無冠の皇帝

有喜多亜里

文字の大きさ
167 / 169
【06】始まりの終わり(下)

16 殿下に残業の概念はありませんでした

しおりを挟む
 結局、ドレイクは、濃紺のマグカップも白いコーヒーカップも空にして、護衛艦隊司令官の執務室を退室していった。
 ドレイクいわく、せっかくキャルちゃんが淹れてくれたのにもったいない。いかにもドレイクらしいが、アーウィンやヴォルフには全部飲めとは言わなかった。
 しかし、キャルの名前を出されたら、言われていなくても残せない。アーウィンも〝不正解〟の白いコーヒーカップに手をつけて、濃紺のマグカップに入れられたドレイクの副官のレシピによるコーヒーと飲み比べていたが、眉間に皺を寄せていたところを見ると、ヴォルフと同じく違いはわからなかったのだろう。ドレイクのコーヒーはやはり素人には難しいのだ。かといって、違いのわかる玄人になりたいとも思わないが。
 体の大きいヴォルフには、普通サイズのコーヒーカップやマグカップはままごとの道具と大差ない。これはコーヒーではなく茶だと言い聞かせ、アーウィンより先に飲みきった後は、腕組みをしてソファにもたれかかっていた。

「ヴォルフ」

 いきなり呼ばれて顔を上げると、アーウィンはマグカップを持ったまま、まだ片づけられていないドレイクのコーヒーカップとマグカップを見つめていた。

「やはり、徳用チョコレートとやらも出したほうがよかったのでは……」

 もしコーヒーを飲んでいたら、間違いなくアーウィンの顔に噴き出していた。
 飲み終わっていてよかったと思いながら、ヴォルフは真剣な表情をしているアーウィンを睨みつけた。

「駄目だ。それだけは駄目だ。喜ばれるどころか、ドレイクの警戒心をさらに煽るだけだ」
「警戒心?」
「……おまえは大抵のものは見られるが、最低限のプライバシーは守ってやれよ」
「隊の経費の明細は、私以外の者も見ているだろう」
「だからって、買ってるものとまったく同じものを出されたら、大抵の人間は嫌な気持ちになるんだよ。どうしておまえが知ってるか、理由はわかっててもな」

 ゆえに今日、アーウィンがコーヒー豆は同じものを使っているとドレイクに言い返したとき、本当にひやりとした。ドレイクなら気づいていそうだが、最後まで追及はしなかった。さすがドレイク。つついてはまずい藪はつつかない。

「では……パラディンが買ったロールケーキか?」
「それは徳用チョコより最悪だ。というか、おまえの思考回路が最悪だ」
「実際に食べたものを出せば、食べる確率は上がるだろう」
「それはまあ、そうなんだがな……」

 ヴォルフは助けを求めて、執務机で事務仕事をしているキャルに視線を送ったが、キャルは無表情のまま首を横に振った。――諦めろということだ。だが、キャルの顔を見た瞬間、ヴォルフは妙案を思いついた。

「だったら、キャルにも食べられるものを出したらいい。それなら、キャルはここに座れるし、ドレイクは余計な気を遣わなくて済む」
「そうか、なるほど」

 はたして、アーウィンは本気で感心したように青い目を見張ってうなずいた。
 アーウィンには人をもてなす習慣がない。元皇太子時代は侍従たちに丸投げしていたし、ここの司令官になってからはもてなす必要すらなくなった。
 悲しいかな、ヴォルフにもキャルにもそのスキルはほとんどなかったため、今回のような恥ずかしい事態に至ってしまったわけだが、ドレイクはそれに乗じてしっかり自分の仕事をしていった。

「それより、アーウィン。おまえはあの〝対応策〟、どうしようと考えてるんだ?」

 ここぞとばかりにヴォルフが訊ねると、案の定、アーウィンは渋面を作った。

「やれるものなら、皇太子時代にやっていた」
「そうだよな。過去におまえが言われたこと、そのまんまドレイクに言ってたもんな」
「金なら全部、私が出すと言ったのに」

 当時の悔しさを思い出したのか、アーウィンは不快そうに眉をひそめ、マグカップを傾けた。
 あの中身はコーヒー豆茶だが、今のアーウィンは苦く感じているかもしれない。

「あれには言わなかったが、『植民地にされた屈辱を忘れないために』などというわけのわからない反論もされたぞ。それならそれで〝ゲート〟を封鎖しておけばいいものを、そのまま放置しておくから、また『連合』に利用される羽目になったのだ。もし私がレクス公でなかったら、コクマーは大打撃を受けていただろう」
「大打撃どころか、コクマー自体、『連合』に占領されてたかもな」

 冗談めかして返したが、実は本気でヴォルフはそう思っている。
 皇太子時代から〝ゲート〟の存在を気にかけていたアーウィンだったからこそ、「連合」に急襲されても冷静に対応できたのだ。くわえて、アーウィンには〈フラガラック〉の護衛をさせるためだけに開発・建造した無人艦群があった。いくら金があっても、そんな遣い方をする引きこもりはアーウィンだけだと思いたい。

「しかし、今度は何としてでもやらねばなるまいな。それこそ、十万隻を注ぎこんででも」

 アーウィンは不敵に笑うと、彼にしては無造作に、マグカップをローテーブルの上に置いた。

「ドレイクに〝お願い〟されたからか?」

 からかいのつもりだったが、アーウィンは真顔で「そうだ」と答えた。

「あの〝ゲート〟が使えなければ、『連合』の第一基地は基地としての価値がなくなる。ザイン星系領の外れに浮かぶ、ただのちっぽけな孤島だ」
「それはそうだが……まさか、本当に〝ゲート〟に十万隻を突っこませるつもりか?」
「さすがに、一気に十万隻は無理だな」

