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夏樹
しおりを挟む私は、放課後の教室が少しだけ騒がしくなる、この時間がどうにも苦手だ。 部活に行く組と帰る組、進路がもう決まっている組と、まだ迷っている組。その境目が、やけにくっきり見えてしまう。
進路の話題が出ると、空気は途端に軽くなる。軽くなるぶん、逃げ場がなくなる。
「夏樹ちゃん、まだ決めてないの?」 後ろの席から、小春が間延びした声を投げてきた。
「うん……まだ」
「えー? 体力スコア高いじゃん。先生もさ、『今年は当たりだ』みたいな顔してたよ?」
「それ、くじ引きみたいに言わないで」
小春はけらけら笑う。
「だってさー。体力・持久・反応速度、全部平均より上。もう現場行きの優等生だよ」
優等生。 その言葉は、褒め言葉のはずなのに、私の胸には少し重い。
前の席の志織が、豪快に椅子ごと半回転してこちらを向いた。
「建設でも発電でも、物流でも、たぶんどこでも通ると思うよ。夏樹ちゃんなら」
淡々とした口調。感情の凹凸が少ないぶん、評価としては正確だ。
「向いてる、ってことだよね」 私は曖昧に笑う。
「うん。向いてる」 志織は即答した。 「能力があるなら、それを使うのが一番効率いい」
効率。 合理。 いかにも志織らしい言い方だ。
「志織君はさ、もう決めてるんでしょ?」
「決めたよ」
「さっすが~」 小春が身を乗り出す。 「なに? 医療? 教育? それともまた意味わからん専門?」
「行政」 志織はあっさり言った。
「ほら来た」 小春が肩をすくめる。
「だってさ」 志織は少しだけ笑った。 「考えるの好きだし。体動かすより、頭使う方が疲れるけど楽しい」
その言い方が、あまりにも自然で。 胸の奥が、きゅっと鳴るのを感じた。
「俺はさ」 志織が続ける。 「配分表に『知性向き』って書かれてるの、わりとありがたかったよ。悩まなくて済む」
向き。 一瞬だけ、教室の音が遠のいた気がした。
「悩まないんだ……」
「悩む理由がない」 志織は平然としている。 「向いてる場所に行くだけ。夏樹ちゃんみたいに迷うのは、とても贅沢」
「志織君、ちょいちょい冷たいよね」 小春が言う。
「合理的って言って」
「どっちも同じ意味じゃん」
三人で、くすっと笑う。
確かに、体力仕事が嫌いなわけじゃない。 物流も、現場工事も、社会に必要だって分かってる。
でも――。
私は、ノートの端に無意識に書いていた文字を、指でなぞる。
研究。
すぐに消す。 男がそんなことを考えていると知れたら、きっと面倒だ。
「でもさ」 私は、なるべく軽い調子で言った。 「興味があるかって言われると……ちょっと違う気もして」
『贅沢だなあ』 同時に志織と小春が笑う。 「体使えるって才能だよ?」
「そうなんだけどね」
志織は、ほんの一瞬だけ私を見た。
「夏樹ちゃんって、考えるの好きだよね」
心臓が、小さく跳ねる。
「別に、普通だよ」 すぐに否定する。
「そう?」 志織は首を傾げる。 「授業の考察、わりと鋭いけど」
それ以上は言わなかった。 言わないことで、線を引きたかったのかもしれない。
そのとき、誰かがリモコンを操作したのか、教室前方のモニターが突然点いた。
『――昨年発生した東側の復興支援に必要な人員は、現在も不足しています』
はきはきとした口調の女性ニュースキャスター。 迷いのない視線と、切れ味のある声。
『医療、行政はもとより、物流、現場工事の分野でも大幅な人手不足が続いています。政府は東西を問わない早急な支援を――』
「また人手不足…」 小春が小さく言った。
私は画面を見つめたまま、何も言えなかった。
体力仕事も、悪くない。 でも、それだけで決めてしまっていいのか。
私はペンを握り直し、白紙の進路希望欄を見つめる。
答えは、まだ出ない。 ただ、このまま流されるのだけは、少し怖かった。
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