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第9話 王室とのあれやこれ
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朝食が終わると、ゼニスはいつものようにシアンを抱き上げた。相変わらずの力強さに、いずれ肋骨が折れるのではないか、と思ったが、父が愛しい我が子にそんな間抜けな愚行をするとは考えられない。腕力の調整は熟知していることだろう。
「今週は忙しかっただろう。今日の午後はゆっくり休むといい」
「はい。父様はお仕事、頑張ってください」
「ああ。明日の休みを楽しみに頑張るよ」
ゼニスの休みは日曜日の一日だけらしい。事業と領地経営は休む間がないと考えると、一日だけでも休みがあるだけマシなのかもしれない、とシアンはそう考えていた。
「無理はなさらないでくださいね」
「もちろんだ。無理をして倒れでもしたら、お前と休日を満足に過ごせないからな」
なんにしても基準はシアンのようだ。倒れないように仕事を調整しても、倒れたときには心配をかけまいと無理をするのではないかとさえ思える。それは仕事にも影響があるだろう。そんな本末転倒なことを父がするとは思わないのだが。
ゼニスが出掛けて行くと、シアンはいつも通りスマルトの執務室で仕事に取り掛かる。シアンもすっかり仕事に慣れてさほど時間がかからなくなり、自然と休憩の時間が増えた。
「サルビア家の事業は輸出もしているそうですが」シアンは言う。「事業の規模はどれくらいですか?」
「支店が国内の各地にあって、雇用促進に一役買うくらいには広域な規模だな。この国の経済を支える一端でもある。輸出をすることで交易も盛んにして、国益にも貢献している」
「すごいですね。領地内だけの事業ではないんですね」
「そうだな。紡績の仕事はどこでも通用する。国外から亡命して来た者を受け入れることで難民対策にも寄与している」
「亡命……」
この国の情勢にはまだ明るくないが、国に居続けることができない民がいるのはどこでも同じらしい。なんの罪もない民が国を追われることは許されてはならないが、現実と理想は常に乖離《かいり》しているものである。
「この国は永世中立国だから平和なもんだが、国外では戦争や迫害が行われている。肩入れするような亡命は認められないが、命を脅かされる民となれば話は別だ」
サルビア侯爵家にそれだけの権力や富、確かな信頼があることは、これまでの侯爵の手腕を示しているようだ。
「侯爵家は支援もしている。王宮とも繋がっているし、国もサルビア家を頼りにしているはずだ」
亡命して来た民は難民としてこの国に助けを求める。その受け入れ先として、サルビア家の事業を当てにしているのだ。そこには確固たる信頼関係があり、それはサルビア家の地道な働きにより築いた地位なのだろう。賢者は、そんな権力者の息子に危害を加えたいじめっ子たちは随分と肝が据わっているようだ、とそんなことを考えた。
「では」シアンは言う。「ネイビー姉様とブルーは、いずれ王室のどなたかと土婚約されるんでしょうか」
「あのふたりがそれを受け入れればその可能性もあるだろうな。父様はあいつらの意思に任せるようだ。そのための教育も受けているし、王室でないにしても嫁入りと事業のどちらを選んでもあいつらも損はしないはずだ」
「積極的にお嫁入りさせようということはないんですね」
「そうだな。サルビア家はすでに王室との繋がりがあるし、あいつらの婚約が大きな得をもたらすようなことはないだろ」
王室との婚姻関係を得と捉えないとは、と賢者は考える。思っていた以上にサルビア家は豊かで莫大な家系なのかもしれない。ともすれば国家に匹敵する可能性もある。王室としても、サルビア家とは良好な関係を保ちたいところだろう。
「何より、あのじゃじゃ馬たちが王室で大人しくしているとは思えない。シアンも一緒に、なんて言い兼ねないだろ。あのふたりは事業に就くことを選ぶだろうな」
「政略結婚とは無縁の家なんですね」
