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それはないだろう!
4 ハードルの相違
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加瀬は俺の健康状態を俺より気にかけている。
髪の毛の水分をタオルで取れるだけ取り、加瀬がくれた白いバスローブを着て部屋に戻ると、案の定、ドライヤーを持った加瀬が座卓の前で正座待機していた。
「それほど俺が信用できないか」
ふてくされて言うと、加瀬は真顔で答えた。
「この件に関してはできません。倉川様はきっとまた、生乾きのまま寝てしまいます」
「生乾きでも一応乾いてるんだからいいだろうが。だいたい、髪の毛乾かさないで寝ても風邪は引かないから。外出と疲労とストレス。それが風邪引きの三大原因だ」
「そうですね。でも、今日はその三大原因が見事にそろっていますから、髪は完全に乾かしておきましょう。どうぞお座りください」
加瀬がにこやかに笑って俺の長座布団を叩く。
なぜだろう。真顔のときより圧が強い。俺はおとなしく長座布団の上に座った。
座卓にはすでにいつもの卓上鏡がセットされている。ドライヤーは俺のだが、これは加瀬が買ってきて、この部屋に強引に置いていった。折りたたみ式だから場所は取らないが、ただドライヤーをかけるだけなのに必要だろうかとは毎回思う。
「では、失礼いたします」
いつものように一礼して、加瀬が俺の背後に回り、俺のザンバラ髪に熱風を当てる。
鏡に映る俺の顔は、加瀬やあのチャラ男と比べたら、やはり凡庸である。これといった特徴がないせいか、印象に残りにくい。俺自身、集合写真の中からすぐに自分を見つけ出せない。
前世の俺は、生まれつき白髪だったが、顔はそこそこ整っていたように思う。しいて言うなら、並の上くらいか。しかし、加瀬とチャラ男はあのときも上の上だった。
なぜ加瀬が――というかナイジムが、グラディスではなく俺に好意を寄せてくれたのか、まったくもってわからない。前世の俺に、生まれ変わったら結婚したいとまで思わせるものなどあっただろうか。
「加瀬」
ドライヤーをかけていても口の動きでわかったのか、加瀬は手を止めないまま「はい」と答えた。
「おまえ、婚前交渉はなし派?」
その瞬間、加瀬は金縛りにあったかのように硬直し、ドライヤーの動きも止まった。
「加瀬! 熱い! 焦げる焦げる!」
俺があわてて叫ぶと、加瀬は我に返ったようにドライヤーを離し、スイッチも切った。
「申し訳ありません! 火傷はなさっていませんか?」
眉尻を下げた加瀬が、俺の頭を撫でながら脇から覗きこんでくる。
たぶん、火傷はしていないし、髪も焦げてはいないと思うが、加瀬らしからぬミスだ。それほど意表を突かれたということか。
「大丈夫。大丈夫だから、俺の質問には答えろ。おまえは婚前交渉はなし派か?」
「あの……なぜ急にそのようなことを?」
もうドライヤーをかける余裕もなくなったのか、加瀬はドライヤーを片づけながら困惑したような顔をした。
「いや、やろうと思えばいつでもやれるのに、挨拶みたいなキスしかしてこないから。もしかしたら、そっち派なのかと」
「それは派閥ではなく、あなたがお館様だからです。後で悔いることがないよう、きちんとした手順を踏んで、お館様とは結婚したいからです」
表情には出ていないが、相当動揺しているのだろう。膝枕のとき以外は避けている、お館様呼びをナチュラルにしている。
「手順ねえ……婚前交渉なしはきちんとした手順なのか?」
別に冷やかすつもりもなく、単純にそう思ったから訊いたまでだったが、加瀬はしばらく黙考してから、生真面目に答えた。
