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第二部:暗殺者ノクス
第二章:ホワイト・ガーデンの子守唄
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どこまでも広がる白い花畑と青い空。
ここは死後の世界だとぼんやりノクスは思った。両親を殺した夜に思い描いた死への連想。その通りの風景がここにはあった。
だが、繰り一つない完璧な世界にのほほんと居座る厄介者がいる。
ノクスはまだ警戒を解かずにそっとマナトの背後から忍び寄った。
「ノクス、だよね?」
「影縫いの歩法」で近づいたはずが難なく存在を見抜かれた。ノクスは驚いてふいに逃げ出そうとした。怖い。怖い。こわい。正体の分からぬ恐怖に突き動かされてその場を立ち去ろうとした、その時。
「ねぇ、少し話そうよ」
その手を掴んだマナトがふんわりと笑った。邪気のない素朴な笑み。
「……馬鹿か、お前は」
脱力してノクスはその場に座り込んだ。どの世界に暗殺者を引き留めるターゲットがいるのか。マナトは笑ったまま、目の前の鍋を掻きまわしている。ふわりと漂う馥郁とした香りにノクスの腹が空転と鳴った。
「おなか、減ってるでしょ。顔に書いてある」
「阿呆め。俺が感情を外に出すなど……」
「うん、だから、感情じゃなくって本能ね。寝ること、空腹、あとは……その、うん、まぁ最後のは良いかな」
妙に照れた様子のマナトを呆れた眼差しでノクスは眺める。
(──こいつには危機管理能力というものがないのか!? あの女、こいつを野放しにしてよいと思ってるのか?)
手を引かれるままにしょうがなく鍋の前に腰を下ろした。鍋からはやはり嗅いだことのない良い香りがした。
「まずはね、お腹をいっぱいにした方が良い。君、ガリガリだもん」
「余計なお世話だね。俺はこの身体で何人も人を──」
「はい、ストップ! ストップすとーっぷ!」
マナトが耳を塞ぎあーあー言う。仕方なくノクスが黙り込むとぽつりとマナトが呟いた。
「人を殺しちゃった過去はさ、もうどうしようもないけど……もうしなくて良いならしない方が良いよ。人をね、害すると、その人の業まで背負わなくちゃいけない。そんな気がするんだ」
マナトがその白い手を、ノクスの痩せた腕にそっと置いた。その瞬間、ノクスの皮膚の下でドロリと蠢いていた黒魔導の呪印が、陽光に晒された雪のように、静かに、だが確実に輪郭を失っていく。
「……っ!? 貴様、俺の『業』に、何をした……」
「何もしてないよ。ただ、ちょっとお掃除しただけ。そんな重い荷物を背負ったままじゃ、美味しいスープの味も分からなくなっちゃうからね」
「それがどうしたって? 業でも恨みでも全部食い尽くしてやるさ」
「そこだよ! ね、そんなものでお腹をいっぱいにするなんてもったいないと思わない? 君のお腹はペコペコだ。どうせならさ、スープでも飲んでごらんよ」
そういって差し出された白磁のスープ皿には肉塊がゴロゴロ入った根菜の黄金スープがなみなみと注がれていた。
「これを、喰えば帰してもらえるのか」
「そうだね」
うふふ、と嬉しそうにマナトが笑う。
「良いぜ。毒を食らわば皿までだ。飲んでやらぁ」
ノクスはスプーンも使わずに一気にスープを飲み干した。
その瞬間、口の中に豊かな味とマナトの丹精込めた真心までが流れ込んできた。肉は柔らかくほろりと崩れる。対して根菜はシャキシャキと良いアクセントだ。
貪るようにノクスはスープを搔き込んだ。身体が飢えていたことが今はっきりとわかる。幼いころにさえ感じなかった温かさ。誰にでも向けられるマナトの慈愛と包容。
気づけばノクスは静かに泣いていた。あふれる涙を止めることができない。なぜ、泣いているのか。悲しいのか辛いのか、それとも嬉しいのか。それさえわからずに最後は嗚咽しながらスープ皿を置いた。
「うん、お疲れ様」
「……?」
涙で濡れた黒い瞳で振り仰げばマナトが優しく微笑んでいた。
「今はゆっくりお眠り」
ぷつんっと糸が切れたようにノクスはマナトの腕の中に倒れ込んだ。抗い難い急激な眠りは気絶に似ていた。そして子守唄を小さく歌うマナトの声。ノクスは生まれて初めて何をも恐れぬ眠りの中にダイブした。
