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【02】マクスウェルの悪魔たち(上)
08 転属騒動起きました
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ラッセルがドレイクたちと共に〝〈新型〉ミニ訓練航行〟から戻ってくると、待機室内は騒然としていた。
そのことにももちろん驚いたが、留守番をしていたドレイク大佐隊員三人と、自分と一緒に転属希望して来た四人とが自然に立ちまじっていたのには、もっと驚かされた。
「大佐!」
彼らはドレイクを見ると、一様にほっとした顔をして、すぐさま駆け寄ってきた。
「どうしたどうした? 何があった?」
わざとなのか、ドレイクは軽い口調で彼らに訊ねる。
「一言で言うと、ダーナ大佐がやらかしました」
苦笑まじりにそう答えたのは、〝新入り〟のオールディスだった。
「やらかした?」
「今、執務室にいるイルホンから連絡があって……元マクスウェル大佐隊の約半数が、総務に転属願を提出したそうです」
ティプトリーが困惑した様子で具体的な報告をする。それを聞いて、さすがにドレイクも緊張した面持ちになった。
「転属初日に約半数か。でも、何で〝ダーナ大佐がやらかした〟なんだ?」
「あまりに異常すぎるので、ダーナ大佐隊の班長の一人に携帯で訊いてみたんです」
オールディスがこともなげにドレイクの質問に答える。
「今朝、ダーナ大佐の命令どおり整列して待機していなかった隊員たちに、除隊したくなければ今日の十五時までに総務に転属願を提出するよう、ダーナ大佐が伝言で命じたそうです」
ドレイクは驚いたというより呆れていた。
ラッセルは驚いていた。あの聡明な元上官はいったいどうしてしまったのだろう。
「うーん。いい意味でも悪い意味でも、いつも俺の思惑を裏切ってくれるよな、あの男は」
しかし、ドレイクはすぐに愉快そうに笑って両腕を組んだ。
「そんな方法でマクスウェル大佐隊員をよりわけたか。総務には大迷惑だな」
「よりわけた……ですか」
唖然としたように、オールディスが繰り返す。
「どう考えてみても、全部が全部、転属希望先に行けるわけないだろ。最終的にどのくらいの人数になるのかはわからないが、転属にならなかった奴らは、ダーナ大佐隊員のままだ。そいつらは、たとえ転属願を出す前は班長だったとしても、平……いや、平以下の隊員に降格されちまうだろうな。それが不満なら、もう一度転属願を出すか自ら退役。……いやあ、恐ろしいな。君らの〝心の上官〟は」
――確かに。
ラッセルもそう思ったが、転属希望してここに来た彼も同僚たちも、何も言えなかった。
「とにかく、執務室行くか。今日の宿直は誰だ?」
「俺っす」
フォルカスが右手を挙げて答える。
「〈新型〉飛ばしたんで、俺がします」
「そうか。じゃあ、あとは終業時間になったらそのまま帰っていいぞ。お疲れ」
「お疲れっした」
ドレイクが待機室を出ていく。ラッセルは思わず呟いた。
「そのまま帰っていいと言われてもな……気になりすぎる」
「そうか? 俺は今の大佐の説明を聞いて納得したが」
その言葉どおり、オールディスは腑に落ちた顔をしていた。
「オールディス……おまえ、ダーナ大佐隊のどの班長に訊いたんだ? そんなこと、よくおまえに教えてくれたな」
「三班長」
オールディスは髪より幾分明るい褐色の目を細める。
「あの男はわりと口が軽い」
「知らなかった……」
「まあ、あくまであの隊の班長の中では、だがな」
「なるほど。それはわかった」
そう言ってから、ラッセルはオールディスを待機室の隅に引っ張っていって、小声で訊ねた。
「おまえら……何であんなにナチュラルに、この隊に馴染んでるんだ?」
待機室の中央付近では、オールディス以外の三人が、ドレイク大佐隊員たちと熱心に立ち話をしている。
「馴染んでるように見えるか?」
「充分すぎるほど見える」
