みせて

啞ルカ

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2話

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図書館にはいつもほとんど人がいない。こんなにも本が揃えてあって涼しくて無料で使えるのにどうしてみんなは利用しないんだろう。小学生の頃からそう思っている。バッグを入り口近くのロッカーに入れて貴重品のみを携帯する。スマホがぶるぶると震える。みてみれば電話の着信だった。出ると聞き覚えのある声がした。
「やほー、私だよー。元気してる?」
隣の彼女だった。
「いま私図書館にいるから静かにしないといけなくて……切るね。」
「ちょ、ちょっと待ってよ友達からの電話をこんな秒で切ることないじゃんかさ。」
それはそれ。これはこれなのだ。それでもまあ
「用件を簡潔にお願いします。」
ちょっとふざけてみた。友達と言われてなんだか舞い上がってしまった。
「はい。えっと、私はあなたとお出かけをしたいので行き先を話し合って決めたいです。これが用件ですっ!」
一応は図書館にいると言う私に配慮してくれたのか最初は静かに話してくれた。しかし話すにつれて声量はツマミをまわすようにどんどん大きくなっていった。なんだか大きな声で堂々と言われるととても恥ずかしい言葉に聞こえてきた。思えば自分はこのようなシーンを文字でむかえることすら難しいのだった。
「あ、ありがとう。でもさ、さっきも言ったけど私なんかと出かけても楽しくないと思うよ。そんなに話すの得意じゃないし、活発じゃないし。」
誘ってくれたことに関しては本当に感謝している。それでも私は彼女が無駄な時間を過ごしてしまわないか、をとても気にする。もしも彼女が1ミリでもつまらないと感じたら。嫌な気持ちをさせてしまったら。杞憂になればいいが、現実になると困る。

「そんなことないでしょ。別に。楽しい場所だから楽しくなるっしょ!」
彼女は明るく答える。それが本当にそうで、ずっと続けばいいが。「あとね、」彼女は息継ぎをしてまた話し始める。
「なんだか面白そうだから。あなたが。だから一緒に時間を過ごしてみたいなあって、思ったんだ。」
はつらつな少女、なんてイメージとは真逆のトーン。図書館司書のお姉さんのような、とっても大人びた印象を受ける声。
「う、うん。わかった。じゃあメッセで相談ね。」
役者じみた表現力の彼女から汲み取ってしまったその心意気を整理するためにメッセージでの相談へと逃げる。電話でこれ以上話してはいけないような気がした。そもそも人とこう話すのが苦手だからこそメッセージアプリに逃げようとしていたのだが。
その一言を聞いたであろう途端に通話は途切れた。彼女が喜んでいるといいな、と自分が人の幸せになれただろうことを想像して涙が出てきた。自分では区分することのできないどこか繊細な感情から漏れ出たもの。もしくは今まで貯め続けてきた何かが決壊したせいなのか。嬉しさが身体中を駆け巡るような気がした。友達ができたのかもしれない。
かもしれない、でもこれは嬉しかった。とっても。

心を落ち着かせよう、と新刊が置かれる棚から1冊手に取りいつもの椅子に座り読み始める。しかし全然落ち着かない。文字が踊っているかのように読み取りづらい。
結局いつもなら20ページくらいは読み進める時間のうちに1行も読むことはできなかった。

結局「お楽しみは後で」にしておくことができなかった。今回はそれが功を奏した可能性があるけども。
「いつ行く?」
私はいつでも空いてるよ。
「なら夏休みの初日にしない?」
いいかも。了解。
「どこがいいかな」
鎌倉とか、どうかな。
「おー、風情あるね!決定!」
そんなに遠いわけでもないけど一度も行ったことなかったからこの際にって思って。
「うんうん!よいぞー!」
それでこことかいろんな作品で登場してて……

こんなに長くメッセージのやり取りをしたのはいつぶりだろうか。中学生の頃に遡ってもそう何回もあることではなかったかもしれない。とても話が弾んだ。ここも行きたい。あそこも。ここでご飯食べてみたい。これみてみたい。これやりたい。やりたいことをどんどんと自分のペースで提案していっても全く否定に入らず相槌をうってくれる彼女がとても神々しく見えた。さっきまでそんな彼女をうざがっていた自分を全力で張り倒したいくらい。幼稚な私のコロコロ入れ替わる気分とは違って、彼女は何事も楽しもうと一貫した心を持つレディだった。