「では、婚約したらありということで。明日、婚約指輪を買いにいきましょう」
「いや待て。ちょっと待て」
俺はあせって加瀬の腕をつかんだ。
「婚約したらありって、それ、どこのルールだ?」
「私のルールですが、よく考えてみれば、〝結婚を前提に付き合う〟とは〝婚約する〟とほぼ同義ですね。これは盲点でした。気づかせてくださってありがとうございます」
「だから、ちょっと待てって! 俺はそんなつもりで言ったわけじゃ……!」
「では、どんなつもりで?」
至近距離で無表情で見すえられて、俺は思わず絶句した。
「私以外にあのようなことは訊ねられないとは思いますが、誘っていると見なされても抗弁はできませんよ、お……倉川様」
「誘ってるって……ただ、どうしてだろうって思ったから……」
へどもどしながら言い訳すると、加瀬はふっと口元をゆるめて、俺の頭に手を置いた。
「わかっております。倉川様はそういう方だと。しかし、今世の私はあまり自制心は強くないのです。風呂上がりの倉川様の髪を乾かすのも、実はほとんど苦行です」
「だったら、やらなきゃいいのに……」
「それ以上に触れたいんです。前世では触れたくても触れられなかったから」
その言葉を裏づけるように、加瀬は俺の髪をいじりだしたが、ブラシの代わりに自分の指で梳いているようにも思える。それとも、これもそんなふりをしているだけなんだろうか。
「なあ、加瀬」
「はい」
「今だけナイジムとして答えてくれ。――おまえ、〝お館様〟のどこがそんなによかったんだ? あのときも、厄介事から逃げることしか考えていなかった平凡な男だったのに」
俺にこんなことを問われるとは思ってもみなかったのか、加瀬は手を止めて目を見張った。だが、すぐに苦く笑って、今度は俺の頬に指を滑らせた。
「アルヴィス様。お言葉を返すようですが、平凡な人間などというものは、どこの世界にも存在しません。よく似た人間はいても、まったく同じ人間は一人としていないのです」
「それはまあ、そうだろうけど……」
「昔も今も、私にはあなただけが〝唯一〟です。だから、あなたによく似た人間ではなく、あなたの生まれ変わりを捜しつづけました。姿形が変わったとあなたはおっしゃるかもしれませんが、本質は変わっていらっしゃいません。あなたは結局、厄介事からは逃げなかった。前世では病に倒れるまで領主の職をまっとうし、今世では私を無視せず受け止めてくれた。……あえてどこがと言うなら、そんなところです。でも、俺はあなたの何もかもが好きですよ。このまま押し倒して〝婚前交渉〟したいくらい」
ナイジムとして答えてくれと言ったのに、最後は加瀬に戻ってしまった。
俺の記憶が確かなら、ナイジムはこれほど饒舌な男ではなかった。
転生を重ねてこうなったのか。それとも、もともとこうだったが、俺の前ではあえて必要最小限にしか話さないようにしていたのか。
それは俺にはわからないが、瞳に欲情を滲ませて、俺に〝婚前交渉〟したいと言う馬鹿な男は、後にも先にもこの男一人だけだろう。
「うーん……じゃあ、入れなきゃいいよ」
悩んだ末にそう言うと、加瀬は虚を突かれたような顔をした。
「は?」
「いや、だからその……穴に棒を入れなきゃいい。そこまではセーフということにしといてやる」
俺としてはこれ以上ないくらい譲歩したつもりだったのに、なぜか加瀬は俺の両肩をつかんでうなだれた。
「倉川様の口から、そんな卑俗な言葉は聞きたくなかった……!」
「失敬な。これでも婉曲に表現したのに」
「そうですね。婉曲かつ的確ですね」
「何だ不満か? だったら直球で言ってやろうか? 俺のケツの穴におまえのチ――」
「それ以上は! それ以上はどうか!」