「そうか。それなら俺の気のせいじゃないんだな。……おまえらが出かけた後、このまま何もしないでいるのもつらいなと思って、留守番してた隊員三人に、〈旧型〉の中を見せてくれないかと頼んでみたんだ。〈旧型〉は〈新型〉と中身はほぼ同じらしいしな。そうしたら、意外なことにあっさり〈旧型〉の中に入れてもらえてな。彼らも手持ち無沙汰だったのか、いろいろ俺たちに教えてくれた。特にシェルドンくんが、いつもスミスさんにお世話になってるからってすごく親切にしてくれてな。俺はあのとき、生まれて初めて心からスミスに感謝したよ」
「スミスにはもっと前から、心から感謝しておけ」
「それはそうだ。スミスの元同僚じゃなかったら、俺たちはここには入れなかっただろうしな。今なら俺は砲撃でおまえを超える自信がある」
「もう遅い」
「だな。ところで、大佐の操縦はどうだった?」
「俺の軍艦の操縦士よりよっぽどうまかったよ」
「そうか。留守番三人組も言ってた。誰も乗せてなかったら、マシムくん並みに飛ばすこともできるんじゃないかって」
「大昔は戦闘機乗りをしていたそうだぞ」
「お、それは新ネタだ。……どれくらい大昔なんだろうな」
「さあ……たぶん二十代かな。はっきりいつとは言わなかったし訊かなかったが」
「やっぱり訊きづらいよな。こっちに来る前のことは」
「とりあえず、俺はもう自分のほうからは訊かないことにする」
「俺は最初からそうしてる。……なあ、ダーナ大佐の件、どうなると思う?」
「どうなるとは?」
「ひらたく言えば、自分の言うことをきかなかった隊員を除隊にすると脅して、強制的に転属願を提出させたことになるだろ? そのことで殿下からお咎めはあるのかないのかってことさ。せめて謹慎処分くらいに留めておけばよかったのに」
「難しいところだな。ドレイク大佐なら、最悪の事態だけは回避してくれると思うが」
「最悪の事態?」
「〝栄転〟だよ」
オールディスは一瞬言葉に詰まった。
「……確かに最悪だな」
「しかし、みんなダーナ大佐がマクスウェル大佐隊とうまくやっていけるのかと心配していたが、本当に心配していたとおりのことが起こってしまったな」
「まったく。でも、転属を決めたのは殿下だから、ある意味、殿下の責任?」
「〝大佐〟ならうまくやれて当然だと切り返されそうだぞ」
「そして〝栄転〟か? あー、おまえと話をしてたら、俺も気になりだしてきた」
「気にならないほうがおかしいんだよ」
ラッセルがそう言い返したとき、誰かに肩をつつかれた。あわてて振り返ると、スミスが半ば呆れたような顔をして立っていた。
「議論白熱中のところ、邪魔して申し訳ないがな。もう終業時間を過ぎた。うちは大佐の方針で、平時の残業は〝しない・させない・したくない〟なんだ。話の続きは外でしてくれ」
ラッセルとオールディスは、改めて待機室内を見た。
自分たちとスミス以外、誰もいない。
「ちなみに、今日宿直のフォルカスは、現在〈新型〉の点検整備中だ。集中してやってるから、声かけたりするとぶち切れるぞ。それ以外では、まず本気で怒ることはない」
「……スミス先輩。俺らの同期三人はもう帰ったんですか?」
オールディスが問うと、スミスは哀れむように二人を見た。
「ああ。他の先輩たちと一緒に、とっくの昔に外に出た」
「くそう、何て薄情な同期だ!」
「それほど若いのがいいか!」
「おまえらが深刻そうな顔して話しこんでるから、声かけづらかったんだろ」
「いえ、スミス先輩。無理にフォローしていただかなくても結構です。あいつらの本性はこれでよくわかりました」
「フォローしてるわけじゃないが、とにかくもう外に出るぞ。明日からは七時半に直接ここに来い。宿直と掃除当番、決めなおすから」
「わあ、本当に新人に戻った気分」
「スミス……すまないな……面倒ばかりかけさせて……」
「まったくだよ。おまえらも、おまえらの〝心の上官〟も」
スミスは嘆息すると、二人を待機室の外へと追い立てた。
* * *
「いやあ、ほんとにやらかしちゃったねえ、ダーナ」
執務室に戻ってきたドレイクは、ソファでそっくり返ってけらけら笑った。
