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恒星
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居酒屋で笑い話を提供してから幾月が過ぎた。苦役の様な季節の変わり目も過ぎ、寿松は順調な時間を過ごしていて、あの時に見つけた女学生の名前や学校も家の住所も突き止めていた。
陽然美花という物の見事に体を表した名前には、本当に痺れを覚えた。両親はきっと美しい花の如く、という様な意味合いでつけた名前であろう。寿松は彼女のご両親に頭を下げたい程の感謝を胸の内に抱いたが、実のところ彼女は片親で、今は母親との二人暮らしである。
朝は学業に勤しみ、夜はスーパーのレジ打ち。学校が休みであってもアルバイトには精を出している。寂れた団地の入口付近の一棟の204号室に住み、近所の人達からも愛想の良い美人だと持て囃されているし、芸能界からのスカウトもあったが断わったという話は、彼女の知り合い達に衝撃を与えたのだという。
勤勉で真面目。眉目秀麗、文武両道といった評価が多く、学業に於いても成績は上位。色々な男性から告白を受けているが、誰一人とも交際はせず、陰では鋼鉄の乙女と揶揄されている事を本人は知らない。
将来の目標は、世界を旅して旅行記を書く事、と彼女の手帳に力強く書いてあった。その為に一生懸命に頑張るのだと。
つくづく―精々、真っ直ぐに太陽に向かって凛と伸びる花の様ではある。しかし、寝る時にはうさぎのぬいぐるみが手放せなかったり、部屋の中は純白と桃色を中心に彩られていたり、お姫様に憧れていたりと、意外な一面を覗かせる女性であった。
一時、彼女が使っている石鹸類を一通り揃えて、使ってみたりもした。柔らかな甘い香りを纏ったその日は、まるで地母神に抱かれている様で、それはつまり、彼女の胸に抱かれている時と同じ香りと色と音と優しさに包まれているという事であると考えると、安らかに眠りにつけた。だが、その匂い達に抱かれていると、数日もすれば次第に不足に勘付いてしまう。彼女自身の匂いが無いという事に勘付いてしまうのだ。汗や制汗剤や着古している制服などの匂いが無いと勘付いた時には、それは頭を抱えたものだ。それは年月が培ったモノであり、一朝一夕で手に入るモノではないからだ。
どうすれば手に入るのか、ではなく、どうすれば創れるのか。その思案の一欠片を己に垣間見た時、寿松には自分が、陽然美花という恒星の周囲を回る衛星に思えた。あの朝の衝撃的な出会いはさながら、宇宙に於いての星々の衝突にも匹敵するくらいの奇跡だと、信じていた。
だから、寿松は考えた。
この奇跡を更に大きな「愛」に昇華する為には、どうするべきか、と。
まずは彼女を家に迎える事を考慮した。実にシンプルだからだ。バイト終わりなり学校終わりの彼女を攫ってしまえば良い。しかし、面倒な事この上ないが誘拐は当然犯罪で、それはつまり彼女との生活の時間が短くなってしまう事になる。万が一上手く隠し通せたとしても、彼女の花の様な美しさが削がれていく可能性を考えると、今一つ首肯し難いものがある。散っていく花の姿もまた美しいのだろうが。
では、殺害はどうだろうか。ひどく動物的な思考であるが、こちらもまたシンプルであるし、古の時勢より、時に人は愛が昇華すると殺人を犯す例が散見しうる。加えて、彼女がこれから他の誰かに純潔を捧げる心配も無くなるし、彼女が最期に見る景色は自分だけになるのだ。それは彼女の意識を、一瞬とは言え支配した事に他ならない。
しかし、だ。こちらもまた犯罪で、何よりも、彼女の時を止めてしまうという行いが故に、最も罪深いのではないだろうか。時を止めるという事は、彼女の未来の姿を消してしまうという事だ。未来に佇む美しいであろう彼女を消去してしまうなど考えたくは無かった。
思考は次々と、万華鏡の如く様々な形で寿松の頭を掻き回っていく。全てが真黒色と水飛沫とで作られた、決して世界には産まれ出ない奇怪な万華鏡。寿松はその万華鏡の中心で、決して己を省みる真似はしなかった。自身の抱えた劣性を忌避したからだ。直視できなかったからだ。
窓の外には夜の帳が降り始めていた。丁度、藍色の天と地平の朱色と空の狭間の蕨色が混ざり合う、紫陽花の園に居るかの様な幻想に包まれそうな色。
はた、と、寿松の中に閃きが走った。
誘拐でも殺害でも、否、そんな野蛮な行為では無く、緩やかに彼女を手に入れる方法に気づいたのだ。つまりは、この空の様に、彼女に融け込めば良いのだ。
