呪症骨董屋 石川鷹人

鈴木麻純

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1巻

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 第一話 天使と彫像






 昼の名残なごりはすでにどこにもなく、あたりは濃い闇に包まれていた。頼りない街灯の明かりだけが、濡れたように暗いアスファルトを照らしている。虫の鳴き声さえ聞こえない静寂に、革靴が立てる一人分の足音がかすかな反響を伴って響く。そんな夜だった。
 形ばかりのサークル活動をおこなったあとに、馴染なじみの店で仲間と飲んだ。いつものとおりだ。いつもと違ったことがあるとすれば、四年近く付き合った恋人に別れを告げたことだが、さしたる問題ではない。そう、彼は考えていた。
 新しい恋人は、美人でスタイルがいい。並んで歩くと姉弟と間違われることの方が多かった前の彼女とは大違いだ。
 あっさりと乗り換えてしまったことを誰が責められるだろう?
 ポケットから携帯電話を取りだして、新しい恋人から送られてきたインスタントメッセージを確かめる。絵文字。絵文字。絵文字。平素なら鬱陶うっとうしいと思ってしまっていたかもしれない。まるで暗号だ。けれど今は浮かれているせいか、ハートやキャラクター、謎の記号に満ちた、その酷く読みづらい文章すら微笑ほほえましい。要約すると、つまり週末に泊まりにいきたいという、ただそれだけのことだった。

「部屋、片付けとかなきゃなあ……」

 彼は酔った口元をだらしなくゆるめた。
 足取りが軽くなる。羽でも生えたように。そうして急いでみたところで、週末が早く訪れてくれるというわけでもないが、どうしてか気がいた。前の彼女の持ち物は、早くまとめて送り返してしまわなければ。マグカップ。化粧けしょうポーチ。部屋着一組。他になにかあっただろうか。なにもなかっただろうか。歯ブラシは捨ててしまってもかまわないだろう。ああ、二人で観た映画のブルーレイ・ディスク。他には、他には。
 酔った頭で考える。新しい恋人のことを。以前の恋人のことを。さかのぼって考えていると、胸のあたりが鈍くうずいた。痛みを伴う感情だ。次の瞬間にはすぐに忘れ去ってしまうほど小さな痛みではあったものの、これは確かに悔恨かいこんだった。自分の不誠実さに、薄情さに、それでもたのしいと感じてしまっている不謹慎さに。
 彼は酔う。
 酒にも、恋にも、悔恨にも、そして星の少ない濡れた夜にも、酩酊めいていする。ふらふらと夢を彷徨さまよう心地で歩き続け――不意に気づいた。気づかずにはいられなかった。
 静寂に音が生まれている。酔った自分の無遠慮な足音ではない。酔った自分のだらしない呼吸音ではない。酔った自分の鼓動ではない。ではなにか。
 羽ばたきだ。虫の薄い羽がこすれ合い震える音とは違う。豊かな羽毛に包まれた鳥の翼が立てる音。街路樹の葉を揺らし、夜の冷たい空気を裂き、鼓膜に届く――音だった。ゴミ捨て場でからすえさを漁っているのか。いや、それにしてはうるさい。なにをはばかることもなく、またなにを恐れることもなく、威嚇いかくのごとく力強い羽ばたきが彼の鼓膜を震わせた。
 彼は思わず、音の発生源――小さな明かりに照らし出された道の端をのぞいてしまった。それらと目を合わせてしまった。ぎらぎらと鏡のように輝く鳥の目。群れをなすはずのない鴉の無数の目。統率の取れた集団の目。酔った彼にも分かるほど、明確な敵意を持った目だった。
 彼は呆然と見つめ返していた。
 見つめ返すだけだ。体が動かない。真の恐怖にさらされてしまっては、助けを求めることも悲鳴を上げることもできないのだと知った。体が動かない。ほんの少しのどを震わせればうめき声くらいは出ただろうが、そんなことすらできずに、ただただ光る無数の目の前で無防備に突っ立っていた。体が動かない。いつまでこの均衡状態が続くのかと、すっかり酔いがめた頭で考え――そして、そのときは唐突にやってきた。
 特にこれといった特徴もない、他より大きいこともなく、他より鋭いこともない、ただの一羽が高らかに鳴いた。号令であることは明白だった。何十という数の鴉が一斉に翼を広げて飛び上がる。黒く大きく獰猛どうもうな化け物にも似て、それらは彼を目指した。硬いくちばしが、鋭い爪が、肌をかすめて初めて彼は声を上げた。黒い塊と化した無数の鴉たちが交わす、短い、鳴き声よりも意味がないもの。痛みに反応してこぼれるだけの、ただの音。
 音。音。音。
 嵐のような蹂躙じゅうりんの時間だった。たった五分にも満たない。だが、彼はもっと長く感じていたかもしれない。パトロール中の警官がそれを見つけ助けを呼んでもなお、鴉たちは彼を突いていた。まるでごちそうを見つけたように、一心不乱についばみ続けていた。彼は路上にうずくまりながら両腕で目だけは死守していたが、ぴくりとも動かなかった。警官も、動かなかった。職務を忘れ、呆然と青い顔で眺めていた。うごめく黒の山。影の山。その隙間からかろうじて見える肉の塊は、ああ、酷く赤く、もはや人としてのていを成してはいないのだ。あまりに欠けているものが多すぎた。あまりに啄まれすぎてしまった。
 時に凶悪犯罪に立ち向かい、死体を見ることも間々ある警官でさえ、ぞっとする光景であった。我に返っても、しばしどうすべきか躊躇ためらってしまう光景であった。鴉に人語は通じない。人の世界のルールに縛られもしない。それでも警官は無線機で応援を呼ぶと、ホルスターから拳銃を抜いて、黒の山に威嚇の一撃を打ち込んだ。乾いた音が、深夜の路地に響く。と、鴉たちは一瞬だけ硬直して、またたく間に空の彼方へ飛び去った。
 残されたのは、無残に引きちぎられた人。人であったもの。今は人と思えぬもの。遠目に見ても生きているようには思えない。けれど、確認のためと近づいた警官は、その惨状にすぐ道の脇へと駆けていった。側溝に屈み込んで、胃の奥からせり上がってくるものを嘔吐おうとする。
 しばらくしてパトカーと遺体搬送車が到着し、彼であったものが運ばれていったが、そこにはもう、異変が起こる前と同じ夜は残されていなかった。空の下には、闇よりも濃い血臭が漂っている。静寂に響く浮かれた足音は聞こえない。暗いアスファルトの上に散らばった大量の黒い羽根と、真新しくおびただしい血痕けっこんだけが、足跡のように置き捨てられていた。


