蛟堂/呪症骨董屋 番外

鈴木麻純

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虚妄と幸福

18.脱落者の真実

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 真田律華からの連絡が入ったのは、唐突だった。
 ――所有者を発見しました。
 と、一言。いつものように詳細を送ってこなかったのは、所有者の目と鼻の近くで捜索をしていたからかもしれない。そんなメールを見た九雀が、慣れたようにGPSの追跡システムから律華と辰史の居場所を見つけて現場へ駆けつけたのだった。
 探しものとなると、やはり式神を手足のように操る報復屋が有利だ。

 目の前では、律華が地面に座り込んで悄然と項垂れている。鷹人はその光景を酷く居心地の悪い思いで眺めていた。報復屋の姿はないが、彼女を放って追いかける気にはなれなかった。
(そうか。周囲に対する影響にばかり目がいっていたが……)
 律華が影響を受けていないはずがない。歳の離れた妹と比較され続けてきた苦い記憶が、彼女の気難しい性格を形成している。いわば、負の感情の塊のような人なのだ。

「いつ、気付いた?」

 項垂れる律華に、鷹人は訊ねた。
 九雀がじろりと睨んでくるが、気付かなかったふりをする。

「……つい、先程」

 律華が呆然と答えてくる。

「警視庁で吸血鬼と会って、指摘された。わたしは、わたしという人間を構成していた感情を失ってしまっている。だから三輪氏に比べ、冷静でいられるのだと」

 となると、九雀の懸念が正しかったということになるか。九雀を見ると、彼は顔を斜めに上げて鼻を鳴らした。ほらみろ、誰が過保護だ――と言わんばかりだ。
 鬱陶しいので、鷹人はそれも無視することにした。

「気付いたあなたは、土壇場になって報復屋と対立したというわけか」

 所有者を逃がしたという言い方はしなかった――できなかった。だが、こういうときこそ、いつもと同じ言い方をすべきだったのかもしれない。気遣われたことに気付いた彼女は、いっそう惨めそうな顔で俯いた。

「…………」
「どうしたものかな」

 仲間がいればどうにかなるという問題でもないだけに、難しい。呪症の影響を受けていない――あるいはそうと自覚のできない鷹人にも、ことの深刻さは分かった。
 なにせ律華が、いつものように虚勢を張ることさえしないのだ。

「石川、月代――」

 律華の代わりに口を開いたのは、九雀だった。
 そのことを、鷹人は意外だとは思わなかった。彼が言おうとしていることも、なんとなく想像が付いていた。九雀はこちらを見ず、律華の傍に屈み込んだ。

「悪いが、あとのことは頼む」

 後輩の肩に触れる。

「真田に所有者を追わせるのは、ちと無理だ」

 それを聞いた瞬間、律華が酷く不安そうな顔で九雀を見つめた。彼女はいつだって、失望されることを恐れている。視線に気付いた九雀は、慌てて言い直した。

「ああ、違う。お前を責めているわけじゃない。お前が悪いわけでもない。お前には、他にやるべきことがある。それだけの話だ」
「やるべきこと?」

 と、訊き返したのは総司だ。彼に、九雀は言った。

「ああ。俺は、真田を連れて十河病院へ向かう。今、こいつがどういう状態なのか、はっきりさせる必要があるからな。所有者を追えなくても、呪症の影響を受けた被験者として役には立てるかもしれない。だろう、真田」

 相変わらず、誤魔化すのがうまい。

「……蔵之介、君はもう後始末のことを考えているんだな」

 さすがに呆れて、鷹人は呟いた。律華と総司には、意味が分からなかったようだ。彼らが真意に気付くより早く、九雀は律華を立たせて車へ引き返していった。

「どういうことです? うちのボスや立仙さんたちでさえ、被害者たちを相手になにも手がかりを得られなかったんですよ。十河病院で調べたところで、呪症の影響を受けている以上のことが分かるはず……」
「呪症の影響を受けているとはっきりさせることが、重要なんだよ」

