少女たちの地獄(カレイドスコープ)~価値なしと言われた令嬢たち~

宮野夏樹

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第3章 静止の地獄(スタティック・ヘル)~熱を捨てた令嬢は、燃え盛る火の中で眠りにつく~

第4話 凪の終わり無の始まり

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 その朝、島で一人の住人が息を引き取った。老衰でも、凄惨な事故でもない。ただ、砂時計の砂が最後の一粒まで落ち切った───ただ、それだけの、極めて簡潔な事象だった。リヴィア・フォン・レナートは、その知らせを聞いても、睫毛一本さえ動かさなかった。寝椅子から緩慢に身を起こし、色褪せた外套を羽織る。霧の濃い浜辺へ向かう彼女の足取りは、急ぐことも、惜しむことも、悲しむこともない。死は、この島においては事件ではなく、ただの「完了」だった。



 葬列は、驚くほど静かだった。泣き叫ぶ親族もいなければ、功績を讃える弔辞もない。神官が紡ぐ都合のいい祈りさえ、霧の中に霧散している。誰かがその死に「意味」を与えようとする傲慢な気配は、最初からこの島には存在しない。

 簡素な布に包まれた遺体を、数人の「大人になれなかった」者たちが担ぎ、霧の海へ向かう。その足取りは、神聖な儀式というよりは、日々の家事をこなすような淡々としたものだった。カイルとフェリクスは、その最後尾を歩いていた。

 カイルは、波間に消えていく遺体を見つめながら、ふと思う。───これは、純粋な処理だ。かつて彼が扱ってきた死には、常に理由が付随していた。国家の損失、戦略の失敗、数字としてのマイナス。だが今、目の前にある死には、理由がない。ただ、そこに在ったものが、無に還る。そのあまりの簡潔さに、彼は脳を焼かれるような、甘美な高揚を覚えた。

 フェリクスもまた、胸の奥が静かに震えるのを感じていた。それはかつて喝采を浴びた時の興奮とは対極にある、絶対的な解放だった。誰にも歌われず、語られず、演出されず、ただ波の音に溶けていく。その「徹底した非演出」こそが、装飾に疲れ果てた彼の五感を、初めて真の休息へと導いたのだ。

 カイルとフェリクスは、自分たちの中にある「かつての自分」───アストライアに縛られた監査官と、セレスティーヌに飼われた音楽家───が、遺体と共に冷たい海へと流れていくのを感じていた。埋葬は、完璧に完了した。



 その頃だった。島を包囲し、昨日まで傲慢な「正義」と「利権」を突きつけていた皇国と聖教国の軍船が、次々と霧の中で悲鳴を上げ始めた。砲撃の音はない。警告の信号もない。

 ただ、複雑な潮流と、浅瀬と、意志を持たない霧。巨大な船体は、戦う機会すら与えられぬまま、ゆっくりと、無様に座礁していく。世界を支配しようとしたパワーが、ただの物理法則に敗北していく。高台からその光景を眺める三人の前に、奇妙な事実が突きつけられた。座礁した船からは、誰一人として脱出してこなかったのだ。カイルが望遠鏡を覗き込み、愕然とした声を出す。

「……無人だ。誰も、乗っていない」

 豪奢な装飾、最新の重砲、国家の威信。それらはすべて、空っぽのまま波に洗われていた。最初から、彼らが恐れていた「国家の意志」など存在しなかったのか。あるいは、レナート島の虚無に触れ、上陸する前に全員が霧に溶けてしまったのか。フェリクスが、乾いた笑いを漏らす。

「演出過多な船だけが、中身を失って打ち捨てられた。……皮肉な幕引きですね」

 リヴィアは、何も言わない。いつも通り、その光景を透過させている。彼女にとって、最新鋭の軍艦も、浜に打ち上げられた鯨の死体も、処理の優先順位は変わらない。



 その日の午後。三人は小舟を出し、座礁船へと向かった。それは略奪ではなく、調査でもない。ただ、「落ちているものを拾う」という、野生の生存に根ざした動作だった。頑丈な木箱、上質な保存食、燃えやすい布、鋭利な工具。リヴィアは、国家の紋章が刻まれた物資を、何の感慨もなく運び出していく。

「リヴィア様。これらは……彼らの誇りであったはずのものですが」

 カイルの問いに、リヴィアは足を止めずに答えた。

「無駄にはしないわ。そこにあるから、使うだけ」

 生存に、大義名分はいらない。意味を求めず、ただ「在る」ことを受け入れる。拾われた物資は、レナート島の「停滞」を維持するための燃料となり、特別な価値を与えられることなく静かに消費されていく。



 夕暮れ。三人は、いつもの寝椅子がある場所に戻っていた。カイルは、拾った高級なオイルで、いつものように石を磨いている。フェリクスは、無人の船から見つけてきた絹の布で、音にならない弦を拭っている。

 リヴィアは、深く目を閉じている。眠っているのか、起きているのか、あるいは生きているのかさえ、もはや重要ではない。霧の向こうで、世界がどんな熱狂に燃え上がろうと、この島だけは冷え切った凪のままだ。アストライアが求めた「正解」も、セレスティーヌが築いた「幸福」も、ここではただの雑音に過ぎない。

 凪は終わった。そして、完全なる無が始まった。それは破壊ではなく、すべての色が混ざり合って白へと還る、究極の完成だった。三人は、何も求めないまま、すべてを手放した。その結果として、彼らは世界で誰よりも、残酷に、そして静かに自由だった。霧は、今日も島を覆っている。優しく、冷たく、等しく。
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