彼女の中に、彼女の境界線に、彼女の懐に、彼女の旨に、彼女の羈絆に―
寿松は加虐的な小さい笑顔でもって、もう一度彼女についての情報を調べ直した。
陽然美花という物の見事に体を表した名前には、本当に痺れを覚えた。両親はきっと美しい花の如く、という様な意味合いでつけた名前であろう。寿松は彼女のご両親に頭を下げたい程の感謝を胸の内に抱いたが、実のところ彼女は片親で、今は母親との二人暮らしである。
朝は学業に勤しみ、夜はスーパーのレジ打ち。学校が休みであってもアルバイトには精を出している。寂れた団地の入口付近の一棟の204号室に住み、近所の人達からも愛想の良い美人だと持て囃されているし、芸能界からのスカウトもあったが断わったという話は、彼女の知り合い達に衝撃を与えたのだという。
勤勉で真面目。眉目秀麗、文武両道といった評価が多く、学業に於いても成績は上位。色々な男性から告白を受けているが、誰一人とも交際はせず、陰では鋼鉄の乙女と揶揄されている事を本人は知らない。
将来の目標は、世界を旅して旅行記を書く事、と彼女の手帳に力強く書いてあった。その為に一生懸命に頑張るのだと。
つくづく―精々、真っ直ぐに太陽に向かって凛と伸びる花の様ではある。しかし、寝る時にはうさぎのぬいぐるみが手放せなかったり、部屋の中は純白と桃色を中心に彩られていたり、お姫様に憧れていたりと、意外な一面を覗かせる女性であった。
一時、彼女が使っている石鹸類を一通り揃えて、使ってみたりもした。柔らかな甘い香りを纏ったその日は、まるで地母神に抱かれている様で、それはつまり、彼女の胸に抱かれている時と同じ香りと色と音と優しさに包まれているという事であると考えると、安らかに眠りにつけた。だが、その匂い達に抱かれていると、数日もすれば次第に不足に勘付いてしまう。彼女自身の匂いが無いという事に勘付いてしまうのだ。汗や制汗剤や着古している制服などの匂いが無いと勘付いた時には、それは頭を抱えたものだ。それは年月が培ったモノであり、一朝一夕で手に入るモノではないからだ。
どうすれば手に入るのか、ではなく、どうすれば創れるのか。その思案の一欠片を己に垣間見た時、寿松には自分が、陽然美花という恒星の周囲を回る衛星に思えた。あの朝の衝撃的な出会いはさながら、宇宙に於いての星々の衝突にも匹敵するくらいの奇跡だと、信じていた。
だから、寿松は考えた。
この奇跡を更に大きな「愛」に昇華する為には、どうするべきか、と。
まずは彼女を家に迎える事を考慮した。実にシンプルだからだ。バイト終わりなり学校終わりの彼女を攫ってしまえば良い。しかし、面倒な事この上ないが誘拐は当然犯罪で、それはつまり彼女との生活の時間が短くなってしまう事になる。万が一上手く隠し通せたとしても、彼女の花の様な美しさが削がれていく可能性を考えると、今一つ首肯し難いものがある。散っていく花の姿もまた美しいのだろうが。
では、殺害はどうだろうか。ひどく動物的な思考であるが、こちらもまたシンプルであるし、古の時勢より、時に人は愛が昇華すると殺人を犯す例が散見しうる。加えて、彼女がこれから他の誰かに純潔を捧げる心配も無くなるし、彼女が最期に見る景色は自分だけになるのだ。それは彼女の意識を、一瞬とは言え支配した事に他ならない。
しかし、だ。こちらもまた犯罪で、何よりも、彼女の時を止めてしまうという行いが故に、最も罪深いのではないだろうか。時を止めるという事は、彼女の未来の姿を消してしまうという事だ。未来に佇む美しいであろう彼女を消去してしまうなど考えたくは無かった。
思考は次々と、万華鏡の如く様々な形で寿松の頭を掻き回っていく。全てが真黒色と水飛沫とで作られた、決して世界には産まれ出ない奇怪な万華鏡。寿松はその万華鏡の中心で、決して己を省みる真似はしなかった。自身の抱えた劣性を忌避したからだ。直視できなかったからだ。
窓の外には夜の帳が降り始めていた。丁度、藍色の天と地平の朱色と空の狭間の蕨色が混ざり合う、紫陽花の園に居るかの様な幻想に包まれそうな色。
はた、と、寿松の中に閃きが走った。
誘拐でも殺害でも、否、そんな野蛮な行為では無く、緩やかに彼女を手に入れる方法に気づいたのだ。つまりは、この空の様に、彼女に融け込めば良いのだ。
彼女の中に、彼女の境界線に、彼女の懐に、彼女の旨に、彼女の羈絆に―
寿松は加虐的な小さい笑顔でもって、もう一度彼女についての情報を調べ直した。
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