加瀬は血相を変えると、俺の口を右手で塞いだ。
加瀬にとって、やはり俺は〝お館様〟なのだろう。その〝お館様〟だって、まったく聖人君子ではなかったのだが、それを言ったら久方ぶりに泣かせてしまいそうだ。
それにしても、なぜ口を塞ぐのに手を使ったのか。今が口にキスする絶好のチャンスだったのに。俺は加瀬の口の下で笑いながら、バスローブの裾を広げた。
そのことに気づいた加瀬が、真顔でごくりと喉を鳴らす。
いつもなら、トランクスだけは穿いているのだが、今日はたまたま風呂場に持っていくのを忘れてしまったのだ。したがって、バスローブの下はフル――いや、素っ裸だった。
加瀬は俺の髪を乾かしたら自分の部屋に帰るので、そうしたらこっそり穿くつもりだった。断じて、最初からこうしようと思っていたわけではない。
だから、内股にもあそこにも何も塗っていない。このままでは滑らないだろうから、何か潤滑剤になりそうなものを――と言いたかったのだが、加瀬は俺の口を塞いだまま、無言で俺を押し倒した。
いかん。酔っ払いみたいに目が据わっている。俺は調子に乗って、押してはならないスイッチを押してしまったようだ。
「加瀬! 入れるのはなし! 絶対になしだからな!」
加瀬がようやく右手を離した瞬間にそう叫んだが、聞こえているのかいないのか、返事どころか一瞥もしない。倒されたせいで全開になってしまった俺の股間を食い入るように見つめている。
それも恥ずかしいが、自分が少し反応してしまっているのがいちばん恥ずかしい。
今まであれほど熱烈に口説かれたことがなかったから、それだけで興奮してしまった。
「加瀬……何か、油っぽいの塗って……」
とにかく早く終わらせてほしい。そんな願いをこめて言いかけたが、加瀬は俺を見ないまま、強い口調で遮った。
「いりません」
え? と思ったときには加瀬は俺のものをつかみ、何の躊躇もなくパクリと口の中に入れていた。
「ええ?」
いやおまえ、それはないだろう。
確かに、入れるなとは言ったが、そこに入れてもいいとも言っていないぞ。
しかし、時々うっかり見とれてしまうほど美形な男に口で奉仕されているというのは、絵的に破壊力がある。
おまけに、いつどこで習得したのか、舌使いも指使いも絶妙だった。とてもやめてくれとは言えない。俺はあっというまに完勃ちして、気づけば腰まで振っていた。
加瀬はと言えば、器用なことに、俺のをあやしながら、自分のズボンの中のものも扱いていた。ものすごく窮屈そうだが、解放されたら大変なことになりそうだ。今回だけはそこに留まっていてもらおう。
「加瀬……も、出る……!」
だから離れろと言いたかったのに、何を考えたか、逆に加瀬は深く俺をくわえこんだ。反射的に加瀬の頭をつかんだが、もう決壊寸前だった俺はこらえきれず、加瀬の口の中にぶちまけてしまった。
加瀬には本当に申し訳ないが、熱くて狭いところに射出するのは震えるほど気持ちがいい。思わず加瀬の頭に爪を立てると、前後に揺れていた加瀬の体が止まった。
加瀬もイったらしい。だが、加瀬は俺が吐き出したものを全部飲み下したばかりか、搾乳機のように吸引しだした。
「加瀬! いいから! もういいから!」
快感の余韻が醒めてくると、とたんに今の状況が恥ずかしくなってくる。
遠慮なしに加瀬の頭をバンバン叩けば、加瀬はようやく口を離し、さすがに荒い息遣いをして上半身を起こした。
「おまえ……なんてことするんだよ……」
しかし、ただ横たわって喘いでいただけの俺は、心臓がバクバクして身動きが取れない。
加瀬ははっと我に返ったような顔をすると、すっかりはだけきってしまった俺のバスローブをあわてて直した。
え、そっち? おまえの優先順位、そっち?