   ***


 そこは、八畳ほどの洋間だった。フローリングに、クリーム色の絨毯じゅうたんが敷かれている。二人掛けのソファと、四つの書棚があるだけの部屋だった。他にはなにもない。しかし真田律華さなだりっかは本を読みながら、その部屋が和室でないことを不満に思っていた。
 家の主――律華の祖父は不在である。彼は平日の日中、ほとんどを自身の持つ小さな骨董店で過ごしている。特別もうかっているというわけでも、客足が多いというわけでもないようだが、常連と呼べる人はいくらかいるらしい。心配する家族の同居要請ものらりくらりとかわしつつ、気ままな独居を続けている。とはいえ、そこへ孫たちが遊びにくることはしばしばで、律華も暇を見つけては〝勉強〟と称してこの部屋で一人読書を楽しむのだった。若い女性の趣味としては、いささか地味ではあるが。
 やや黄ばんだ紙を、指先でめくる。
 ある彫刻家の生涯を記した、古い本だ。
 アルフォンス・マッカーティ。それが彼の名前だ。イタリア生まれの彫刻家で、発表した作品の数は少ない。貧しい家の生まれで、生前、そして死後も幸運の女神に見放されていた。つまり、歴史に刻まれた名だたる芸術家たちと肩を並べることもなく、彼らの栄光の陰に埋もれた――よくいるといえばよくいる、ただの人に過ぎない。
 だが、そんなアルフォンスの生涯に哀れを催して、彼の作品が無名の物になってしまわないよう記録を残そうとする好事家こうずかがいないわけでもない。
 彼を愛し続ける人たちは小さな団体を作り、何年かに一度、律華が読んでいるようなアルフォンスの研究書を少部数発行し続けている。

