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58. 放たれた想いの刃-3
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どんなに眠れなくても、朝は必ずやって来る。
……奈央、お前は眠れたか?
ベッドから起き上がり、一晩中考えても足りない奈央の顔を、またこうして思い浮かべる。
──昨夜。
あれから程なくして、時間だと言わんばかりに奈央は荒々しく灰皿に煙草を押し潰した。
『今度、改めてじっくり話そう。逃げていないなら話せるはずだ』
念を押したが奈央からの反応はなかった。扉が閉まる直前、『それと、オムライス旨かった。ありがとな』ずっと言いたかったお礼を背を向けた奈央に残し、後にした水野家。
元気は失せ完全に萎れた林田を気遣い、一方的に話し掛けながら無事送り届けると、自宅に戻った俺は一晩中ベッドの上で暗闇の中の天井を見上げていた。
俺がすべきこと。俺がしてあげられること。その答えを見つけたくて、一晩中思考が止むことはなかった。
カーテンの隙間から差し込む一筋の光の糸。目を細めながら両手を頭上に伸ばして体を解せば、いつもと同じ時間に鳴る目覚まし時計。時計のアラームを解除すると、その横に置いてあるスマートフォンに目を向ける。
俺も前を向かねぇとな。アイツの道標となるためにも。
フーッ、と覚悟を決めるように長い息を吐き出すと、それを手に取り操作した。
「もしもし、お袋? 今日、仕事終わったらそっちに顔出すから───」
*
「おはよー!ほら全員席に着け~!」
文化祭を明日に控え今日の授業は午前中のみ。午後からは、その最終準備の時間となっていて、誰もが心踊る中、
……良かった、居た。
真っ先にアイツの存在を確認する。
奈央を視界に収めてから、他の生徒にも目を配った。
「全員いるな?」
この場所で俺がしてあげられること。それは、本当にちっぽけで、些細なことかもしれない。
「よし、じゃあ今から席替えするぞー」
「は? 今から?」
「何だよ、急に!」
いきなり過ぎて生徒達が驚くのも当然だ。それを分かっていながら、そうせずにはいられなかった。
今の席では気も休まらないだろう。張り詰めた糸のように、いつ気持ちがプツンと切れるか分からない危うさもある。席替えをしたくらいでは気休めにもならないかもしれないが、それでも、ほんの僅かばかりでも強張る感情を解せられたら。そう願わずにはいられなかった。
「好きなとこでいいぞ。十分で移動しろよ~。」
朝のSHRという限られた時間で、突然の席替えに戸惑ったのは初めだけだ。笑顔で『どの席にする?』と、友人と相談してる者もいれば、『このままでイイや』と、動かない奴もいる。奈央も『このまま』を選択する気らしい。
次の授業の為にすでに机の上に教科書を並べ、微塵とも動かず窓の外を眺めている奈央を俺は盗み見ていた。
芹沢に会う為に自らこの学校に来たはずなのに、その目的を果たそうとはしなかった奈央。それは、奈央の中で変化が生じたからかもしれない。でも、だからと言って全てを消化出来るほど、人の気持ちは単純じゃなくて……、
『……私は私、奈央なの』
出会った頃に、そう言っていた意味を今頃になって知る。
知らないが故に放った俺の言葉は、時に、意味を込めて口にしたものより傷口を疼かせるには充分だったはずだ。
そして芹沢の存在にも、神経を尖らせずにはいられなかったのだろう。その細い体に、どけだけの傷を抱えていたのか、ここに至って漸く理解した。
でもな、奈央。それだけじゃ、ダメだ。
自分の気持ちを優先して、何一つ気付いてあげられなかった俺だけど、もう奈央の元を去ったりはしないから。倒れそうな時は俺が守るから。だから、全てのものから目を背けるのは終わりだ。
過去の全てを納得しろとは言わない。でも、喩え受け入れがたい過去でも、決して囚われたままではいるな。それじゃ、お前が幸せになれない。どう足掻いたって変えられない過去なら、それを乗り越えるしかないんだ。
それに、奈央が知らないことだってあるんだぞ? 求めたものとは違っても、ちゃんとあったんだよ。その託されたもの全て、お前に告げるから……。
───ガタン
思案に耽っている最中、物音に気付き意識が引き戻される。
