教師と生徒とアイツと俺と

本宮瑚子

文字の大きさ
38 / 113

38. 儚き夏の日-7

    おめでとうと伝えれば、グラスを持ったまま奈央が固まった。

「まさか、自分の誕生日、忘れてたのか?」
「私……誕生日だったんだ」
「本気で忘れてたのかよ」

 苦笑を洩らしながら、俺は小さな箱を奈央の前へと滑らせた。

「え?」
「誕生日プレゼント。気に入るか分かんねぇけど」

 グラスをテーブルに置いた奈央は、小さな箱を手に取り、リボンを解いてそっと蓋を開ける。
 箱の中には三つのダイヤが縦に並んだ、現在・過去・未来を意味するスリーストーンネックレス。奈央の未来が明るいよう、願い込めて選んだものだ。

「つけてやるよ」

 箱からそれを取り出し奈央につけると、石の部分を指で弄り黙って見ている。

「気に入らなかったか?」

 何も言わない奈央に焦って聞くと、奈央は静かに首を左右に振った。

「何年振りだろう。誕生日を誰かと一緒に過ごすのって」
「何年ぶりって、ずっと一人だったのか?」
「うん、そうだね」

 ……だったら、あいつは? あいつにも祝って貰ったことないのか? 林田が言っていた、奈央が本気で好きだったって言う、昔付き合ってた男にも……。

「好きな男と過ごしたりは?」

 一瞬だけ俺を見た奈央は、またダイヤに視線を落とした。

「過去に一度だけ憎むほど好きな男がいたけど。でも、誕生日迎える前に別れたから。違うか、捨てられた……かな」

 自分で話を振っておきながら、まさか奈央が別れた男の話を口にするとは思わなかった。ただ、誕生日を過ごしたか否か……。その事実だけを淡々と語られるとばかり思っていただけに、男の存在を知っていたとはいえ、痛烈に胸に刺さる。

「辛かったな。一人きりの誕生日は寂しかっただろ?」

 痛みを押し隠して言う俺とは違って、奈央は冷静だった。いや、冷淡な物言いというべきか。

「勘違いしないでよ。男に限らず誕生日を祝って貰いたいなんて感情、もともと持ち合わせてなかったから。中学の時は敢えて一人でいた位だし」
「どうしてだ?」
「頼んでもなければ、好きで産まれてきた訳でもない。勝手にこの世に送り込まれた日ってだけで、おめでとうって言われて、ありがとうって返すのが苦痛でしかなかった」
「……」
「ここ二年くらいは、気づいた時には夏が終わってた、って感じかな」

 俺だってある程度の年になってからは、誰かに祝って欲しいだなんて強く望んだ事はない。
 でも必ず誰かがいた気がする。それは、建前上そうしただけであったとしても、親が一緒だったり、女がいたり。そいつ等におめでとうと言われて、別段湧き上がる喜びもなかったが、相手が俺の誕生日だって知っていても知らなくても、俺が一人で過ごした記憶はなかった。

 ──奈央。それはお前の本心か? 気付いたら夏が終わってたって……。どんな思いで、お前は一人で過ごしてきた?

 色んな思いがぐちゃぐちゃになって交差し、俺はそれを整理出来ないままで。脳には何も指令を出していないのに、気づけばそうしていた。
 それは、そうしようと思ってした事ではなくて。自分でも、どうしてこうしたのか考える暇もないほどに。
 気付けば俺は……、奈央の唇に、自分のものを重ね合わせていた。

 触れる唇が静かに離れれば、俺をジッと見つめる奈央がいる。俺もその瞳から逃れようとはしなかった。

「そんな冷めた思いを抱えたまま大人になるなよ。俺みたいに損するぞ」
「……」
「俺も他人と深く関わりたくないって思ってた。どうせ俺の背負ってるもんを見てるんだろって、勝手に決め付けて。そんな奴らを蔑んだ目でも見てた。でも、いつもどこか満たされなくて……」
「……」
「それが、奈央と出会って変わった。人と関わるのも悪くねぇなって、いつも他人の上辺しか見てこなかった俺が、奈央と一緒にいる内にそう思うようになったんだ。誰かといるって結構楽しいもんなんだって知った。今まで、そんな事も知らなかった俺って、結構損してたなって思うよ」

 夜とは言えまだ夏だ。この気温の中、一気に話したせいで、俺の喉は水分を求めていた。
 でも、まだシャンパンに口をつけていない奈央より先に、それを飲む気にはなれず、代わりに無造作に煙草を一本引っこ抜くと火を点けた。喉の渇きは増しても、熱く語っただけに恥ずかしさも伴って、一息入れたかった。
 奈央の視線も俺から離れ、吐き出した煙を追うように見ている。その視線を、俺の言葉がもう一度取り戻した。

