教師と生徒とアイツと俺と

本宮瑚子

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6. 重なる偶然-1

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「水野。おい、水野」

 肩を僅かに上下に動かしながら息をして、俺に寄り添い眠る水野に、これ以上声を掛けるのは諦めた。
 コイツの家で看病してやろうかとも思ったが……。

「運転手さん。この先の突き当りを右折して下さい」

 俺の自宅で面倒見た方が動きやすい。コイツの家に運んだ所で、何が何処に置いてあるのか分かりもしなければ、訊ねた所で、この状態じゃ水野も説明できないだろう。

 暗闇に静かに停まったタクシー。支払いを済ませ、なるべく振動を与えないように、ゆっくり水野を抱きかかえる。

 ……軽い。コイツ、ちゃんとメシ喰ってんのか?

 力が入らず腕をダランと落とした水野を見下ろしながら、壊れ物を扱うように、そっとエレベータへと乗り込んだ。





 ……9度近くもあんじゃねぇかよ。

 部屋に入るなりベッドに横たえ測った体温計を見て、顔をしかめる。指し示すそれは、思っていた通り高い熱である事を証明していた。
 起きる気配もない、少し赤い顔で呼吸は乱れたままの水野を、早く冷やしてやらなくてはと思うと同時に、もう一つ選択せねばならない事態に躊躇する。

 ……着替えさせるべきか否か。

 拭ってはまた滲む額の汗。白い首筋に纏わりつくブラウンの髪。放って置いたら、この汗が身体を冷やし悪化させてしまうだろう。

 このままで良い訳ねぇよな。

 考え抜いた挙句、持ってきたバスローブを手に、目を開けるはずないだろうと予測しながらも、少しだけ起きてくれと願いを込め声を掛ける。

「水野。水野起きられるか?」
「………」

 ……だよな。起きれねぇよな。

「水野、汗掻いてるから着替えさせるぞ? いいな?」

 当然返事があるはずもなく、ただ、黙って着替えさせるには戸惑いを感じる俺だけの為に掛けた声が、静かな部屋に虚しく響いた。

 目の前にいるのは病人、病人だ。しかも、俺の教え子。まだ17の小娘だ!

 何度もそう自分に言い聞かせ、水野の上半身を起き上がらせると服に手を掛けた。

 くそっ!
 脱がすのは得意とするはずのこの俺が、思うように事を進められないでいる。
 完全に力をなくしている女を脱がせているからか、それとも生徒だと思うと、疚しい気持ちがなくても戸惑いを隠せずに焦るせいか。それでもやるしかない俺は、少しでも視界に入れないように、バスローブを羽織らせながら脱がしていった。
 視線を逸らしながら汗ばむ身体をタオルで拭く。だけど、完全に視界に入れない事は不可能なわけで、時折チラリと見える白い肌と、アクシデント的に触れてしまう柔らかい感触に、ドキッとさせられながら、全てが終わって水野を寝かせた時には、俺も相当の汗を掻いていた。

 ふぅーっ。って、溜息付いて休んでる場合じゃない。兎に角、この熱を下げてやんねぇと。

 準備をするのに一旦部屋を出たが、暫く経って戻ってきても、俺が出て行く前と変わらず動いた形跡もない。
 水枕を頭の下に置き、額には冷たいシートを貼り付ける。
 首にある動脈にも氷嚢ひょうのうを当てるが、流石にこれは冷たすぎたのか、子供が嫌がるように首を左右に大きく揺らした。

「少しだけ我慢しろよ?」

 反射的に首を動かしただけなのか、落ち着かせるように頭を撫でやれば、水野は再び大人しく眠りについた。

 何やってんだろうな、俺は。

 こんな状況なら、面倒見るのは人として当然の行為だと思う一方で、あまりにも自分には似合わな過ぎると苦笑する。

「早く良くなれよ」

 似合わないついでに優しく一言告げると、撫でていた手を止め、一服する為に立ち上がった。
 部屋の電気を消し、代わりにベッドサイドのライトを点ける。

 ……大丈夫だよな。

 もう一度水野に目を向けた時だった。
 淡いオレンジの光だけが、ほのかにアイツを照らし出す中で、俺は見つけてしまった。
 見つけてしまったそれに吸い寄せられるように、また水野の傍に腰を下ろしてしまう。
 固く瞳は閉じられているのに、目尻から流れる一筋の雫。それを指でそっと掬う。

「辛いのか?」
「………いで…」

 僅かに漏れた声は、何を言っているのか分からない。

「………ないで………いか…ないで…」

 油断していたら聞き逃しそうなか細い声。それでも今度はコイツが何て言ったのか、はっきりと俺の耳にも届いた。
 苦しそうに少しだけ顔を歪め、細い指はシーツを弱々しく掴んでいる。

 ……熱でうなされているのか?