「笑い事じゃないですよ。……と言う気になれないのはなぜでしょう」
ドレイクの向かいで、イルホンは醒めた笑いを漏らす。
「総務から連絡を受けたときには、まさか、あの五人の転属が認められなかったのかとあせりましたが……うちとしては感謝すべきなんでしょうかね。転属希望者を四十九人も発生させてくれたんですから」
「発生って……まるで害虫みたいに。総務から聞き出せたのは、それとマクスウェル大佐隊の約半数が転属願を提出したことくらい?」
「はい。中には本物の転属願があるかもしれないので、事前に転属希望を申し出てきた元マクスウェル大佐隊員がいるかどうか確認したかったそうです。うちはいませんでしたからいませんと正直に答えましたけど。総務も扱いに困ってるみたいですよ。今夜は残業だって嘆いてました」
「転属させるかさせないかは、総務の人事課で決めてるの?」
「いえ、最終的には殿下です。直属の上司ではなく、総務に直接転属願を提出できるようにされたのも殿下なので……。通常ですと、人事で不備のある転属願を片っ端からはじき、それで残った転属願を転属希望先に送ります。先方に受け入れの意志があれば、殿下の許可をいただいて転属の辞令を出します」
「辞令? あれ?」
無精髭の生えた顎に手を添えて、ドレイクは首をかしげる。
「そういや俺、こっちに来てからそんなもの、一枚も受け取ったことないな」
「……たぶん、大佐に渡してもなくされると思って、殿下がまとめて保管されてるんじゃないでしょうか」
「え、そんなことしていいの?」
「〝死人〟を生き返らせて、戸籍作っちゃった人ですから……」
「それを言われると辞令なんて、ちっさいことのように思えるな」
「とにかく今、人事は不備のある転属願をはじく作業をしていると思います。うちへの転属希望者も、それで消滅してしまうかもしれません」
「はじかれたら、その転属願は当然無効ってことになるんだよね?」
「はい。不備があった場合はもちろん、転属希望先に拒否された場合も本人に差し戻されます。……所属先経由で」
一瞬黙った後、ドレイクは重々しく言った。
「つまり、〝転属願は覚悟決めて出せや!〟ってことだね?」
「そういうことだと思います」
「イルホンくんが総務出身でよかった……」
「いや、うちは殿下に処理してもらえてるからですよ。フォルカスさんの転属希望理由も、普通だったらはじかれてます」
「ああ……〝マクスウェル大佐が大嫌いだから〟」
「そんな転属願ばかりだったら、ダーナ大佐も困ると思うんですが」
「転属希望理由。〝ダーナ大佐が大嫌いだから〟?」
つい噴き出してしまってから、イルホンはあわてて表情を引きしめた。
「イルホンくん」
「は、はい」
「うちに転属希望してる四十九人分の転属願。不備があろうがなかろうが、人事からもらってくることって可能?」
そう問うドレイクの顔は、このうえもなく真剣だった。
* * *
「私としては、今すぐダーナ大佐隊とパラディン大佐隊を入れ替えてやりたいのだがな」
自分の端末のディスプレイを見ながらアーウィンはにやついた。そこには人事課が作成したマクスウェル大佐隊員の転属希望先の一覧表が表示されている。
「それは時期尚早だろう」
冗談であることを願いながら、ヴォルフは意見した。
「ドレイク以外の転属希望先の出方を見てからでも遅くはない」
アーウィンが、マクスウェル大佐隊員の転属願大量発生の件を知ったのは、人事課からの問い合わせがきっかけだった。
――ドレイク大佐の副官が、自分の隊への転属を希望している転属願を一度すべて預かりたいと申し出てきたが、不備チェックなしにそのまま渡してもよいのか否か。
アーウィンは渡すことを許可すると同時に、マクスウェル大佐隊員の転属願は全部コピーをとってから、やはり不備チェックなしに、それぞれの転属希望先に送りつけるよう命じた。人事課は不備チェックの残業からは解放されたが、そのかわり、そのコピーをもとに転属希望先一覧表を作成するという別の残業を課せられたのだった。
