みせて

啞ルカ

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3話

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「なんだ、私ってそう思われてたの?ちょっと悲しいな。」
字面だけ見ればそう悲しんでいるようには見えないかもしれない。しかしこれを言葉にしてぶつけられてみれば嫌でもわかる。地雷を踏み抜いてしまった、と。人と話さないとせっかくのチャンスをことごとく潰す。私の今までのしくじり人生の中で得た数少ない経験だったのに。
「ごめん。怒らせちゃって。」
時には素直に謝らなければならない。それは人としての常識だと。彼女の優しさはその一言で再び戻ってきた。笑顔と共に。
「いいのいいの。なんかあるんでしょ、想像してる私の像、みたいなのが」
言いづらいがその通りである。なんだかイケてる感じの、私とは逆の。そう、そんな感じで。流石にそれを口にすることはできないが。
「まーなんか、色々話したいことあるけど、後でね」
なんだか気まずい雰囲気を作り出してしまって、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまった。私はもう、本当に対人が向いていない。どうしてこう、こう、なんか、すぐに人を不快な気持ちにさせてしまうのだろうか。ある程度は考えて発言してい流つもりなのだけど。そう話したところで理解はしてもらえないか。勝手にしょんもりと凹んでいく私とは対極的に、彼女は切り替えて観光地の景色を、空気を楽しもうともう全力だった。
ドアが開くと真っ先にシートに座り、隣をぽんぽんと叩き「ここ座りなよ」と確保してくれている。なんでもしてくれてしまう、完璧人間だなと。安っぽい言葉が彼女の像にかき足される。それでも私の中の居心地の悪さは解消されなかった。リュックを前に抱えて本を取り出し読み始める。ここまでおしゃべりが絶えなかったこともあるからいきなり自分の世界を展開し始めてさぞ面倒臭い人だと思われてしまおう、との私の目論見のような幼稚な反抗心は通用したのだろうか。彼女は何も言わずスマホで何かをみたり、車内を見回して広告に目を凝らしたり。やがてけたたましい何かの音、衝撃と共に電車は駅を出発した。窓はほぼ全開、冷房もない車内では古風な扇風機がぬるーい空気を頑張って吹きかけていた。駅と駅の間はかなり短いようで頻繁に衝撃と共に停車、発車を繰り返している。ぐらりぐらり、彼女の方へ、隣席の誰とも名前も知らない人の方へ揺れる。その間、彼女から私の方へ触れてくることはなかった。言葉でも、体も。静かに、怒っているようでも、悲しんでいるようでも、あるいは喜んでいるようでもない虚無をそこに宿しているかのような。明確な恐怖を感じる。
鎌倉高校前、鎌倉高校前。
彼女がすっと立つ。私も慌ただしく栞を挟み折れないよう慎重かつ大胆にリュックに本を放り込む。破裂してしまうのではないかと思うほどに多くなった乗客を乗せた車両からプッと吐き出されるようにホームへ降りる。降りて正面の壁面を見るだけでは気が付かなかったが、電車がせこせこと次の駅へ向かい、ホームを夏の日差しが照らすとそれは姿を現した。
「いいよね、なんか。めっちゃ綺麗じゃない?」
「うん……」
はっと息を呑む、それは私が今した行動をこれ以上ないまでに正確に描写した言葉だ。いやあ、すごい。あのコマ、あの言葉での描写が目の前に広がる。
「結構いろんな作品で登場するから、知ってる作品の中にもあるんじゃないかなーと思ってさ」
そう、余裕そうにエスコートしようとする彼女も海側に視線が釘付けだった。もくもくと、どこまでも伸びていく入道雲。清涼という言葉をそのまま色にしたような空。静かに波を打ち寄せる海。車列が途切れることのない道路、短い列車が走る線路、駅舎。コマの中に入り込んでしまったかのようだった。電車を降りたそのままの勢いで改札を抜けていく人、立ち止まって写真を撮る人。ペラペラと話して歩く人たち。全てが良かった。人の波に流されて改札を抜ける。この踏切。都会の駅で見かける、旅情をさそうアレ。
踏切を渡り、道路を渡り、砂浜に足を踏み入れる。スニーカーがたちまち砂まみれになるも、どんどん進んでいってしまう彼女に置いていかれないようにと小走りになる。
「ここでいっか。」
彼女は持ってきていたカバンの中からレジャーシートを取り出して熱せられた砂の上に敷く。日陰になっているわけでもなく、むしろ太陽さんさんと輝く真下で帽子もないのだが、ひゅううと海から吹いてくる風が気持ちいい。
彼女はカバンからサングラスを取り出して仰向けになった。陸上選手が着けているような、今日のファッションには少し……だいぶミスマッチだと思う。
私も麦わら帽をリュックから取り出し顔にのせ、彼女のように寝転がる。背中がじわじわと熱せられてくる。
「なんかさ、いいよねぇ。こんな感じでまったりしてるの。ちょっと暑いかもしれないけど。」
「確かに、いいと思うよ。」
良い切り替えしってのは難しい。口にした直後に言い直したくなるのが常だから。もっと心のうちを綺麗に伝えられないかなって。
「多分その口調だと後に『でも』って逆接つけて何か話そうとしてたでしょ。」
彼女は正/的確に見抜いてくる。
「そう、だね。」
どう言われてしまうのかと心配になりすぎると、このように自分のことでさえも他人の心境を読むように曖昧に返事をしてしまう。悪癖という。
「それはきっと『でも』って逆接を使うことでしか自分の意見を言えないってことだと思うの。なんていうか、自分の意見はあなたの意見とは違う可能性があり、それはあなたにとって逆接を置いた後に発言するべき内容です、って。」
「いやでも、そんなのじゃなくって。」
私よりもちゃらんぽらんとしている空気を纏っていると思えば、公的な文書のような喋り方で場の空気を堅苦しく、息苦しいものにも変えられる。彼女が、分からない。それでも目の前の「誤解」については解きほぐしておきたくって。「でも」を使った。
彼女は私が再度使った「でも」を聞き逃してはいなかっただろう。
「つまりは、『私はこれからあなたが不快に思っていることを言いますよ』って宣言してる感じ。」
強がりに顔に被せた帽子を取らずに、加えて仰向けのまま反論したけれども、それは彼女も同じなのだろう。強がってはいない、という点を除いて。
「それをね、少なくしたら良いんじゃないかなーって、来る時の電車でも思ってたこと。」
元気はつらつな彼女を押さえて、冷静に言葉を選び抜いて伝えてくる彼女もまた大人の印象にはぴったりのような気がした。私が何を考えていようと、彼女の言葉は途切れない。
「ただそれだけの性格だったら、少し話したところであっと気づいて手をひくし、メッセージのやり取りもしない。どこか面白そうなところがあると思って私はあなたとこうやって同じ時間を過ごそうと思ったの。」
よく漫画のセリフで高校生からこんな言葉がすらすら出てくるわけないよと思うけれど、100%全てが出てこないわけじゃないと思い直すきっかけになりそうだ。
「自分では面白いとは思わないけど、これからもよろしくね。」
少しだけ彼女の方に顔を向ける。帽子を取ると、サングラスの反射が目に入った。
「こっちこそよろしく!」
はつらつな彼女が帰ってきていた。深そうで深くなさそうで、でもやっぱり深そうな話をした後は、ちょっとだけ彼女が話しやすい人に見えた。

