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Jitoh-26:当為タイ!(あるいは、モテモテのモティーヴォ/デレ辞す点さ)
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よお、と、何気なくさりげなく声を投げかけることが出来た、と思いたい。不意打ちにも程がある邂逅に、降って湧いた幸運と思うことは、流石に無理だったわけだが。
俺の姿を認め、きゅ、と笑みを深くしたエビノ氏は、音を立てずに車椅子を滑らせるとすぐ側まで来てくれる。
十五分くらいお迎えが遅れるらしくて、と、その月光を反射しているのか艶めく唇からはそんな聞いてもいねえ言い訳のような言葉が珍しく紡がれてくる。おぉ、と俺の方もさも納得したかのような曖昧な相槌を返すしかねえが。一瞬沈黙が暗闇を深くしたように思えた。
「明日だね。頑張ろうね」
と、鬱蒼樹林以外何も無いと思われる辺りの暗がりに目をやったままのエビノ氏が、天使の微笑みを湛えたまま、そんな言葉で俺の鼓膜を優しくくすぐってくる。柔らかい笑みで俺を少し見上げながら。……俺には信じられなかった。
この可憐さが、果敢なさの上に乗ったものだっつうことを。
「頑張れ」じゃなく「頑張ろう」と言ってくれたことが、今までも陰ながら支えてくれた天使らしい言葉に思えて、それはそれで嬉しかったのだが。……が、その首元とか、Tシャツの半袖からすらと伸びる腕がここ何週間かで確実に細く、というか「薄く」なっていっていることを、こんな月明りの中だからなおさら長く伸びる影のせいで、より分かってしまうわけで。
「……」
気の利いたことが、こういう時はまるっきり出てこないしょうもない俺がいる。と、
「ゴカセさんも珍しく気合い入ってた。最近はずっとナカイくんジトーくんの事ばっか喋ってたし」
天使の言葉が、天上の音楽のように奏でられるのを、下天の俺はただ阿呆のように聞き入ることしか出来なかった。
「ていうか……私にどうしても手術と投薬治療受けさせたいみたいなんだなー、自分がまずやれば? って言ったけど、それでキミが受ける気になるならいくらでもやるが、オレはそれほど自信が無いって、なにそれ」
何かを吐き出そうとしているんだか、呑み込もうとしているんだか、まったく分からなかった。あるいは同時にそれらをやってのけているのかも知れねえが。
何をどう喋ったらいいのか、喋ったらいけねえのかも分からないまま、俺はただ引き込まれるようにして、車椅子の上でリズムを取るように上半身を揺らし始めた天使の白くぼんやりとした影のような姿を視界に入れて佇む。周りの木々の奏でる音は、ずっと耳に入れているうちに意識できなくなり、ホワイトノイズに包まれた静寂みたいな空間が、ねっとりと生温かくなってきた夜の湿った空気と共に、俺と天使の周りだけを囲っているように思えた。
――私たちの寿命は三十年だ。だがそれを覆すことの出来る治療法の可能性が示唆された。そいつを、一日も早く、ヒナコに受けさせたい。カネが足りるかは分からないが、少しは足しになるはず。それよりも何よりも、治療を受けられるヴィンタートゥールに早く、連れていきたいんだ。
鉄腕の野郎は、いつかの俺の質問に、そんな答えを返しやがった。スイスの都市だと。そこに求める医療施設があるんだと。
勢いづいて、てめえの身体が鍛え上がるのを楽しんでいた俺はバカみてえだ。
「あのバカは、知ってんのか?」
何とか喉奥からそんな言葉を吐き出せた俺だったが、天使は諸々察してくれたようだ。体の振りを止めないまま、滑らかに言葉を紡ぎ続ける。
「……今日も告白されちゃった。『そこのお嬢さん、私とセックスなどいかがかね?』だって。『身体の具合が悪いから今日もダメ』って、そう、答えたけど」
あの野郎もあの野郎なりに気でも遣っていやがんのか。それとも本当に何も考えていやがらねえのか。どちらにしろ、天使がそのことをネタに笑ってくれてんだったらどっちでもいい気がした。風が強まってきて、天使の亜麻色の、いまは月明りで銀色に光沢のある緑が混ざったかのような髪を揺らし乱す。
