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第二王女との出会い

剣(つるぎ)なしの姫君 その6

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 深く息を吸うと、もう一人の自分が問いかけてくる。

 ━━━本当にいいの?

 ここから先は自分の根幹だ。人生を変えるきっかけになった大事件なのだ。

 ━━━いいに決まっている。

 簡単な道を選ぶのも、中途半端に投げ出すのも、燈にとっては言語道断。ここで話を中断するなんてありえなかった。

 途中まで話しただけでもわかる。自分から目をそらさず、まっすぐに見つめ、語る。言葉にすれば単純な行為がどれほど大変なものか。

 宗次郎はこの苦難を耐え切ったのだ。耐え切って、さらに次のステージに進んだ。それは近くで見ていた自分がよく知っている。

 宗次郎にできて自分にできないはずはない。宗次郎のように成長できれば、より良い状態でシオンを迎え打てる。

 燈は少し、そうほんの少しだけ宗次郎に感謝した。

「言いたくなかったら言わなくていいぞ」

「ん。平気よ」

 燈はフッと笑って、ベンチに座りなおした。

「母が殺されたの」

「……」

「三塔学院に入って一年経って、南洋宮なんようきゅうに旅行したときに、ね」

 南洋宮なんようきゅうは王族が持つ領地の一つで、南部のリゾート地にある。規模は小さいものの海に面しており、兄弟たちで今年は誰が南洋宮に遊びに行くかもめるほど人気の宮殿った。

「それは、その。いったい何が」

「テロよ。天主極楽教てんしゅごくらくきょうの信徒による、ね。警備が手薄になった時間帯を狙われたの」

 声が震える。無力さへの絶望、怒り、悲しみ。当時の感情が燈の内側で暴れ出す。

 あの日は母と妹と三人で一日中浜辺で遊んだ。浅瀬で泳ぎ、砂で城を作り、スイカ割りをして。およそ海で成し得るすべての遊びをやり尽くし、心地よい疲れとともに宮殿に戻った。

