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旅路の果て
後編
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「ばあさん。こんな感じか?」
枝切り鋏を下ろして植木を眺めていた男が、濡れ縁を振り返る。
老婆は彼の左隣に座っていた。初めて会ったときと同じように。
男が今着ている服はもちろん浴衣ではなく、この世界――と言うよりこの国の男の平均的上下、赤いチェック柄のシャツと青いジーンズだ。
その服の本来の持ち主は老婆の亡夫だった。ちなみに、あの浴衣もそうである。
身長の高い男は身長の低い女を好むというのも万世界共通のようで、老婆が処分せずにおいた服を、夫のものだということは忘れさせた上で男に着させた。彼女の中ではあの服は男が持参してきたものだということになっている。
〝ヨシオ〟の服よりも古くさいが、何も着ていないよりはましだろう。いくら男でも冬に裸で外にいたら風邪を引く。たぶん。
『ああ、そんな感じ。本当に器用だねえ。まるで本物の庭師みたいだよ』
老婆が嬉しそうに目を細める。双方とも自分が話せる言語で話しているが、彼が翻訳魔法をかけているので意思疎通に問題はない。しかし、彼は両腕を組んだまま、男を睨まずにはいられなかった。
――本当に器用だな。おまえのほうが本物の〝孫〟のようだぞ。
この世界の概況をつかむのに、実質二日もかからなかった。
驚くべきことに、この国――〝日本〟の各家庭には、俗にテレビと呼ばれる情報提供装置があって、それを視聴しているだけで、この世界のあらゆる情報を収集できてしまうのだ。しかも、基本無料。
彼は夢中になって見続けたが、男はすぐに飽きてしまい、よかったら庭をきれいにしましょうかと老婆に申し出ていた。とにかく、一箇所でじっとしているのが苦手な質なのだ。あれでよく門番など務まっていたものである。やはり仕事だと違うのだろうか。
見かけによらず――と言ったら怒られるかもしれないが、男はかなり器用だ。少なくとも、彼よりは。
老婆から希望を訊き出し、他家の庭を覗き見しただけで、あれほど荒れ果てていた庭を見違えるほど整備してしまった。
だが、実は男が庭をいじる前に、彼が〝ヨシオ〟の設定をいじっていた。
〝ヨシオ〟は老婆の息子である。しかし、すでに故人だった。今から二十年ほど前、大学生のときに事故死していたのだ。
夫に先立たれた後、女手一つで育てた一人息子まで失ってしまった彼女は、一時的に錯乱状態に陥ったものの、何とか一人暮らしができるくらいにまで回復し、今は保険金を切り崩して生活している。だが、彼女が冥府から帰ってきてほしいと思っていたのは、夫ではなく息子のほうだった。
現在、近所づきあいも親戚づきあいもほとんどなくなっているが、二十年前に死んだはずの息子が友人を連れて帰省してきたというのはやはりまずい。そこで、彼は男と協議して、〝ヨシオ〟は老婆の息子ではなく孫ということにした。
つまり、息子の〝ヨシオ〟は二十年前に死亡したが、そのときすでに孫の〝ヨシオ〟は誕生していて、老婆はその孫を引き取って育てていた。
いろいろ無理はあるが――〝ヨシオ〟は学生結婚をしたのかとか、その妻は誰だったのかとか、はたして父親と同じ名前を子供につけてもいいのかとか――息子の幽霊とその友人に居候されているよりはいいだろう。男もそう思ったらしく、彼が老婆の記憶を操作することに関しては、渋々ながら同意した。
そんなわけで、男は今、大学生〝ヨシオ〟の友人――恋人への変更は認めてもらえなかった――として庭仕事に勤しんでいる。
たぶん、暇潰しも兼ねた老婆への恩返しのつもりなのだろう。普段、彼女が食料品などを購入しているという近所の個人商店へも、歩いて〝お使い〟に行ったことがある。もちろん、彼も視察と通訳のために同行した。