「……〝いとしのマチルダ〟か」

 本の表紙に使われた、その作品の写真を指でなぞりながら律華は呟いた。
 愛しのマチルダ。それが、彼の代表作の名だ。二十センチメートルほどの女神像。いや、女神と明言はされていない。美しい女に翼が生えている。そんな作品である。およそ美術品らしからぬ、女体の肩胛骨けんこうこつから腰のあたりにかけて刻まれた。まるで翼をむしり取ろうとでもしたかのような、この傷にまつわる逸話こそが一部のファンを熱狂させているのだった。
 いわく――アルフォンスには恋人がいた。彼女は彫像のモデルとなったマチルダ嬢で、二人は将来を約束していたのだという。彼は、彫像を作るかたわら日雇い仕事を掛け持ちしてマチルダに尽くした。ところが、マチルダは芸術家として大成しないアルフォンスを見限って他の男のもとへ走ったのである。それはしくも〝愛しのマチルダ〟が完成した日のことで、アルフォンスは失意と怒りに任せて女の彫像を傷つけた――
 本には、事件の後に彼が残したという二つの警告が引用されている。

「愛しのマチルダに目ある限り、愛の裏切りを見逃すまい」
「愛しのマチルダに翼ある限り、裏切り者は逃れられまい」

 なんともやるせない。反面、不気味な話でもある。

「不貞はいかんな。不貞は」

 本を閉じながら、律華は吐き捨てた。不正、不義、不貞。それらはむべきものである。人の道を外れることは、恥ずべきことだ。やや潔癖気味であるという自覚もなく、真田律華はそういうふうに生きている。だから男の不運を哀れむよりは、女の不義理に憤慨して眉間みけんしわを寄せていた。携帯電話の呼び出し音が響いたのは、そんなときである。
 職場からの着信だった。気づいて、通話に出る。
 相手は、日頃世話になっている先輩だった。手が空いているなら来てほしいという彼の要請に二つ返事でうなずいて、すぐに祖父の家を出る。そこから二駅ほどの距離。バイクを走らせると、大通りから少し外れた一画に四角い建物が見えてきた。
 煉瓦色れんがいろの壁が特徴的な八津坂やつさか署と呼ばれる建物、つまりは警察署である。四階の窓からは交通安全を促す段幕が垂れ下がっている。
 段幕に書かれている標語の後ろに付け加えられた、野犬の妖怪としか言いようのない生きものが八津坂署のマスコットで、名前を八津丸やつまると言う。その悪趣味な見た目が未成年者への指導に多大な貢献をしているということで、子供を持つ保護者たちからの評価は高い。
 市民の間では八津丸にまつわる都市伝説めいた噂が広まって、万引きをしようとしたら黒い犬の影に襲われたなどという話まである――とは、彼女の先輩の談だ。デザインは公募らしいのだが、そのあたりの事情が曖昧あいまいなこともまた、噂に尾びれ背びれの付く原因となっているのだろう。
 所詮しょせんは都市伝説に過ぎないが、ここ数年で所轄内における未成年者の事故・犯罪件数が減少傾向にあるのも事実だった。
 とはいえ過去に意地の悪い同僚から、生真面目さと顔のきつさを指して「ドーベルマンに似ている」だの「犬のお巡りさん」だのと揶揄やゆされたことのある律華は、このマスコットに複雑な感情を抱いてしまうのだが。
 真田律華は警官である。
 およそ三年前に採用され、交番に配属された。それから二年ほどで刑事の選抜試験に合格し、かねてから志望していた刑事課に異動――というと順調な出世のようにも思われるが、その実、交番にいられなくなってしまっただけだった。
 原因は、周囲との衝突。
 まったく馴染めなかった。理想が勝ちすぎる、潔癖すぎると何度も言われた。それでも律華は納得しなかった。分かりやすい成果を収めて認められることも、びを売って上司の覚えをよくすることも、成功した他人へのねたみも、愚直な自分への嘲弄ちょうろうも――いや、嘲笑あざわらったのは律華の方だったのかもしれない。なにしろ、律華はそうした馴れ合いと足の引っ張り合いにはうんざりしていたのだから。
 馬鹿らしいと拒絶したのだ。
 突っぱねて、意見して、幼い頃に夢見た理想の警官像に固執こしつした。結果、同僚との仲は決定的に決裂した。そのままであれば、律華は刑事になるどころではなかったかもしれない。干されて、交番の巡査さえ続けられなくなっていた可能性もある。そうならなかったのは、ひとえに〝先輩〟のおかげだった。
 お前は交番勤務には向いていない、と彼は刑事任用試験に必要な署長の推薦を取り付けてくれた。そうして律華は晴れて刑事になった。今は彼と組んで仕事をしている。
 そんなことを――ぼんやりと思い出しながら、律華は酷く緊張しはじめているのを自覚していた。大恩ある先輩からは用件を告げられていない。署に到着し次第、署長室へ向かうよう指示があった。それだけだ。
 悲観的になるわけではないが、交番勤務時代の前科があるだけに構えてしまう。

