蛟堂/呪症骨董屋 番外

鈴木麻純

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我が愛しの猟犬

3.

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「異性関係での失敗? お前、そういう相手がいたのか?」

 日頃から、プライベートといえばトレーニングをして過ごすような彼女である。男の影どころか親しい友人の存在さえ聞いたことがなかったため、虚を突かれてしまった。
 律華の微妙そうな表情に気付いて、慌てて言い直す。

「いや、昭女大出身だって言ったから。お前、合コンに行くタイプでもねえし」
「知人の紹介です。交際期間は二年ほどでした」

 意外と長い。

「どんな男だった?」

 よくないなと思いつつ、訊いてしまう。

「ごく普通ですよ。タイプでと言うのなら、鷺沼に似た優男でしょうが……」
「そりゃあ……なんというか……」

 同じようなタイプの熱血漢か、正義漢だろうと予想しただけに、ますます意外だ。少し想像をめぐらせてみても、彼女が優男とどんな恋愛をするのか想像が付かない。
 そんな下世話な好奇心は、顔に出てしまっていたのかもしれない。
 律華は困ったように笑って、続けてきた。

「相手の優しさで継続していた二年なのだと思います。自分と同じようなタイプだったら、一週間ともたなかったかと。相手の方が一つ上で、年長者の余裕もあったのでしょうね」
「随分と他人行儀に言うんだな」
「そうですね。完全に他人事でした。交際を始めた理由というのも単純に知人の顔を潰さないためですし、常に受け身で相手と向き合うことすらしませんでしたので……」
「お前が?」
「はい。自分の進路について告げたのも、遅かった記憶があります。相手は驚いたようでした。警官なんて危険な職業はやめてほしいと希望され、話し合うこともせずに関係を解消したんです。仮にも二年付き合った相手に、酷い仕打ちでしょう?」

 後輩の意外な一面にというよりは、彼女がそれを語ったことに、九雀は驚いていた。
 こちらの視線に気付いたらしい律華が、一度瞬きをして目を伏せた。

「昭女大での聞き込みで、自分は先輩と凪さんの過去を知りました。先輩が知られたくなかったことを、職権を用いて他人の口から語らせたのは恥ずべきことだと思っています」

 そのことを気にして――というのなら、どこまでも律儀な後輩である。

「先輩を不誠実だと責められるほど、自分も潔白に生きてきたわけではありませんよ」
「そうか。ま、いろいろあるよな」

 なんとなく満更でもなく感じてしまった自分に嫌悪感を覚え、九雀はまた話題を変えた。

「……そういえば異能ペットについて、まだ聞いてなかった」

 やはり唐突だったに違いないが、律華は何事もなかったように頷く。

「あ、はい。緒田原家は〈獣回し〉と呼ばれる一族でして――」
「〈獣回し〉?」
「はい。人にとって身近である動物を操り、異能の芸を仕込むことを生業としているようです。動物の方が人間より五感が鋭く、また超感覚知覚にも優れているため、異能者のパートナーとして最適なのだとか。種類は主に犬と鳥類ですね」
「他の動物は駄目なのか?」

 身体能力の高さを考えれば、猫や蛇などの爬虫類も役に立ちそうだが――?

「はい。ネコ科の動物は基本的に群れを作ることがなく、イヌ科の動物のようにリーダーという概念を持たないため、異能を仕込んで使役するには適さないそうです。爬虫類も同様ですね。人に慣らすにも性格の個体差が大きく影響し、基本的に懐くことはないのだとか。もっと小型の……たとえば鼠などは寿命の短さから芸を仕込む労力に見合わないとあります。逆に鳥類は種によっては人と深い絆を結ぶので、躾けることが可能である、と」
「なるほどな」
「昔は山犬、つまり狼なども対象だったようです。それから鳥類ですと鴉や鳩……」
「猛禽じゃないのか」

 訊ねながら、九雀はスプーンを口元へ運んだ。律華は手を止め、記憶を探るように、目線を上げた。彼女も件の一族に詳しいわけではなく、署を出る直前に調べてきたのかもしれない。

「猛禽は目立ちますからね。逆に、鴉や鳩なら大抵の場所にいますし……」

 言いつつ顔をしかめたのは、マチルダ事件を思い出したためか。

「取り寄せた資料によれば、緒田原家は異能者一族の中でも穏健派です。異能の良心とも呼ばれ、現当主の緒田原修兵氏は皇明館大学の学長として若者の教育にも力を注いでいます」
「で、その緒田原家の犬が逃げ出した――か」
「はい」
「犬種は?」

 何気なく問いかける。
 返事には一拍、間が空いた。

「その――」
「なんだ? まさか、土佐犬だとか言うんじゃねえだろうな。洒落にならんぞ」
「はい、土佐犬ではないのですが。ドーベルマン、でして」

 後輩の声が小さくなる。
 ドーベルマン。軍用犬として用いられることも多い、短毛種の大型犬。犬に似ていると言われる律華が、もっとも喩えられることの多い犬種である。かつての同僚たちに散々からかわれたせいか、その犬に対してはひときわ苦い感情を覚えるのだろう。

「俺は、嫌いじゃないぞ」

 確かにドーベルマンじみた後輩の顔を眺めながら、なんとはなしに呟く。

「飼い主に対しては従順で、忍耐力がある。なにより賢い」
「はあ」
「引き締まった筋肉質な体つきも綺麗だし、顔立ちだってよく見りゃ可愛いだろう」

 フォローにしては、ややセクハラじみてしまったか。
 頬を掻きながら言う九雀に、律華は椅子の上で体を縮こまらせた。

「先輩は、わたしを甘やかしすぎです」
「甘やかすだけじゃなくて、正しく評価しているつもりだ」

 どこまでも遠慮がちな後輩に、九雀は真面目な顔を作った。

「俺が偉そうに言えるこっちゃねえけど、お前は随分と変わった。一年前のことで人一倍苦しんで、努力もしてきた。そろそろ自分を許して認めてやってもいい頃だと思う」

 と、言葉にしてしまうと酷く恥ずかしいことを言ってしまった気にもさせられるが。

「あ、ありがとうございます……!」

 夜と同じ色の目をきらきらと輝かせる後輩に、こちらもますます頬がゆるんでしまう。
 一秒ごと慕われて、ほだされないはずがない。分かりやすい敬愛に、情が移らないはずがない。悪友からバ飼い主と言われようが、たっぷり甘やかしてやりたくなる。
 あるいは胸やけしそうなほどに甘やかされているのは自分の方ではないかと思いつつ、九雀は後輩の顔を眺めていた。
 顔の前で両手を握りしめ、律華が宣誓する。いつものように。

「九雀先輩、自分は……自分は、頑張ります!」
「おー、ほどほどにな」
「はい、ほどほどに全力で頑張ります」
「ほどほどじゃねえだろ、それ」

 苦笑しつつ、いつの間にか話が逸れていたことに気付いた。


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