「必要がないからな。他の家の地位や血筋を得たとしても特に利益はない。こちらへの申し込みは山ほどあるようだがな。アズールにも打診が多く来ているようだが、熱心ではないようだ。この家の者は、お前と過ごせればそれでいいと思っている」
「うーん、どうして僕はこんなに可愛がられているんでしょう」
自分で尋ねるには奇妙な質問だ。可愛がられていることは自覚しているが、その実、なぜこれほど可愛がられているのかは知らない。それはシアンの心も同じようだった。
「さあな。理由はそれぞれあるだろうな」
スマルトの“理由”を問うのは無粋だろう、とシアンは曖昧に頷く。スマルトは素直に答えるかもしれないし、またははぐらかすかもしれない。その選択をさせる必要はないだろう。
(アズールくんじゃったら、喜んで教えてくれるかもしれんがのう。……ま、スマルトくんも平気で口説いて来るような性質にも思えるがの)
いくら中身が九十八のじじいだとしても、こんな美形に迫られたら、きっとどぎまぎしてしまう。きっと心臓に悪い。寿命が縮まるようなことはしないほうが賢明だろう。
* * *
今日の分の仕事を終えた昼。ダイニングに行くと、ちょうどアズールが斜交《はすか》いのドアを開くところだった。アズールは迷うことなくシアンを抱き上げる。シアンの身体は五歳児程度の成長具合だが、彼らが重そうにしている様子は見られない。シアンが幼い頃からこうして抱き上げることで、シアンを抱き上げるための筋肉が身に付いているのだろう。ネイビーもその例に漏れない様子であるのは、それだけシアンは家族に抱き締められてきたということなのだろう。
「今週もなんとか乗り切ったな。カージナルの授業もあったし、忙しかっただろう」
「でも、楽しかったです。……学校なんかよりずっといい……」
賢者の無意識で漏れたその声は、シアンの本心の言葉だろう。学校がシアンにとって苦しい場所であったこと、屋敷で忙しく過ごすことがシアンにとって安らぎであることの証明だった。
「お前が楽しいなら何よりだ。けど、父様の補佐として事業に携わるなら、外の世界と関わる方法を見つける必要も出てくるだろうな。もちろん、お前が嫌なら無理強いはしない」
偏見の目に晒され迫害とも言える扱いをされて来たシアンには、外の世界との関わりを持つことは心労のかかることだろう。それでもアズールの言葉は正しく、事業主であり領地の経営者である父の補佐となる予定のシアンには必要なことだ。
「お前の有能さを早いうちから知らしめておけば、父様の補佐として仕事をするのが楽になる。もしくは僕の補佐でもいいよ」
「それならちょうど良い機会だわ」
アズールの話を容赦なく断ち切るように、セレストがにこやかに言った。アズールの話を成立させるつもりはないらしい。
「シアン、王宮でのお茶会に参加してみないかしら?」
「王宮のお茶会……」
何が“ちょうど良い機会”なのだろう、と賢者は思った。外の世界との関わりを恐れているシアンが、王宮でのお茶会に参加することで自信をつけることができるだろうか。その不安が顔に表れていたのか、セレストは柔らかく微笑む。
「王宮のお茶会と言っても、王妃殿下とお茶するだけよ。現王妃が私のお姉様なの。王太子殿下もいらっしゃるけど、あなたに対して偏見を持つようなことはないはずよ」
いくらセレストの姉だとしても、王族であることに変わりはない。サルビア家と王室が確固たる信頼関係を築いているにしても、シアンにとって緊張感が高まることに違いはない。
「身内のようなものだから」と、セレスト。「あなたのテーブルマナーなら充分よ。気負う必要はないわ」
「いきなり王族とお茶会って」ネイビーが言う。「いくら身内と言ってもハードルが高すぎない?」
「繋がりの浅い貴族の家に行くよりマシでしょう? 王太子殿下は従兄弟なのだから」
セレストは朗らかに微笑んでいる。その言葉に裏や偽りはなく、本当にシアンを連れて行ったとしても差支えないのだろう。
(気軽にお茶会ということは、姉妹仲が良いということじゃの。将来的にゼニス父様の補佐となるなら、王室に顔を売っておくのも賢明とも言えるのう)
姉妹仲が良いということは、シアンにとって繋がりの浅い貴族の家より親しみが深いということだろう。セレストがシアンにとって間違いとなる選択肢を採ることはないはずだ。