「しかし、ダーナも意地が悪い。馬鹿の比率調査がしたかったのか」
「おまえが〝意地が悪い〟と言うか。まあ、確かにそうだが」
ヴォルフは思わず溜め息をついた。
なぜマクスウェル大佐隊員の転属願が大量発生するに至ったか、その経緯はすでに把握済みだ。おそらくダーナは最初からそれを狙って〝整列〟を命じたに違いない。
「転属希望先の内訳が、そのまま馬鹿の内訳になっている。転属希望先でいちばん多いのがダーナ大佐隊だ。すでにダーナ大佐隊員になっているのに。こいつらが最悪の馬鹿だな。次にアルスター、パラディン、コールタン……あの変態は最下位だ。人気がないな」
などと言いつつ、なぜかアーウィンは〝人気がない〟ことが嬉しそうだった。
「最初から命令どおり整列しておけばよかっただけのことだが、この場合、どこを転属希望先にしておくのがいちばん賢かったんだろうな?」
「それは変態のところだろう」
あっさりアーウィンは即答した。
「とりあえず、あそこにしておけば、ダーナからは馬鹿だと思われない」
「どうしてだ?」
「ダーナはあの変態だけは自分より上だと思っている。あそこに転属されたくて自分を拒否したなら、仕方ないと納得するだろう。転属願を提出した約七〇〇人の隊員のうち、賢かったのは四十九人。たった約七パーセントだ。最初から整列していた隊員を〝賢い〟とするなら、マクスウェル大佐隊員で〝賢い〟のは約五割強ということになる。ダーナが自分の隊とマクスウェル大佐隊とを入れ替えたのは大英断だったというわけだ」
「それなら、やっぱりマクスウェル大佐隊は解体してしまったほうがよかったんじゃないのか?」
「だから今、ダーナは解体しているんだろう。こんな傍迷惑な形で」
アーウィンは冷ややかに笑って、ディスプレイをつついた。
「なるほど。……傍迷惑」
「転属が認められなかった隊員は、パラディンが責任をとって全員引き取ればいい。よし、そうするか」
「アーウィン……おまえ、どうしてもパラディンが気に入らないんだな……」
――パラディンに大佐会議の申請の仕方を訊ねたのは、ドレイクのほうなのに。
呆れるのを通りこして、ヴォルフは恐ろしくなったが、結局それ以上何も言えなかった。
そのことにももちろん驚いたが、留守番をしていたドレイク大佐隊員三人と、自分と一緒に転属希望して来た四人とが自然に立ちまじっていたのには、もっと驚かされた。
「大佐!」
彼らはドレイクを見ると、一様にほっとした顔をして、すぐさま駆け寄ってきた。
「どうしたどうした? 何があった?」
わざとなのか、ドレイクは軽い口調で彼らに訊ねる。
「一言で言うと、ダーナ大佐がやらかしました」
苦笑まじりにそう答えたのは、〝新入り〟のオールディスだった。
「やらかした?」
「今、執務室にいるイルホンから連絡があって……元マクスウェル大佐隊の約半数が、総務に転属願を提出したそうです」
ティプトリーが困惑した様子で具体的な報告をする。それを聞いて、さすがにドレイクも緊張した面持ちになった。
「転属初日に約半数か。でも、何で〝ダーナ大佐がやらかした〟なんだ?」
「あまりに異常すぎるので、ダーナ大佐隊の班長の一人に携帯で訊いてみたんです」
オールディスがこともなげにドレイクの質問に答える。
「今朝、ダーナ大佐の命令どおり整列して待機していなかった隊員たちに、除隊したくなければ今日の十五時までに総務に転属願を提出するよう、ダーナ大佐が伝言で命じたそうです」
ドレイクは驚いたというより呆れていた。
ラッセルは驚いていた。あの聡明な元上官はいったいどうしてしまったのだろう。
「うーん。いい意味でも悪い意味でも、いつも俺の思惑を裏切ってくれるよな、あの男は」
しかし、ドレイクはすぐに愉快そうに笑って両腕を組んだ。
「そんな方法でマクスウェル大佐隊員をよりわけたか。総務には大迷惑だな」
「よりわけた……ですか」
唖然としたように、オールディスが繰り返す。
