし」
峻希の顔がりんごのように赤らむ。また、改めて友達と言われると、嬉しい気持ちと、何か裏があるんではないかという気持ちで、複雑な心境になるのだった。
「隠してる同期ももちろんいるし、俺も場合によっては隠すけど、別に義務じゃないし、今日は暑いから隠さないだけ」
淡々と、少し小声で春樹は答える。そして、笑いながら続ける。
「それにね、俺そこまで有名な方じゃないから。もっと有名な子周りにはいっぱいいるよ。俺なんか全然、知る人ぞ知るって感じ」
駅の郊外に出ると、イベントに行く人たちがアリの行列のように並んでいる。スタッフの誘導の人たちが、その行列の最後尾を教えてくれた。遠くで鳴く蝉の声と夏の日差し。地面からの反射してくる熱が暑い。そうだ。といい、春樹が鞄から何かを取り出す。
「これあげる」
それは、スポーツ飲料のペットボトルを凍らせた物だった。
「ありがとう。すごい、これは助かる」
峻希のありがとうという言葉に、春樹がはにかむ。ペットボトルを脇に挟むと少しばかり体が冷える。イベント会場の行列は、少し、また少しゆっくりと前に流れていく。
「こんなことなら、前売り券買っておけばよかったね」
と、春樹が言う。春樹は、首から掛けたタオルで額の汗を拭うと、続けてこう言った。
「峻希はなんで友達作らなかったの?」
「いらないって思ってた」
「いらないって思ってたけど、俺とは友達になってくれた。それはなんで?」
「ごめん春樹君。君のことも、まだ友達とは思ってない。というか、思えない。僕にとっては、クラスメイトでしかない」
「峻希って、まじで面白い」
行列がまた一歩、前へ進む。峻希の横で、春樹がゲラゲラとわらっている。その様子を見て、峻希はなんで笑っているのか理解できなかった。自分では薄々気が付いていたが、人の考えていることや、思っていることを推察するのが峻希は少し苦手だった。そして、友達の定義というものもまた、峻希の中では、曖昧なことだった。
「僕なんか面白いこと言った?」
「正直、ちょっとびっくりしただけ。もう峻希も俺のこと友達だと思ってくれてると俺は思ってたから」
「ごめん」
「俺、絶対お前と一番の友達になる」
真顔の春樹を見て、峻希は少しおかしくなる。そして、二人で顔を合わせてゲラゲラ笑いあった。
会場に入るまでには1時間近くかかった。中に入っても、大勢の人たちでごった返している。
「何から見る?」
春樹が尋ねる。
「とりあえず、日産のブースに行きたいな」
「そっか。峻希はやっぱ日産好きなんだね」
「うちの車が日産の車だから、影響された。春樹君は?」
「俺は、国産より外車が好き」
「外車かー。ベンツとかBMWとか?」
「アメ車かな。親父がアメ車乗ってたから」
峻希の質問に、春樹は淡々と答える。しかし、父親の話になりかけた時、春樹は少し話し方が寂しそうな感じになった。表情もさっきの明るい表情から、少し寂しそうな暗い表情になる。春樹は、表情を下に落したまま、こういう。
「父さん、死んだんだ。自殺だった。俺は何もしてあげられなくて。いつも自分のことで精一杯で」
峻希が春樹の表情を見る。目が少し赤らんでいる。その目から、小さな水滴が下に落ちる。峻希は直視出来なかった。
「事情はわからないけど、大変だったんだね」
峻希は少し不思議な気分だった。今までに抱いたことない感情だった。悲しそうに下を向く春樹に俺はどういう言葉を掛けてあげればいいんだろう。どういう仕草をしてあげればいいんだろう。わからなかった。手が勝手に動いた。峻希は春樹の頭を後ろからそっと撫でて、そのまま腕を肩に回した。春樹がハッと顔を上げる。
「ごめん、俺にはわからなくて。こうしてあげる事しかできない」
春樹が急にしゃがみ込み、泣き出した。辺りは、大勢の人でごったがえしている。春樹は、そのまますとんとしゃがみ込んで、ワッと泣いた。周りの人たちは、そんな男二人組を見て、驚いた表情をして、通りこしていく。近くにいた警備員の人が駆け寄ってくる。