 アーウィンは苦笑いして、ヴォルフのように両腕を組んだ。

「まずは、戦闘終了後に三〇〇〇隻強。〝ゲート〟の中に突っこませて自爆させよう」
「……は?」
「キャル。できるか?」

 あっけにとられているヴォルフにかまわず、アーウィンは正面を向いたまま、自分の背後の執務机にいるキャルに確認した。
 急に声をかけられても、キャルの無表情は変わらない。しばらく間を置いてから「できます」と断言した。

「無人艦を何隻か、有人艦として認識させます。その無人艦たちが〝ゲート〟に直進すれば、他の無人艦たちも後を追うでしょう」
「自爆は確実にさせられるか?」
「遠隔操作の必要のない、自律型の無人艦であれば」
「つまり、護衛無人艦か。……手痛い出費だな」

 アーウィンが玲瓏な顔をしかめて小さく愚痴る。ヴォルフは簡単にしか知らないが、無人艦は種類だけでなく性能にも差があって、最上位は〈フラガラック〉のいちばん近くに配備されている護衛無人艦なのだそうだ。当然、造船費用も無人艦の中では最上位だが、それでも有人艦よりははるかに安いらしい。人間を生かしておくための無駄な機能はいらないからな、とはあくまでアーウィンの弁である。

「おい。それ、いつやるつもりだ?」

 おそるおそるアーウィンに問えば、呆れたような冷ややかな眼差しを向けられた。自覚はあったが、やはり愚問だったようだ。

「もちろん、次の出撃でだ。制御不能になった無人艦を破壊するために他の無人艦を向かわせたとすれば文句はつけられまい」
「いや、今度は制御不能になったことに文句をつけられると思うが……それに、仮に〝ゲート〟を潰せたとしても、その後、何が起こるかもわかってないんだろ?」
「ああ、わからん。もしかしたら、何も起こらない可能性もある。だが、少なくとも『連合』はあの〝ゲート〟を使えなくなるだろう。……無理に消滅させる必要はない。奴らが通過できない状態にできればそれでよいのだ」

 ドレイクには言葉を濁していたが、アーウィンは〝帝都〟のすぐ近くに〝ゲート〟が再出現してもかまわないと思っていたようだ。傲岸に笑い飛ばすと、腕組みを解いてソファから立ち上がった。

「配置図はいつもどおりに作っておくか。〝ゲート〟の中で自爆させる三〇〇〇隻は、ソフィアから直接行かせる」

 独り言のようだったが、即座にキャルが反応する。

「では、早急にソフィアに連絡を」
「いや、私が直接指示する。キャルは配置図を作成しろ。完成したら報告を」
「承知しました」

 命令しながら歩いていたアーウィンは、自分の執務机に着席すると、完全に仕事モードに入ってしまった。
 こうなるとアーウィンはてこでも動かない。キャルは定時に食事を摂らなくてはならないので、そのときには作業を中断するが、アーウィンはぶっ通しである。
 そして、アーウィンの護衛でもあるヴォルフは、否が応でもそれに付き合わなければならないのだ。

(くそう……俺もドレイクみたいに帰れるものなら帰りてえ……)

 しかし、帰れもしないし仕事もないヴォルフは、せめてキャルの代わりに片づけをしようと、六個のコーヒーカップとマグカップの持ち手に指を通し、そっと給湯室のシンクに置いたのだった。
しおりを挟む
感想 19

あなたにおすすめの小説

愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない

了承
BL
卒業パーティー。 皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。 青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。 皇子が目を向けた、その瞬間——。 「この瞬間だと思った。」 すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。   IFストーリーあり 誤字あれば報告お願いします!

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ✻改稿版を他サイトにて投稿公開中です。

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

あなたと過ごせた日々は幸せでした

蒸しケーキ
BL
結婚から五年後、幸せな日々を過ごしていたシューン・トアは、突然義父に「息子と別れてやってくれ」と冷酷に告げられる。そんな言葉にシューンは、何一つ言い返せず、飲み込むしかなかった。そして、夫であるアインス・キールに離婚を切り出すが、アインスがそう簡単にシューンを手離す訳もなく......。

あなたの隣で初めての恋を知る

彩矢
BL
5歳のときバス事故で両親を失った四季。足に大怪我を負い車椅子での生活を余儀なくされる。しらさぎが丘養護施設で育ち、高校卒業後、施設を出て一人暮らしをはじめる。 その日暮らしの苦しい生活でも決して明るさを失わない四季。 そんなある日、突然の雷雨に身の危険を感じ、雨宿りするためにあるマンションの駐車場に避難する四季。そこで、運命の出会いをすることに。 一回りも年上の彼に一目惚れされ溺愛される四季。 初めての恋に戸惑いつつも四季は、やがて彼を愛するようになる。 表紙絵は絵師のkaworineさんに描いていただきました。

結婚初夜に相手が舌打ちして寝室出て行こうとした

BL
十数年間続いた王国と帝国の戦争の終結と和平の形として、元敵国の皇帝と結婚することになったカイル。 実家にはもう帰ってくるなと言われるし、結婚相手は心底嫌そうに舌打ちしてくるし、マジ最悪ってところから始まる話。 オメガバースでオメガの立場が低い世界 こんなあらすじとタイトルですが、主人公が可哀そうって感じは全然ないです 強くたくましくメンタルがオリハルコンな主人公です 主人公は耐える我慢する許す許容するということがあんまり出来ない人間です 倫理観もちょっと薄いです というか、他人の事を自分と同じ人間だと思ってない部分があります ※この主人公は受けです

灰かぶりの少年

うどん
BL
大きなお屋敷に仕える一人の少年。 とても美しい美貌の持ち主だが忌み嫌われ毎日被虐的な扱いをされるのであった・・・。

処理中です...