「母様がぼくにできるとお考えならぜひ」
「ええ、もちろんよ。姉様もあなたに会いたがっているわ。私があまりに自慢するものだから」
(王妃にまで自慢しておったか……)
「お茶会は明後日よ。うんとお洒落しましょうね」
せめて自分がシアン・サルビアとして失敗しなければいいのだが、と賢者は思った。シアンはテーブルマナーが身に付いているし、賢者は地位の高い者とのお茶会に参加したことは何度もある。鉄面皮はお手のもので、失敗したことはこれまでにない。いままで通りにしていれば問題はないはずだ。
昼食を終えると、五人きょうだいは書籍室に集まった。シアンはひと通り本棚を見て回り、そのあいだに四人はそれぞれ自分のおすすめの書物を取り出して、順番にシアンにプレゼンする。そのうち、それぞれ気に入った本をソファに座って読み始め、何を話すでもなくのんびりと過ごした。いつもはひとりで嗜んでいた読書だが、何も話さなくとも同じ空間でこうして過ごすのはとても心地良いものだ、と賢者は思い知ったのだった。
* * *
夜、湯浴みを済ませ寝室でマゼンタに髪を整えてもらったあと、シアンは隣の部屋に向かった。スマルトの寝室だ。ノックに応える声を聞いてドアを開くと、ソファで書類を眺めていたらしいスマルトが不思議そうに振り向く。
「シアン、どうした」
「王妃殿下と王太子殿下のことを教えていただきたいんです」
お茶会に出席するとなれば、多少なりとも情報を頭に入れておく必要がある。ふたりのことを何も知らなければ不敬を働いてしまう可能性もある。教えを乞えるのはスマルトだけだ。
促されてソファに腰掛けると、スマルトは一冊の本をテーブルに広げる。王室に関する年鑑だ。スマルトが開いたページには、王妃の肖像画が描かれている。
「このお方がシャルトルーズ王妃殿下だ。母様の姉君で、ベルディグリ公爵家の長女だ。母様とは対照的にのんびりしたお方で、穏やかな性格をしている」
肖像画のシャルトルーズ王妃は優しく微笑んでおり、口元がセレストによく似ている。賢者が知る中でも群を抜いた美女だ。目尻の垂れた目元がその穏やかさをよく表している。
「母様は、自分がしっかり者なのは姉が抜けているからだと言っていたな。若くして国母となったが、国民からの信頼は厚い」
スマルトはページをいくつか先に進めた。次は気の強そうな少年の肖像画が描かれている。
「こっちがクロム王太子殿下だ。セラドン国王陛下とシャルトルーズ王妃殿下の長男で、弟がふたりいる」
シャルトルーズ王妃とは対照的に、つり上がった目尻と眉が負けん気の強さを感じさせる。
「年齢は八歳。周囲には気難しいと言われているようだが、実際は単純な子どもだ。しっかりした性格をしている」
「兄様はお会いしたことはありますか?」
「ああ。王妃殿下は厳しい方ではないし、王太子も特に気難しいということはない。緊張する必要はないだろ」
スマルトがそう言うなら間違いはないのだろう、とシアンは思った。スマルトが人の印象を誤ることはないだろうし、不確かな情報をシアンに与えるとも思わない。ふたりの前で緊張する必要がないのは本当のことなのだろう。
「あのネイビーが行けたくらいだ。お前なら問題ないだろ」
(ネイビー嬢に対する評価が随分と低いようじゃのお……)
「王太子は背が高いから威圧感があるかもしれないが、実際に威圧して来るようなことはない。特に気に入られる必要はないが、機嫌を損ねることは積極的にはしないほうがいいだろうな」
(王族の機嫌を損ねるなど、勘当ものじゃなかろうかの)
「お前は行儀が良いし、特に心配することはないだろ。身分としては段違いだが、母様の言う通り、他の繋がりの浅い貴族のお茶会に行くより、お前への対応が数倍まともだろうな」
これまで貴族には何度も転生しているが、王族と関わった回数はそう多くない。爵位のある貴族が必ずしも王族と繋がりを持つとは限らない。すでに緊張はしているが、セレストが大丈夫だと判断したならそれを信じても間違いはないはずだ。気負う必要がないと言っていたのを信用しても問題はないだろう。あとは、賢者がどれだけ不敬を防ぐかに懸かっている。賢者のこれまでの経験とシアンの行儀の良さがあれば、そんな失態を犯すことはないはずだ。あとは、王妃と王太子がシアンをどう思うかを見極めるだけである。