「どうかされました?体調でも悪くされたんですか?」
「すみません。なんでもないんです」
春樹は、一瞬顔を上にあげて、警備員の人にそう告げる。その目はひどく赤らんでいる。
「春樹君、一回外出て、飲み物でも買って落ち着こうよ。俺おごってあげるから」
春樹は、しゃがみ込んだまま、こくりと頷き、ゆっくりと立ち上がった。
「ごめん。けどありがとう峻希」
春樹は、泣きながらそう言った。手で、顔の涙を拭っている彼に、峻希はそっとハンカチを差し出す。春樹はそれを「ありがとう」
と受け取り、涙をぬぐう。
二人は、いったん会場の外に出て、自販機で飲み物を買う。峻希は春樹が小銭を自販機に入れようとするのを、まあまあと止め、代わりに自販機に小銭を入れる。峻希は水を、春樹はコーヒーを選んでボタンを押す。飲み物がすとんと出てくる。外は、建物の日陰になっていて、直射日光が当たっているよりは涼しかった。二人は、近くにあった赤いベンチに腰掛けた。
「少し落ち着いた?」
「突然ごめん。感情が急に押し寄せてきて、耐えきれなくなった。峻希がそばにいてくれて助かった」
「俺こそ、突然肩組んだりして、ごめん」
「いや、うん。普通にうれしかったよ」
彼の笑い顔を見て、峻希も少し安心した。
そして、春樹は静かに語りだした。
「父さんは、元レーサー。全日本ラリーで活動してた。けど、レース中の事故で右足を失ったんだ。その後はもう、酒浸りの生活。俺はそんな父さんを見て、何もしてあげられなかった。ある日突然行方不明になって、1か月後に県内のダムで見つかった。おじさんが葬儀屋さんに言われて棺桶の中を確認したらしいんだけど、とてもほかの人に見せられるような姿じゃなかったって。」
彼は、ペットボトルのコーヒーをごくりと一口飲んだ。
峻希には、彼に掛けてあげる言葉が見つからなかった。しばらく沈黙が続く。
「だから、周りの人が離れていくのが、怖いんだよね。ある日突然、身の回りの人が消えていく恐怖感」
峻希は、彼のそばに寄り添って、友達として居てあげなきゃいけない気がした。これが友達か。と、彼はその時思ったのだった。
「さ、車見に行こう」
春樹は、何かふっきれたような、笑顔でそう言った。
「うん」
俺は四歳の時から、子役として活動をしている。子役専門の芸能事務所に入ったのは、父の紹介だった。
父を喜ばせるため、俺は必死に稽古を頑張った。十歳になるころには、テレビCMや、ドラマで活動するようになっていった。そんな姿を見て、また父も喜んでくれた。俺は、父のそんな喜ぶ姿が大好きだった。
子役として一人前に活動を続ける中、ある時、父がレース中に事故にあった。医師は父の命を救うため懸命に治療に当たってくれた。命は助かったが、代償に右足を切断する事になった。
父はよく言っていた。レースは命を掛けて走っていると。しかし、たとえ命が助かっても、足を失ったことにより、レース出場どころか、日常生活さえもままならなくなっていた。命を失うことより、父にとってはそれが辛かったのだろう。
レースにすべてを掛けていた父は、毎日酒浸りの生活を送るようになっていった。お前が活躍する姿が大好きだ。元気でな。と書かれた一枚のメモを残し、ある日父は突然姿を消した。その一か月後にダムで父の遺体が見つかった。
警察からの連絡を受けたとき、俺は頭の中が真っ白になった。受け入れられなかった。学校や稽古も行かなくなっていった。もう、誰のために頑張っているのか、自分にはわからなくなっていた。父の死から、半年ほど経った時、今度は人を失う恐怖感に苛まれた。
周囲からは美少年とよく言われた。女にもよくモテた。告白もされた事があったが、俺は断った。
受け入れてしまえば、いつか終わりが来る。そう思った。15歳の時だった。俺は、初めて身体の関係を持った。相手は、同じ事務所にいる17歳の先輩女優だった。殆ど一方的だった。俺は、特に抵抗することもなく、それを受け入れた。行為の最中、罪悪感と恐怖感で潰れてしまいそうだった。こんな自分が惨めだった。