「どう考えてみても、全部が全部、転属希望先に行けるわけないだろ。最終的にどのくらいの人数になるのかはわからないが、転属にならなかった奴らは、ダーナ大佐隊員のままだ。そいつらは、たとえ転属願を出す前は班長だったとしても、平……いや、平以下の隊員に降格されちまうだろうな。それが不満なら、もう一度転属願を出すか自ら退役。……いやあ、恐ろしいな。君らの〝心の上官〟は」
――確かに。
ラッセルもそう思ったが、転属希望してここに来た彼も同僚たちも、何も言えなかった。
「とにかく、執務室行くか。今日の宿直は誰だ?」
「俺っす」
フォルカスが右手を挙げて答える。
「〈新型〉飛ばしたんで、俺がします」
「そうか。じゃあ、あとは終業時間になったらそのまま帰っていいぞ。お疲れ」
「お疲れっした」
ドレイクが待機室を出ていく。ラッセルは思わず呟いた。
「そのまま帰っていいと言われてもな……気になりすぎる」
「そうか? 俺は今の大佐の説明を聞いて納得したが」
その言葉どおり、オールディスは腑に落ちた顔をしていた。
「オールディス……おまえ、ダーナ大佐隊のどの班長に訊いたんだ? そんなこと、よくおまえに教えてくれたな」
「三班長」
オールディスは髪より幾分明るい褐色の目を細める。
「あの男はわりと口が軽い」
「知らなかった……」
「まあ、あくまであの隊の班長の中では、だがな」
「なるほど。それはわかった」
そう言ってから、ラッセルはオールディスを待機室の隅に引っ張っていって、小声で訊ねた。
「おまえら……何であんなにナチュラルに、この隊に馴染んでるんだ?」
待機室の中央付近では、オールディス以外の三人が、ドレイク大佐隊員たちと熱心に立ち話をしている。
「馴染んでるように見えるか?」
「充分すぎるほど見える」
「そうか。それなら俺の気のせいじゃないんだな。……おまえらが出かけた後、このまま何もしないでいるのもつらいなと思って、留守番してた隊員三人に、〈旧型〉の中を見せてくれないかと頼んでみたんだ。〈旧型〉は〈新型〉と中身はほぼ同じらしいしな。そうしたら、意外なことにあっさり〈旧型〉の中に入れてもらえてな。彼らも手持ち無沙汰だったのか、いろいろ俺たちに教えてくれた。特にシェルドンくんが、いつもスミスさんにお世話になってるからってすごく親切にしてくれてな。俺はあのとき、生まれて初めて心からスミスに感謝したよ」
「スミスにはもっと前から、心から感謝しておけ」
「それはそうだ。スミスの元同僚じゃなかったら、俺たちはここには入れなかっただろうしな。今なら俺は砲撃でおまえを超える自信がある」
「もう遅い」
「だな。ところで、大佐の操縦はどうだった?」
「俺の軍艦の操縦士よりよっぽどうまかったよ」
「そうか。留守番三人組も言ってた。誰も乗せてなかったら、マシムくん並みに飛ばすこともできるんじゃないかって」
「大昔は戦闘機乗りをしていたそうだぞ」
「お、それは新ネタだ。……どれくらい大昔なんだろうな」
「さあ……たぶん二十代かな。はっきりいつとは言わなかったし訊かなかったが」
「やっぱり訊きづらいよな。こっちに来る前のことは」
「とりあえず、俺はもう自分のほうからは訊かないことにする」
「俺は最初からそうしてる。……なあ、ダーナ大佐の件、どうなると思う?」
「どうなるとは?」
「ひらたく言えば、自分の言うことをきかなかった隊員を除隊にすると脅して、強制的に転属願を提出させたことになるだろ? そのことで殿下からお咎めはあるのかないのかってことさ。せめて謹慎処分くらいに留めておけばよかったのに」
「難しいところだな。ドレイク大佐なら、最悪の事態だけは回避してくれると思うが」
「最悪の事態?」
「〝栄転〟だよ」
オールディスは一瞬言葉に詰まった。
「……確かに最悪だな」
「しかし、みんなダーナ大佐がマクスウェル大佐隊とうまくやっていけるのかと心配していたが、本当に心配していたとおりのことが起こってしまったな」
「まったく。でも、転属を決めたのは殿下だから、ある意味、殿下の責任?」
「〝大佐〟ならうまくやれて当然だと切り返されそうだぞ」
「そして〝栄転〟か? あー、おまえと話をしてたら、俺も気になりだしてきた」
