教師と生徒とアイツと俺と

本宮瑚子

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49. 終止符-2

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 呑気に話す気にはならない、そう思ったのはついさっきだ。なのに、何を必死になって里美が言う人物像を全否定してるんだよ。上手くかわせばいいものをムキになって……。しかも、吐き出した内容はかなり恥ずかしいときてる。

 だが、既に後の祭り。
 横目で里美を見やれば、組んだ足の上で頬杖をつき、その顔は言うまでもない。物珍しい生き物でも見るかの如く驚きの表情を刻み、遂には吹き出し大いに笑う。

「笑いたきゃ好きなだけ笑え」
「やだ。笑ったりなんかしないわよ?」

 充分、笑ってんだろうが。言葉と態度が噛み合ってねぇんだよ。

「本当に好きなのね。その子の事」
「……そんなんじゃねぇよ」
「素直じゃないんだから。今、自分がどんな顔して話てたか分かる?」
「知るか」
「鏡で見せてあげれば良かった」


 ──鏡。


「鏡、今日の俺のアンラッキーアイテム」
「なによそれ。占いかなんか?」

 忌々しげに言えば、当惑に眉をひそめた里美だったが、それ以上は詮索されなかった。

「私、初めて見たわよ。敬介の柔らかな顔。こんな顔も出来るんだって、正直驚いた」
「どうせ、最低な冷血人間だとでも思ってたんだろ?」
「確かに、人間として欠落してるところはあると思ってたけど」

 はっきりと言われ苦笑するしかない。
 しかし、里美の言う通りだ。他人を冷めた目で見ている自分がいつもいた。何かに夢中になるなんて出来なくて、全てのものに期待を持たず、常にあるのは諦めだけ。
 周りにいる奴等が、『普通』の人間だとするならば、俺は間違いなくそこからはみ出ている気がしていた。
 でも奈央と出会って、奈央にはそんな風になって欲しくないと思う自分がいて。そう思えるようになった自分は少し『普通』に近づけたのだろうか。
 本当は、俺自身が『普通』でありたいと、ずっと思っていたのかもしれない。欲にまみれて近づいてくる奴等を軽蔑してきたのに、そんな奴等にさえ、俺は普通の人間なんだって叫びたかったのかもしれない。
 そんな俺の中に、スーッと入りこんできた奈央。
 俺が沢谷グループの一人息子でも、平然と『バカ息子』と遠慮もせずに言って来た、唯一の人間。

「彼女と上手く行ってないの?」

 上手くいくも何も、それ以前の問題だ。俺達には何もないんだから。
    ちょとだけ奇妙で、それでいて何も始ってない関係。ただ、それだけ。それだけだった。
 それも、もうすぐ終わる。

「彼女じゃねぇし」

 意図せずとも、どこか投げやりな口調になってしまう。

「もしかして、敬介が女性を落とせなかったとか? 身体の関係もなかったの?」
「あるかよ。そんなんじゃねぇんだって」

 里美は口をあんぐりと開き目を丸くさせ、驚きを隠しもしないで俺を凝視する。

「信じらんない! でも、それだけ彼女が大事ってことか」
「……」

 里美は、今度は真剣な眼差しで、マジマジと見てくる。

「何だよ」
「そう言う敬介も悪くないと思うよ?」
「あ、そう」
「うん、そう思う。腰振るだけが愛情表現じゃないもの」
「おまっ……」
「私の場合、腰振られるだけで、愛情を貰った記憶はないけどね」

 恥ずかしげもなく、よくもそんな下品な科白を……。
 ビールを口に含んでいなくて良かった。飲んでいたなら間違い無く吹き出し、むせ返るところだ。

「恥を知れ、恥を! 言葉を少しは選べよ」
「年重ねて幸せ掴むと、もう恥も何も怖いものなんてないのよね~。それに本当の事だし」

 ……女って、怖ぇ。まぁ、幸せでやってるなら何よりだけど。

 あっ気らかんと言い放つ里美の左手に、こっそり視線を合わす。
 本気な男が出来て、結婚すると言ってた里美。でも、その左手薬指には、証となる拘束するものはつけられていなかった。