「入れてはいけないと言われましたので……」
近くにあったティッシュボックスのティッシュで口元を拭ってから、加瀬は取り澄まして答えた。
多少汗は浮いているが、ほとんどもう平常状態だ。腕力もあって体力もあるなんて、同じ男として憎たらしいにもほどがある。
「だからって、いきなりフェラはないだろ……順番、飛ばしすぎだろ……」
〝フェラ〟で少し眉をひそめたが、自分がしたことだから今度は何も言えないと思ったのか、加瀬はそれには触れずに首をかしげた。
「何を飛ばしましたでしょうか?」
「それ、本気で言ってんのか? ――キスだよキス! マウス・トゥ・マウス! 普通、フェラよりそっちが先だろ!」
「あ……」
どうやら本気で言っていたようだ。たちまち加瀬は赤くなり、ざっと後ろに下がって土下座した。
「申し訳ございません! それはハードルが高すぎて!」
「フェラよりキスのほうがハードル高いって、おまえのハードルの順番、いったいどうなってるんだよ!」
「いえ、その……それは私にとっては〝婚前交渉〟にあたりますので……」
俺が二の句を継げられずにいると、加瀬はそろそろと顔を上げ、俺の様子を窺った。
何というか、飼い主に叱られてしゅんとしている大型犬のようだ。実は犬派の俺は、加瀬のこういうところにも弱い。
どうしてフェラが〝婚前交渉〟ではなく、口にするキスが〝婚前交渉〟なのか。俺にはまったく理解不能だが、こいつにとってはそうなのだ。そうなんだからしょうがない。
それに、今の加瀬に口にキスされるのも、俺にはハードルが高すぎる。飲ませといて何だが、自分のアレと間接キスはしたくない。
「わかった。わかったから、シャワー浴びてこいよ。――パンツ濡れてて、気持ち悪いだろ?」
そんなわけで、表向きは先輩と後輩のまま、加瀬とは婚約して付き合うことになった。
しかし、その翌朝、グラディスが俺の部屋に突撃してきて、婚約指輪を買いにいくどころではなくなるのだが、それはまた別の話である。
―了―
髪の毛の水分をタオルで取れるだけ取り、加瀬がくれた白いバスローブを着て部屋に戻ると、案の定、ドライヤーを持った加瀬が座卓の前で正座待機していた。
「それほど俺が信用できないか」
ふてくされて言うと、加瀬は真顔で答えた。
「この件に関してはできません。倉川様はきっとまた、生乾きのまま寝てしまいます」
「生乾きでも一応乾いてるんだからいいだろうが。だいたい、髪の毛乾かさないで寝ても風邪は引かないから。外出と疲労とストレス。それが風邪引きの三大原因だ」
「そうですね。でも、今日はその三大原因が見事にそろっていますから、髪は完全に乾かしておきましょう。どうぞお座りください」
加瀬がにこやかに笑って俺の長座布団を叩く。
なぜだろう。真顔のときより圧が強い。俺はおとなしく長座布団の上に座った。
座卓にはすでにいつもの卓上鏡がセットされている。ドライヤーは俺のだが、これは加瀬が買ってきて、この部屋に強引に置いていった。折りたたみ式だから場所は取らないが、ただドライヤーをかけるだけなのに必要だろうかとは毎回思う。
「では、失礼いたします」
いつものように一礼して、加瀬が俺の背後に回り、俺のザンバラ髪に熱風を当てる。
鏡に映る俺の顔は、加瀬やあのチャラ男と比べたら、やはり凡庸である。これといった特徴がないせいか、印象に残りにくい。俺自身、集合写真の中からすぐに自分を見つけ出せない。
前世の俺は、生まれつき白髪だったが、顔はそこそこ整っていたように思う。しいて言うなら、並の上くらいか。しかし、加瀬とチャラ男はあのときも上の上だった。
なぜ加瀬が――というかナイジムが、グラディスではなく俺に好意を寄せてくれたのか、まったくもってわからない。前世の俺に、生まれ変わったら結婚したいとまで思わせるものなどあっただろうか。
