【完結】悪魔の方舟【R18】

有喜多亜里

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愛の方舟

5 後悔と故障と努力

 ただ、星を見たかっただけなのに、どうしてこんなことになってしまったのだろう。
 前方に広がっている星の海を眺めながら、ウィルはまた深い溜め息をついた。
 ウィルの背後には、白い壁――コンクリートに白いコーティング剤を吹きつけたような壁がある。ウィルはそこに背中をつけ、黒い金属製の床の上で膝を抱えて座っていた。
 星を見るなら、展望ラウンジもあった。だが、今回そちらには行かなかったのは、単にこちらのほうが食堂から近かったからだ。軍艦の最後尾にあるこの絶好のビューポイントをウィルに教えてくれたのは、今は亡い仕事仲間の一人だった。
 デッキのようなこの場所は、危険区域であると同時に立入禁止区域ともなっていたが、一人で星を見たくなったとき、ウィルはこっそり何度か侵入していた。もちろん、レオも一緒に。
 だからだろう。乗組員が自分一人になってしまってからは、一度もここを訪れていなかった。
 あれから人間は一人増えたが、ウィルは別に一人になりたかったわけではない。
 ただ本当に、星を見たかっただけだった。


 この軍艦の設計者たちはいったい何を意図していたのか、誰も入れないはずのこの場所に、まるで水族館の巨大水槽のようなガラス――もちろん耐宙性だが――をはめこませ、そこから外を望めるようにしていた。
 不可解だが、ウィルにとっては好都合な設計だった。ここは展望ラウンジよりも可視範囲が広いのだ。
 久しぶりに目にした宇宙空間はやはり圧倒的だった。少し肌寒いこともあり、しっかりレオを抱きしめたまま、ウィルは座るのも忘れて窓の外を眺めていた。
 と、レオが大きな耳を動かして、ウィルの後ろを見ようとした。
 キツネネコの聴覚は人間以上に優れている。何かあるのかとウィルも振り返ったとき、高い天井から白い壁が静かな唸りをあげて下りてきているのが目に入った。
 その壁が何なのかはウィルにはわからなかった。ただ、このままではここに閉じこめられてしまうと一瞬でわかった。
 あわてて壁に向かって走ったが、ウィルの予想以上に壁の下りる速度のほうが速かった。壁の手前まで来たときには、もう床から三十センチメートルほどの隙間しか残されていなかった。
 ウィルは体を屈めると、その隙間からレオを放り投げるようにして壁の外へと逃がした。レオはすぐに起き上がって中へ戻ろうとしたが、それを両手で押し留めた。

「駄目だ! レオ、行って! エドを呼んできて!」

 その間にも壁は容赦なく下がりつづける。ウィルは床に頬をつけて叫んだ。

「エドなら絶対何とかしてくれる! だから早く!」

 隙間から見えたレオは、呆然と立ちすくんでいるように見えた。が、小さな体を翻して走り出した。直後、壁はここと外界とを完全に遮断した。

(何だ、この壁……隔壁? どうして急に下りてきたんだ?)

 無論、これまで一度もこんなことは起こっていない。ウィルにこの場所を教えてくれた男も、こういうことが起こるかもしれないと忠告はしてくれなかった。

(けっこう厚さあったよな。一メートル以上はありそうだった。俺が蹴ったくらいじゃ、穴なんか開きそうもないな)

 そう思いつつも、立ち上がって壁を蹴ってみたが、逆に足を痛めただけだった。

(問題は、この壁にどれだけ密閉力があるかだな。空気の流れも完全に遮断できるとしたら、マジでやばい)

 とにかく、空気は浪費しないほうがいい。
 最終的に、ウィルは壁を背にして、床に座りこんだのだった。

(レオ……俺の言ったこと、わかってくれたかな)

 たぶん、わかってくれたとは思う。が、レオはエドを嫌っているから、わかってくれたとしても、呼んできてくれないかもしれない。
 それでも、MACを凍結してしまった今、ウィルが頼れるのはもうレオとエドだけなのだ。

(こんなことになるんなら、明日の朝、デザート食べるなんて言わなきゃよかった)

 ここに来たことよりも、それをウィルは激しく後悔していた。
 ――この軍艦には、明日という日が来なかった人間が、二九九人もいたというのに。
 ウィルは膝を引き寄せると、そこに顔を埋めて目を閉じた。

 * * *

 全速力で走るレオの後を追いかけるのは、脚力自慢のエドでもさすがに骨が折れた。
 しかし、このキツネネコはやはり賢かった。時々足を止め、エドがちゃんと自分についてきているかどうか確認しながら走っていた。
 だが、MACから得た図面で、今ウィルがどこにいるか、どういう状況に陥っているかはほぼ予測はついていた。