音の発信元は芹沢で、移動しやすいよう椅子を逆さまにして机に乗せているところだった。
喋るのに夢中な生徒達は、まだ誰も動かない。そんな中、いち早く行動に移したのが芹沢で、直ぐに林田が後に続く。二人は目で語るように頷き合うと、机を持って動き出した。
奈央の列の前方へと移動しようとする芹沢と、芹沢がいなくなった場所に席を置く林田。芹沢はともかくとして、林田のその行動にクラス中の視線が集中する。優等生の奈央と、不良とされる林田との意外な組み合わせに、言葉を失くす生徒達。
「時間内に決まらなかったら、俺の独断で勝手に決めるからな~」
固まる視線を遮断する為に声を張り上げ、急き立てられた他の生徒達は、慌てたように次々と席を移動し始めた。
席替えも無事に終わり、今日の予定を告げていると、生徒達の視線が俺に集まっているのを良いことに、奈央は一人横を向いた。芹沢がいたその席に座る林田を、威嚇するかのような細めた視線で刺している。
そんな奈央の態度も覚悟の内だっただろう林田は、
『よろしく』
諦めろと言わんばかりに、俺の場所からでも分かるほどの大袈裟な口パクで、奈央をあしらっていた。
その日の放課後。生徒達が明日の準備をしている教室を覗くと、そこに奈央の姿はなかった。
「沢谷先生。青いビニールテープ貰いたいんですけど」
そう躊躇いがちに声を掛けて来たのは芹沢だ。
「資料室にあるから一緒に来いよ」
直ぐに芹沢を誘い出し、長い廊下を無言で歩いて資料室に入ると、誰も入って来れないよう鍵を掛ける。
ビーニールテープはきっと口実。俺と話をしたいだけだって事は、その目を見ればすぐに分かった。
「話、あんだろ? その前に、水野はどうした?」
「自分の仕事が終わって、直ぐに帰りました
「そうか……あのな、全部訊いたから」
それだけで通じた芹沢は、伏し目がちにコクンと頷き、
「……はい」
と、答えると、改めて二人の出会いから別れまでを語り出した。
その話を一つに纏めるとするならば……。それは、奈央を救ったはずの芹沢の思いが、真実の前では形を変え刃となり、全てを知り得た時の奈央の心に深い傷を与えてしまった。そんな、悲しい現実だった。
自分が何を言っても、それは傷口を抉ることにしか繋がらなかった、と話の最後に悔しそうに顔を歪めた。
「だから先生。奈央のことお願いします」
本当は、自分が救いたかっただろうに『俺じゃダメだから』と頭を下げる芹沢に、やりきれなさが募る。
「頭上げろよ。お前は何も悪くなんかない。それに、お前の優しさに気付かないほど、アイツも愚かじゃない」
頭を上げた芹沢は、
「いつか、奈央と笑って話せる日が来れば……無理な話ですけどね」
後頭部を掻きながら、切なく笑った。
「無理じゃねぇだろ。アイツを見くびんなよ? その証拠に、バカ正直に話したんだろ? お前に復讐しようとしてたって。アイツは、心底悪い奴になんてなれねぇよ」
芹沢は笑いながら何度も頷く。
「じゃあ、俺戻りますね。先生に奈央のこと頼みたかっただけだから」
そう言って、出て行こうとする芹沢を呼び止めた。
「おいっ、コレ」
振り向いた芹沢に、手ぶらで教室に帰ったんじゃ格好がつかないだろうと投げたビニールテープ。
「先生、これ赤ですけど?」
「悪い。それしかなかった」
束の間の苦笑後、芹沢が「先生」と再び口を開く。
「うん?」
「名前で良いですから。フランクに俺のこと下の名前で呼んで下さい」
「あぁ、分かった。そうさせて貰うわ」
些細なことしか出来ないが、その意味は大きいと考える俺と芹沢は、奈央を強く想う気持は同じだ。
「裕樹! 奈央の事、もう遠慮しねぇから」
声を大にして芹沢を下の名で呼んだのが可笑しかったのか。それとも、『奈央』と意図的に呼んだ男心が笑えたのか。居たたまれないから、声をかみ殺して笑わうのだけは止めて欲しい。
だけど、伝えた想いに偽りはない。どうしても言っておきたかった。生徒ではなく男としての裕樹に、教師ではなく奈央を想う一人の男として、伝えるべき想い。それが今の俺に出来る、目の前の男への精一杯の誠意だ。
「遠慮なんてしないで下さい。それが奈央のためなら」
様になる爽やかな笑みを残し、裕樹はクラスメイトが待つ教室へと戻って行った。
……奈央、お前は眠れたか?