俺が、彼女や友達を意識的に持とうと思わなくなったのは、父の死以降だ。もう誰も失いたくなかった。みんな俺の元からいつかは離れていく。それが怖かった。
高校に上がってからも、稽古は続けた。映画やドラマのオファーも受けた。
父に代わって、母を支えてあげなければならない、そう思っていたからだ。高校の学費も全部自分の収入から支払った。
友達なんか作らないと決心していた。
いつもの教室。セミの鳴く声。いつも窓際で、一人、本を読んでいる奴がいる。真面目そうなやつだ。しかし、よく見ると、Z32のキーホルダーが鞄についている。彼は車が好きなのだろうか。Z32は、父が昔愛車として乗っていた。特に理由なんてなかった。ただ、なんとなく俺はこいつと仲良くなりたい。直感的にそう思った。
カーテンを閉めるついでにこいつと友達になろう。
つかの間の夏休みはまるで風のように過ぎ去って散っていく。セミの鳴く声もまばらになり、秋の風が吹き下ろす。暑さも幾分かましになっている。春樹は稽古や仕事で夏休みのほとんどが潰れてしまったらしい。峻希も、大学受験に向けて、夏休みから塾の夏期講習に通うようになっていた。お互いに定期的な連絡を取り合ってはいたものの、夏休み期間中に会ったのは、あの車のイベントが最初で最後だった。
「よっ」
「春樹。久しぶり」
「やっと峻希が君付けで名前呼ぶのやめてくれた」
春樹の表情に綻びが生じる。
「嫌だったの?君付けて呼ばれるの」
「嫌というか、なんか距離感感じるじゃん」
「それって、嫌ってことでしょ」
二人して笑いあう。教室内が一瞬穏やかな空気に包まれた気がした。
「そうだ」と、春樹が峻希の机のそばを離れる。自分のカバンから何かを取り出すと、また春樹のもとに戻ってくる。
「これ、ハンカチ返してなかったよね」
新品のハンカチだった。峻希の好きな車のデザインがあしらわれていた。
「これ、どうしたの?」
「この前のイベントの時、トイレに行くふりしてこっそり売店で買っておいたんだ。今度、峻希にあったら返さなきゃって」
「もともとの俺のハンカチはどうしたの?」
「ハンカチ交換ってことっで」
峻希が俺に差し出してくれたハンカチ。それは峻希が俺を認めてくれた証として、大切にとっておきたかった。
「ハンカチ交換?」
「峻希が俺を友達と認めてくれた証にと思って」
「嬉しいけど、恥かしいよ」
峻希は、だんだんと自分の顔が赤らんでいくのが、わかった。それを悟られまいと、机に突っ伏した。
「ありがとう」
「峻希、顔赤いよ」
峻希の小さなこぶしが、春樹の腹めがけて、飛んでくる。
二人は、またゲラゲラと笑いあう。彼はきっと、自分に心を許してくれてるんだな。その小さな拳が春樹の腹に当たるとき、そう思った。峻希もそれは同じだった。こいつは俺の友達になってくれる奴なんだ。そう思った。二人の小さな孤独感が友情へと変わる瞬間だった。
作山が教室に入ってきて、「えへん」と咳払いする。
「またあとで」と春樹が言って、峻希の机のそばを離れる。
同時に、ばらばらと散っていたほかの同級生達も席に着く。
これが、俺らの友情。
家路の汽車の中で携帯が鳴る。
『今度、一緒に車のイベント行こうよ』
リンクが送られてくる。東京モーターサロンと書かれている。車好きなら知っている有名なイベントだった。新車の展示発表などが行われる。峻希はすかさず返事を送る。
『いいよ。でも少し遠いね』
峻希たちの住んでいる地域から、その会場までは、汽車で六井まで出てそこから、電車を2・3本乗り継がなくてはならなかった。
『ちょっとした旅行だよね』
学校は、まもなく夏休みに入る。
夏休みに入ってすぐ、そのイベントは行われた。二人は、改札口出てすぐの自販機の前で待ち合わせた。
「よっ」
「制服姿じゃないの新鮮だね」