「加瀬」
ドライヤーをかけていても口の動きでわかったのか、加瀬は手を止めないまま「はい」と答えた。
「おまえ、婚前交渉はなし派?」
その瞬間、加瀬は金縛りにあったかのように硬直し、ドライヤーの動きも止まった。
「加瀬! 熱い! 焦げる焦げる!」
俺があわてて叫ぶと、加瀬は我に返ったようにドライヤーを離し、スイッチも切った。
「申し訳ありません! 火傷はなさっていませんか?」
眉尻を下げた加瀬が、俺の頭を撫でながら脇から覗きこんでくる。
たぶん、火傷はしていないし、髪も焦げてはいないと思うが、加瀬らしからぬミスだ。それほど意表を突かれたということか。
「大丈夫。大丈夫だから、俺の質問には答えろ。おまえは婚前交渉はなし派か?」
「あの……なぜ急にそのようなことを?」
もうドライヤーをかける余裕もなくなったのか、加瀬はドライヤーを片づけながら困惑したような顔をした。
「いや、やろうと思えばいつでもやれるのに、挨拶みたいなキスしかしてこないから。もしかしたら、そっち派なのかと」
「それは派閥ではなく、あなたがお館様だからです。後で悔いることがないよう、きちんとした手順を踏んで、お館様とは結婚したいからです」
表情には出ていないが、相当動揺しているのだろう。膝枕のとき以外は避けている、お館様呼びをナチュラルにしている。
「手順ねえ……婚前交渉なしはきちんとした手順なのか?」
別に冷やかすつもりもなく、単純にそう思ったから訊いたまでだったが、加瀬はしばらく黙考してから、生真面目に答えた。
「では、婚約したらありということで。明日、婚約指輪を買いにいきましょう」
「いや待て。ちょっと待て」
俺はあせって加瀬の腕をつかんだ。
「婚約したらありって、それ、どこのルールだ?」
「私のルールですが、よく考えてみれば、〝結婚を前提に付き合う〟とは〝婚約する〟とほぼ同義ですね。これは盲点でした。気づかせてくださってありがとうございます」
「だから、ちょっと待てって! 俺はそんなつもりで言ったわけじゃ……!」
「では、どんなつもりで?」
至近距離で無表情で見すえられて、俺は思わず絶句した。
「私以外にあのようなことは訊ねられないとは思いますが、誘っていると見なされても抗弁はできませんよ、お……倉川様」
「誘ってるって……ただ、どうしてだろうって思ったから……」
へどもどしながら言い訳すると、加瀬はふっと口元をゆるめて、俺の頭に手を置いた。
「わかっております。倉川様はそういう方だと。しかし、今世の私はあまり自制心は強くないのです。風呂上がりの倉川様の髪を乾かすのも、実はほとんど苦行です」
「だったら、やらなきゃいいのに……」
「それ以上に触れたいんです。前世では触れたくても触れられなかったから」
その言葉を裏づけるように、加瀬は俺の髪をいじりだしたが、ブラシの代わりに自分の指で梳いているようにも思える。それとも、これもそんなふりをしているだけなんだろうか。
「なあ、加瀬」
「はい」
「今だけナイジムとして答えてくれ。――おまえ、〝お館様〟のどこがそんなによかったんだ? あのときも、厄介事から逃げることしか考えていなかった平凡な男だったのに」
俺にこんなことを問われるとは思ってもみなかったのか、加瀬は手を止めて目を見張った。だが、すぐに苦く笑って、今度は俺の頬に指を滑らせた。
「アルヴィス様。お言葉を返すようですが、平凡な人間などというものは、どこの世界にも存在しません。よく似た人間はいても、まったく同じ人間は一人としていないのです」
「それはまあ、そうだろうけど……」