「今週は忙しかっただろう。今日の午後はゆっくり休むといい」
「はい。父様はお仕事、頑張ってください」
「ああ。明日の休みを楽しみに頑張るよ」
ゼニスの休みは日曜日の一日だけらしい。事業と領地経営は休む間がないと考えると、一日だけでも休みがあるだけマシなのかもしれない、とシアンはそう考えていた。
「無理はなさらないでくださいね」
「もちろんだ。無理をして倒れでもしたら、お前と休日を満足に過ごせないからな」
なんにしても基準はシアンのようだ。倒れないように仕事を調整しても、倒れたときには心配をかけまいと無理をするのではないかとさえ思える。それは仕事にも影響があるだろう。そんな本末転倒なことを父がするとは思わないのだが。
ゼニスが出掛けて行くと、シアンはいつも通りスマルトの執務室で仕事に取り掛かる。シアンもすっかり仕事に慣れてさほど時間がかからなくなり、自然と休憩の時間が増えた。
「サルビア家の事業は輸出もしているそうですが」シアンは言う。「事業の規模はどれくらいですか?」
「支店が国内の各地にあって、雇用促進に一役買うくらいには広域な規模だな。この国の経済を支える一端でもある。輸出をすることで交易も盛んにして、国益にも貢献している」
「すごいですね。領地内だけの事業ではないんですね」
「そうだな。紡績の仕事はどこでも通用する。国外から亡命して来た者を受け入れることで難民対策にも寄与している」
「亡命……」
この国の情勢にはまだ明るくないが、国に居続けることができない民がいるのはどこでも同じらしい。なんの罪もない民が国を追われることは許されてはならないが、現実と理想は常に乖離《かいり》しているものである。
「この国は永世中立国だから平和なもんだが、国外では戦争や迫害が行われている。肩入れするような亡命は認められないが、命を脅かされる民となれば話は別だ」
サルビア侯爵家にそれだけの権力や富、確かな信頼があることは、これまでの侯爵の手腕を示しているようだ。
「侯爵家は支援もしている。王宮とも繋がっているし、国もサルビア家を頼りにしているはずだ」
亡命して来た民は難民としてこの国に助けを求める。その受け入れ先として、サルビア家の事業を当てにしているのだ。そこには確固たる信頼関係があり、それはサルビア家の地道な働きにより築いた地位なのだろう。賢者は、そんな権力者の息子に危害を加えたいじめっ子たちは随分と肝が据わっているようだ、とそんなことを考えた。
「では」シアンは言う。「ネイビー姉様とブルーは、いずれ王室のどなたかと土婚約されるんでしょうか」
「あのふたりがそれを受け入れればその可能性もあるだろうな。父様はあいつらの意思に任せるようだ。そのための教育も受けているし、王室でないにしても嫁入りと事業のどちらを選んでもあいつらも損はしないはずだ」
「積極的にお嫁入りさせようということはないんですね」
「そうだな。サルビア家はすでに王室との繋がりがあるし、あいつらの婚約が大きな得をもたらすようなことはないだろ」
王室との婚姻関係を得と捉えないとは、と賢者は考える。思っていた以上にサルビア家は豊かで莫大な家系なのかもしれない。ともすれば国家に匹敵する可能性もある。王室としても、サルビア家とは良好な関係を保ちたいところだろう。
「何より、あのじゃじゃ馬たちが王室で大人しくしているとは思えない。シアンも一緒に、なんて言い兼ねないだろ。あのふたりは事業に就くことを選ぶだろうな」
「政略結婚とは無縁の家なんですね」
「必要がないからな。他の家の地位や血筋を得たとしても特に利益はない。こちらへの申し込みは山ほどあるようだがな。アズールにも打診が多く来ているようだが、熱心ではないようだ。この家の者は、お前と過ごせればそれでいいと思っている」
「うーん、どうして僕はこんなに可愛がられているんでしょう」
自分で尋ねるには奇妙な質問だ。可愛がられていることは自覚しているが、その実、なぜこれほど可愛がられているのかは知らない。それはシアンの心も同じようだった。