「ナカイくんのことも、聞かせてよ。もし優勝したら、ひとり頭『一千万円』? なんか現実感のあるお金」
自分と国富を頭数に入れてねえようだが、二人のサポートがなけりゃあ到底ここまで続けてこられなかったぜ? きっちり五等分にするに決まってんだろうが。それプラス熨斗もつけてやる。それにいくら貰おうと貰わなかろうと、俺も行くところは既に決めているんだ。
「スイスたぁ奇遇だが、俺はその近場のベルギーに飛ぶぜ。しかも大都市ブリュッセル。こう毎日どぎつい自然に囲まれてるとどうとも鬱屈しちまうしな。歴史ある都で俺は面白おかしく優雅に暮らすぜ」
まあ出たのはまたそんなガタガタな言葉群ではあったが。案の定、すっとぼけ顔の天使に、ふーんふーん奇遇だねー、義肢装具の最先端国なんて奇遇だねー、とか鼻で歌われてしまった。そして、
「私の夢も、聞いてくれる?」
そう小首をかしげて可愛らしく聞かれたら、断れるヒト科のオスはいねえと分かっていつつのその仕草。四六時中一緒にいて分かったが、天使は割と度し難い。
「……フルマラソン、三時間切り」
だがそう悪戯っぽく突き出された唇から出たのは意外な「夢」。そして俺の思考を先回りしたのか、軽く首を振るとまた笑みを深くして来る。
「車椅子じゃなくて、自分の『脚』で。なんか憧れてるんだよね……そういう全身運動」
微妙な顔に、俺はなっていないだろうか。天使の膝下辺りに目線を落としていないだろうか。だがそんな俺の様子など当たり前のように気にせずに、夜空に撒き散らし馴染ませるようにして、涼やかな声が俺の鼓膜やら横隔膜やら、身体のありとあらゆる膜を震わせてくる。
「いつか、私の義肢を作ってくださいな、そこの装具士志望さん」
風が強い。
「十年はかかるぜ? ちゃんと待っててくれるんだろうな?」
J の奴の感情をどうのこうのは言えねえな。俺も今、喜怒哀楽のどれを表面に出したらいいか分からねえ。きっと奇妙な顔面をしてることだろう。
が、天使のわざとらしい満面の笑みの頷きに、瞼の奥の瞳の光だけがしっとりと濡れていることが見えてしまった俺は、百キロ走ってもガタの来ねえのを二本、耳揃えて用意してやる、と歯の隙間から言葉を何とか絞り出す。
「……約束だよ?」
いいやこいつは俺の使命だ。人生を賭して遂行すべき類いのものだ。俺の方は顔面がわやくちゃになってるんで大概なツラだが、それでも深く頷いて見せる。そして少しはマシなところを見せろ。
「……そこのお嬢さん、私とダンスなどいかがかね?」
ふわ、と天使の顔に微笑が浮かんだ。どうよ、一瞬で相手のつくりもの笑顔を素の奴にすり替えちまえられるがヤれる男のテクニックだよ、チェリーJくん。悪戯っぽく繰り出された「よろこんで」の返事の途中で、俺はその軽いしなやかな肢体を素早くかっさらうように抱き上げる。そのまま回転に持ち込んでの、チークダンスへの流れ。俺は完璧だ。天使の思ってたより熱い左掌が俺の右肩に預けられる。至近距離に潤んでいるように見える黒い大きな瞳……が、
刹那、だった……
「……」
思わずうわぁああッ、と声が出そうになった。屋上に出るガラス扉の向こうに貼り付くように、いや実際貼り付いていたが、こちらの様子をがらんどうの真顔で窺っていたのは、残るチームメンバーが三人、JKGの御三方であったのであった……
ガラスと同化するように固まっている男衆ふたりを尻目に、能面のような顔をした姉さんは殊更にフラットな感じでガラス扉を押し開けてくる。と、
「明日も準備やなんやで早いんやさかい、お戯れもほどほどにして早よ帰るのやで」
エセさの増した上方口調の国富は本当に怖ろしいのであって、よって車椅子に優しく降ろした途中ですぐさま飛び降りるようにして俺の腕の中からするりと抜けた天使は、はいですっ、ととてもいい返事をすると俺の前から振り返りもせず脱兎の如く去っていったのであった……ともかく、
明日だぜ!! 頑張ろうぜ!!