 耳打ちしてくる総司に、鷹人は答えた。
 別に、声をひそめるようなことでもないのだが――

「十河病院は、呪症管理協会の傘下にある研究病院だ。診てもらえば、診断書も出る」
「診断書、ですか」
「ああ。今のままでは律華くんの自己申告に過ぎないし、事件の解決後では呪症の影響を受けていたと証明することも困難になる。所有者を逃がした責任を追及されたとき、弁解ができない」

 警官らしく当惑している総司の顔を眺めながら、鷹人は呟いた。

「つまり、もう事件どころではなくなってしまったから『あとは頼む』というわけだ」
「……それって、どうなんです」

 なにが、どうなのか。警官としてという意味なら、悪友は元々警官に向いていない。事件の解決を丸投げされてどう思うのかという意味なら――鷹人は少し考え、答えた。

「どうって、チームとしては悪手ではないなとしか。二人に抜けられるのは痛いが、後々に辰史氏と揉めかねないことは確かだ。僕としても律華くんが処分を受けるような事態になったら困るから、蔵之介を止めなかった」
「そうですか。なんというか、仲がいいんですね」

 総司は苦笑いしている。鷹人は報復屋の捨て台詞を思い出した。

「まあ、仲良しごっこと言われても仕方がないだろうな」

 他人事だったら、辰史と同じ反応をしているところだ。他人事ではないから、甘くなる。とはいえ、私情を挟んでいるのはお互いさまという気持ちもあった。

「そういう点では、君らESP保有者は、さすが警視庁に勤務しているだけのことはある」
「嫌みを言わないでくださいよ。今回、僕らが後手に回ってしまっているのは分かっているでしょうに」

 別に、嫌みというわけでもなかったのだが。
 総司はかぶりを振って、話題を変えた。

「ともかく、三輪さんを追いましょう。あの剣幕では、所有者を傷付けかねません」
「ああ、そうだね」

 頷き、鷹人は車へ引き返した。鍵が挿しっぱなしになっているのを確認し、総司を振り返る。

「君は、免許を持っているかい?」
「ええ、持っています」
「では、運転を頼むよ」

 言って、鷹人はポーチの中からスコープを取り出した。レンズを覗けば夜空の下に白い残滓が煙のようにたなびいて、報復屋の消えた方角へ続いている。

「僕はナビをする」
「お願いします」

 総司と短い会話を交わし、助手席に乗り込んだ。
 総司がエンジンを掛け、アクセルを踏む。しばらく通りを走っていくと、不意に残滓が路地に消えた。一方通行の標識が設置されていて、普通車がぎりぎり通れる程度の道幅しかない。運転に自信がないのか総司はかなり嫌そうな顔をしたが、溜息を零しつつも慎重に路地へと侵入した。外灯の少ない道の先をヘッドライトが照らすが、見える範囲に辰史たちの姿はない。

「すぐに追いつくだろうと思ったが、意外と先行しているようだな。彼ら」
「僕らが着いたときには、もう所有者は逃げてしまっていましたし、意外と距離が開いてしまっているのかもしれません」

 総司が呟く。

「とはいえ、所有者を見失うこともなさそうですけど」

 ちらっとこちらを――正確にはスコープを――見て、感心したふうに言った。

「便利ですよね、それ」

 エリートなだけあって見る目があるな、と鷹人は思った。

「名だたる異能者たちが集まって作った、叡智の結晶だからね。蔵之介や律華くんは、微妙に役に立たないなどと言うが、とんでもない」
「異能者ですか。そういえば鷹人さんはどうして異能者でもないのに呪症管理者に?」
「前提が間違っている。実際は、異能者ではない呪症管理者も多いんだ」
「そうなんですか?」
「そうだよ。辰史氏を例に挙げると分かりやすいと思うが、力を持った異能者は呪症管理協会のような組織に所属したがらない。異能者社会においては呪症管理協会よりも異能一族の方がよっぽど大きな力を持っているから、所属する意味もないし。だから大半は、異能や呪症に興味を持ち、呪症管理者になるための訓練を受けた一般人だ」

