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第1章 等価の地獄(エコノミック・ヘル)~国家を売却した令嬢は、瓦礫の山に金の雨を降らせる~
第1話 無能な王子に売却価格を提示したら、本物の怪物が現れました
しおりを挟む白金の光が降り注ぐ王宮の大広間。豪奢なシャンデリアの下、着飾った貴族たちが作り出す喧騒は、その男の一言で氷結した。
「アストライア・フォン・オズワルド! 貴様との婚約を、今この瞬間をもって破棄する!」
声を張り上げたのは、第一王子アドニス・カスティエロ。その傍らには、震える小動物のような仕草で彼に縋りつく伯爵令嬢の姿がある。
私は、手にしていた扇をゆっくりと閉じた。予定通り。むしろ、この茶番を終わらせる合図を待ちわびていたほどだ。
「……承知いたしました、アドニス殿下。謹んでお受けいたしますわ」
私の即答に、広間はざわめきを通り越し、奇妙な困惑に包まれた。絶望の悲鳴か、あるいは身の潔白を訴える涙を期待していたアドニスは、拍子抜けしたように目を見開いた。
「な……っ、何を平然としている! 貴様、清らかな彼女を虐げた罪を、悔い改める言葉はないのか!」
私は冷ややかに彼を一瞥した。
(顔だけは最高級の美術品なのだけれど。中身がこうも空洞では、もはや資産価値は無に等しいわね)
それが、彼に向けた私の最後の評価だった。
「ありません。では、どうぞお幸せに。私の『管理責任』も、これにて終了ですわ」
優雅なカーテシーを一回。それだけで、私は踵を返した。
「待ちなさい、アストライア!」
玉座から悲鳴に近い声が上がった。国王と王妃が青ざめた顔で立ち上がっている。
「行かせてはならん! そなたがいなくなれば、この国の政務は……!」
「もう他人でございますので、ご心配には及びません。殿下には、新たな“お守りすべき方”がおいでですから」
完璧な社交用の微笑みを浮かべた、その時だった。重厚な扉が、重々しい地響きを立てて開かれた。
「失礼する。あまりに景気の良い場面に出くわしたようだ」
現れたのは、漆黒の外套に身を包んだ一団。先頭を歩く男の、冷徹なまでの美貌。大陸最強を誇るイグナーツ皇国の皇太子───ヴァレリアン・イグナーツ。
「ヴ、ヴァレリアン殿下!? なぜ我が国の夜会に……!」
狼狽するアドニスを無視し、ヴァレリアンは私の前で足を止めた。彼は周囲の視線など存在しないかのように、私の腰を引き寄せ、まるで自分の所有印を確かめるように首筋へ鼻先を寄せた。
「アストライア。……準備はできているか? 君をこの腐った檻から買い戻す準備は、十一年前から終わっている」
「ええ。この国の財政、軍備、物流。すべてこの中に」
私が懐から取り出したのは、鈍く光る青い魔法結晶。この国の心臓そのものだ。
「───ああ、もう。芝居はここまでにしましょうか。無能な男に抱かれるのは、生理的な嫌悪感が限界でしたよ」
アドニスの腕の中にいた令嬢が、低い男の声で笑った。彼女───否、彼は、カツラを乱暴に剥ぎ取ると、ドレスを脱ぎ捨てた。現れたのは、中性的で妖艶な美貌を持つ皇国の諜報官シリル・ヴァニエ。
「ご機嫌よう、愚かなアドニス殿下。貴方を『再起不能』なまでに煽るのが、最後のお仕事でした」
シリルはアドニスの手を汚物のように振り払うと、私の足元に静かに跪いた。そして、恍惚とした表情で私の靴先に唇を寄せる。
「お見事です、アストライア様。……さあ、世界で最も美しい『売却』を完遂しましょう。どうか僕を、あなたの最も鋭利な『壊れるまで使い潰せる道具』としてお連れください」
私はヴァレリアンに向き直り、魔法結晶を差し出した。受け取りながら、ヴァレリアンが私に問うてくる。
「条件は?」
「私を、あなたの隣で『経営者』として雇うこと。……決して、飾り人形として閉じ込めないこと」
「契約成立だ。だが、経営者としての君を、俺という唯一の出資者が独占すること……それだけは譲歩してもらうぞ」
ヴァレリアンが結晶を受け取った瞬間、カスティエロ王家は事実上、崩壊した。
「アストライア! 待て! 行かないでくれ!」
腰を抜かしたアドニスが、這いつくばって私のドレスの裾に縋りつこうとする。私はその指を───。容赦なく、そして正確に、ヒールで踏みつけた。
「殿下。真実の愛の象徴だった『彼女』は、実は私に壊されることを悦びとする男でした。……そんなに男性がお好きなら、彼以上にあなたを徹底的に『教育』してくれる殿方を紹介いたしましょうか?」
それが、決別だった。アストライアを左右から隠すようにガードする、ヴァレリアンとシリル。ヴァレリアンは彼女を奪われまいと強く抱き寄せ、シリルは彼女の影に寄り添い、邪魔な者へ殺意に満ちた視線を送る。
馬車は走る。崩壊する王国を背に。彼女を「金庫に閉じ込めたい男」と、彼女の「踏み台になりたい男」。異常な愛を抱えた二人の怪物を従え、アストライアは真に世界を経営する地へと、優雅に旅立った。
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