「気にならないほうがおかしいんだよ」
ラッセルがそう言い返したとき、誰かに肩をつつかれた。あわてて振り返ると、スミスが半ば呆れたような顔をして立っていた。
「議論白熱中のところ、邪魔して申し訳ないがな。もう終業時間を過ぎた。うちは大佐の方針で、平時の残業は〝しない・させない・したくない〟なんだ。話の続きは外でしてくれ」
ラッセルとオールディスは、改めて待機室内を見た。
自分たちとスミス以外、誰もいない。
「ちなみに、今日宿直のフォルカスは、現在〈新型〉の点検整備中だ。集中してやってるから、声かけたりするとぶち切れるぞ。それ以外では、まず本気で怒ることはない」
「……スミス先輩。俺らの同期三人はもう帰ったんですか?」
オールディスが問うと、スミスは哀れむように二人を見た。
「ああ。他の先輩たちと一緒に、とっくの昔に外に出た」
「くそう、何て薄情な同期だ!」
「それほど若いのがいいか!」
「おまえらが深刻そうな顔して話しこんでるから、声かけづらかったんだろ」
「いえ、スミス先輩。無理にフォローしていただかなくても結構です。あいつらの本性はこれでよくわかりました」
「フォローしてるわけじゃないが、とにかくもう外に出るぞ。明日からは七時半に直接ここに来い。宿直と掃除当番、決めなおすから」
「わあ、本当に新人に戻った気分」
「スミス……すまないな……面倒ばかりかけさせて……」
「まったくだよ。おまえらも、おまえらの〝心の上官〟も」
スミスは嘆息すると、二人を待機室の外へと追い立てた。
* * *
「いやあ、ほんとにやらかしちゃったねえ、ダーナ」
執務室に戻ってきたドレイクは、ソファでそっくり返ってけらけら笑った。
「笑い事じゃないですよ。……と言う気になれないのはなぜでしょう」
ドレイクの向かいで、イルホンは醒めた笑いを漏らす。
「総務から連絡を受けたときには、まさか、あの五人の転属が認められなかったのかとあせりましたが……うちとしては感謝すべきなんでしょうかね。転属希望者を四十九人も発生させてくれたんですから」
「発生って……まるで害虫みたいに。総務から聞き出せたのは、それとマクスウェル大佐隊の約半数が転属願を提出したことくらい?」
「はい。中には本物の転属願があるかもしれないので、事前に転属希望を申し出てきた元マクスウェル大佐隊員がいるかどうか確認したかったそうです。うちはいませんでしたからいませんと正直に答えましたけど。総務も扱いに困ってるみたいですよ。今夜は残業だって嘆いてました」
「転属させるかさせないかは、総務の人事課で決めてるの?」
「いえ、最終的には殿下です。直属の上司ではなく、総務に直接転属願を提出できるようにされたのも殿下なので……。通常ですと、人事で不備のある転属願を片っ端からはじき、それで残った転属願を転属希望先に送ります。先方に受け入れの意志があれば、殿下の許可をいただいて転属の辞令を出します」
「辞令? あれ?」
無精髭の生えた顎に手を添えて、ドレイクは首をかしげる。
「そういや俺、こっちに来てからそんなもの、一枚も受け取ったことないな」
「……たぶん、大佐に渡してもなくされると思って、殿下がまとめて保管されてるんじゃないでしょうか」
「え、そんなことしていいの?」
「〝死人〟を生き返らせて、戸籍作っちゃった人ですから……」
「それを言われると辞令なんて、ちっさいことのように思えるな」
「とにかく今、人事は不備のある転属願をはじく作業をしていると思います。うちへの転属希望者も、それで消滅してしまうかもしれません」
「はじかれたら、その転属願は当然無効ってことになるんだよね?」
「はい。不備があった場合はもちろん、転属希望先に拒否された場合も本人に差し戻されます。……所属先経由で」
一瞬黙った後、ドレイクは重々しく言った。
「つまり、〝転属願は覚悟決めて出せや!〟ってことだね?」
「そういうことだと思います」
「イルホンくんが総務出身でよかった……」