俺の姿を認め、きゅ、と笑みを深くしたエビノ氏は、音を立てずに車椅子を滑らせるとすぐ側まで来てくれる。
十五分くらいお迎えが遅れるらしくて、と、その月光を反射しているのか艶めく唇からはそんな聞いてもいねえ言い訳のような言葉が珍しく紡がれてくる。おぉ、と俺の方もさも納得したかのような曖昧な相槌を返すしかねえが。一瞬沈黙が暗闇を深くしたように思えた。
「明日だね。頑張ろうね」
と、鬱蒼樹林以外何も無いと思われる辺りの暗がりに目をやったままのエビノ氏が、天使の微笑みを湛えたまま、そんな言葉で俺の鼓膜を優しくくすぐってくる。柔らかい笑みで俺を少し見上げながら。……俺には信じられなかった。
この可憐さが、果敢なさの上に乗ったものだっつうことを。
「頑張れ」じゃなく「頑張ろう」と言ってくれたことが、今までも陰ながら支えてくれた天使らしい言葉に思えて、それはそれで嬉しかったのだが。……が、その首元とか、Tシャツの半袖からすらと伸びる腕がここ何週間かで確実に細く、というか「薄く」なっていっていることを、こんな月明りの中だからなおさら長く伸びる影のせいで、より分かってしまうわけで。
「……」
気の利いたことが、こういう時はまるっきり出てこないしょうもない俺がいる。と、
「ゴカセさんも珍しく気合い入ってた。最近はずっとナカイくんジトーくんの事ばっか喋ってたし」
天使の言葉が、天上の音楽のように奏でられるのを、下天の俺はただ阿呆のように聞き入ることしか出来なかった。
「ていうか……私にどうしても手術と投薬治療受けさせたいみたいなんだなー、自分がまずやれば? って言ったけど、それでキミが受ける気になるならいくらでもやるが、オレはそれほど自信が無いって、なにそれ」
何かを吐き出そうとしているんだか、呑み込もうとしているんだか、まったく分からなかった。あるいは同時にそれらをやってのけているのかも知れねえが。
何をどう喋ったらいいのか、喋ったらいけねえのかも分からないまま、俺はただ引き込まれるようにして、車椅子の上でリズムを取るように上半身を揺らし始めた天使の白くぼんやりとした影のような姿を視界に入れて佇む。周りの木々の奏でる音は、ずっと耳に入れているうちに意識できなくなり、ホワイトノイズに包まれた静寂みたいな空間が、ねっとりと生温かくなってきた夜の湿った空気と共に、俺と天使の周りだけを囲っているように思えた。
――私たちの寿命は三十年だ。だがそれを覆すことの出来る治療法の可能性が示唆された。そいつを、一日も早く、ヒナコに受けさせたい。カネが足りるかは分からないが、少しは足しになるはず。それよりも何よりも、治療を受けられるヴィンタートゥールに早く、連れていきたいんだ。
鉄腕の野郎は、いつかの俺の質問に、そんな答えを返しやがった。スイスの都市だと。そこに求める医療施設があるんだと。
勢いづいて、てめえの身体が鍛え上がるのを楽しんでいた俺はバカみてえだ。
「あのバカは、知ってんのか?」
何とか喉奥からそんな言葉を吐き出せた俺だったが、天使は諸々察してくれたようだ。体の振りを止めないまま、滑らかに言葉を紡ぎ続ける。
「……今日も告白されちゃった。『そこのお嬢さん、私とセックスなどいかがかね?』だって。『身体の具合が悪いから今日もダメ』って、そう、答えたけど」
あの野郎もあの野郎なりに気でも遣っていやがんのか。それとも本当に何も考えていやがらねえのか。どちらにしろ、天使がそのことをネタに笑ってくれてんだったらどっちでもいい気がした。風が強まってきて、天使の亜麻色の、いまは月明りで銀色に光沢のある緑が混ざったかのような髪を揺らし乱す。
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「私の夢も、聞いてくれる?」
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「……フルマラソン、三時間切り」
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微妙な顔に、俺はなっていないだろうか。天使の膝下辺りに目線を落としていないだろうか。だがそんな俺の様子など当たり前のように気にせずに、夜空に撒き散らし馴染ませるようにして、涼やかな声が俺の鼓膜やら横隔膜やら、身体のありとあらゆる膜を震わせてくる。
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風が強い。
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J の奴の感情をどうのこうのは言えねえな。俺も今、喜怒哀楽のどれを表面に出したらいいか分からねえ。きっと奇妙な顔面をしてることだろう。
が、天使のわざとらしい満面の笑みの頷きに、瞼の奥の瞳の光だけがしっとりと濡れていることが見えてしまった俺は、百キロ走ってもガタの来ねえのを二本、耳揃えて用意してやる、と歯の隙間から言葉を何とか絞り出す。
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刹那、だった……
「……」
思わずうわぁああッ、と声が出そうになった。屋上に出るガラス扉の向こうに貼り付くように、いや実際貼り付いていたが、こちらの様子をがらんどうの真顔で窺っていたのは、残るチームメンバーが三人、JKGの御三方であったのであった……
ガラスと同化するように固まっている男衆ふたりを尻目に、能面のような顔をした姉さんは殊更にフラットな感じでガラス扉を押し開けてくる。と、
「明日も準備やなんやで早いんやさかい、お戯れもほどほどにして早よ帰るのやで」
エセさの増した上方口調の国富は本当に怖ろしいのであって、よって車椅子に優しく降ろした途中ですぐさま飛び降りるようにして俺の腕の中からするりと抜けた天使は、はいですっ、ととてもいい返事をすると俺の前から振り返りもせず脱兎の如く去っていったのであった……ともかく、
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