ベッドから起き上がり、一晩中考えても足りない奈央の顔を、またこうして思い浮かべる。
──昨夜。
あれから程なくして、時間だと言わんばかりに奈央は荒々しく灰皿に煙草を押し潰した。
『今度、改めてじっくり話そう。逃げていないなら話せるはずだ』
念を押したが奈央からの反応はなかった。扉が閉まる直前、『それと、オムライス旨かった。ありがとな』ずっと言いたかったお礼を背を向けた奈央に残し、後にした水野家。
元気は失せ完全に萎れた林田を気遣い、一方的に話し掛けながら無事送り届けると、自宅に戻った俺は一晩中ベッドの上で暗闇の中の天井を見上げていた。
俺がすべきこと。俺がしてあげられること。その答えを見つけたくて、一晩中思考が止むことはなかった。
カーテンの隙間から差し込む一筋の光の糸。目を細めながら両手を頭上に伸ばして体を解せば、いつもと同じ時間に鳴る目覚まし時計。時計のアラームを解除すると、その横に置いてあるスマートフォンに目を向ける。
俺も前を向かねぇとな。アイツの道標となるためにも。
フーッ、と覚悟を決めるように長い息を吐き出すと、それを手に取り操作した。
「もしもし、お袋? 今日、仕事終わったらそっちに顔出すから───」
*
「おはよー!ほら全員席に着け~!」
文化祭を明日に控え今日の授業は午前中のみ。午後からは、その最終準備の時間となっていて、誰もが心踊る中、
……良かった、居た。
真っ先にアイツの存在を確認する。
奈央を視界に収めてから、他の生徒にも目を配った。
「全員いるな?」
この場所で俺がしてあげられること。それは、本当にちっぽけで、些細なことかもしれない。
「よし、じゃあ今から席替えするぞー」
「は? 今から?」
「何だよ、急に!」
いきなり過ぎて生徒達が驚くのも当然だ。それを分かっていながら、そうせずにはいられなかった。
今の席では気も休まらないだろう。張り詰めた糸のように、いつ気持ちがプツンと切れるか分からない危うさもある。席替えをしたくらいでは気休めにもならないかもしれないが、それでも、ほんの僅かばかりでも強張る感情を解せられたら。そう願わずにはいられなかった。
「好きなとこでいいぞ。十分で移動しろよ~。」
朝のSHRという限られた時間で、突然の席替えに戸惑ったのは初めだけだ。笑顔で『どの席にする?』と、友人と相談してる者もいれば、『このままでイイや』と、動かない奴もいる。奈央も『このまま』を選択する気らしい。
次の授業の為にすでに机の上に教科書を並べ、微塵とも動かず窓の外を眺めている奈央を俺は盗み見ていた。
芹沢に会う為に自らこの学校に来たはずなのに、その目的を果たそうとはしなかった奈央。それは、奈央の中で変化が生じたからかもしれない。でも、だからと言って全てを消化出来るほど、人の気持ちは単純じゃなくて……、
『……私は私、奈央なの』
出会った頃に、そう言っていた意味を今頃になって知る。
知らないが故に放った俺の言葉は、時に、意味を込めて口にしたものより傷口を疼かせるには充分だったはずだ。
そして芹沢の存在にも、神経を尖らせずにはいられなかったのだろう。その細い体に、どけだけの傷を抱えていたのか、ここに至って漸く理解した。
でもな、奈央。それだけじゃ、ダメだ。
自分の気持ちを優先して、何一つ気付いてあげられなかった俺だけど、もう奈央の元を去ったりはしないから。倒れそうな時は俺が守るから。だから、全てのものから目を背けるのは終わりだ。
過去の全てを納得しろとは言わない。でも、喩え受け入れがたい過去でも、決して囚われたままではいるな。それじゃ、お前が幸せになれない。どう足掻いたって変えられない過去なら、それを乗り越えるしかないんだ。
それに、奈央が知らないことだってあるんだぞ? 求めたものとは違っても、ちゃんとあったんだよ。その託されたもの全て、お前に告げるから……。
───ガタン
思案に耽っている最中、物音に気付き意識が引き戻される。
音の発信元は芹沢で、移動しやすいよう椅子を逆さまにして机に乗せているところだった。