「さあな。理由はそれぞれあるだろうな」
スマルトの“理由”を問うのは無粋だろう、とシアンは曖昧に頷く。スマルトは素直に答えるかもしれないし、またははぐらかすかもしれない。その選択をさせる必要はないだろう。
(アズールくんじゃったら、喜んで教えてくれるかもしれんがのう。……ま、スマルトくんも平気で口説いて来るような性質にも思えるがの)
いくら中身が九十八のじじいだとしても、こんな美形に迫られたら、きっとどぎまぎしてしまう。きっと心臓に悪い。寿命が縮まるようなことはしないほうが賢明だろう。
* * *
今日の分の仕事を終えた昼。ダイニングに行くと、ちょうどアズールが斜交《はすか》いのドアを開くところだった。アズールは迷うことなくシアンを抱き上げる。シアンの身体は五歳児程度の成長具合だが、彼らが重そうにしている様子は見られない。シアンが幼い頃からこうして抱き上げることで、シアンを抱き上げるための筋肉が身に付いているのだろう。ネイビーもその例に漏れない様子であるのは、それだけシアンは家族に抱き締められてきたということなのだろう。
「今週もなんとか乗り切ったな。カージナルの授業もあったし、忙しかっただろう」
「でも、楽しかったです。……学校なんかよりずっといい……」
賢者の無意識で漏れたその声は、シアンの本心の言葉だろう。学校がシアンにとって苦しい場所であったこと、屋敷で忙しく過ごすことがシアンにとって安らぎであることの証明だった。
「お前が楽しいなら何よりだ。けど、父様の補佐として事業に携わるなら、外の世界と関わる方法を見つける必要も出てくるだろうな。もちろん、お前が嫌なら無理強いはしない」
偏見の目に晒され迫害とも言える扱いをされて来たシアンには、外の世界との関わりを持つことは心労のかかることだろう。それでもアズールの言葉は正しく、事業主であり領地の経営者である父の補佐となる予定のシアンには必要なことだ。
「お前の有能さを早いうちから知らしめておけば、父様の補佐として仕事をするのが楽になる。もしくは僕の補佐でもいいよ」
「それならちょうど良い機会だわ」
アズールの話を容赦なく断ち切るように、セレストがにこやかに言った。アズールの話を成立させるつもりはないらしい。
「シアン、王宮でのお茶会に参加してみないかしら?」
「王宮のお茶会……」
何が“ちょうど良い機会”なのだろう、と賢者は思った。外の世界との関わりを恐れているシアンが、王宮でのお茶会に参加することで自信をつけることができるだろうか。その不安が顔に表れていたのか、セレストは柔らかく微笑む。
「王宮のお茶会と言っても、王妃殿下とお茶するだけよ。現王妃が私のお姉様なの。王太子殿下もいらっしゃるけど、あなたに対して偏見を持つようなことはないはずよ」
いくらセレストの姉だとしても、王族であることに変わりはない。サルビア家と王室が確固たる信頼関係を築いているにしても、シアンにとって緊張感が高まることに違いはない。
「身内のようなものだから」と、セレスト。「あなたのテーブルマナーなら充分よ。気負う必要はないわ」
「いきなり王族とお茶会って」ネイビーが言う。「いくら身内と言ってもハードルが高すぎない?」
「繋がりの浅い貴族の家に行くよりマシでしょう? 王太子殿下は従兄弟なのだから」
セレストは朗らかに微笑んでいる。その言葉に裏や偽りはなく、本当にシアンを連れて行ったとしても差支えないのだろう。
(気軽にお茶会ということは、姉妹仲が良いということじゃの。将来的にゼニス父様の補佐となるなら、王室に顔を売っておくのも賢明とも言えるのう)
姉妹仲が良いということは、シアンにとって繋がりの浅い貴族の家より親しみが深いということだろう。セレストがシアンにとって間違いとなる選択肢を採ることはないはずだ。
「母様がぼくにできるとお考えならぜひ」
「ええ、もちろんよ。姉様もあなたに会いたがっているわ。私があまりに自慢するものだから」
(王妃にまで自慢しておったか……)
「お茶会は明後日よ。うんとお洒落しましょうね」