「昔も今も、私にはあなただけが〝唯一〟です。だから、あなたによく似た人間ではなく、あなたの生まれ変わりを捜しつづけました。姿形が変わったとあなたはおっしゃるかもしれませんが、本質は変わっていらっしゃいません。あなたは結局、厄介事からは逃げなかった。前世では病に倒れるまで領主の職をまっとうし、今世では私を無視せず受け止めてくれた。……あえてどこがと言うなら、そんなところです。でも、俺はあなたの何もかもが好きですよ。このまま押し倒して〝婚前交渉〟したいくらい」
ナイジムとして答えてくれと言ったのに、最後は加瀬に戻ってしまった。
俺の記憶が確かなら、ナイジムはこれほど饒舌な男ではなかった。
転生を重ねてこうなったのか。それとも、もともとこうだったが、俺の前ではあえて必要最小限にしか話さないようにしていたのか。
それは俺にはわからないが、瞳に欲情を滲ませて、俺に〝婚前交渉〟したいと言う馬鹿な男は、後にも先にもこの男一人だけだろう。
「うーん……じゃあ、入れなきゃいいよ」
悩んだ末にそう言うと、加瀬は虚を突かれたような顔をした。
「は?」
「いや、だからその……穴に棒を入れなきゃいい。そこまではセーフということにしといてやる」
俺としてはこれ以上ないくらい譲歩したつもりだったのに、なぜか加瀬は俺の両肩をつかんでうなだれた。
「倉川様の口から、そんな卑俗な言葉は聞きたくなかった……!」
「失敬な。これでも婉曲に表現したのに」
「そうですね。婉曲かつ的確ですね」
「何だ不満か? だったら直球で言ってやろうか? 俺のケツの穴におまえのチ――」
「それ以上は! それ以上はどうか!」
加瀬は血相を変えると、俺の口を右手で塞いだ。
加瀬にとって、やはり俺は〝お館様〟なのだろう。その〝お館様〟だって、まったく聖人君子ではなかったのだが、それを言ったら久方ぶりに泣かせてしまいそうだ。
それにしても、なぜ口を塞ぐのに手を使ったのか。今が口にキスする絶好のチャンスだったのに。俺は加瀬の口の下で笑いながら、バスローブの裾を広げた。
そのことに気づいた加瀬が、真顔でごくりと喉を鳴らす。
いつもなら、トランクスだけは穿いているのだが、今日はたまたま風呂場に持っていくのを忘れてしまったのだ。したがって、バスローブの下はフル――いや、素っ裸だった。
加瀬は俺の髪を乾かしたら自分の部屋に帰るので、そうしたらこっそり穿くつもりだった。断じて、最初からこうしようと思っていたわけではない。
だから、内股にもあそこにも何も塗っていない。このままでは滑らないだろうから、何か潤滑剤になりそうなものを――と言いたかったのだが、加瀬は俺の口を塞いだまま、無言で俺を押し倒した。
いかん。酔っ払いみたいに目が据わっている。俺は調子に乗って、押してはならないスイッチを押してしまったようだ。
「加瀬! 入れるのはなし! 絶対になしだからな!」
加瀬がようやく右手を離した瞬間にそう叫んだが、聞こえているのかいないのか、返事どころか一瞥もしない。倒されたせいで全開になってしまった俺の股間を食い入るように見つめている。
それも恥ずかしいが、自分が少し反応してしまっているのがいちばん恥ずかしい。
今まであれほど熱烈に口説かれたことがなかったから、それだけで興奮してしまった。
「加瀬……何か、油っぽいの塗って……」
とにかく早く終わらせてほしい。そんな願いをこめて言いかけたが、加瀬は俺を見ないまま、強い口調で遮った。
「いりません」
え? と思ったときには加瀬は俺のものをつかみ、何の躊躇もなくパクリと口の中に入れていた。
「ええ?」
いやおまえ、それはないだろう。
確かに、入れるなとは言ったが、そこに入れてもいいとも言っていないぞ。