 それか、異能者とも呼べない突然変異の特異体質者か――と付け足す。

「僕の場合、父が骨董蒐集を趣味にしていた。父は目利きはからっきしだったが、歴史や民俗学に明るい人でね。呪症管理者とも親交があって、僕にも接する機会を与えてくれたんだ。僕は父が語る骨董の歴史や民俗学の話や、呪症管理者の武勇伝が好きだった」
「……思ったよりも、ほっこりした話でびっくりしました」

 どういう意味だ、とも思ったが。
 肩を竦めるだけに留めて、鷹人はまたスコープを覗き込んだ。一方通行が途切れ、十字路に差し掛かったのだ。呪症の残滓がどちらへ続いているか、確かめる。

「所有者はそのまま真っ直ぐ行ったようだね」

 その先にはなにがあるのかとナビで確認すると、住宅街へ続いているのが分かった。

「家へ向かっている……というわけではなさそうか。建物と建物の間を行って、追跡をまこうというのかもしれない。式神を使っている辰史氏にはなんのハンデにもならないが、僕らに対しては有効だ」

 また彼らとの距離が広がるかもしれないな、と鷹人は思った。

「最悪、車を降りて彼らを追う羽目にもなりそうか」
「そう考えると、所有者も結構冷静なんですね。確信犯なのかな」

 総司が呟く。
 鷹人は顎に手を添え、少し考えるそぶりをした。

「どうだろう。呪症の性質を考えると、どうにも腑に落ちない」
「どういうことです?」
「〈夜空への誓い〉は、強い悲しみに紐付けられた記憶を消しているわけだろう。だとすれば所有者自身も影響を受けることになるが、人間は自分が影響を受けていると認識できない。それは所有者も例外ではないと思う」
「でも、真田さんは――」
「呪症の影響を受けていると、吸血鬼に指摘された……と言っていた」

 律華のいないところで、その話をするのもばつが悪いなと思いつつ。

「コンプレックスを解消するために努力を重ねてきた彼女は優秀な警官ではあるものの、蔵之介の他は誰も認めてくれないと思い込んでいるがゆえに功を焦りがちで、スペックを活かしきれない。それが『うまくできない』というジレンマになっている」
「はあ」

 総司は、よく分からないといった顔だ。

「それで?」

 訊き返してくる彼に、答える。

「呪症の影響を受けていた律華くんは、おそらくいつになく順調だったんだ。指摘を受けたことによって、彼女はいつものジレンマがないことを自覚した。だからパニックに陥って三輪氏と敵対してしまった」

 失ったものの正体は認識できないが、それを失ったことで精神にいい影響が及ぼされていることだけは自覚できてしまう。だからこそ厄介だ。

「自分の変化を自覚していないうちは冷静でいられる。所有者もおそらく、異能者ではない。一般人が偶然〈夜空への誓い〉を手にし、呪症と同調したのだろう」
「なるほど。そういうことだと、早めの解決が望ましいですね。たとえば捜査側にも真田さんのように呪症の影響を受けている人がいたとして、時間が経つほど自覚する可能性も高くなりますし、敵に回らないとも限らない……」

 理解が早い。だが、

「……それを口に出してしまうのは少し軽率だと言わざるをえないかな」

 鷹人はスコープを覗いたまま、苦く呟いた。

「どうしてです?」

 不思議そうな総司の声が、聞こえてくる。
 頭はいいが、よくも悪くも無邪気な青年だ。事態の複雑さを理解しているわけではないらしい彼に、鷹人は溜息交じりに告げた。

「他人ももちろんだが、自分さえ信じられなくなるじゃないか」

 車内に沈黙が降りる。
 気まずさを振り払うように、鷹人は顔の前で手を振った。

「呪症効果についての分析は、これくらいにしておこう。今回に限っては、呪症の正体を突き詰めれば突き詰めるだけ解決から遠退く」
「そうですね。このことは誰にも言わない方がいいですし、僕らも努めて考えないようにしましょう」
 
 

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