教師と生徒とアイツと俺と

本宮瑚子

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8. 微妙な関係-1

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促されるままに入った玄関先で、俺の思考は停止した。

「だから近いって言ったでしょ?」

 ──どう言う事だ?

 奈央は、俺が持っていた車のキーを指でちょこんと揺らす。

「車、出したくても出せないね」

 そう言うと奈央は、俺の足元にスリッパを置いた。
 確かに車を出す距離じゃない。奈央の言う通り、車を出したくても出せる距離にない。此処は公道じゃない。標識もない。車は走っちゃ行けない。いや、此処に持って来ることすら出来ない。だって建物内だし、何せお隣なんだから。

「いつまでそこに突っ立ってる気?」
「いてっ!」

 耳を引っ張られ、その痛みでやっと俺の思考は稼働し始めた。

「奈央……お前……隣に住んでたの?」
「うん、残念ながら。ほら、いいからさっさと上がってよ」

 残念ってどういう意味だよ!
 そう突っ込むのも忘れ「あーぁ、ばれちゃった」と、ぼやきながら歩く奈央に続き、部屋の中へと足を進めた。
 リビングに入り立ち止まると、もしかして? と、ふと考える。
 昨夜、タクシーの中で『ばれちゃう』と口にしたのは、このことだったのか? 奈央の本性云々より、まさかの隣人だと知られることを懸念して……。

「シャワー浴びてくるから、適当に座ってて」

 思考をめぐらせるのに忙しい俺は、リビングに一人取り残された。
 辺りを見回すと、部屋全体が白を基調に纏められている。リビングの端には、小さな白いデスクがあって、その上には数冊の参考書が置いてあった。

──他にも部屋があるはずだろうに、此処であいつは勉強しているのか?

 ゴチャゴチャしたものは何もなく、中央にある大理石のテーブルだけが存在感をアピールしている。それを挟んで置いてあるソファーは、この部屋で唯一、キャメルの色を持っていた。
    随分とシンプルな部屋だ。これが女子高生の部屋だとは思えない。でも物は良い。このマンションで、しかも最上階に住んでるってだけで、アイツが良家のお嬢様なんだろうと窺わせる。
 此処は高級マンションとして有名でセキュリティーも万全だ。女の一人暮らしには持って来いの条件ではあるが、にしてもだ。何でよりによってアイツが隣になんて住んでんだよ。
 俺がこのマンションに引っ越して来た時、隣であるこの部屋に挨拶をしようと何度か足を運んではみたが、毎回ベルを鳴らしても応答はなかった。表札も出ていないし、てっきり空き部屋かと思っていたのに、最近、引っ越してきたとか?
 それより、奈央の奴。まだ熱があんのにシャワーなんて浴びて大丈夫か? そもそも俺がいるのに平気でシャワーなんか行くなよ。アイツの危機管理はどうなってんだ、と余計な説教までしたくなってくる。
    しかし、俺に対して、そんなものは今更か。俺に見られてもアイツのことだ。平然としてそうだし。それより、俺だから安心しているのかもしれない。そう思うのは自惚れ過ぎか。
    色んなことが一気に頭をぐるぐると駆け巡る。それも一段落すると、せめて、お茶でもって誘ったんなら、その肝心なお茶を出してから風呂に行け! と文句を垂れる以外にやることもない。
 何もする術がない俺は、一人そわそわと居心地悪く過ごすしかなかった。





 っん……。

 少しだけ片目を開けると視界は暗かった。
 何だ、まだ夜か。随分とリアルな夢を見ていた気がする。奈央が俺の隣人なんて、あるはずがない。もう少し寝るか、と体の上に乗っかってるブランケットを手繰り寄せ、再び夢の世界へ落ちようと目を閉じかけた一刹那。
 いつもと違う違和感に気付き、慌てて両目をパチリと開ける。
 見上げる天井にあるのは花形のペンダントライト。
 いつ俺は模様替えした? うちはシーリングスポットライトの筈だ。

「あーーーっ!」

 叫ぶと同時に、俺は勢い良くソファーから起き上がった。

「煩い」

 暗い部屋の中で、一箇所だけ明かりが灯されているその場所から向けられるのは、冷ややかな言葉と視線。
 奈央!……って事は、夢は夢じゃなくて、夢のような現実。つまりそれは、お隣さんは奈央と言うリアル。