(なにか、まずいことをしただろうか……)

 どうだろう。分からない。ここ一週間ほどの言動を振り返ってみても、思い当たる節はない。今の同僚とも、トラブルはない。上手くやれているはずだ。多分。
 狭い廊下に、自分の硬い足音が反響する。こつ、こつ、こつ。
 すれ違う顔見知りたちへの挨拶あいさつもどこか上の空で、階段を上る。ただ、内心の動揺とは裏腹に、それで足取りが鈍くなるということもない。進む。進む。進む。
 気づけば、目の前には汚れ一つ、傷一つない白いドアが立ちふさがっていた。
 背筋をぴんと伸ばして――平素でさえ、もう少し肩の力を抜けと言われることの方が多いが――ドアを叩く。手の甲で、きっかり三度。返事を聞いて、中に入る。

「失礼します」

 ドアと同じ白い部屋だった。
 潔癖なその色が、律華は好きだ。部屋の奥には署長用のデスクと椅子がある。少し離れて、来客用の応接机とソファも。他の調度品は少ない。どれもこれもシンプルで無駄がない。実に機能的な部屋だった。

「真田くん」

 穏やかな声で我に返る。椅子にはその声に相応ふさわしい、穏和な顔つきをした壮年の男が腰掛けている。声に応えて視線を向けると、彼は切り出してきた。

「君は、鴉に襲われた大学生の一件を聞いているかな?」
「はい」

 律華は短く答える。
 先週の半ば、飲み会帰りの大学生が鴉の群れに襲われ死亡した。都会で増えた鴉が引き起こした不幸で、事件性はないとされた。だが、奇妙と言えば奇妙ではあった。
 鴉という鳥は、複雑な社会構造を持っている。
 つがい同士のきずなは強いとされているが、集団で狩りをする習性はない。まして集団で人を襲うなど――そういったフィクションは作られているが、現実で、現代日本での事例はなかったはずである。しかも被害者の大学生は散々に突かれ、啄まれ、遺体は解剖を担当した医師や捜査に関わった警官さえも目を覆うほどであったという。
 ――わざわざ蒸し返すということは、なにかあったのだろう。

「なにか問題があったのでしょうか?」

 たずねる。彼は、八津坂署の署長であるその男は、穏やかな表情のままに答えた。

「同様の事件が、この一週間のうちに八件起こってる」
「は……」

 意味が分からず、律華はただ声を発するだけだった。
 一拍遅れ――それではあまりに間抜けすぎると気づいて、言葉を足す。

「つまり、人が鴉に襲われていると?」
「鴉に限定してしまうのは正しくないな。確かにそのうちの何件かに関わっているのは鴉だが、はとすずめひよどりといった比較的気性の穏やかな種まで確認されている」
「鳩はともかく、雀と鵯が人を襲うというのは……普通ではないように思います」
「ああ、普通ではない」

