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離宮
シルヴィアが離宮へ移ったのは、レオンハルトと話をした三日後のことだった。
表向きは療養。
離宮は王都から馬車で半日ほどの湖畔にあった。冬の湖は真っ白で、風は冷たく、王城よりもずっと静かだった。
そこにあるのは、静寂のみ。
辺り一面雪が積もり、シルヴィアの銀髪が溶け込むような白い世界だった。
音が、ない。
王城では、いつだって誰かの足音がしていた。
侍従が走り、貴族が訪れ、遠くで扉が開閉する。
けれどここでは、耳に届くのは風の音だけだった。
その静けさに、最初の数日は落ち着かなかった。
自分だけ世界から切り離されたようで。
けれど同時に、少しだけ、安心している自分もいた。
シルヴィアはそこで初めて、朝寝坊をした。
誰にも起こされず、誰にも急かされず、ただ陽が高くなってから目を開けた。
ぼんやりとした頭で窓の外を見る。
白い湖面に、淡い冬の光が落ちていた。
王城なら、あり得ない時間だった。
今頃なら、すでに朝議を終え、何通もの書簡へ目を通している頃だ。
それなのに、今日は、起きなくても誰も困らない。
その事実に、少しだけ呆然とする。
シルヴィアについてきた侍女長は、泣きそうに笑った。
「王妃陛下、よくお眠りでした」
「……少し、寝すぎました」
「それでよろしいのです」
その言葉に、胸が緩んだ。
“よろしい”
“必要”ではなく。
“正しい”でもなく。
ただ、よろしい。
王妃としてではなく、一人の人間として許されたような気がした。
離宮での暮らしは、驚くほど穏やかだった。
朝は湖畔を歩き、昼は読書をし、夕方には刺繍をした。
雪を踏む音が好きだった。
きゅ、と小さく鳴る。
その音を聞きながら歩いていると、不思議と頭が空になる。
つい、次々と足を繰り出して歩みを進めてしまい、付き添いの者たちを置き去りにしてしまったこともあった。
小さな東屋で温かい茶を飲むこともあった。
王城で口にしていた高価な茶葉ではないが、寒い中、湯気の立つ素朴な香りに、どこかほっとした。
王城からもたらされる政務の報告は最低限だった。心身ともに限界を迎えたシルヴィアを憐れんだ宰相が采配しているのだろう。
最初の数日は、何もしないことに罪悪感があった。
書類を取り寄せようとしたこともある。
だが、そのたびに侍女長に静かに止められた。
「今は、お休みくださいませ」
何度も言われるうちに、少しずつ理解する。
自分は、疲れていたのだと。
思っていたより、ずっと。
一週間が過ぎ、二週間が過ぎる頃には、自分の呼吸が少し深くなっていることに気づいた。
王妃になってから。
側妃を迎えてから。
いつのまにか、呼吸が浅くなっていた。
いつも誰かを優先し、何かを守ろうとして。
気づけば、自分自身の息の仕方を忘れていた。
けれど離宮では、何かを選ばなくていい。正しくなくてもいい。完璧でなくてもいい。
そのことが、少しずつシルヴィアを人間へ戻していった。
ただ、夜だけは苦しかった。
眠る前、どうしてもレオンハルトを思い出す。
今頃、何をしているのだろう。
ミリアの部屋にいるのだろうか。
彼女のお腹に手を添えているのだろうか。
笑っているのだろうか。
その想像だけで、胸が押し潰されそうになった。
私が彼の子を産みたかった。
私が彼を親にしたかった。
そんな考えが、静かな夜ほど鮮明になる。
涙が出る夜もあった。
声を押し殺し、枕へ顔を埋める夜も。
それでも、王城にいるよりは、ずっとましだった。
見なくて済む。
聞かなくて済む。
笑わなくて済む。
それだけで、何とか息ができた。
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