このあたりは日本の中では片田舎に該当するようで、そうした地域では、あの乗り物――〝自動車〟がないと、仕事にも買い物にも遊びにもまともに行けないらしい。時間帯もあったのかもしれないが、ここに来たとき驚くほど通行人を見かけなかったのもそのせいだろう。
ちなみに、老婆はどうしても〝自動車〟が必要なときには、電話という通信機器を使って自宅に〝タクシー〟を来させているようである。〝タクシー〟よりも安く済む〝バス〟は片田舎ではろくに走っていないらしい。
日本人は黒髪黒目が一般的だったため、金髪金目の彼が屋外で目立たないようにするには、男以外には〝ヨシオ〟に見えるよう迷彩魔法をかけつづけていなければならなかったが――〝ヨシオ〟の写真は仏壇に飾られていたが、眼鏡をかけた何とも地味な男だった――男は服さえ替えてしまえば、まったく違和感がなかった。完璧に日本人とも言えないが、黙ってさえいれば、日本人だと紹介しても否定はされないだろう。
男自身はこの国に既視感はないらしい。しかし、この国ではなくとも、この世界のどこかから、男は彼のいた世界に呼び寄せられたのではないだろうか。
その根拠の一つが、〝ヨシオ〟の写真と共に仏壇に置かれていたものだ。
それは老婆の亡夫の遺品だったが、それを見て男が彼に耳打ちした。
――これ、俺がじいさんの墓に埋めてやったやつに似てる。
じいさんとは、男を拾った元騎士の老人のことである。気持ちはわからないでもなかったが、呆れたことにこの男は、自分が拾われたときに所持していたそれを、餞別がわりに老人の墓に埋めて王都に来てしまったのだ。
だが、その形状は覚えていて、彼に言われて絵にしたこともある。悔しいことに男には絵心もあった。だから、男に言われるまでもなく、それが似ていることは彼にも一目でわかった。
――銀色のアナログの腕時計。
もしかしたら、他の世界にもこれと同じようなものはあるのかもしれない。しかし、きっとその世界はこの世界とよく似ているはずだ。
長く男と旅してきた。
その過程で様々な情報を男と共有してきたが、実はあえて話していないこともある。
一つ。男は彼の世界にいた何者かの召喚魔法によって、強制的に召喚された。
強制召喚されると必ず記憶を失ってしまうのかどうかまではわからないが――人為的に消された可能性もある――少なくとも、自発的な転移なら記憶喪失にはならない。そのことは彼がいちばんよく知っている。
二つ。男はいわゆる被召喚体質だ。生まれつきなのだろうが、ある種の召喚魔法に特に引っかかりやすい。
事実、彼は男を召喚しようとした召喚魔法を幾度か弾き返したことがある。もちろん、男にはわからないように。
もしかしたら、男は何度もそうやって異世界に召喚されていたのかもしれない。残念ながら、術者は突きとめられなかったが、もし誰かわかったら、二度と男を召喚できないように殺してやろうと思っている。
三つ。強制か非強制かを問わず、異世界転移した者は超人的な力を持ってしまう。
男の外見年齢が変わらないのも、あるいはその力の一端かもしれない。これは鏡を見ればわかることだから、男も自覚はしているようだ。
だが、きっと男は気づいていない。
自分だけでなく、彼もまた異世界に転移したことによって、人間の域を超えてしまったことに。
魔法の素養がない男には、彼の魔法の異常さがわからない。魔法ならそういうこともできるのかと、単純に思いこんでしまっている。
無論、彼も魔法のつもりで自分の力を使っているのだが、もし魔法という縛りをなくしてしまったら、どこまでできてしまうのかわからない。
男とは違い、彼の成長は止まらなかったのも、早く大きくなって男に抱かれたいと願っていたからかもしれない。この先はもう男のように、年はとらなくなるのかもしれない。
たとえば、傀儡魔法は術をかけたい人間と相対しなければかけられないことになっているが、今の彼なら望んだだけで、老婆の関係者の記憶どころか、この世界にある記録自体を書き換えられてしまうかもしれないのだ。