「ふふっ。ちゃんとしたわよ、結婚」

 俺の視線に気がついたのか、笑って結婚した事実を告げると、更に言葉は続けられた。

「取引先とかで、結婚したとか色々聞かれたり、どうせ長くは働かないんだろって思われるのが嫌で。だから、ここに! 愛する人から貰ったものは、やっぱり肌身離さず持っていたいからね」

 里美は、シャツに隠れていたチェーンを首元から指先で引っ張り出すと、トップに飾られたプラチナに輝いているリングを俺に見せた。

「良かったな、幸せそうで」
「敬介は諦めちゃうの?」
「……そう努力するしかない」
「……」
「アイツが幸せになれんならそれでいい」

 どう足掻いたってしょうがない。せめてアイツが幸せであればいい。
 白い泡は消え、苦味だけが際立つ炭酸の薄れた温いビールを飲み込みグラスを置けば、突然俺の体に巻きつけられた里美の腕。

「おい、何やってんだよ」
「大丈夫。いつか必ず敬介も幸せになれるわよ」

 里美はきつく俺を抱きしめ、まるで子供を宥めるように背中を手の平で撫でている。

「同情されてんのか?」
「何言ってんの。応援してるのよ」
「旦那に怒られるぞ」
「悪いけど、私の旦那はそんな器の小さな男じゃないの」

 きっと本当にそうなのだろう。里美の全てを知った上で、受け入れ愛した男なんだろうから。
 到底、俺には真似出来ない。

「旦那、大事にしろよ」
「私の心配は無用よ! それより、敬介? 諦める努力より幸せを諦めない努力をしなさいよ。辛いなら誰かに寄りかかったっていいし、それが格好悪いだなんて思わない。私でよければ、話だってお酒だって付き合ってあげるから。バカな女に逃げるような真似だけは、するんじゃないわよ?」

 里美は、最後にギュッとその腕に力を入れ、俺から離れた。

「するか! っつうか、また説教されるとはな」
「有難く聞いときなさい! 今夜は里美さんが、とことん付き合ってあげるから。何ならボトル入れちゃおうか」

 ドリンクリストを開きそれを眺めると、今度は店員を呼ぶため、店内に目を泳がせながら手をあげる。
 そんな里美を見ながら、自然に言葉が漏れ出た。

「里美、ありがとな」

 上げた手をそのままに、振り向いた里美は

「いい女でしょ?」

 悪戯っぽく笑う。

「アイツの次にな」

 そう言い返せば「順番さえなかった昔よりマシよ」と、また笑って返される。
 苦笑する俺を尻目に、里美はやって来た店員にブランデーをボトルで頼んだ。


 それから二人して他愛ない話だったり、里美の惚気話に付き合わされたり。
 酒も適度に体を回り暫く時間が過ぎた頃。トイレに向かおうと歩みを進めれば、通路の壁に凭れかかる女が一人、こちらに視線を投げつけてくるのに気付く。
 待っていたかのように俺だけに狙いを定めて、まるで敵意を持ったような眼差しで、キッと睨みを利かせている。
 それを無視して、その場を通り過ぎる訳にはいかなかった。
 それより何より、何故こんなにも睨まれなきゃならないのか、見当もつかない。どちらかと言えば、俺が睨みを利かせて良いはずだ。
 距離が近づけば近づくほど、予想以上に鋭利な眼差しだと嫌でも分かる。そいつの目の前まで辿りつくと、その睨みを真正面から受け止めた。

「何でこんな所にいるんだ、林田!」

 この場にいるのを微塵も悪いとは思っていない様子の林田の前で、わざとらしく時計を見た。

「もうとっくに10時回ってんじゃねぇか、早く帰れよ。つーか、未成年が出入りしていい店じゃないだろ?」
「沢谷、女出来たんだ」

 俺の話は聞き流し、目つきを穏やかにするでもなく投げられた問い掛け。

 ……里美の事か。コイツ、いつから俺に気付いてた?

「いいから早く帰れ」

 問いには答えず厳しく言い放つ。

「言われなくても帰る。ただ、女とイチャついてる担任見たら無視できないでしょ。挨拶もしないで帰るのは悪いと思ってね」

 嫌みを散りばめて絡むな! ガンつけながらの挨拶が、お前流なのか?

「だいたいお前、学校でも──」

 まともに挨拶なんてしないだろう? とは最後まで言わせて貰えず、後に続く、林田の思わせ振りな物言いに俺の言葉は掻き消された。

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