 この夜、水野は幾度となくうわ言のように呟いた。『行かないで』と、何度も何度も……。
 そのうわ言に付き合うように、俺はずっと水野の傍から離れる事はなかった。
 シーツを握っていた手を外させ、その手を包み込んだ俺は、「大丈夫だ」と、その度に言葉を返しながら、明ける夜を静かに待った。





────ボタッ。

 僅かな物音に、敏感に脳が反応しようとする。

 いつの間にか、寝ちまってたか。

 顔を上げると、カーテンの隙間からは眩しい光が差し込んでいた。どうやら、水野の手を握り締めたまま、ベッドの上で突っ伏して寝ていたらしい。
 俺が座っている床には、物音の原因だと思われる氷嚢が落ちていて、冷たくも何ともない氷嚢をベッドサイドのテーブルに置くと、まだ眠っている水野の額に空いてる手を乗せた。

 ……良かった。熱は大分下がっている。

「……んっ」

 小さく唸った水野は、握っている俺の手にも少しだけ力を入れた。
 額に置いていたもう片方の手を退かし

「目覚めたか?」

 問い訊ねれば、ずっと閉じられていた瞼はゆっくりと開き、その瞳に俺を映す。覚醒しきれていないのか、ボンヤリと俺を眺め見る。

「どうだ気分は?」
「……え…?……私……」

 今、自分がどのような状況にあるのか分からないのだろう。

「昨夜、タクシーで寝てから、ずっと起きないから俺んち運んだんだよ」
「………そうだったんだ」

 小さく息を吐いた水野は、視線を動かし繋がれていた手に目を移す。水野が目を覚ましたと言うのに、まだその手を離していなかった事に気付き、慌てて退かした。

「……ずっと看病してくれてたの?」
「ま、まぁな。それより熱測れよ」

 何となく照れ臭くて、一晩中、水野の手に触れていた右手で体温計を取ると、それをアイツの前に差し出した。

「あっ、バスローブ……」

 ……って、今度はそっちかよ!

 体温計を脇に挟もうとした途端、水野が気付いたもう一つの事実。
 気まずい。疚しいことなど何一つないのに、手を握っていたことよりも、ずっと気まずい。

「おまっ、ご、誤解すんなよ? 汗掻いてたから着替えさせただけだからな! 何も疚しい事はしてねぇぞ!」

 キョトンとした顔で俺を見た後で、クスッとその表情を緩ませる。

「別に私何も言ってないけど?」

 動揺する俺に対して、至って落ち着いた女子高生。調子が狂いまくりである教師の俺に構わず、更に言葉を重ねてくる。

「理性は持ち合わせてるんだもんね? 大人の男だからね、沢谷先生!」

 嫌味っぽく言われ、先日交わした屋上での会話を思い出す。
 しかも、こんな時だけ先生なんて呼びやがって。

「当たり前だ!」
「そう」
「ガキに興味はないんだよ」
「だけど見たでしょ? 私のハ・ダ・カ」

 その小悪魔的な笑み止めろ!
 そりゃ全く見てないと言ったら嘘になるが……。だが、あれは避けられなかった事故だ、事故!

「み、見てねぇよ。目を逸らしながら着替えさせたからな」
「へぇー、そうなんだ。看病してくれたお礼に、それ位のサービスは許したのに」

 だったら最初に言ってくれ。グースカ寝てた癖に今頃言うな。

「なら、しっかり見とくんだったな!」
「じゃ、今から見る?」
「はっ? な、な、何言ってんだ、お前は!」

 こいつは正気か? 熱で頭やられたんじゃねぇのか。

「敬介面白い。嘘に決まってるじゃない」

 腹立つな、コイツ。俺をからかって楽しんでやがる。

「おまえ、いい加減にしとけよ。さっさと熱を測れ。俺はメシの用意してくるから、それまでもう少し寝てろ! いいな、分かったな!」

 今一ペースが掴みきれず、キッチンへ向かう為に水野に背を向ける。

「ねぇ、敬介」

 何だよ今度は。まだ俺で遊ぶつもりか?

 軽くイラつきながら振り返ると、ふざけた表情を消した水野の視線とぶつかり合う。

「ありがとう」

 真面目にそう言われるのもまた調子が狂い、「おぅ」とだけ素っ気なく返すと、今度こそ足早に部屋を出た。


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