思えば、転移魔法が異世界には転移できないよう制限されていたのもそのせいだったかもしれない。ならば、あの転移魔法を作ったのは異世界転移者だったのだろうか。
しかし、彼はあのとき、男と共に異世界へ転移したことをまったく後悔していない。
男を元の世界に帰すこと。そこで今度こそ凡人として暮らさせること。
それが男を利用しつづけてきた人間の一人として、彼がしなければならなかった唯一の贖罪だった。
『さて、そろそろお茶にしましょうかね』
居間の掛時計をちらりと見て、老婆が濡れ縁からゆっくり立ち上がった。
心なしか、最初に会ったときより背筋が伸びているような気がする。
『危ないから道具だけしまってきてね。義男、あんた見てただけなんだから、片づけくらい一緒にやんなさい』
いや、自分だって見ていただけだろうが。彼はとっさに思ったが、男に目顔で〝逆らうな〟と言われたので、「わかってるよ」とふてくされ気味に答えた。彼はもう日本語で会話できる。覚えようと思ったら覚えていた。
「危ないから手伝わなくていいからな」
老婆が濡れ縁を上がって家の中に戻った後、苦笑いしながら男が言った。
「ただの鋏でも、おまえは器用に怪我しそうだ」
馬鹿にするなと言い返したいところだが、過去に似たようなことがあったので否定もできない。
彼がむすっとしている間に、男は枝切り鋏など〝危ない〟道具を庭の隅にあった物置の中にしまいこみ、両手にはめていた軍手を取りながら歩いてきて、彼の前で立ち止まった。と、彼に左手を差し出す。
「何だ?」
怪訝に思って見上げると、男はにやりと笑った。
「おまえを連れてかなきゃ、お茶が始まらないだろ」
一瞬ぽかんとしてから、こらえきれずに噴き出した。
ああ、好きだ。やっぱり好きだ。
腕組みを解き、右手で男の左手を握る。
好きだから、誰よりも好きだから、たとえ元いた世界ではなかったとしても、この世界で平穏な人生を送らせてやりたい。
そのためになら、この世界も男の記憶もいじる。
そして、そのときには――
自分から、この右手を離そう。
―了―
枝切り鋏を下ろして植木を眺めていた男が、濡れ縁を振り返る。
老婆は彼の左隣に座っていた。初めて会ったときと同じように。
男が今着ている服はもちろん浴衣ではなく、この世界――と言うよりこの国の男の平均的上下、赤いチェック柄のシャツと青いジーンズだ。
その服の本来の持ち主は老婆の亡夫だった。ちなみに、あの浴衣もそうである。
身長の高い男は身長の低い女を好むというのも万世界共通のようで、老婆が処分せずにおいた服を、夫のものだということは忘れさせた上で男に着させた。彼女の中ではあの服は男が持参してきたものだということになっている。
〝ヨシオ〟の服よりも古くさいが、何も着ていないよりはましだろう。いくら男でも冬に裸で外にいたら風邪を引く。たぶん。
『ああ、そんな感じ。本当に器用だねえ。まるで本物の庭師みたいだよ』
老婆が嬉しそうに目を細める。双方とも自分が話せる言語で話しているが、彼が翻訳魔法をかけているので意思疎通に問題はない。しかし、彼は両腕を組んだまま、男を睨まずにはいられなかった。
――本当に器用だな。おまえのほうが本物の〝孫〟のようだぞ。
この世界の概況をつかむのに、実質二日もかからなかった。
驚くべきことに、この国――〝日本〟の各家庭には、俗にテレビと呼ばれる情報提供装置があって、それを視聴しているだけで、この世界のあらゆる情報を収集できてしまうのだ。しかも、基本無料。
彼は夢中になって見続けたが、男はすぐに飽きてしまい、よかったら庭をきれいにしましょうかと老婆に申し出ていた。とにかく、一箇所でじっとしているのが苦手な質なのだ。あれでよく門番など務まっていたものである。やはり仕事だと違うのだろうか。
見かけによらず――と言ったら怒られるかもしれないが、男はかなり器用だ。少なくとも、彼よりは。
老婆から希望を訊き出し、他家の庭を覗き見しただけで、あれほど荒れ果てていた庭を見違えるほど整備してしまった。