 彼は初めて穏やかな相貌をゆがめ、重々しく頷いた。

「普通ではないのだ。呪症じゅしょう事件として捜査することになった」
「呪症――ですか」

 律華はその単語にぴくりと眉をね上げる。
 それは怪異として古くから存在した。物に残された生きものの想い――〝思念〟と呼ばれるものが引き起こす災害現象の総称である。過去の日本においては、妖怪や怪奇現象として名付けられた。ある国では精霊と呼ばれたこともある。また単純に、呪いとも。
 そうして、現代。
 今や妖怪や精霊は、架空の物語にのみ生きる存在だと証明されていた。ゆえにそうした非科学的な名称はすたれ、実在しうる現象としてこれらの怪異には新たな名が与えられた。
 呪症。
 国は呪症を密かに認知し、研究者に呪症管理協会を作らせた。それが戦後の話だ。呪症が現代社会において認められてからの歴史は短い。専門機関や警察組織、そして骨董品や芸術品に携わる職にく一部の者を除き、一般市民にはいまだ知らされていない状況である。
 対応のほとんどを呪症管理協会に任せているので、呪症に精通した人間は警察の内にも多くない。律華はそれを、骨董店を営む祖父から聞いていた。祖父を訪ねては品物の由来を語ってくれとせがんだのは、幼い頃の話になる。
 古物の歴史は人の歴史。文章ではなく形として残された伝記。制作者の魂を形にしたもの。そして、手に取った人の心を奪うもの――律華は魅了されたものだ。夢中になった。その歴史であり伝記であり魂であり人の心を魅了してやまないものの一部が、呪いとして人に災いをもたらしているのだと知るまでは。

「協会には特定古物の管理を厳しくさせているつもりだが、呪症事件は年々増加傾向にある。対応が追いついていないのだよ。国会では呪症を実在のものとして公表するべきか議論が交わされているが、警察庁は消極的だ。呪症の存在が明らかになり新たな犯罪の温床おんしょうとなることを恐れている。上がそういった態度であるから、今は呪症対応課の設立も難しい。少数の担当刑事を置き、呪症管理協会と連携を取ることでどうにか対処している状態だということは……君も、よく知っているだろう?」
「はい」

 律華は短く頷いた。彼が続ける。

「そのことを、まずいとも思っている」
「はい。先送りにすればするほど問題は深刻化します。ほとんどの市民は今のところ呪症の存在をオカルト現象として認識しています。ですが、もし予期せぬ事故で呪症の存在が明るみに出て、しかも政府がそれを秘匿ひとくしていたことが明らかになれば、世間は大いに混乱するでしょう。様々な憶測や噂が流布し、社会への悪影響が出ることは必至です」

 厳しく肯定する律華に、署長は少し苦笑してみせた。

「君ならそう言うと思っていた。だから協調性に欠けると言われるわけだが――」

 嫌みだろうか。律華は考えて、黙っていることにした。署長が続ける。

「わたしは、君のその融通の利かない正義感を気に入っている」

 嫌みではなかったらしい。
 微笑む彼にどう答えていいかも分からず、律華は軽く頭を下げた。

「ありがとうございます」
「いやいや。君を褒めるために呼んだわけではない。つまり、わたしは君同様に呪症事件への対応に力をきたいと思っている。そういうことだよ。うちでは、九雀くじゃくが呪症管理協会東京支部の担当を兼任している。彼一人では手一杯になってきたから、君にも手伝ってもらいたい。君は多少骨董に詳しいし、九雀との関係も良好だ」
「承知しました」

 頷き、敬礼する。

「君は話が早くていいね」

 と、署長はやはり苦笑しながら机の上に一本の警棒と拳銃を載せた。

「もったいぶって支給するものでもないが……」
「いえ」

 律華は軽くかぶりを振って、警棒を取り上げた。十河とおかわ式警棒と呼ばれるそれは、通常のものより、やや軽量かつコンパクトである。少し眺めれば、それが殴打することだけを目的に作られたものではないと分かる。つかの部分には小さなスイッチが取り付けられていて、先端から磁気の流れる特殊仕様だった。磁気は呪症に作用する。
 正しくはあらゆる思念、生命エネルギーに。
 その事実を発見したのは呪症管理協会の祖、十河東次郎とうじろうで、この対呪症用警棒を開発したのも彼である。過去にメスメルという医学者が提唱した動物磁気療法から着想を得たという話で、彼がそうした対応策を講じなければ、政府が呪症の存在を認知するのはもう十年遅れていただろうと言われている。
 対呪症用拳銃。装填そうてんされているのは、威力を極端に抑えたゴム弾だ。こちらは呪症の影響を受けた動物や人を威嚇し、緊急時には特定古物を破壊するためのものである。特定古物――呪症の発生源となるものの多くは歴史的、文化的、芸術的価値を持つものが多い。可能なかぎり無傷での回収が望ましいが、そうは言っていられないこともある。過去に呪症によって命を落とした人は多くいる。

「使い方は」
「分かります」

 どちらも、使用に複雑な手順を要するものではない。
 律華が短く答えると、署長も頷いた。

「では、頼むよ」
「はい」

 また敬礼を一つ。署長室を出る。
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