「確かにそうだよね。いつもは制服だもんね」
駅の構内は、これからそのイベントに向かうであろう人たちでごった返している。春樹は袖の長い黒い半そでのTシャツに白のズボンで現れた。制服の時とは違って、芸能人らしい感じがする。
しかしながら、マスクや帽子、サングラスはしていなかった。
「春樹君、顔隠さなくて大丈夫なの?」
「峻希、僕が何の仕事してるか知ってるんだ」
「ごめん、中学の同級生が教えてくれたんだよね」
春樹はなぜか少し嬉しそうな顔をする。
「いいよ。峻希は友達だし」
峻希の顔がりんごのように赤らむ。また、改めて友達と言われると、嬉しい気持ちと、何か裏があるんではないかという気持ちで、複雑な心境になるのだった。
「隠してる同期ももちろんいるし、俺も場合によっては隠すけど、別に義務じゃないし、今日は暑いから隠さないだけ」
淡々と、少し小声で春樹は答える。そして、笑いながら続ける。
「それにね、俺そこまで有名な方じゃないから。もっと有名な子周りにはいっぱいいるよ。俺なんか全然、知る人ぞ知るって感じ」
駅の郊外に出ると、イベントに行く人たちがアリの行列のように並んでいる。スタッフの誘導の人たちが、その行列の最後尾を教えてくれた。遠くで鳴く蝉の声と夏の日差し。地面からの反射してくる熱が暑い。そうだ。といい、春樹が鞄から何かを取り出す。
「これあげる」
それは、スポーツ飲料のペットボトルを凍らせた物だった。
「ありがとう。すごい、これは助かる」
峻希のありがとうという言葉に、春樹がはにかむ。ペットボトルを脇に挟むと少しばかり体が冷える。イベント会場の行列は、少し、また少しゆっくりと前に流れていく。
「こんなことなら、前売り券買っておけばよかったね」
と、春樹が言う。春樹は、首から掛けたタオルで額の汗を拭うと、続けてこう言った。
「峻希はなんで友達作らなかったの?」
「いらないって思ってた」
「いらないって思ってたけど、俺とは友達になってくれた。それはなんで?」
「ごめん春樹君。君のことも、まだ友達とは思ってない。というか、思えない。僕にとっては、クラスメイトでしかない」
「峻希って、まじで面白い」
行列がまた一歩、前へ進む。峻希の横で、春樹がゲラゲラとわらっている。その様子を見て、峻希はなんで笑っているのか理解できなかった。自分では薄々気が付いていたが、人の考えていることや、思っていることを推察するのが峻希は少し苦手だった。そして、友達の定義というものもまた、峻希の中では、曖昧なことだった。
「僕なんか面白いこと言った?」
「正直、ちょっとびっくりしただけ。もう峻希も俺のこと友達だと思ってくれてると俺は思ってたから」
「ごめん」
「俺、絶対お前と一番の友達になる」
真顔の春樹を見て、峻希は少しおかしくなる。そして、二人で顔を合わせてゲラゲラ笑いあった。
会場に入るまでには1時間近くかかった。中に入っても、大勢の人たちでごった返している。
「何から見る?」
春樹が尋ねる。
「とりあえず、日産のブースに行きたいな」
「そっか。峻希はやっぱ日産好きなんだね」
「うちの車が日産の車だから、影響された。春樹君は?」
「俺は、国産より外車が好き」
「外車かー。ベンツとかBMWとか?」
「アメ車かな。親父がアメ車乗ってたから」
峻希の質問に、春樹は淡々と答える。しかし、父親の話になりかけた時、春樹は少し話し方が寂しそうな感じになった。表情もさっきの明るい表情から、少し寂しそうな暗い表情になる。春樹は、表情を下に落したまま、こういう。
「父さん、死んだんだ。自殺だった。俺は何もしてあげられなくて。いつも自分のことで精一杯で」
峻希が春樹の表情を見る。目が少し赤らんでいる。その目から、小さな水滴が下に落ちる。峻希は直視出来なかった。
「事情はわからないけど、大変だったんだね」
