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出口のない教室
番外:なにもない部屋
しおりを挟む九雀蔵之介が参王市から天鷹館を経由して、八津坂署に帰還した頃にはもう時刻は二十一時を過ぎていた。正確には二十一時三十六分。遅いといえば遅いが、事件が起きれば残業続きになるのもそう珍しいことではない。
定時に帰ったところで用事もないし――とまでは言わないものの、実際に用事がないことは確かだ。数少ない趣味の一つだった合コンも今ではすっかり気乗りしなくなってしまって、気が向いたらやることといえば筋力トレーニングというのだから後輩に毒されていると言うほかない。
異能対策課のプレートが取り付けられた、古びたドアの前で足を止める。ドアの隙間からは漏れ出る蛍光灯の明かりに、九雀はほっと胸をなで下ろした。
鷹人から伝言は聞いていたが、それでも頭の片隅にあの部屋で眠り続ける律華がちらついていた。そんな自分の過保護さを自覚しないではないが、目を離せばとんでもない事態に巻き込まれる後輩を思うと自らを省みて落ち着いている暇もない。
(ってのが、建前じゃなきゃいいんだけどな)
なんとなく自分に釘を刺し、ドアノブに手をかける。わざと音を立てて開けると、デスクに向かっていた律華が立ち上がり敬礼してみせた。
「九雀先輩、おかえりなさい。自分も、戻りました」
嫌になるくらい必要な言葉を押さえた後輩だよな、と苦笑しつつ。
「ただいま、後輩ちゃん。でもって、おかえり」
こちらは気安く告げて、彼女に左手に提げていたコンビニの袋を投げてやる。
「後輩ちゃんが署で待機してるって聞いたから、メシ買って来たんだ。まだだろ」
「ありがとうございます。では、自分はコーヒーを淹れてきますね」
「いや、俺が淹れる」
九雀はコートを椅子の背に掛けると、部屋から飛び出していこうとする後輩を制止した。
「病み上がり……って言っていいのか分からんが、数時間前まで意識不明だったんだぞ。それなのに起きてすぐ職場に出てくるわ、こんな時間まで先輩を待ってるわ――」
つい鷹人と一緒にいる感覚で小言を言ってしまって、九雀は口元を押さえた。
「あー……説教するつもりはなかったんだけどな」
「いえ、ご心配おかけしました」
申し訳なさそうに言うものの、本人としては単純に長く眠っていた程度の感覚なのかもしれない。いまいち危機感の薄そうな律華に、九雀は思わず呟いた。
「ああ、心配した」
言ってしまったものは仕方がないので、目の前で驚いた顔をしている彼女に告げる。
「心配したんだ。ミラーハウスで会うまでは、なんの手がかりもない状態だったからな。呪症を封じたところでお前が意識を取り戻す保証もなかった。石川の手前見栄は張ったが、正直気が気じゃなかった。なのに鷺沼のやつの話は長いし、そのせいでお前からの連絡は受け損ねるし、石川のやつは用が済んだらとっとと先行っちまうし」
きょとんと目を瞬かせている律華を見ているうちに酷く気まずくなってしまって、目を逸らす。それでも言わずにはいられず、溜息とともに告げる。
「そもそも、こんなつもりじゃなかった。おかえり、無事でよかったって、一言で終わらせたかったのに、愚痴になっちまった」
律華は申し訳なさそうに目を伏せた。
「九雀先輩、すみません」
「謝らせたかったわけじゃ――」
萎縮させてしまったかと顔の前で手を振る九雀を珍しく遮って、続けてくる。
「思念世界にいたのは半日程度なので大袈裟だと思うかもしれませんが、こうして先輩の声を聞くと改めて帰ってきたと実感します。先輩を心配させてしまったことを反省すべきなのに、一言では済まないほど自分のために心を砕いてくださったと思うと嬉しいんです」
「お前な……思ったよりポジティブで安心したけど」
肩をこけさせながら視線を戻して、律華の顔を見る。言葉通り、申し訳なさそうとも嬉しそうとも取れる微妙な表情だ。それでも多少、嬉しさの方が勝っているか。
(弱いんだよなァ、俺も)
つい流されかけるが。九雀はそんな自分を内心叱咤した。こういうときはビシッと言うべきだ。ビシッと。律華のためにも、そういう問題じゃないんだぞとたまには先輩らしく示してやらなければ。
「真田」
ややまなざしを険しくする。彼女も背筋を伸ばした。
「はい、九雀先輩」
きっと眉をつり上げつつ落ち着かなさそうにそわそわしている彼女を見ると、やはり注意する気を削がれるが。
(緊張したとき、鼻の頭に少し皺を寄せるんだよな。そういうとこも愛嬌あるっていうか。石川のやつに言うと、またバ飼い主だって言われんだろうけど……)
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