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7.追想のカメレオン
⑤
「森也、あんた最近調子悪いんじゃない?」
土曜日の練習終わり。
凛歌が責めるような口調を俺に向けた。それが、蓮のためであることは容易に想像できた。
「俺の調子が悪いんじゃなくて、あいつの調子が良すぎるんだろ」
「蓮の球を捕りこぼすことが多くなったのは、森也の努力不足じゃないの?」
「……あんな天才にいつまでもついていける訳ねえだろ。
蓮のヤツ、最近一気に背伸びて筋肉もついてさ。
お前、正面からあいつの球見たことあるか? 逃げずにミット構えるだけで精いっぱいなんだよ」
そう言うと、凛歌は俺を睨んだ。
「なに弱気なこと言ってるの」
「うるさいな。俺みたいなチビが、あいつの相方っていうのが土台おかしいんだよ」
投げやりになっている自覚はあった。
俺がミスをすると、吉井くんたちはいつも嬉しそうに笑う。明らかに行き詰まっている俺の様子に、彼らが喜ぶのはとても苦しかった。
野球も学校も、何もかもがストレスだった。
全部、蓮が原因なんじゃないか、と。他人のせいにしたくなる気持ちを抑えるだけの毎日だ。
だけど、他校の凛歌にクラスの事情を分かって欲しいとは思わなかった。だから、その件に関しては何も話さなかった。
地区大会を1週間後に控えたある日のことだった。前回ベスト4に入ったこともあってか、監督はかなり張り切っていた(とは言え、ほとんど蓮ひとりの力で勝ち上がったも同然だった)。
ミットを構えると、たかが練習だと言うのに緊張で喉が渇いた。腹の底が痺れるような恐怖。
蓮が振りかぶると、目を瞑ってしまいたくなる。ミットで顔を覆いたくなる。
蓮の投げる球は、ものすごい威力を持って、俺に襲い掛かってきた。キャッチャーマスクなんて、その球の前では何の意味も無いのではないかと思えた。
「梶、いい加減にしろ」
捕り損ねたのは、その日で5回目だった。監督の冷たい声が落とされる。その奥で、吉井くんのニヤニヤと笑う顔が見えた。
「すみません……」
「このままだと、お前のせいで試合は負ける」
目の前が、暗くなった。
監督の表情。それは、忌々しげに俺を責めたてる。
「おれのせいで……?」
そんな風に思われていたことに、初めて気付いた。
待てよ。じゃあ、俺以外に蓮の球を捕れる奴、このチームにいるのかよ。
俺は別にやりたくてキャッチャーをやっている訳じゃない。
そんな、まるで。
……まるで、俺が足を引っ張っているみたいに。
ぷつん、と、何かが切れた。
「じゃあ、やめます」
「は?」
「だから、もう俺、やめますって……」
監督の顔が歪んだ。
見下されている。そう思った。
怒られてへそを曲げた、面倒くさいガキ。彼の目に俺は、そんな風に映っているんだ。
悔しかった。何とかして困らせてやりたかった。
マスクとミットを外して、放り投げる。
「よく考えたら、必死になってこんなことする意味なんか無いじゃん。なに俺、我慢してたんだろ」
「おい、梶。どういうつもりだ」
「何回言わせんだよ。やめるっつってんの。試合とか興味ねえし」
何を怯えていたんだか。どうでもいいじゃん。こんなところ。
監督が「ふざけんな!」と叫ぶ。
うるさい奴だな。怒鳴れば良いと思っているなんて、馬鹿じゃないのか。
グラウンドを後にする俺を、蓮が追いかけてくる。
「森也、待てよ、森也! お前がやめたら、俺、どうすればいいんだよ!」
よく言う。
「俺じゃ力不足だろ。大体、お前は俺を買い被りすぎだよ」
不安そうに瞳を揺らす蓮。悪気が無いことは、知ってる。
だけどお前は、俺に押し付けすぎたんだ。
ふ、と息を漏らした。
「ごめん、蓮。じゃあな。また、学校で」
蓮を責める言葉は出てこなかった。それは彼を思いやったからではなく、この期に及んで俺に勇気が無かったからだ。
――こうして俺は、野球をやめた。
あっけない終わりだった。
結果として、地区大会は2回戦敗退に終わった。
それを聞いたとき、「ざまあみろ」と思った。なにが「お前のせい」だ。
俺が抜けた途端このザマじゃないか。
気分が良かった。
それなのに、少しだけ涙が出た。理由は考えなかった。
その日の体育は、体育館で大縄跳び大会に向けた練習だった。
いつまで経ってもタイミングを掴めない生徒を相手に、湯原 清子は露骨に苛立っていた。
「縄にぶつかりに行っているようにしか見えないんだけど。わざとなの?」
「……いいえ」
「は?」
「……いいえ」
今にも泣きそうになる生徒を眺めながら、湯原は舌打ちする。
「あなた、周り見えてる? できてないの、クラスで1人だけなのよ? 恥ずかしいと思わないのかしら。私には理解できないわ」
理解する気もないくせに。地面を眺めながら、心の中で悪態をつく。
きっと、こいつには劣等生の気持ちがわからないのだろう。
「このままだとね。あなたのせいで、大縄跳び大会はボロボロよ」