峻希は少し不思議な気分だった。今までに抱いたことない感情だった。悲しそうに下を向く春樹に俺はどういう言葉を掛けてあげればいいんだろう。どういう仕草をしてあげればいいんだろう。わからなかった。手が勝手に動いた。峻希は春樹の頭を後ろからそっと撫でて、そのまま腕を肩に回した。春樹がハッと顔を上げる。
「ごめん、俺にはわからなくて。こうしてあげる事しかできない」
春樹が急にしゃがみ込み、泣き出した。辺りは、大勢の人でごったがえしている。春樹は、そのまますとんとしゃがみ込んで、ワッと泣いた。周りの人たちは、そんな男二人組を見て、驚いた表情をして、通りこしていく。近くにいた警備員の人が駆け寄ってくる。
「どうかされました?体調でも悪くされたんですか?」
「すみません。なんでもないんです」
春樹は、一瞬顔を上にあげて、警備員の人にそう告げる。その目はひどく赤らんでいる。
「春樹君、一回外出て、飲み物でも買って落ち着こうよ。俺おごってあげるから」
春樹は、しゃがみ込んだまま、こくりと頷き、ゆっくりと立ち上がった。
「ごめん。けどありがとう峻希」
春樹は、泣きながらそう言った。手で、顔の涙を拭っている彼に、峻希はそっとハンカチを差し出す。春樹はそれを「ありがとう」
と受け取り、涙をぬぐう。
二人は、いったん会場の外に出て、自販機で飲み物を買う。峻希は春樹が小銭を自販機に入れようとするのを、まあまあと止め、代わりに自販機に小銭を入れる。峻希は水を、春樹はコーヒーを選んでボタンを押す。飲み物がすとんと出てくる。外は、建物の日陰になっていて、直射日光が当たっているよりは涼しかった。二人は、近くにあった赤いベンチに腰掛けた。
「少し落ち着いた?」
「突然ごめん。感情が急に押し寄せてきて、耐えきれなくなった。峻希がそばにいてくれて助かった」
「俺こそ、突然肩組んだりして、ごめん」
「いや、うん。普通にうれしかったよ」
彼の笑い顔を見て、峻希も少し安心した。
そして、春樹は静かに語りだした。
「父さんは、元レーサー。全日本ラリーで活動してた。けど、レース中の事故で右足を失ったんだ。その後はもう、酒浸りの生活。俺はそんな父さんを見て、何もしてあげられなかった。ある日突然行方不明になって、1か月後に県内のダムで見つかった。おじさんが葬儀屋さんに言われて棺桶の中を確認したらしいんだけど、とてもほかの人に見せられるような姿じゃなかったって。」
彼は、ペットボトルのコーヒーをごくりと一口飲んだ。
峻希には、彼に掛けてあげる言葉が見つからなかった。しばらく沈黙が続く。
「だから、周りの人が離れていくのが、怖いんだよね。ある日突然、身の回りの人が消えていく恐怖感」
峻希は、彼のそばに寄り添って、友達として居てあげなきゃいけない気がした。これが友達か。と、彼はその時思ったのだった。
「さ、車見に行こう」
春樹は、何かふっきれたような、笑顔でそう言った。
「うん」
俺は四歳の時から、子役として活動をしている。子役専門の芸能事務所に入ったのは、父の紹介だった。
父を喜ばせるため、俺は必死に稽古を頑張った。十歳になるころには、テレビCMや、ドラマで活動するようになっていった。そんな姿を見て、また父も喜んでくれた。俺は、父のそんな喜ぶ姿が大好きだった。
子役として一人前に活動を続ける中、ある時、父がレース中に事故にあった。医師は父の命を救うため懸命に治療に当たってくれた。命は助かったが、代償に右足を切断する事になった。
父はよく言っていた。レースは命を掛けて走っていると。しかし、たとえ命が助かっても、足を失ったことにより、レース出場どころか、日常生活さえもままならなくなっていた。命を失うことより、父にとってはそれが辛かったのだろう。
レースにすべてを掛けていた父は、毎日酒浸りの生活を送るようになっていった。お前が活躍する姿が大好きだ。元気でな。と書かれた一枚のメモを残し、ある日父は突然姿を消した。その一か月後にダムで父の遺体が見つかった。