【おそらく、軍艦ふねの最後尾にいて、隔壁の外側に閉じこめられたんだ】
「なぜ、そんなところに?」
【それはウィルに訊いてみないとわからないが、たぶん、星を見ようとしたんじゃないか? どういうわけだかあそこには、外を見られる大きな窓がある。ウィルはエデンの次に展望ラウンジを気に入ってたからな】
「それなら、展望ラウンジに行けばいいだろうに」
【あそこは食堂からだと遠いだろ。ウィルのことだから、きっと横着したのさ。しかしまた、厄介なところに潜りこんでくれたもんだな。あんたの支配圏外だから立入禁止にされてたってのに。隔壁の開閉は、あんたの意志ではできないのか?】
「駄目だ。完全に切り離されている。つながっていたなら作動したとき、すぐにわかったはずだ」
【そうだった。あそこは外から衝撃を受けると、自動的に隔壁が下りる仕組みになってたんだった。でも、そんな衝撃なんて受けてないよな。誤作動か?】
「その可能性が非常に高い。支配圏内は遠隔ロボットでメンテナンスを行っていたが、立入禁止区域内は、ウィル一人になってからは、いっさい行われていない」
【ますます厄介。でも、そんなときのために、近くに開閉装置があるはず……よし、あるな】

 立入禁止区域内の通路は、所々に非常灯が点されていたので、薄暗かったが走るのに支障はなかった。
 やがて、レオの前方に灰色の壁のようなものが現れた。近づくにつれてそれは白さを増し、レオが立ち止まったときには、巨大な白壁となっていた。
 レオは壁のすぐ前に立つと、キューキュー鳴きながら右足で壁を引っかいた。

「わかったわかった。この中にウィルがいるんだな。いま開けてやるから待ってろ」

 隔壁の開閉装置のある場所は図面ですでに把握していた。エドは通路の右側の壁にあるその装置の蓋を剥ぎとるような勢いで開けると、「上昇」のボタンを手のひらで押した。
 しかし、何度押してみても――ためしに「下降」のボタンを押してみても――隔壁はぴくりとも動かなかった。

【まさか、こいつも故障してるのか? ……おい、ちょっと待てよ。この隔壁は、万が一穴が開いたとき、応急処置的に艦内の空気の流出を防ぐためのものだよな? MAC、この壁の向こう側で、ウィルはあとどれくらい、普通に呼吸しつづけていられる?】
「あくまで概算だが、約二十四時間」
【丸一日か。時間的には余裕はあるが、その間、飲まず食わず出さずはきついだろ。全員の幸福のために、一刻も早くウィルをここから出すぞ。何とか、この壁の一部だけでも壊すことはできないか?】
「最悪の場合には、船体がわりになるよう作られた壁だ。ここ全体を吹き飛ばすほどの爆薬を仕掛けなければ壊せない」
【俺の声で冷静に言いやがって。そもそもMAC、この軍艦ふねの中であんたが支配できない場所があるってこと自体、おかしくないか?】
「そのように設計されてしまったのだから仕方あるまい。だが、根幹部分はすべて私に委ねきっていたのだから、浅はかとしか言いようがないな」
【設計したのは俺じゃあないが、そのとおりすぎて、返す言葉もねえよ。……あんたがこの壁を動かすことができないってことは、この壁の点検や修理は、人間が直接やってたってことだよな? その記録はあんたの中に残ってるか? あったら俺に見せてくれ】
「あるにはあるが、大したことは記載されていない。故障したことは一度もないとされている」
【……確かに。何の参考にもなりゃしねえ。じゃあ、点検マニュアルみたいなものは?】
「私の中にはない。おそらく、担当者が所有して、どこかに保管していたのだろう」
【畜生。今から部屋中を探し回るくらいなら、別の方法を考えたほうが早いな。ほんとは開閉装置を修理して壁を上げたかったんだが、残念ながら俺は配電工じゃないんでね、どこをどういじればいいものやら、さっぱりわからん】

 苛々しながら、ふとエドは足元に目をやった。
 レオが壁のすぐ下の床を掘ろうと、むなしい努力をしていた。
 だが、むなしくても、とにかく行動しているこのキツネネコのほうが、ただ手をこまねいているしかない自分たちより、はるかに尊敬に値する。
 エドは床に細かい爪跡をつけることしかできずにいるレオを凝視した。

【MAC。確か、この下は整備工場になってたな。そこにある機械なら、遠隔操作できるか?】
「できる。そこは私の支配圏内だ」
【よし、ならその前に、俺のイメージどおりの結果になるか、シミュレーションしてみてくれ。もし可能なら、一度実験してみてから決行する】

 にやりとエドは笑うと、爪先で床を蹴った。
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