しかし、時々うっかり見とれてしまうほど美形な男に口で奉仕されているというのは、絵的に破壊力がある。
おまけに、いつどこで習得したのか、舌使いも指使いも絶妙だった。とてもやめてくれとは言えない。俺はあっというまに完勃ちして、気づけば腰まで振っていた。
加瀬はと言えば、器用なことに、俺のをあやしながら、自分のズボンの中のものも扱いていた。ものすごく窮屈そうだが、解放されたら大変なことになりそうだ。今回だけはそこに留まっていてもらおう。
「加瀬……も、出る……!」
だから離れろと言いたかったのに、何を考えたか、逆に加瀬は深く俺をくわえこんだ。反射的に加瀬の頭をつかんだが、もう決壊寸前だった俺はこらえきれず、加瀬の口の中にぶちまけてしまった。
加瀬には本当に申し訳ないが、熱くて狭いところに射出するのは震えるほど気持ちがいい。思わず加瀬の頭に爪を立てると、前後に揺れていた加瀬の体が止まった。
加瀬もイったらしい。だが、加瀬は俺が吐き出したものを全部飲み下したばかりか、搾乳機のように吸引しだした。
「加瀬! いいから! もういいから!」
快感の余韻が醒めてくると、とたんに今の状況が恥ずかしくなってくる。
遠慮なしに加瀬の頭をバンバン叩けば、加瀬はようやく口を離し、さすがに荒い息遣いをして上半身を起こした。
「おまえ……なんてことするんだよ……」
しかし、ただ横たわって喘いでいただけの俺は、心臓がバクバクして身動きが取れない。
加瀬ははっと我に返ったような顔をすると、すっかりはだけきってしまった俺のバスローブをあわてて直した。
え、そっち? おまえの優先順位、そっち?
「入れてはいけないと言われましたので……」
近くにあったティッシュボックスのティッシュで口元を拭ってから、加瀬は取り澄まして答えた。
多少汗は浮いているが、ほとんどもう平常状態だ。腕力もあって体力もあるなんて、同じ男として憎たらしいにもほどがある。
「だからって、いきなりフェラはないだろ……順番、飛ばしすぎだろ……」
〝フェラ〟で少し眉をひそめたが、自分がしたことだから今度は何も言えないと思ったのか、加瀬はそれには触れずに首をかしげた。
「何を飛ばしましたでしょうか?」
「それ、本気で言ってんのか? ――キスだよキス! マウス・トゥ・マウス! 普通、フェラよりそっちが先だろ!」
「あ……」
どうやら本気で言っていたようだ。たちまち加瀬は赤くなり、ざっと後ろに下がって土下座した。
「申し訳ございません! それはハードルが高すぎて!」
「フェラよりキスのほうがハードル高いって、おまえのハードルの順番、いったいどうなってるんだよ!」
「いえ、その……それは私にとっては〝婚前交渉〟にあたりますので……」
俺が二の句を継げられずにいると、加瀬はそろそろと顔を上げ、俺の様子を窺った。
何というか、飼い主に叱られてしゅんとしている大型犬のようだ。実は犬派の俺は、加瀬のこういうところにも弱い。
どうしてフェラが〝婚前交渉〟ではなく、口にするキスが〝婚前交渉〟なのか。俺にはまったく理解不能だが、こいつにとってはそうなのだ。そうなんだからしょうがない。
それに、今の加瀬に口にキスされるのも、俺にはハードルが高すぎる。飲ませといて何だが、自分のアレと間接キスはしたくない。
「わかった。わかったから、シャワー浴びてこいよ。――パンツ濡れてて、気持ち悪いだろ?」
そんなわけで、表向きは先輩と後輩のまま、加瀬とは婚約して付き合うことになった。
しかし、その翌朝、グラディスが俺の部屋に突撃してきて、婚約指輪を買いにいくどころではなくなるのだが、それはまた別の話である。
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