おやすみなさい、勇者様。 ~寝ている間に世界を救っていることに、俺だけが気づいていません~

河野彰

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第三部:赤い花の呪いと終焉を拒む揺り籠(ラスト・サンクチュアリ)

第二章:天狼の遠吠えと夜を編む指(ナイト・ウィーヴァー)

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 幸せそうに眠るマナトの傍らでフェリスとノクトは静かに戦闘態勢に入った。
 くしくも月明かりさえ届かぬ曇天。
 互いの息遣いだけが静かに闇の中へ落ちた。
 そして、遠くで遠吠えがした。
 その数、優に百余り。飢えて悪臭を放つ死の狼たちが群れを成しマナトの元へ集ってきていた。
「……来たぞ。西から三十二、東から四十八。空にも羽音が聞こえる」
 ノクスが影の中に膝をつき、冷徹に告げる。その指先からは、すでに数条の漆黒の影――『夜を編む指(ナイト・ウィーヴァー)』が、生き物のように蠢きながら地を這っていた。
「ふん。数だけは一人前か。主の安眠を妨げる有象無象め、まとめて塵に還してやる」
 フェリスが銀髪を荒々しくかき上げる。その瞳は、暗闇の中で獣特有の黄金色に爛々と輝いていた。

最初の一団が、濁った咆哮を上げて清浄なドームへと突っ込んできた。魔毒によって変異し、全身を真っ赤な花に侵食された狼の群れだ。
「――通さんと言ったはずだ」
 フェリスの姿が消えた。直後、凄まじい衝撃波と共に、先頭の三頭が文字通り肉片となって弾け飛ぶ。彼女は武器など使わない。その拳と脚こそが、神域の膂力を叩きつける最強の鈍器だった。 
「死の舞踏だ。踊れ、死ぬまで。──『影縫いの雷光』イクトゥス・テネブラエ」
 ノクスの全身から雷光が放たれる。幾重にも枝分かれした雷光はすさまじい電圧と電流で、狼たちの群れを焼き尽くす。青白い雷光が去った後にはグロテスクな肉の花が焦げ付いた匂いとともに残った。
「ふん、この程度か。それにしても暗殺術にしては派手だ」
「貴様こそ、その巨体があればマナトを守るに足るな」
 二人はほんの一瞬。互いを値踏みするように見つめ合った。そして……。
「おい、ノクス! そちらは任せたぞ」
「ああ、フェリス。俺にとっちゃなんてない数だ。任せろよ」
 互いに背を預けて二人は打撃と魔術で応戦した。
「――ガァッ!」
 魔毒に脳まで焼かれた変異狼が、よだれを撒き散らしながらフェリスの喉元へ跳ねる。だが、彼女の黄金の瞳が微かに細められた瞬間、その巨躯は目にも留まらぬ速さの回し蹴りによって、紙細工のようにくの字に折れ曲がった。
「主の眠りを妨げる不浄、その身をもって罪を贖え!」
 フェリスの拳が空を叩くたび、大気が爆ぜる。一撃で五頭を纏めて粉砕するその破壊力は、まさに天狼の神威そのもの。
一方、ノクスの戦いは静寂と破壊の旋律を奏でていた。
「這い寄れ、我が指(ナイト・ウィーヴァー)」
 彼が指を弾くと、地面から無数の漆黒の触手が噴き出し、空を舞うガーゴイルの翼を次々と絡め取る。自由を奪われ墜落する魔物たちに向け、ノクスは掌を突き出した。
「『影縫いの雷光(イクトゥス・テネブラエ)』!」
 零距離で放たれた雷撃が、影の糸を導線にして連鎖する。青白い閃光が網の目のように夜を走り、捕らえられた魔物たちを一瞬で炭化させた。
「はっ、いい連携だ、ネズミ! 影で固めたところを叩くのは合理的でいい!」
「……黙っていろ、大型犬。集中が乱れる」
 口では反発し合いながらも、二人の動きは噛み合っていた。フェリスが正面から敵を散らし、散らばった残党をノクスの影が正確に仕留める。マナトを中心に、二人の戦士が描く死の円陣は、一寸の隙も許さない。
 しかし、夜の深まりと共に、湖の底からその本体が這い出してきた。
 水面が盛り上がり、体長十メートルを超える巨大な赤い水龍――魔毒の結晶体が、空を覆うほどの威容で咆哮を上げる。
「チッ、あれが核か。おい、フェリス。アレの動きを止めるのは一瞬だ。合わせられるか?」
「誰に物を言っている。主の盾たる私に、不可能はない!」
ノクスが全魔力を指先に集中させる。全身から溢れ出した漆黒の影が、巨大な鎖となって水龍の巨体を縛り上げた。
「行け……ッ!!」
「承知!!」
 フェリスが大地を蹴った。ドームが震えるほどの踏み込みで、彼女は銀色の流星となって夜空へ跳ね上がる。
「天狼の裁き――受けてみろ!!」
 月を背負ったフェリスの右拳が、水龍の眉間に輝く魔毒の核を直撃した。
 轟音。
 水龍は光の粒子となって霧散し、同時に湖を覆っていた赤い花たちが、一斉に音を立てて崩れ落ちていく。

 やがて、戦場に静寂が戻った。
 東の空が白み始め、夜明けの冷気が二人を包む。フェリスは荒い息を整えながら、マナトの安らかな寝顔を確認してふっと表情を和らげた。
「終わったな。一滴の返り血も、主には届かなかった」
「ああ。疲れた。後から、スープをおかわりさせろよ」
 ノクスが影の中に短刀を収め、不器用に笑みを浮かべる。
 二人は、まだ夢の中にいるだろうマナトの背中を見つめ、互いの実力を認め合うように短く頷き合った。
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