「奈央」
「うん?」
「奈央は好きで生まれてきた訳じゃないって言うけどさ、俺にとっては、俺を変えた大事な奴だから……」

 煙を深く吸い込み吐き出すと、精一杯の想いを言葉に乗せる。

「だから奈央。生まれてきてくれて、ありがとな」

 簡単におめでとうって言うより、俺にとってはこっちの方がピッタリくる。
 奈央の唇が僅かに動いたように見えたが、だが丁度その時、間接照明が消え、暗くなった辺りに目を向けた奈央は、それ以上何かを口にする事はなかった。
 テーブルの上の水に浮かんだキャンドルだけが、風に揺られながらも明かりを保っている。
 もうすぐ花火が打ち上げられる時間だ。

「とりあえず、乾杯し直すか」

 煙草を灰皿で押し潰し、その手でグラスを持つ。

「奈央もグラス持てよ」
「……うん」

 互いに笑みを浮かべながら再びグラスを合わせて、漸くシャンパンを口にした。

「ねぇ、敬介。三つだけ質問していい?」

 グラスを置いた奈央が、首を傾げ尋ねてくる。

「答えられる質問ならな」
「うん。じゃ、一つ目。何で私の誕生日知ってたの?」

 それは前に言われたからだ、奈央に。
 今度はクラスも任された訳だし、適当な斜め読みはしなかったから、インプットされた情報も多い。
 もっとも、誕生日まで覚えているのは奈央だけだ、というのは秘密だ。

「調査書に書いてあったから」
「そっか。じゃあ二つ目。敬介の誕生日はいつ?」
「10月25日」
「そう。借りはちゃんと返さないとね。敬介の誕生日は私がお祝いしてあげる」

 笑って言う奈央に俺も笑みを返したが、笑っていられたのもここまでだった。
 答えられる質問のみ受け付けたはずなのに、三つ目の質問は、落ち着きを奪われるほど、俺でさえ分からない難問だった。

「最後の質問。敬介、さっきのは……なに?」

 奈央の顔が、小悪魔な笑みへと変わる。

 さっきとはイコール、キス……だよな?……何でしたんだ、俺。どうしてキスした?

 今更ながら自分の早まった行動に動揺し、胸の鼓動が忙しなく動き出す。
 そりゃ、俺の心の奥底を叩けば、したいと言う願望は以前からあったけど、そんなの言えるはずもない。
 ただ、あの時は……。
 奈央が孤独だったんじゃないかって思ったら、ジッとなんてしてられなくて。一人じゃない、って伝えたい気持ちが、言葉より先に行動に……出た?
 何れにせよ、口にするのははばかれる。何か適当な理由でも見つけなくては……。

「あ、あれだ。誕生日プレゼントだ」

 何だ、このこじつけは! と、自分ですら思う無理な言い訳に、何故か奈央は、小悪魔風を感じさせない柔らかな笑みへと変える。

 ……ん? この理由で納得してくれんのか?

「そうなんだ! ありがとう、敬介」

 もしかして、喜んでる? 思わず顔がニヤケかけた俺は甘かった。

「って、喜ぶべき?」
「っ!」

柔らかい笑みは、焦りが見せた幻覚だったか。今は、その表情にひと欠片の笑みも浮かんでいない。

 ……やっぱ怒ってんのかよ。無表情で見んな、怖いから。

「奈央だって断りもなく俺にしただろ、バーで。これでおあいこだ」

 半ば開き直りで言ってはみたが、覚悟は出来ている。最低・変態・エロ教師……もうどうとでも言ってくれ!

 なのに奈央は、「ならしょうがないね」そう言って、今度こそ本当にクスリと笑った。

 夏の空に高く向う、ヒューッと音が聞こえたかと思えば、俺達の視界がパッと明るくなり、一発目の花火が夜空に咲いた。

「ガキには興味ないんだもんね、敬介は。体は反応するみたいだけど」

 遅れて届く胸を震わす花火の音に、これ幸いと、昼間の失態を弄られても、聞こえないふりで押し通す。
 そして、花火大会の幕開けとばかり、続けざまに花火が打ち上げられ、爆ぜる大きな音が重なる中、俺は聞いた。