「いや、うちは殿下に処理してもらえてるからですよ。フォルカスさんの転属希望理由も、普通だったらはじかれてます」
「ああ……〝マクスウェル大佐が大嫌いだから〟」
「そんな転属願ばかりだったら、ダーナ大佐も困ると思うんですが」
「転属希望理由。〝ダーナ大佐が大嫌いだから〟?」
つい噴き出してしまってから、イルホンはあわてて表情を引きしめた。
「イルホンくん」
「は、はい」
「うちに転属希望してる四十九人分の転属願。不備があろうがなかろうが、人事からもらってくることって可能?」
そう問うドレイクの顔は、このうえもなく真剣だった。
* * *
「私としては、今すぐダーナ大佐隊とパラディン大佐隊を入れ替えてやりたいのだがな」
自分の端末のディスプレイを見ながらアーウィンはにやついた。そこには人事課が作成したマクスウェル大佐隊員の転属希望先の一覧表が表示されている。
「それは時期尚早だろう」
冗談であることを願いながら、ヴォルフは意見した。
「ドレイク以外の転属希望先の出方を見てからでも遅くはない」
アーウィンが、マクスウェル大佐隊員の転属願大量発生の件を知ったのは、人事課からの問い合わせがきっかけだった。
――ドレイク大佐の副官が、自分の隊への転属を希望している転属願を一度すべて預かりたいと申し出てきたが、不備チェックなしにそのまま渡してもよいのか否か。
アーウィンは渡すことを許可すると同時に、マクスウェル大佐隊員の転属願は全部コピーをとってから、やはり不備チェックなしに、それぞれの転属希望先に送りつけるよう命じた。人事課は不備チェックの残業からは解放されたが、そのかわり、そのコピーをもとに転属希望先一覧表を作成するという別の残業を課せられたのだった。
「しかし、ダーナも意地が悪い。馬鹿の比率調査がしたかったのか」
「おまえが〝意地が悪い〟と言うか。まあ、確かにそうだが」
ヴォルフは思わず溜め息をついた。
なぜマクスウェル大佐隊員の転属願が大量発生するに至ったか、その経緯はすでに把握済みだ。おそらくダーナは最初からそれを狙って〝整列〟を命じたに違いない。
「転属希望先の内訳が、そのまま馬鹿の内訳になっている。転属希望先でいちばん多いのがダーナ大佐隊だ。すでにダーナ大佐隊員になっているのに。こいつらが最悪の馬鹿だな。次にアルスター、パラディン、コールタン……あの変態は最下位だ。人気がないな」
などと言いつつ、なぜかアーウィンは〝人気がない〟ことが嬉しそうだった。
「最初から命令どおり整列しておけばよかっただけのことだが、この場合、どこを転属希望先にしておくのがいちばん賢かったんだろうな?」
「それは変態のところだろう」
あっさりアーウィンは即答した。
「とりあえず、あそこにしておけば、ダーナからは馬鹿だと思われない」
「どうしてだ?」
「ダーナはあの変態だけは自分より上だと思っている。あそこに転属されたくて自分を拒否したなら、仕方ないと納得するだろう。転属願を提出した約七〇〇人の隊員のうち、賢かったのは四十九人。たった約七パーセントだ。最初から整列していた隊員を〝賢い〟とするなら、マクスウェル大佐隊員で〝賢い〟のは約五割強ということになる。ダーナが自分の隊とマクスウェル大佐隊とを入れ替えたのは大英断だったというわけだ」
「それなら、やっぱりマクスウェル大佐隊は解体してしまったほうがよかったんじゃないのか?」
「だから今、ダーナは解体しているんだろう。こんな傍迷惑な形で」
アーウィンは冷ややかに笑って、ディスプレイをつついた。
「なるほど。……傍迷惑」
「転属が認められなかった隊員は、パラディンが責任をとって全員引き取ればいい。よし、そうするか」
「アーウィン……おまえ、どうしてもパラディンが気に入らないんだな……」
――パラディンに大佐会議の申請の仕方を訊ねたのは、ドレイクのほうなのに。
呆れるのを通りこして、ヴォルフは恐ろしくなったが、結局それ以上何も言えなかった。
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