陽もだいぶ長くなってきた夏の入りにこれだけ暗くなるまで学校にいたらしい。立派な桜並木に混じる街灯が弱々しく校門までの道を照らしていた。ぽけーっと、図書館の窓から外を眺める。部活動の終了時刻と被ってしまったらしく、汗と泥に塗れているであろう運動部が集団で部活棟から門まで歩いている。ちょっかいをかけたりおしゃべりをしたり、とにかく騒がしい。普段ならそんな光景を見ただけで嫌悪感を抱くところも、今日ばっかりは私の心もそう騒ぎ出してしまいそうな気分だからと全く嫌な気持ちは湧いてこなかった。友達を作りなさいとはこういうことを言いたかったのかな。
いつもより表情が明るくて、それがなんだかいいなーって思っちゃって。荷物をロッカーから出す時、図書館司書のおばさん先生にそう言われた。そうですかねー。咄嗟にそんなことはないですよ、の意を発してしまったけれど、全くもってその通りなのです、先生。
ガラス戸を押し開けると共に吐き出される冷気は足元へと流れ、顔を、体を、熱気が包む。高い湿度の熱気は強烈な汗の促進剤となってしまう。だから嫌いではあるが気分次第でもある。流れる汗を気にせずに、私は画面の先の彼女との会話を切らさなかった。時刻は19時を過ぎていた。
家に帰って風呂に入り、夕食、課題をこなしながらも集中はそれら以外へと向けられていた。鎌倉、鎌倉。さまざまな作品で登場しているために有名どころや、やりたいことなどは山ほどあるのだが、実際に行ったことは一度もない。そんな場にこの私がこれほど話していても嫌だと思うことのない彼女と行けると言うのだから。それはまあ考えずにはいられないと言うものだ。10日後の予定を今かいまかと待ちながら毎日を過ごすのは、それはそれは困難なことであった。

 夏休み前日というのはどうしてこう、この休みでなんでもしてみせると万能感に浸ってしまうのだろうか。自室の角に積みっぱなしの本を読み切るとか、小説を書いてみるとか、課題を7月のうちに終わらせてみるとか。冷静に考えて相当に実現不可能なことをさも夏休みというブーストがあるのだからできて当然、という思考回路になってしまうのである。普段は真面目でもとんでもないはっちゃけようをするのだから、夏休みというのは生涯あっても良いシステムだと思っている。それにクラスメイトと会わなくても良いのだから。やはりこれを利点として捉えてしまうのが私、と言ったところ。

日差しは今日も今日とて灼熱を生み出し外に外に行く足を引っ込ませる。昼休みになって、授業中にいい感じで教室を循環していた冷気も開け放たれたドアや窓から一足先にバカンスを楽しみにしているかのように逃げていった。残されたのは私と、彼女の2人だけだった。
「ねえねえ、今日は私も教室に残ってみたけど、いっつも残って何してるの?」
「ただ本を読んでるだけだよ。」
「たまに外に出て運動したり、他のクラスにお話ししにいったりしないの?」
「しないよ。する相手がいないんだもん。」
「そりゃしょうがないか。それも楽しみ方の1つとして処理するしか。」
彼女の言葉に「つまらなさそう」が込められていると感じることができるのなら、あなたは私よりもこの世界を生きるのに向いていないと思う。それか見えない何かを読み取る能力が低いのかもしれない。私にとってこの彼女の言葉をそのままの通りに読み取ることが関係を進める上での最初のポイントとなるような気がした。話しかけることのなかった期間に置いて私が収集した情報から彼女はそう皮肉を言う人でも、嫌味を言う人でもないと知っているからか。
「本でも案外楽しめちゃうからね。いなくても大丈夫なんだ。」
強がってなのか、それとも優しさを皮肉で返したくなってしまう悪癖が出てしまったのか。言葉に棘が混入してしまった。故意ではなく過失。それでも彼女には「私が放った棘」にしか見えない。
「ま、今は私がいるからね!」
ものともしない彼女の逞しさに感謝と礼賛を。
「ありがとう。」
普段誰にも言うことのない感謝の言葉を急に口にするとなんだか全身がむず痒くなる。彼女は言い慣れているからそんなことはないのだろうか。

「実は私、昨日調べてたらこんなの見つけちゃってね……」
読むことに夢中になっていた私の意識を丁寧に引き戻してから彼女が口を開く。そしてスマホの画面を見せてくる。箇条書きでびっしりと名所やら名物やらを書き込んだメモ帳の1ページ。私がハイペースでずっとこれもこれも、と紹介しているのを「これに私も応えないと!」と燃えたらしい。否定せずに肯定して、興味があればさらに乗っかる。なんだかいい人が凝縮されたような感じがして、最初に話しかけられた日以上にどうして私を、との疑念は強くなった。
スマホがバイブレーションで震えるたびに栞を挟んでは返信をする。いつの間にか夏休み初日に突入していた。
「もう寝るね。」
「おやすみ」
「楽しみだね」
「そうだね。」
予定はそんなに決めることはできなかったけれど、いい1日になるような気がする。天井の模様で迷路をすることもなくストンと寝ることができた。

