蛟堂/呪症骨董屋 番外

鈴木麻純

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張り子の虎【耳中人】

2.

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 ***





「よ、あきら!」

 北岡古美術骨董店の前で、箒を持った空が片手を上げている。

「よう、空」

 あきらはバイクを止め、彼に挨拶を返した。

「あかりちゃんは?」
「さゆりさんと買い物」
「で、お前は店の掃除か。えらいよなー。どこかのアホ大学生に見習わせてやりてー」

 店の手伝いとは別にバイトもしているというのだから、感心してしまう。父親を亡くしてから店主の重光と折り合いが悪く、しばらく一人暮らしをしていたのだと言っていたか。
 空はさゆりの夫だった相馬伸一の連れ子で、北岡家の人々とは血の繋がりがない。

「そういう、あきらこそ。家を出て、一人暮らしを始めたんだろ?」
「まあな。親は二十歳までは面倒見るって言ってくれたけど、かなり迷惑かけたからなー。妹もそろそろ受験勉強を始める時期だし、静かな方が捗るだろ」
「いいお兄ちゃん、やってるじゃんか」
「お前ほどじゃねえよ」

 こそばゆくなってしまう会話を素直に交わせるのも、同じような境遇で苦労をしているからこそ――か。互いを労う挨拶を交わし、あきらはバイクの荷台から薄い包みを取り出した。呪症管理協会なる場所から定期的に送られてくる会報だ。

「これ、いつもの。それにしても呪症管理協会ってどういう組織なんだろうな。このあと真田骨董店と天鷹館にも同じものを届けに行くんだけどさ。隔週って結構な頻度だし……」
「さあな。でもお前のとこが請け負うってことは、そういう組織なんだろ」

 肩を竦めながら、空が封書を受け取った。
 空の言葉に、あきらは複雑な心地で頷いた。

「そうなんだよな。忘れがちだけど、うちってそういう運送会社なんだよな……」
「忘れがちって、お前。オカルトが苦手なくせして、変なところで寛容だよな。他の人がどうかは知らねえけど、比奈さんなんて分かりやすく異能者じゃんか」
「いや、そうでもねえよ」

 呆れた様子の空に、かぶりを振って否定する。
 確かに比奈は狐憑きだが、それだけだ。異端の狐憑きと言ったのは、丹塗矢丑雄だったか。馬鹿な話だと、あきらは思う。面倒見がよくて、お人好しで、甘い物が好きなだけの彼女が、どうして異端だろう。報復屋を営んでいる辰史や、正当性を主張して一般人の前で躊躇いもなく力をふるう丑雄の方が、よっぽど一般社会のルールを無視している――と、あきらは思うのだった。

「意外と押しに弱いし、たまに抜けてるところもあって、可愛いんだ」
「それ、絶対に惚れた欲目だと思う。俺もあの人に助けられたことあるけど、結構イイ性格してるぜ。笑顔で人をぶん殴るタイプ。おかげで一度も連絡がないんだ、花房のやつから」

 呆れたように、空が笑う。
 そんな彼に、あきらもにやりと笑った。

「そういうお前は、さゆりさんみたいなか弱い女の人がタイプなんだろ?」
「いや、どっちかっていうと俺は気の強い女の方がタイプだよ」

 と言ったのは、店にいる義理の祖父を気にしたためか。
 咳払いが聞こえてきた。奥から、重光老人が顔を覗かせている。

「やべっ。俺、そろそろ掃除に戻るわ」
「ああ。また休みの日、教えろよ。新作ゲーム、やろうって言ってただろ?」
「分かった。また連絡する」

 親しいやり取りを交わし、空と別れる。
 が――
 配達用のバイクに跨った瞬間、また声が聞こえた気がした。
 ――会おうか。
 空だろうか。

「ああ。だから、次の休みに会うんだろ?」

 あきらは答え、振り返ろうとして――

「…………?」

 くらり、と目眩を感じた。

「お、おい! あきら!」

 どこか遠くから声が聞こえる。ばたばたと駆けてくる二人分の足音も。視線だけを動かすと、空と重光老人の姿が見えた。
(おい、空。なんで地面に対して、斜めなんだよ)
 と、訝って気付く。違う。空が斜めに立っているのではない。傾いているのは、
(あ、俺か)
 理解した。その瞬間に、あきらは激しい痛みを感じていた。地面に激突したのだ。

「うっ」

 目蓋の奥がちかちかと瞬く。また、あの声が聞こえてくる。
 会おうか、会おうか、会おうか、会おうか、会おうか、会おうか、会おうか、会おうか、会おうか、会おうか、会おうか、会おうか、会おうか、会おうか、会おうか、会おうか、会おうか、会おうか、会おうか、会おうか、会おうか、会おうか、会おうか、会おうか、会おうか、会おうか、会おうか、会おうか、会おうか、会おうか、会おうか、会おうか、会おうか、会おうか、会おうか、会おうか、会おうか、会おうか、会おうか、会おうか、会おうか。
 真っ白な頭の中を埋め尽くす声。声。声。
 なにか得体の知れないものに脳みそを掻き回されるような。ああ、この不快感には覚えがある。一年前の思念世界で――だが、あきらの思考はそこで途切れた。絶え間なく響く声が、思考の邪魔をした。不快感に、悲鳴が零れる。

「黙れ! 黙れよっ」
「あきら、どうしたんだよ!?」
「黙れええええええええええええ!」

 空の声も、もう聞こえない。白目を剥いて、喉が切れるほどそれを拒絶し――
 あきらは、意識を失った。


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