 燈は有り余った元気で階段を一気に駆け上がり、二人に早く来るよう呼びかけようと振り返った瞬間だった。柱の陰から二人の刺客が現れて母を串刺しにしたのだ。

「……母は最期まで、私たちを守ってくれたわ」

 母はとっさの判断でそばにいた妹をかばった。そして心臓を貫かれた状態で、燈と眞姫を守るため、炎の波動で刺客を消し炭にした。

 息をひきとる直前まで、母は戦士であり続けたのだ。

「それで二人とも無事だったのか」

「すごいでしょう。でも、無事じゃないわ」

「え?」

「無事だったのは私だけ。眞姫は事件のせいで意識をなくしたの」

 目の前で母を殺された精神的ショックは非常に大きく、妹は弱い体を一層悪くしてしまった。昏睡状態に陥り、二度と目を覚まさないかもしれないと言われた。

「程なくして目を覚ましたのだけれど、視力を失ってしまって。三塔学院に入学した今も、使用人がつきっきりで世話をしなければ学園生活が送れないの」

「……そうか」

 宗次郎は短い返事をして、沈黙した。

 鳥のさえずりが結界に阻まれて、くぐもって聞こえる。風が木の葉を揺らし、砂が舞う。

 うららかな午後の日材が照らす二人の空気は神妙なものとなった。

「もしかして、天主極楽教と戦うのは敵討ちのためか?」

「ふふ、違うわ」

 三塔学院を卒業してすぐ、八咫烏となり天主極楽教の対策部隊に加わったと知った父も、復讐をやめるように苦言を呈した。気持ちはわかるが母は望みはしない、と。

 燈自身、母が復讐を望まないことくらいわかっている。

「敵討ちをするなら宗教だけじゃない。私たちの情報を天主極楽教に売り払った王族の誰かも、よ」

 宗次郎に驚きはなく、どちらかといえば呆れていた。

 これで彼も燈の言葉を理解してくれるだろう。

 王宮において裏切りは日常茶飯事。その本当の意味を。

「いかに天主極楽教が最大の反抗勢力であっても、私たちが南洋宮にいると知っているなんてありえない。必ず情報を流した誰かがいるはず」

 母は身分こそ王妃であったが、出は庶民だ。だから他の妃との間には確執があった。

 燈の王位継承権は第四位。十人以上居る王族の中では決して低くはない。ただ、子供の頃から燈は周囲が自分に向ける差別意識を明確に感じ取っていた。

 所詮は庶民の家の子。決して王宮にいるべき人間ではないと。

 その悪意が、まさかこんな形で実態化するとは思っていなかった。

「母が殺されて、妹が傷ついて。それこそ、最初は復讐しようと考えたわ」

 燃え盛る憎しみのまま、自分を蔑む貴族、母を亡くした自分に同情する王族、テロを起こした天主極楽教の全てを滅ぼしてやる。

 事件直後の燈は初代国王を超えるどころか、国王になる目標すらどこかへ消えてしまっていた。

 国を挙げての葬式が終わり、燈は通っていた学院を休学し、復讐を果たすため今まで以上に己を鍛えた。

 その頃からだろう。何が起きても表情がほとんど変化しなくなったのは。

 加えて波動の属性と他者を寄せ付けない威圧感から、『冷血の雪姫』などとあだ名された。

「そんな私に、眞姫は最初の約束を思い出させてくれたの」

 事件から半年が過ぎた頃、病院から妹が目を覚ましたと連絡があった。稽古を途中で放り出して病院に直行した。

 真っ白いベットの上で、姉妹は再会を果たした。目も見えず、足も不自由になってはいても、妹は確かに生きていた。

 燈は初めて大声を上げて泣いた。泣いて、妹に謝り続けた。

『守れなくてごめんなさい。そばにいてあげられなくてごめんなさい』

 二人で泣き崩れた。恥も外聞もかなぐり捨てて、それまで泣けなかった分を込めて一日中泣き続けた。

 一晩経った次の日、燈は弱気な声で眞姫に提案した。

『一緒に逃げない?』

 妹が生きてさえいてくれればよかった。王位継承権も、復讐もどうでもよくなった。抱えているものを何もかも放り投げて、どこか遠いところで、二人きりでいたかった。

 眞姫はしばらく考え込んで、静かに首を振った。

『なぜ?』

 かすれるような声で問いかける燈の手を、眞姫は握った。

『大丈夫、私はお姉様の味方だから』

 返事は燈の質問に対する答えになっていなかったが、眞姫にはお見通しだったのだ。

 姉はただ自暴自棄になっているだけだと。

 母の死に悲しめず、仲良く遊んでいた兄弟たちが信じられなくなり、夢も希望も失ってしまったのだと。

 姉の状態を把握した上で、味方でいると手を握ってくれた。

 燈は悟った。妹は守られていただけではなく、自分を支えてくれていたのだ。母が死に、目が見えなくなってもなお、妹はそのあり方を変えなかった。

 燈は一人であらゆる武道と学問を収めた。だから一人でなんでもできると無意識のうちに行動原理が決まっていた。

 眞姫は違う。生まれつき歩けない弱さを抱えた彼女は、何をするにも誰かの協力が必要不可欠だった。

 他人に対する優しさを、燈に教えてくれたのは眞姫だった。

「妹のおかげで私は前を向けた。自分が目指す目標を思い出せたの」

 妹がしっかりしろと発破をかけてくれたのだ。

 いつまでも弱気でいる燈ではない。

「私は、強者が弱者を虐げるのを許さない。国民を惑わす天主極楽教も、権力にしがみつく貴族も、裏切りと嘘にまみれた王族も、全部なくす」

 母を殺したケジメはしっかりつける。

 けれど、それは復讐のためではない。

「私たちが味わったような悲劇を、私は起こさせない。国民が搾取されることなく自由を謳歌し、他者と手を取り合える国を作る。そうすれば━━━そうすれば、未来は今より良くなっているはずだから」

 最後まで言い切って、燈は自嘲気味に笑った。

 どんな目標を目指しても、理屈を並べ立てても、自身の根底にあるのは妹への愛情だった。

 口にして初めて、心の底から納得できた。

 ━━━ああ、すごい。

 力が漲っているのがわかる。

 話を聞いてくれた宗次郎は真顔で、約束か、と呟き、

「最後に一つ質問してもいいかな」

「何?」

「燈は、何のために約束を果たそうとするんだ?」

 先ほどのような純粋な疑問ではない。宗次郎の瞳の奥に若干の恐怖が垣間見えた。

「そうね。私が約束を果たすのは━━━」

 全くこの男は。本当に世話がやける。燈は心の中で愚痴った。

 なぜか少しだけ。そう少しだけだ。微笑んでいる自分がいるが、きっといい気分だからだ。

「自分のためよ。もちろん妹との約束だから妹のためでもあるわ。それ以上に、自分で自分に胸を張れるように、そして相手にも胸を張れるようにしたいのよ」

 自分が大事なのかと問われれば、燈はもちろんだと答える。

 自分たちの事情は与えられるものじゃない。関係ない。誰にとってもどうでもいいものなのだ。そんな周りのために自分を捨てる、なんて選択肢を選べるはずがない。

 けれど自分は別だ。自分の一挙手一投足は、意思決定は、判断基準は、感情は、行動は、ごまかしが効かないのだ。他ならぬ自分自身が体験しているがゆえに。

 そこに身分も性別もない。単純な生き方の問題だ。

「……ああ、そうか」

 安心したような笑みを浮かべる宗次郎にどこか既視感を覚える。

 燈はここにきてなぜ宗次郎を嫌いになれないのか理解した。宗次郎はどことなく、妹に似ている。

 自分の弱さに向き合う真摯な強さを持ち、前を向き、自分のできることをひたすらにやり続ける。その姿勢が共通しているのだ。

「やっとわかった。ありがとう。燈」

「どういたしまして。まずは、目の前の敵に勝つとしましょう」

「ああ。約束をするまでもないな」

「うふふ」

 晴れやかな気持ちで立ち上がる。体を駆け巡る波動も盛況だ。

 今が一番乗れている。自然と笑みがこぼれた。

 ━━━シオンを倒して天斬剣を回収して、儀式を成功させる。全てが終わったら妹の顔を見に行こう。

 時計は五分たてばシオンがくると示している。紛れもなく絶好のタイミングだ。

 燈は公園の中央まで移動して、待機した。

 早く来いと念じながら、秒針が進むのを待つ。自分の呼吸と鼓動に意識を集中させ、公園の入り口を見つめる。

 だが。

 いつまでたっても。

 シオンがこの公園に姿をあらわすことは、なかった。
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