「ありがとね、敬介……ありがとう」

 苦痛でしかないと言った、奈央のありがとうを。二回も繰り返された、奈央のありがとうを。
 ともすれば花火の音に掻き消されていたかもしれない、その小さな声を、俺は確かに聞いた。

感想 2

あなたにおすすめの小説

アラ還妻と若い彼 継承される情熱

MisakiNonagase
恋愛
61歳の睦美と、20歳の悠人。ライブ会場で出会った二人の「推し活」は、いつしか世代を超えた秘め事へと変わっていった。合鍵を使い、悠人の部屋で彼を待つ睦美の幸福。 しかし、その幸せの裏側で、睦美の娘・愛美もまた、同じ男の体温に触れ始めていた。 母譲りの仕草を見せる娘に、母の面影を重ねる青年。 同じ男を共有しているとは知らぬまま、母娘は「女」としての業(さが)を露呈していく。甘いお土産が繋ぐ、美しくも醜い三角関係の幕が上がる。

思い出さなければ良かったのに

田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。 大事なことを忘れたまま。 *本編完結済。不定期で番外編を更新中です。

黒瀬部長は部下を溺愛したい

桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。 人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど! 好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。 部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。 スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。

罪悪と愛情

暦海
恋愛
 地元の家電メーカー・天の香具山に勤務する20代後半の男性・古城真織は幼い頃に両親を亡くし、それ以降は父方の祖父母に預けられ日々を過ごしてきた。  だけど、祖父母は両親の残した遺産を目当てに真織を引き取ったに過ぎず、真織のことは最低限の衣食を与えるだけでそれ以外は基本的に放置。祖父母が自身を疎ましく思っていることを知っていた真織は、高校卒業と共に就職し祖父母の元を離れる。業務上などの必要なやり取り以外では基本的に人と関わらないので友人のような存在もいない真織だったが、どうしてかそんな彼に積極的に接する後輩が一人。その後輩とは、頗る優秀かつ息を呑むほどの美少女である降宮蒔乃で――

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

清掃員と僕の密やかな情状

MisakiNonagase
恋愛
都心のオフィスビルで働く会社員の26歳・高城蓮(たかぎれん)。彼の無機質な日常に唯一の彩りを与えていたのは、夕方から現れる70歳の清掃員・山科和子だった。 青い作業服に身を包み、黙々と床を磨く彼女を、蓮は「気さくなおばあちゃん」だと思っていた。あの日、立ち飲み屋で私服姿の彼女と再会するまでは――。 肉じゃがの甘い湯気、溶けゆく氷の音、そして重ねた肌の温もり。 44歳の年齢差を超え、孤独を分かち合った二人が辿り着いた「愛の形」とは。これは、一人の青年が境界線の向こう側で教わった、残酷なまでに美しい人生の記録。

優しい雨が降る夜は

葉月 まい
恋愛
浮世離れした地味子 × 外資系ITコンサルのエリートイケメン 無自覚にモテる地味子に 余裕もなく翻弄されるイケメン 二人の恋は一筋縄ではいかなくて…… 雨降る夜に心に届いた 優しい恋の物語 ⟡☾·̩͙⋆☔┈┈┈ 登場人物 ┈┈┈ ☔⋆·̩͙☽⟡ 風間 美月(24歳)……コミュニティセンター勤務・地味でお堅い性格 雨宮 優吾(28歳)……外資系ITコンサルティング会社勤務のエリートイケメン

絶交した幼馴染と大学の合コンで再会した。

孤独な蛇
恋愛
中学生の浅野春樹は上級生と喧嘩騒動を起こしたことがあった。 その上、目つきが悪く地毛は茶髪のため不良少年のような扱いを受けて学校では孤立していた。 そんな中、幼馴染の深瀬志穂だけは春樹のことをいつも気遣ってくれていた。 同じ高校に行こうと声を掛けてくれる志穂の言葉に応えたい一心で受験勉強にも力を入れていた。 春樹にとって、学校で孤立していることは問題ではなかった。 昔から志穂が近くにいてくれるから……。 しかし、3年生なってから志穂の態度がよそよそしくなってきた。 登下校も別々になり、学校で話しかけてくることも無くなった。 志穂の心が自分から離れていってしまっている気がした春樹は焦っていた。 彼女と話がしたい。笑った顔が見たい。 志穂と一緒に帰ろうと、彼女が部活動を行っている体育館へ向かったのだが……。 そこで春樹が耳にしたのは、自分の悪口を言って部活の友達と楽しそうにしている志穂の声だった。 その瞬間、春樹の中で志穂に対する想いや信頼は……消滅した。