千葉みきを

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家の天井をただぼーっと眺めてみる。
もともと白かったであろうその天井には、タバコのヤニのシミが茶色く玉模様になっていくつも染みついている。
窓からは、生暖かい夏の風が、すーっと入る。しかし、涼しさはその風には含まれていない。
蝉の声がジーっと、男の耳の中に入ってこだまする。男は、立ち上がり、茶色く薄汚れた円卓テーブルに無造作に置かれた煙草に火をつけ、ふーっと煙を吐き出す。
開けた窓からは、蝉の声に交じり、時々、工場街からの機械の音や、金属を床に投げるような無機質な音が入ってくる。
窓から顔を出して、外を覗く。灼熱の工場の街並みが目の前に広がっている。工場の煙突からは白い煙がもくもくと吐き出されていて、ちょうど蒸気機関車の煙突から煙が出ているようだ。
男は、窓を閉じ、エアコンをつける。40年物のエアコンだが、元気に動いてくれている。時間はかかるが、さっきの灼熱の部屋が少しずつ冷えていく。

部屋には、いつ飲んだのか忘れたが、ワインのボトル瓶だの、コンビニのビニール袋だの、段ボールだのが無造作に置かれている。
さっきまで灼熱だった、その四畳半一間のさびれたアパートの部屋の一室がエアコンの冷気で満たされる。
ここから、最寄りの銭湯までは、歩いて3分程だ。
暑さにかまけて、行く気がしない気持ちを抑え、風呂道具を一式持ち、部屋を飛び出す。
この街には、子供はほとんどいない。この辺に住んでいるのは、たいがい近くの工場の関係者や、地元のチンピラや、薬物の売人などの犯罪者、どこの国から来たかもわからない外人どもだ。町を歩いていると、通りすがりの建物の中から、色々な国の言語に交じり男どもの笑い声が聞こえてくる。きっと昼間から酒盛りでもしているのだろう。
「いらっしゃい。」
銭湯の番頭をしている老婆が、笑顔で告げる。
男は、会計用の青いトレーに330円を置くと、靴を脱ぎいつも通り脱衣所に向かう。
広い銭湯ではないのだが、床のフローリングはいつもワックスが掛けられていて、艶々と輝いている。
脱衣所でササっと服を脱ぐと、浴場に直行する。
いたってどこにでもある普通の銭湯なのだが、手入れが行き届いている。床のタイルもきれいに磨かれていて、壁にはひび割れや、カビもない。50年以上前からこの地にある銭湯とは思えないほど、手入れが行き届いている。
ここに来るのは、たいがいこの近辺で働く労働者たちだ。しかし、時間帯が少し早いので、今日は誰もいない。
男は、手短に風呂を済ませると、脱衣所で服を着替え、銭湯を後にする。銭湯の前の喫煙所で、煙草に火をつける。ふーっと煙を吐き出す。牛乳瓶の自販機に100円を入れると、コーヒー牛乳を選ぶ。風呂上がりのタバコと100円のコーヒー。このために生きているんではないかと、ここに来るたびに思うのだった。
帰りがけに、神社でも寄っていこう。この近くには、男がいつも行きつけの神社がある。銭湯から、ちょうど500m位の場所である。この街に引っ越してきてからは、毎週その神社でお参りをするのが、男の慣習だ。町は、夕焼けで色付き始めている。

神社の境内の行燈には、すでに明かりが灯っている。
境内に入る前に、一礼する。境内には、男のほかにももう一人誰かがいる。初老のその男の身なりは、ぼろぼろの小汚い赤いTシャツに薄汚いベージュの作業ズボンを履いていて、周りには、小汚い鞄が2,3置かれている。男は、神社の社殿の前で、その男が参拝を終わるのを静かに待つ。いったい何を祈っているのだろうか。
この神社の社殿は夕刻になると、門を閉める。今日は夕刻になってしまったので、既に閉まっているようだ。
男は、静かに、その今参拝している男の背後で待つが、なかなか終わらない。
参拝を邪魔するのも悪いと思ったので、いったん境内の外に出て煙草を吸うことにした。
町には、街灯がつき、工場街で働く人々が、帰路につき始めている。
男は、煙草を吸い終わると、また境内に戻る。
先ほどの初老の男は、まだ社殿の前にいる。
気になったので、声を掛けてみることにした。
「何をお祈りされているんですか。」
と男が言葉を言い切るか言い切らないか、同時にその初老の男がこちらをにらみつける。かと思うと今度はにやっと不敵な笑みを浮かべる。
見ると、その初老の男は、賽銭箱に棒を突っ込み、賽銭を盗もうとしていたのだ。
「何をしているんだ!」
男は、境内中に響き渡る声で、そう叫んだ。
「すぐに警察を呼ぶからな。言語道断だ!」
男は、その初老の男の腕をつかむと、ポケットから携帯を取り出し、電話画面に110と入力した。
「まちなされ。」
初老の男は、抵抗することなく、冷静にそう言い放つ。
その目をカッと見開き、男をジッと見つめる。
「時代は、弱者には厳しい世の中なのじゃ。」
「だからと言って、憩いの場で賽銭泥棒なんて言語道断だ!」
男はまた、境内中に響き渡る声で叫ぶ。
初老の男は、体をガタガタと震わせているが、抵抗はしてこない。
「ワシはあんたと違って、こうでもしないと生きていけない身なのじゃよ。」

「あんたには、罪の意識がないのか?」
その初老の男は、目をカッと見開き、再びニヤッと不敵の笑みを浮かべる。その口元に歯はなく、汗のすえた匂いが辺りに立ち込める。
「罪の意識があろうとなかろうと、ワシは生きるためにこれをしているのじゃ。金がないと物が食えない。最低限の生活もできない」
「国の制度に頼るとか、もっと出来ることがあるだろう!」
「国の制度なんてあてにならないのじゃよ。あてになるなら、こんなことしなくて済むのじゃがな。兄さん、ワシのこの行い、今回は見逃してくれんかのう。」
男は、その初老の男の手を振りほどくと、強く蹴りを入れた。
初老の男は、転げたが、立ち上がると、また賽銭箱に棒を突っ込み、賽銭を掻き出し始めた。
男は、見ていられなくなり、一万円札を財布から取り出すと、その初老の男に渡した。
ニヤッと歯のない口で笑うと、有難そうにその一万円札を受け取った。そうなるとわかっていたかのような初老の男のその笑みに、男はとてつもない不気味さを覚えた。男は罪悪感に苛まれ、その神社を後にした。
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