喋るのに夢中な生徒達は、まだ誰も動かない。そんな中、いち早く行動に移したのが芹沢で、直ぐに林田が後に続く。二人は目で語るように頷き合うと、机を持って動き出した。
奈央の列の前方へと移動しようとする芹沢と、芹沢がいなくなった場所に席を置く林田。芹沢はともかくとして、林田のその行動にクラス中の視線が集中する。優等生の奈央と、不良とされる林田との意外な組み合わせに、言葉を失くす生徒達。
「時間内に決まらなかったら、俺の独断で勝手に決めるからな~」
固まる視線を遮断する為に声を張り上げ、急き立てられた他の生徒達は、慌てたように次々と席を移動し始めた。
席替えも無事に終わり、今日の予定を告げていると、生徒達の視線が俺に集まっているのを良いことに、奈央は一人横を向いた。芹沢がいたその席に座る林田を、威嚇するかのような細めた視線で刺している。
そんな奈央の態度も覚悟の内だっただろう林田は、
『よろしく』
諦めろと言わんばかりに、俺の場所からでも分かるほどの大袈裟な口パクで、奈央をあしらっていた。
その日の放課後。生徒達が明日の準備をしている教室を覗くと、そこに奈央の姿はなかった。
「沢谷先生。青いビニールテープ貰いたいんですけど」
そう躊躇いがちに声を掛けて来たのは芹沢だ。
「資料室にあるから一緒に来いよ」
直ぐに芹沢を誘い出し、長い廊下を無言で歩いて資料室に入ると、誰も入って来れないよう鍵を掛ける。
ビーニールテープはきっと口実。俺と話をしたいだけだって事は、その目を見ればすぐに分かった。
「話、あんだろ? その前に、水野はどうした?」
「自分の仕事が終わって、直ぐに帰りました
「そうか……あのな、全部訊いたから」
それだけで通じた芹沢は、伏し目がちにコクンと頷き、
「……はい」
と、答えると、改めて二人の出会いから別れまでを語り出した。
その話を一つに纏めるとするならば……。それは、奈央を救ったはずの芹沢の思いが、真実の前では形を変え刃となり、全てを知り得た時の奈央の心に深い傷を与えてしまった。そんな、悲しい現実だった。
自分が何を言っても、それは傷口を抉ることにしか繋がらなかった、と話の最後に悔しそうに顔を歪めた。
「だから先生。奈央のことお願いします」
本当は、自分が救いたかっただろうに『俺じゃダメだから』と頭を下げる芹沢に、やりきれなさが募る。
「頭上げろよ。お前は何も悪くなんかない。それに、お前の優しさに気付かないほど、アイツも愚かじゃない」
頭を上げた芹沢は、
「いつか、奈央と笑って話せる日が来れば……無理な話ですけどね」
後頭部を掻きながら、切なく笑った。
「無理じゃねぇだろ。アイツを見くびんなよ? その証拠に、バカ正直に話したんだろ? お前に復讐しようとしてたって。アイツは、心底悪い奴になんてなれねぇよ」
芹沢は笑いながら何度も頷く。
「じゃあ、俺戻りますね。先生に奈央のこと頼みたかっただけだから」
そう言って、出て行こうとする芹沢を呼び止めた。
「おいっ、コレ」
振り向いた芹沢に、手ぶらで教室に帰ったんじゃ格好がつかないだろうと投げたビニールテープ。
「先生、これ赤ですけど?」
「悪い。それしかなかった」
束の間の苦笑後、芹沢が「先生」と再び口を開く。
「うん?」
「名前で良いですから。フランクに俺のこと下の名前で呼んで下さい」
「あぁ、分かった。そうさせて貰うわ」
些細なことしか出来ないが、その意味は大きいと考える俺と芹沢は、奈央を強く想う気持は同じだ。
「裕樹! 奈央の事、もう遠慮しねぇから」
声を大にして芹沢を下の名で呼んだのが可笑しかったのか。それとも、『奈央』と意図的に呼んだ男心が笑えたのか。居たたまれないから、声をかみ殺して笑わうのだけは止めて欲しい。
だけど、伝えた想いに偽りはない。どうしても言っておきたかった。生徒ではなく男としての裕樹に、教師ではなく奈央を想う一人の男として、伝えるべき想い。それが今の俺に出来る、目の前の男への精一杯の誠意だ。
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