……一瞬、頭の中が真っ白になった。
土曜日の練習終わり。
凛歌が責めるような口調を俺に向けた。それが、蓮のためであることは容易に想像できた。
「俺の調子が悪いんじゃなくて、あいつの調子が良すぎるんだろ」
「蓮の球を捕りこぼすことが多くなったのは、森也の努力不足じゃないの?」
「……あんな天才にいつまでもついていける訳ねえだろ。
蓮のヤツ、最近一気に背伸びて筋肉もついてさ。
お前、正面からあいつの球見たことあるか? 逃げずにミット構えるだけで精いっぱいなんだよ」
そう言うと、凛歌は俺を睨んだ。
「なに弱気なこと言ってるの」
「うるさいな。俺みたいなチビが、あいつの相方っていうのが土台おかしいんだよ」
投げやりになっている自覚はあった。
俺がミスをすると、吉井くんたちはいつも嬉しそうに笑う。明らかに行き詰まっている俺の様子に、彼らが喜ぶのはとても苦しかった。
野球も学校も、何もかもがストレスだった。
全部、蓮が原因なんじゃないか、と。他人のせいにしたくなる気持ちを抑えるだけの毎日だ。
だけど、他校の凛歌にクラスの事情を分かって欲しいとは思わなかった。だから、その件に関しては何も話さなかった。
地区大会を1週間後に控えたある日のことだった。前回ベスト4に入ったこともあってか、監督はかなり張り切っていた(とは言え、ほとんど蓮ひとりの力で勝ち上がったも同然だった)。
ミットを構えると、たかが練習だと言うのに緊張で喉が渇いた。腹の底が痺れるような恐怖。
蓮が振りかぶると、目を瞑ってしまいたくなる。ミットで顔を覆いたくなる。
蓮の投げる球は、ものすごい威力を持って、俺に襲い掛かってきた。キャッチャーマスクなんて、その球の前では何の意味も無いのではないかと思えた。
「梶、いい加減にしろ」
捕り損ねたのは、その日で5回目だった。監督の冷たい声が落とされる。その奥で、吉井くんのニヤニヤと笑う顔が見えた。
「すみません……」
「このままだと、お前のせいで試合は負ける」
目の前が、暗くなった。
監督の表情。それは、忌々しげに俺を責めたてる。
「おれのせいで……?」
そんな風に思われていたことに、初めて気付いた。
待てよ。じゃあ、俺以外に蓮の球を捕れる奴、このチームにいるのかよ。
俺は別にやりたくてキャッチャーをやっている訳じゃない。
そんな、まるで。
……まるで、俺が足を引っ張っているみたいに。
ぷつん、と、何かが切れた。
「じゃあ、やめます」
「は?」
「だから、もう俺、やめますって……」
監督の顔が歪んだ。
見下されている。そう思った。
怒られてへそを曲げた、面倒くさいガキ。彼の目に俺は、そんな風に映っているんだ。
悔しかった。何とかして困らせてやりたかった。
マスクとミットを外して、放り投げる。
「よく考えたら、必死になってこんなことする意味なんか無いじゃん。なに俺、我慢してたんだろ」
「おい、梶。どういうつもりだ」
「何回言わせんだよ。やめるっつってんの。試合とか興味ねえし」
何を怯えていたんだか。どうでもいいじゃん。こんなところ。
監督が「ふざけんな!」と叫ぶ。
うるさい奴だな。怒鳴れば良いと思っているなんて、馬鹿じゃないのか。
グラウンドを後にする俺を、蓮が追いかけてくる。
「森也、待てよ、森也! お前がやめたら、俺、どうすればいいんだよ!」
よく言う。
「俺じゃ力不足だろ。大体、お前は俺を買い被りすぎだよ」
不安そうに瞳を揺らす蓮。悪気が無いことは、知ってる。
だけどお前は、俺に押し付けすぎたんだ。
ふ、と息を漏らした。
「ごめん、蓮。じゃあな。また、学校で」
蓮を責める言葉は出てこなかった。それは彼を思いやったからではなく、この期に及んで俺に勇気が無かったからだ。
――こうして俺は、野球をやめた。
あっけない終わりだった。
結果として、地区大会は2回戦敗退に終わった。
それを聞いたとき、「ざまあみろ」と思った。なにが「お前のせい」だ。
俺が抜けた途端このザマじゃないか。
気分が良かった。
それなのに、少しだけ涙が出た。理由は考えなかった。
その日の体育は、体育館で大縄跳び大会に向けた練習だった。
いつまで経ってもタイミングを掴めない生徒を相手に、湯原 清子は露骨に苛立っていた。
「縄にぶつかりに行っているようにしか見えないんだけど。わざとなの?」
「……いいえ」
「は?」
「……いいえ」
今にも泣きそうになる生徒を眺めながら、湯原は舌打ちする。
「あなた、周り見えてる? できてないの、クラスで1人だけなのよ? 恥ずかしいと思わないのかしら。私には理解できないわ」
理解する気もないくせに。地面を眺めながら、心の中で悪態をつく。
きっと、こいつには劣等生の気持ちがわからないのだろう。
「このままだとね。あなたのせいで、大縄跳び大会はボロボロよ」
……一瞬、頭の中が真っ白になった。
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