笑わない君が僕を殺す

第一話 病気と彼女との出会い

目が覚めたとき、天井の白い蛍光灯が眩しく揺れていた。

鼻に酸素マスクが付けられ、腕には点滴の針が刺さっている。
伊藤亮は状況を把握しようと必死に思考を巡らせたが、心臓の高鳴りが耳に響いて集中できない。その音はまるで鼓動が全身を支配しているようで、頭の中がぐるぐると回る。冷たい空気が肌を撫で、彼は少しだけ目を閉じて深呼吸をした。だが、どんなに深呼吸をしても、その胸の不安は拭えなかった。

「伊藤さん、目が覚めましたね。良かった」

穏やかな声が耳に入ってくる。ゆっくりと目を開けると、白衣を着た初老の男性が立っていた。どうやら医者らしい。その顔に見覚えはないが、どこか安心感を覚える。

「……俺、どうしてここに？」

亮の声はかすれていた。何かが起きたことは感じている。しかし、その理由がまるで思い出せない。医者は苦笑しながら、手に持ったカルテをちらりと見て、また亮に視線を戻した。

「倒れたんですよ。講義中に突然意識を失ったそうです。ストレスや疲労が原因かと思いましたが……検査の結果、あなたは特殊な病気にかかっていることがわかりました」

「病気？」

亮の心が一瞬、凍りつく。病気だと言われても、何のことか全く分からない。医者は真剣な顔で続きを話し始めた。

「名前は『笑わせないと死ぬ病気』です。1日に1回、誰かを心の底から笑わせなければ、命の危険があります」

その言葉を聞いた瞬間、亮の脳裏に「冗談だろ」と思った。まるでブラックジョークのように感じた。しかし、医者の目は真剣そのもので、亮はその真剣さに一瞬で背筋を冷たくされた。

「そんな馬鹿な……それ、冗談ですよね？」

医者はゆっくりと首を横に振り、少しだけ残念そうな表情を浮かべながら答えた。

「残念ながら、これは冗談ではありません。医学的に証明されています。すでに国内外で数例確認されている、非常に稀な病気です。今日の午後までに誰かを笑わせられなければ、命に関わります」

亮はその言葉を理解することができなかった。笑わせなければ死ぬ？ それはまるで悪ふざけのような話だ。しかし、どうやらそれは現実の話らしい。亮はただ呆然と医者の顔を見つめることしかできなかった。

その日から亮の苦悩が始まった。病気を治すために、彼は毎日誰かを笑わせなければならない。最初は親友の達也や、同じサークルの友人たちが彼の冗談や仕草に笑ってくれた。しかし、思った以上に笑わせることは難しく、亮の心の中に積もっていくプレッシャーは日を追うごとに増していった。

「俺、こんなことで命を落とすのか？」

亮は何度も自問自答した。しかし、その問いに答えることはできなかった。誰かを笑わせなければ死ぬという状況が、次第に彼の精神を追い詰めていった。

そして、ある日――。

講義でのグループワークで、亮は水城葵という女性と出会った。

「水城葵です。よろしくお願いします」

小柄で黒髪のストレートヘア、切れ長の目が印象的な彼女は、無表情で淡々と名乗った。その瞬間、亮はなぜか胸の奥で何かが引っかかるような感覚に襲われた。

自己紹介の後、メンバーの一人が軽い冗談を言ったが、葵はまったく反応しなかった。それどころか、彼女は冷ややかな表情で言い放った。

「全然面白くないですね」

その一言で、グループ全体が静まり返る。緊張が張り詰め、場の空気が一気に凍りついた。亮はその空気に驚き、そしてその無表情な葵に強烈に引き寄せられるような感覚を覚えた。

（……すげぇな、この人。本当に笑わないんだ）

亮は葵の無表情をじっと観察した。これまで、彼は笑顔を見ることが生きるための支えだった。しかし、葵の無表情な顔が、どこか新鮮で、そしてなぜか心を引き寄せる。彼はその感情を理解しようとしたが、すぐには分からなかった。

「君、ほんとに笑わないんだな」

亮は思わず口に出してしまった。葵はちらりと亮を見たが、その目は興味なさそうにすぐに逸らされた。

「笑う理由がないだけです。面白ければ笑いますよ」

その言葉に亮の心はざわついた。普段、何気ない冗談や笑顔でなんとか命を繋いでいた亮には、葵の言葉が強く響いた。笑わせなければならない、という使命感と、彼女に対して感じる少しだけ違った感情が胸の中で絡み合う。

（……よし、決めた。絶対にこの人を笑わせる）

それは、亮にとって初めての本気の挑戦だった。病気を治すためだけではなく、彼女の笑顔が見たいという純粋な衝動が胸の中で燃え上がった。

「水城さん、これからよろしくね。俺、君を笑わせる自信あるよ」

亮はそう言ってニッと笑った。その瞬間、葵は冷ややかに答えた。

「楽しみにしてます。でも、無理だと思いますけど」

亮の心はさらに燃え上がる。生きるために、そして彼女の笑顔を見るために――命を懸けた戦いが始まったのだ。