警察からの連絡を受けたとき、俺は頭の中が真っ白になった。受け入れられなかった。学校や稽古も行かなくなっていった。もう、誰のために頑張っているのか、自分にはわからなくなっていた。父の死から、半年ほど経った時、今度は人を失う恐怖感に苛まれた。
周囲からは美少年とよく言われた。女にもよくモテた。告白もされた事があったが、俺は断った。
受け入れてしまえば、いつか終わりが来る。そう思った。15歳の時だった。俺は、初めて身体の関係を持った。相手は、同じ事務所にいる17歳の先輩女優だった。殆ど一方的だった。俺は、特に抵抗することもなく、それを受け入れた。行為の最中、罪悪感と恐怖感で潰れてしまいそうだった。こんな自分が惨めだった。
俺が、彼女や友達を意識的に持とうと思わなくなったのは、父の死以降だ。もう誰も失いたくなかった。みんな俺の元からいつかは離れていく。それが怖かった。
高校に上がってからも、稽古は続けた。映画やドラマのオファーも受けた。
父に代わって、母を支えてあげなければならない、そう思っていたからだ。高校の学費も全部自分の収入から支払った。
友達なんか作らないと決心していた。
いつもの教室。セミの鳴く声。いつも窓際で、一人、本を読んでいる奴がいる。真面目そうなやつだ。しかし、よく見ると、Z32のキーホルダーが鞄についている。彼は車が好きなのだろうか。Z32は、父が昔愛車として乗っていた。特に理由なんてなかった。ただ、なんとなく俺はこいつと仲良くなりたい。直感的にそう思った。
カーテンを閉めるついでにこいつと友達になろう。
つかの間の夏休みはまるで風のように過ぎ去って散っていく。セミの鳴く声もまばらになり、秋の風が吹き下ろす。暑さも幾分かましになっている。春樹は稽古や仕事で夏休みのほとんどが潰れてしまったらしい。峻希も、大学受験に向けて、夏休みから塾の夏期講習に通うようになっていた。お互いに定期的な連絡を取り合ってはいたものの、夏休み期間中に会ったのは、あの車のイベントが最初で最後だった。
「よっ」
「春樹。久しぶり」
「やっと峻希が君付けで名前呼ぶのやめてくれた」
春樹の表情に綻びが生じる。
「嫌だったの?君付けて呼ばれるの」
「嫌というか、なんか距離感感じるじゃん」
「それって、嫌ってことでしょ」
二人して笑いあう。教室内が一瞬穏やかな空気に包まれた気がした。
「そうだ」と、春樹が峻希の机のそばを離れる。自分のカバンから何かを取り出すと、また春樹のもとに戻ってくる。
「これ、ハンカチ返してなかったよね」
新品のハンカチだった。峻希の好きな車のデザインがあしらわれていた。
「これ、どうしたの?」
「この前のイベントの時、トイレに行くふりしてこっそり売店で買っておいたんだ。今度、峻希にあったら返さなきゃって」
「もともとの俺のハンカチはどうしたの?」
「ハンカチ交換ってことっで」
峻希が俺に差し出してくれたハンカチ。それは峻希が俺を認めてくれた証として、大切にとっておきたかった。
「ハンカチ交換?」
「峻希が俺を友達と認めてくれた証にと思って」
「嬉しいけど、恥かしいよ」
峻希は、だんだんと自分の顔が赤らんでいくのが、わかった。それを悟られまいと、机に突っ伏した。
「ありがとう」
「峻希、顔赤いよ」
峻希の小さなこぶしが、春樹の腹めがけて、飛んでくる。
二人は、またゲラゲラと笑いあう。彼はきっと、自分に心を許してくれてるんだな。その小さな拳が春樹の腹に当たるとき、そう思った。峻希もそれは同じだった。こいつは俺の友達になってくれる奴なんだ。そう思った。二人の小さな孤独感が友情へと変わる瞬間だった。
作山が教室に入ってきて、「えへん」と咳払いする。
「またあとで」と春樹が言って、峻希の机のそばを離れる。
同時に、ばらばらと散っていたほかの同級生達も席に着く。
これが、俺らの友情。
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