だが、実は男が庭をいじる前に、彼が〝ヨシオ〟の設定をいじっていた。
〝ヨシオ〟は老婆の息子である。しかし、すでに故人だった。今から二十年ほど前、大学生のときに事故死していたのだ。
夫に先立たれた後、女手一つで育てた一人息子まで失ってしまった彼女は、一時的に錯乱状態に陥ったものの、何とか一人暮らしができるくらいにまで回復し、今は保険金を切り崩して生活している。だが、彼女が冥府から帰ってきてほしいと思っていたのは、夫ではなく息子のほうだった。
現在、近所づきあいも親戚づきあいもほとんどなくなっているが、二十年前に死んだはずの息子が友人を連れて帰省してきたというのはやはりまずい。そこで、彼は男と協議して、〝ヨシオ〟は老婆の息子ではなく孫ということにした。
つまり、息子の〝ヨシオ〟は二十年前に死亡したが、そのときすでに孫の〝ヨシオ〟は誕生していて、老婆はその孫を引き取って育てていた。
いろいろ無理はあるが――〝ヨシオ〟は学生結婚をしたのかとか、その妻は誰だったのかとか、はたして父親と同じ名前を子供につけてもいいのかとか――息子の幽霊とその友人に居候されているよりはいいだろう。男もそう思ったらしく、彼が老婆の記憶を操作することに関しては、渋々ながら同意した。
そんなわけで、男は今、大学生〝ヨシオ〟の友人――恋人への変更は認めてもらえなかった――として庭仕事に勤しんでいる。
たぶん、暇潰しも兼ねた老婆への恩返しのつもりなのだろう。普段、彼女が食料品などを購入しているという近所の個人商店へも、歩いて〝お使い〟に行ったことがある。もちろん、彼も視察と通訳のために同行した。
このあたりは日本の中では片田舎に該当するようで、そうした地域では、あの乗り物――〝自動車〟がないと、仕事にも買い物にも遊びにもまともに行けないらしい。時間帯もあったのかもしれないが、ここに来たとき驚くほど通行人を見かけなかったのもそのせいだろう。
ちなみに、老婆はどうしても〝自動車〟が必要なときには、電話という通信機器を使って自宅に〝タクシー〟を来させているようである。〝タクシー〟よりも安く済む〝バス〟は片田舎ではろくに走っていないらしい。
日本人は黒髪黒目が一般的だったため、金髪金目の彼が屋外で目立たないようにするには、男以外には〝ヨシオ〟に見えるよう迷彩魔法をかけつづけていなければならなかったが――〝ヨシオ〟の写真は仏壇に飾られていたが、眼鏡をかけた何とも地味な男だった――男は服さえ替えてしまえば、まったく違和感がなかった。完璧に日本人とも言えないが、黙ってさえいれば、日本人だと紹介しても否定はされないだろう。
男自身はこの国に既視感はないらしい。しかし、この国ではなくとも、この世界のどこかから、男は彼のいた世界に呼び寄せられたのではないだろうか。
その根拠の一つが、〝ヨシオ〟の写真と共に仏壇に置かれていたものだ。
それは老婆の亡夫の遺品だったが、それを見て男が彼に耳打ちした。
――これ、俺がじいさんの墓に埋めてやったやつに似てる。
じいさんとは、男を拾った元騎士の老人のことである。気持ちはわからないでもなかったが、呆れたことにこの男は、自分が拾われたときに所持していたそれを、餞別がわりに老人の墓に埋めて王都に来てしまったのだ。
だが、その形状は覚えていて、彼に言われて絵にしたこともある。悔しいことに男には絵心もあった。だから、男に言われるまでもなく、それが似ていることは彼にも一目でわかった。
――銀色のアナログの腕時計。
もしかしたら、他の世界にもこれと同じようなものはあるのかもしれない。しかし、きっとその世界はこの世界とよく似ているはずだ。
長く男と旅してきた。
その過程で様々な情報を男と共有してきたが、実はあえて話していないこともある。
一つ。男は彼の世界にいた何者かの召喚魔法によって、強制的に召喚された。