雨戸を閉め忘れると翌朝は日差しが目を突き刺す痛みで起きる。目のどこか、名称も知らぬ箇所がキンキンと痛むのだ。それでも目覚ましで覚めるよりかはダレるような朝を迎えなくて良いのがなんとも悩ましいところではある。窓を開けると一瞬くらいは涼しく感じることのできる、実は生暖かい空気が流れ込んでくる。鳥頭でもこの暑さではなく元気すらでないと判断できるからなのだろうか、電線の定住者はここ最近姿を見せない。
パッと目覚めることはほとんどないのに、今日は冴えて仕方ない。

待ち合わせは横浜とのことだった。少しの間電車に揺られてから、大変に混雑しているJRの改札を目指す。大きなケースを引く人が多い。気分だけでも出さんと麦わら帽をかぶっていたりアロハなシャツだったり。殺気溢れる朝の駅の空気が少しだけ和んだ気がした。柱に寄りかかり、券売機であたふたしている人を眺めたり、改札を通る人の表情を観察してみたり。他の人のことを見るなんて余裕、前にはなかったのにな。ここ数日、1週間での自分の変わりように一番驚いているのは私自身なのだ。忙しく歩く皆をみているとそれぞれにどんな過去があり、そしてどんな未来をこれから作り出していくのかと勝手に考える。それだけで時間などどれだけでも潰すことができる。彼女が周りの人を振り返らせる声量で「おはよ!」と言ってくれなければ私は柱と同化してしまうところだった。
緑とオレンジのラインが入った電車の座席はガラガラだった。みな、逆方面の電車に乗り海外に行くのだろうか。
「思ったより空いてるね。」
どうせなら、と呟き彼女は横並びの席には座らずにスタスタと歩く。座って静かに本でも、といつものリュックから本を取り出そうとしていた私は少しあたふたしながらも彼女の後を追う。どうしてこんな少しの行動だけでも幼稚園生と成人くらいの差が生まれてしまうのだろうか。やはり経験とは一番に大事なものなのかもしれない。
「こんな席、いいでしょー。」
さあこちらへ、と手を差し伸べる彼女。よく漫画の旅行シーンで描かれる向かい合うタイプの席が。旅情がこれでもかと染み出している。窓側に向き合って座って、それからおしゃべりを。
乗り換えする駅に着くまで話題が尽きなかったのは意外も意外だった。彼女は本当に相槌が上手く、乗っかってくるのもうまい。私が本の話をしても、漫画の話をしても知っている作品の時は一緒に盛り上がってくれるし、知らない作品の時はダラダラとした説明を聞いてくれる。人に好かれそうな要素を確認していくごとに、「どうして私と2人きりに」との思いは強まる。帰り際にでも、それか海岸にでも寝そべりながら聞いてみようか。
「鎌倉って言ったけど、江ノ島っていう方が正解かもー。」
蒸し暑いホームに降りると同時に彼女は言った。
「そ、そうなんだ。」
そもそも創作物の上で登場する地名としか認識していない私からすれば別に名前がどちらであろうと思い描いているものを実際に見ることができるのだからどっちでも良いのではないか、とも思うが。地名と思い出は密接に結びついているのだろうか。よくわからないが。

長い長い端が見えないほどの列車を降りれば次はビルに突き刺さるような駅に停車する4両の短くかわいい列車だった。
「かわいいよねーこの電車!写真ではたくさん見たことあるけど実際に見るとやっぱりちがうなー。」
彼女ははしゃぎっぱなしだ。思っていたよりもちょこんとした佇まいがかわいい。にしてもこれだけはしゃいでいるのに写真は撮らないのだろうか。明るい女子といったらどこでも写真を撮る、なんてイメージはもう言わずもがなというか。
「しゃ、写真とか撮らなくていいの?」
じろー、と隅から隅まで眺め尽くしていた彼女が振り返った。何を?そう言わずにも顔に書いてある。それから何か閃いたようにスマホを取り出すと
「はい、チーズ!」
切符を持った私の方にカメラを向けていた。フラッシュが焚かれ、うんうんと彼女が頷く。
「それじゃ次は電車を背にして、さ」
「ちょっと待って、ちが、違う違う。」
「え?」
彼女は首を傾げる。別に私を撮っても何にもならない。そのかわいげな電車を撮らないのか、と。
「その電車、撮ったらば、映えとかになるんじゃない、かなって思って。」
「まあ、そうだね」
彼女の顔から笑顔が消えた。
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