「おやすみ」
ここは死後の世界だとぼんやりノクスは思った。両親を殺した夜に思い描いた死への連想。その通りの風景がここにはあった。
だが、繰り一つない完璧な世界にのほほんと居座る厄介者がいる。
ノクスはまだ警戒を解かずにそっとマナトの背後から忍び寄った。
「ノクス、だよね?」
「影縫いの歩法」で近づいたはずが難なく存在を見抜かれた。ノクスは驚いてふいに逃げ出そうとした。怖い。怖い。こわい。正体の分からぬ恐怖に突き動かされてその場を立ち去ろうとした、その時。
「ねぇ、少し話そうよ」
その手を掴んだマナトがふんわりと笑った。邪気のない素朴な笑み。
「……馬鹿か、お前は」
脱力してノクスはその場に座り込んだ。どの世界に暗殺者を引き留めるターゲットがいるのか。マナトは笑ったまま、目の前の鍋を掻きまわしている。ふわりと漂う馥郁とした香りにノクスの腹が空転と鳴った。
「おなか、減ってるでしょ。顔に書いてある」
「阿呆め。俺が感情を外に出すなど……」
「うん、だから、感情じゃなくって本能ね。寝ること、空腹、あとは……その、うん、まぁ最後のは良いかな」
妙に照れた様子のマナトを呆れた眼差しでノクスは眺める。
(──こいつには危機管理能力というものがないのか!? あの女、こいつを野放しにしてよいと思ってるのか?)
手を引かれるままにしょうがなく鍋の前に腰を下ろした。鍋からはやはり嗅いだことのない良い香りがした。
「まずはね、お腹をいっぱいにした方が良い。君、ガリガリだもん」
「余計なお世話だね。俺はこの身体で何人も人を──」
「はい、ストップ! ストップすとーっぷ!」
マナトが耳を塞ぎあーあー言う。仕方なくノクスが黙り込むとぽつりとマナトが呟いた。
「人を殺しちゃった過去はさ、もうどうしようもないけど……もうしなくて良いならしない方が良いよ。人をね、害すると、その人の業まで背負わなくちゃいけない。そんな気がするんだ」
マナトがその白い手を、ノクスの痩せた腕にそっと置いた。その瞬間、ノクスの皮膚の下でドロリと蠢いていた黒魔導の呪印が、陽光に晒された雪のように、静かに、だが確実に輪郭を失っていく。
「……っ!? 貴様、俺の『業』に、何をした……」
「何もしてないよ。ただ、ちょっとお掃除しただけ。そんな重い荷物を背負ったままじゃ、美味しいスープの味も分からなくなっちゃうからね」
「それがどうしたって? 業でも恨みでも全部食い尽くしてやるさ」
「そこだよ! ね、そんなものでお腹をいっぱいにするなんてもったいないと思わない? 君のお腹はペコペコだ。どうせならさ、スープでも飲んでごらんよ」
そういって差し出された白磁のスープ皿には肉塊がゴロゴロ入った根菜の黄金スープがなみなみと注がれていた。
「これを、喰えば帰してもらえるのか」
「そうだね」
うふふ、と嬉しそうにマナトが笑う。
「良いぜ。毒を食らわば皿までだ。飲んでやらぁ」
ノクスはスプーンも使わずに一気にスープを飲み干した。
その瞬間、口の中に豊かな味とマナトの丹精込めた真心までが流れ込んできた。肉は柔らかくほろりと崩れる。対して根菜はシャキシャキと良いアクセントだ。
貪るようにノクスはスープを搔き込んだ。身体が飢えていたことが今はっきりとわかる。幼いころにさえ感じなかった温かさ。誰にでも向けられるマナトの慈愛と包容。
気づけばノクスは静かに泣いていた。あふれる涙を止めることができない。なぜ、泣いているのか。悲しいのか辛いのか、それとも嬉しいのか。それさえわからずに最後は嗚咽しながらスープ皿を置いた。
「うん、お疲れ様」
「……?」
涙で濡れた黒い瞳で振り仰げばマナトが優しく微笑んでいた。
「今はゆっくりお眠り」
ぷつんっと糸が切れたようにノクスはマナトの腕の中に倒れ込んだ。抗い難い急激な眠りは気絶に似ていた。そして子守唄を小さく歌うマナトの声。ノクスは生まれて初めて何をも恐れぬ眠りの中にダイブした。
「おやすみ」
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