せめて自分がシアン・サルビアとして失敗しなければいいのだが、と賢者は思った。シアンはテーブルマナーが身に付いているし、賢者は地位の高い者とのお茶会に参加したことは何度もある。鉄面皮はお手のもので、失敗したことはこれまでにない。いままで通りにしていれば問題はないはずだ。
昼食を終えると、五人きょうだいは書籍室に集まった。シアンはひと通り本棚を見て回り、そのあいだに四人はそれぞれ自分のおすすめの書物を取り出して、順番にシアンにプレゼンする。そのうち、それぞれ気に入った本をソファに座って読み始め、何を話すでもなくのんびりと過ごした。いつもはひとりで嗜んでいた読書だが、何も話さなくとも同じ空間でこうして過ごすのはとても心地良いものだ、と賢者は思い知ったのだった。
* * *
夜、湯浴みを済ませ寝室でマゼンタに髪を整えてもらったあと、シアンは隣の部屋に向かった。スマルトの寝室だ。ノックに応える声を聞いてドアを開くと、ソファで書類を眺めていたらしいスマルトが不思議そうに振り向く。
「シアン、どうした」
「王妃殿下と王太子殿下のことを教えていただきたいんです」
お茶会に出席するとなれば、多少なりとも情報を頭に入れておく必要がある。ふたりのことを何も知らなければ不敬を働いてしまう可能性もある。教えを乞えるのはスマルトだけだ。
促されてソファに腰掛けると、スマルトは一冊の本をテーブルに広げる。王室に関する年鑑だ。スマルトが開いたページには、王妃の肖像画が描かれている。
「このお方がシャルトルーズ王妃殿下だ。母様の姉君で、ベルディグリ公爵家の長女だ。母様とは対照的にのんびりしたお方で、穏やかな性格をしている」
肖像画のシャルトルーズ王妃は優しく微笑んでおり、口元がセレストによく似ている。賢者が知る中でも群を抜いた美女だ。目尻の垂れた目元がその穏やかさをよく表している。
「母様は、自分がしっかり者なのは姉が抜けているからだと言っていたな。若くして国母となったが、国民からの信頼は厚い」
スマルトはページをいくつか先に進めた。次は気の強そうな少年の肖像画が描かれている。
「こっちがクロム王太子殿下だ。セラドン国王陛下とシャルトルーズ王妃殿下の長男で、弟がふたりいる」
シャルトルーズ王妃とは対照的に、つり上がった目尻と眉が負けん気の強さを感じさせる。
「年齢は八歳。周囲には気難しいと言われているようだが、実際は単純な子どもだ。しっかりした性格をしている」
「兄様はお会いしたことはありますか?」
「ああ。王妃殿下は厳しい方ではないし、王太子も特に気難しいということはない。緊張する必要はないだろ」
スマルトがそう言うなら間違いはないのだろう、とシアンは思った。スマルトが人の印象を誤ることはないだろうし、不確かな情報をシアンに与えるとも思わない。ふたりの前で緊張する必要がないのは本当のことなのだろう。
「あのネイビーが行けたくらいだ。お前なら問題ないだろ」
(ネイビー嬢に対する評価が随分と低いようじゃのお……)
「王太子は背が高いから威圧感があるかもしれないが、実際に威圧して来るようなことはない。特に気に入られる必要はないが、機嫌を損ねることは積極的にはしないほうがいいだろうな」
(王族の機嫌を損ねるなど、勘当ものじゃなかろうかの)
「お前は行儀が良いし、特に心配することはないだろ。身分としては段違いだが、母様の言う通り、他の繋がりの浅い貴族のお茶会に行くより、お前への対応が数倍まともだろうな」
これまで貴族には何度も転生しているが、王族と関わった回数はそう多くない。爵位のある貴族が必ずしも王族と繋がりを持つとは限らない。すでに緊張はしているが、セレストが大丈夫だと判断したならそれを信じても間違いはないはずだ。気負う必要がないと言っていたのを信用しても問題はないだろう。あとは、賢者がどれだけ不敬を防ぐかに懸かっている。賢者のこれまでの経験とシアンの行儀の良さがあれば、そんな失態を犯すことはないはずだ。あとは、王妃と王太子がシアンをどう思うかを見極めるだけである。
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