 「なんとなくこの海岸きて、ごろごろしてたわけだけどもう2時なんだってねー。どうしようか。」
小さな文字盤に細いメタルバンドの腕時計。スマホのロック画面で十分だと思っていた自分が恥ずかしくなるくらいそれが様に合う。時計、探してみよっかな。揮発性の脳内メモリにそう書き込んでから、また彼女への上手なレスポンスを3秒ほど考えた。
「そろそろご飯どきかな。」
どの答えを待っているなんて彼女にはないだろうけど、イメージからしてオシャレな昼食を私の同意ありにしたいと思っているのではないか。暑さでやられてしまった脳からは変な理由を言わないだけの心の制動力は残っていたらしかった。
「うーん……」
意に反して彼女の返事はそう元気を含んださまではなかった。
「体調でも悪い?」
「いや、そういうわけじゃなくてちょっと色々あって。これ話しても良いかな。」
さっきまでまとっていた大人の空気がするすると消えてなくなり、私と同じくらい年相応と言ったら失礼になるかもしれないが、とにかく口調の年齢が下がったように感じた。
「私、外食ができなくて。だから、ね。」
言わずもがな、言わせてもがな。
「江ノ島まで足伸ばしてみない?」
ポジティブとは磨いていればここまでできるものらしい。もちろん首を横に振る気はさらさらなかった。彼女は目をキラキラさせて荷物をまとめ始めた。
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