強制召喚されると必ず記憶を失ってしまうのかどうかまではわからないが――人為的に消された可能性もある――少なくとも、自発的な転移なら記憶喪失にはならない。そのことは彼がいちばんよく知っている。
二つ。男はいわゆる被召喚体質だ。生まれつきなのだろうが、ある種の召喚魔法に特に引っかかりやすい。
事実、彼は男を召喚しようとした召喚魔法を幾度か弾き返したことがある。もちろん、男にはわからないように。
もしかしたら、男は何度もそうやって異世界に召喚されていたのかもしれない。残念ながら、術者は突きとめられなかったが、もし誰かわかったら、二度と男を召喚できないように殺してやろうと思っている。
三つ。強制か非強制かを問わず、異世界転移した者は超人的な力を持ってしまう。
男の外見年齢が変わらないのも、あるいはその力の一端かもしれない。これは鏡を見ればわかることだから、男も自覚はしているようだ。
だが、きっと男は気づいていない。
自分だけでなく、彼もまた異世界に転移したことによって、人間の域を超えてしまったことに。
魔法の素養がない男には、彼の魔法の異常さがわからない。魔法ならそういうこともできるのかと、単純に思いこんでしまっている。
無論、彼も魔法のつもりで自分の力を使っているのだが、もし魔法という縛りをなくしてしまったら、どこまでできてしまうのかわからない。
男とは違い、彼の成長は止まらなかったのも、早く大きくなって男に抱かれたいと願っていたからかもしれない。この先はもう男のように、年はとらなくなるのかもしれない。
たとえば、傀儡魔法は術をかけたい人間と相対しなければかけられないことになっているが、今の彼なら望んだだけで、老婆の関係者の記憶どころか、この世界にある記録自体を書き換えられてしまうかもしれないのだ。
思えば、転移魔法が異世界には転移できないよう制限されていたのもそのせいだったかもしれない。ならば、あの転移魔法を作ったのは異世界転移者だったのだろうか。
しかし、彼はあのとき、男と共に異世界へ転移したことをまったく後悔していない。
男を元の世界に帰すこと。そこで今度こそ凡人として暮らさせること。
それが男を利用しつづけてきた人間の一人として、彼がしなければならなかった唯一の贖罪だった。
『さて、そろそろお茶にしましょうかね』
居間の掛時計をちらりと見て、老婆が濡れ縁からゆっくり立ち上がった。
心なしか、最初に会ったときより背筋が伸びているような気がする。
『危ないから道具だけしまってきてね。義男、あんた見てただけなんだから、片づけくらい一緒にやんなさい』
いや、自分だって見ていただけだろうが。彼はとっさに思ったが、男に目顔で〝逆らうな〟と言われたので、「わかってるよ」とふてくされ気味に答えた。彼はもう日本語で会話できる。覚えようと思ったら覚えていた。
「危ないから手伝わなくていいからな」
老婆が濡れ縁を上がって家の中に戻った後、苦笑いしながら男が言った。
「ただの鋏でも、おまえは器用に怪我しそうだ」
馬鹿にするなと言い返したいところだが、過去に似たようなことがあったので否定もできない。
彼がむすっとしている間に、男は枝切り鋏など〝危ない〟道具を庭の隅にあった物置の中にしまいこみ、両手にはめていた軍手を取りながら歩いてきて、彼の前で立ち止まった。と、彼に左手を差し出す。
「何だ?」
怪訝に思って見上げると、男はにやりと笑った。
「おまえを連れてかなきゃ、お茶が始まらないだろ」
一瞬ぽかんとしてから、こらえきれずに噴き出した。
ああ、好きだ。やっぱり好きだ。
腕組みを解き、右手で男の左手を握る。
好きだから、誰よりも好きだから、たとえ元いた世界ではなかったとしても、この世界で平穏な人生を送らせてやりたい。
そのためになら、この世界も男の記憶もいじる。
そして、そのときには――
自分から、この右手を離そう。
―了―
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