「寝ぼけてんの?」

 一年中、空調がコントロールされている部屋の中で、Tシャツにジーンズと言うラフな格好の奈央がクスッと笑う。

 ──落ち着かねぇなんて思っていたのに、奈央を待ってる間、いつの間にか寝ちまってたのか。

「悪りぃ、グッスリ寝ちまったみたいだな」
「別にいいよ」

 奈央は座ってた椅子から立ち上がると、テーブルの上にあるリモコンを操作し部屋の照明を点けた。

「起こしてくれりゃあ良かったのに」
「昨夜、あまり寝てないでしょ。私のせいで」
「けどよ……」
「何か飲み物持って来る」

 言葉を遮り、奈央はキッチンへと行ってしまった。
 今は何時なのかと、壁に掛かっている時計に目をやれば、短い針は疾うに6の数字を通過していた。

 ──どんだけ寝てんだよ、俺は。

 折角の休日を無駄に使ってしまった後悔と、よくもまあ、人んちでこれだけ寝れたもんだと呆れてしまう。

 その間、奈央はちゃんと休んだのか?

 奈央が座っていた机の方を見遣ると、参考書とノートが開いたままだ。まさか、ずっと勉強してたわけじゃないだろうな。試験を受けたいのなら、今は勉強より先ずは体調回復が優先だ。

「お待たせ。敬介みたいに美味しいコーヒー淹れられないから紅茶にしたけどいい?」
「あぁ、サンキュ。それより、少しは横になったのか? まさか、ずっと机に向かってたなんて言わねぇよな?」
「ずっとじゃないよ。途中、夕飯作るのにキッチンにいたし。カレー一杯作ったから食べてって?」

 夕飯作ってただと?

「ちょ、ちょっと何?」

 奈央の手首を強引に掴み、俺が座ってる隣へと引き寄せる。

「やっぱ、まだ少しあんだろ」

 両頬を両手で押さえ重ね合わせた額。奈央の額からは、高い体温が直に伝わってきた。
 手っ取り早く熱を測る為に距離を縮めた俺の胸を奈央が押しのける。

「動けるんだから大丈夫。そんな原始的な測り方じゃ当てにならないし」

 俺から離れたのは、額を重ね合わせた事に照れたからじゃない。そんな事で照れる奴じゃない。慌てて離れたのは、熱があるって自覚してるのだろう、きっと。

「じゃあ、体温計で測れよ」
「……持ってない」
「うちから持ってきてやろうか? 何せ隣だしな」

 黙ったまま立ち上がった奈央が、ホワイトボードーの引き出しから取り出したソレは『ない』と言ってたはずの体温計だ。

「持ってんじゃん」

 何か言いたげなしかめっ面で、渋々熱を測っている。
 ピピッ、と音が鳴るや否や俺は手を伸ばした。

「貸せ」
「熱ない」

 見られたくないのか、差し出した俺の手に体温計を乗せることもなく、奈央はスイッチを切ってしまう。
 だけど知らないんだな。その体温計は俺んとこのと一緒だ。機能なら把握済みだ。
 手を伸ばし、奈央の手から体温計を奪う。

「知ってるか? これ、直前に測ったの記憶されてんだよ」

 奪った体温計の小さなボタンを押せば映し出される数字。

「37.4」
「平熱だね」

 奈央がシレッと答える。

「お前は赤ん坊か? どんだけ平熱高いんだよ。いいからもう寝ろ」
「あー、煩い。小姑みたい! 私はお腹空いたの。折角作ったんだから、敬介も責任とって食べてよね!」

 食欲があるのなら、そりゃ喰ったほうがいいだろうけど。でも、責任って何だ? 理解不能だ。
 それより、奈央は料理なんて出来るのかと不安が過る。腹壊したら、それこそ責任とって貰いたいくらいだ。

 でもカレーだしな。失敗するほうが難しいか。

「じゃ、お前は座ってろ。俺が用意するから」
「………ん、分かった」

 キッチンへ入ると、カレーの食欲そそる匂いが広がっていた。匂いを嗅ぐ限りは普通のようだ。
 だがしかし。『責任とって』と、奈央が言った本当の意味を、この数秒後に思い知らされることとなる。


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