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83. 見つめる未来-3
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分からない。奈央が何を考えてるいるのか。
分からないのならいっそ、奈央が進むべき道を応援し、黙って背中を押してやるべきなのか。
奈央を引き留め、自分のものにしたいと願う俺には、どうすべき道が正しいのかが分からなかった。
予定では、帰宅する足取りは軽く速いはずだったのに、今じゃ一変し、鉛と化した足。
重く感じる足で遠回りをして時間を稼いでみても、俺の中の混乱は消えない。
読みたいものもないのに本屋に立ち寄り、次には目的もなくコンビニに入り、無意味に店内をうろつく。
散々遠回りをしながら、それでも確実にマンションへと近づき、普段の三倍の時間を要しながらも、気付けば自宅のドアの前。
結局は、この数時間で混乱を収められず、溜息一つ溢してドアに鍵を差し込んだ。
開けたドアからは、差し込む明りと共に、キッチンからの匂いが漂ってくる。
混乱さえしていなければ、腹に刺激をもたらすだろう旨そうな匂いだ。
「敬介、お帰り。なに突っ立ってるの? ご飯出来てるよ。早く食べよ」
混乱している俺とは対照的に、リビングの扉からひょっこりと顔を出した奈央の様子は、二者面談が嘘だったんじゃないのかと、錯覚さえ起こしそうなほど普通だった。
リビングに入れば、俺達が過ごしてきた大切な時間が当たり前のようにあるのに、俺の心は一向に晴れない。
バランスも彩りも良い料理がテーブルに並んで、俺の隣には奈央がいて。
「いただきます」
料理を口に運ぶ奈央は、驚くほど以前と同じ普段通りで……。その全てに今日の俺はついていけない。
「敬介、食べないの? 冷めちゃうよ?」
どうして、そうやって普通にしていられるんだ。俺が困惑してるって、奈央が気付かないわけないだろ。
N.Yの話には触れず、何食わぬ顔して食事をする奈央は、
「残さずしっかり食べてね」
俺が漸くスプーンを手にしたのを認め、どこまでも変わらぬ態度で接してくる。
「なぁ、何で普通にしてられんだよ。他に言うべきことがあんだろ?」
「言うべきこと? 特にはないけど」
食べながらチラッと俺を見ただけの奈央に、そうあっさり返された俺は、クリームシチューを掬ったスプーンを、皿の上に静かに置いた。
――何も言うことはない?
奈央がN.Yに行ってしまえば、この大切だと思ってた二人の時間はなくなんだぞ?
こうして当たり前のように過ごそうとするおまえは、時が来ればこの時間をあっさり捨てんのか?
残される俺は、どうすりゃいいんだよ。奈央がいなくなんのが分かってて、それまで普通に俺に過ごせって言うのか。
自信がついた時、気持ちを伝えるって言ったって、それはいつだ?
向こうの大学に行けば、年単位で離れ離れになるのは確実だ。第一、俺が大切だって言うんなら、二人の時間を捨ててまでN.Yに行く必要なんてねぇだろ。相応しくないかどうかなんて、俺が決めることだ。
「敬介、ご飯はちゃんと食べて?」
料理にも手をつけられないほど、ぐるぐる渦巻く疑問符を抱え悩む俺に、無神経にも奈央が言う。
「おまえは平気なのか? 何年も離れることになっても、おまえは平気なのかよ」
静かに問う俺に、奈央は食事を中断させた。
「私の進路なら担任に伝えたし、敬介に話すことは何もない」
「は? なんだよそれ。担任の前に俺は一人の男だ! おまえみたいに器用に態度なんて変えられねぇんだよ!」
教室でもそうだったように、奈央の考えに追い付かず、自然と声が大きくなる。
そんな俺に、奈央は身体ごと向き合った。
「人は変わる時が来る。変わらなきゃならない時があると思う。私も、敬介も。だから、こんな時間はずっと続かない」
「続くも続かねぇも、おまえ次第だ。奈央が傍にいりゃ何も変わんねぇだろうが!」
「ううん」そう言って奈央は首を振った。
「きっと続かないと思う。だからこそ、今しかない敬介との時間を、私は大切にしたい」
「分かんねぇよ」
噛みあわない会話に、深い溜息が落ちる。
「奈央は難しく考えすぎなんだよ。俺には、今の奈央の考えが全然分かんねぇ」
「私は、敬介のこと良く分かるよ。私も同じ。私も敬介と同じように思ったの」
「……」
「だから、私はN.Yへ行こうと思ったし、それを変えるつもりはない」
「随分と曖昧な言い方すんだな。そんなんで分かるかよ。……なぁ、奈央? 俺が行くなって言ったらどうする? それでも、おまえは行くのか?」
冷静を心掛けるも、どうしようもなく声は上擦る。
奈央の答えを予想しつつ、それとは真逆の俺が望む答えを言ってくれ、と願い待つたった数秒がやけに長く感じた。
「うん、行く」
やはり望んだものとは違う答えか。そう思っても引き下がれない俺は、
「俺が全力で阻止しようとしても?」
「行くよ」
奈央の意志を変えられるどころか、揺さぶることすら出来ない。
「ねぇ、忘れてない? 私には、やりたいことが見つかったの。たとえ敬介でも、それを止める権利はない」
毅然と言い放つ奈央に、俺はもう押し黙るしかなかった。
「それに、敬介はそんなことしない。敬介が私の立場なら、きっと同じようにすると思うから…………シチュー冷めちゃったね。温め直してくる」
笑みまで見せて立ち上がった奈央は、その後も態度が変わることはなかった。
いつも通りに振舞う奈央。それが奈央の言う、俺との時間を大切にしたいという気持ちの表れだとしたら、俺にとっては苦痛でしかない。
いつかは、この時間がなくなる。そう思うと遣りきれなくて、割り切って今だけを楽しもうだなんて、気持ちの変換は出来そうになかった。
口数の減った俺は食欲も消え失せ、奈央の作ってくれた手料理を、その夜、初めて皿に残した。
変わらない日々が俺を追い詰め、平然と振舞う奈央に混乱は増し続ける。
「責任持って食べてもらうから」
俺が奈央の手料理を初めて残した日の翌日。朝からシチューがテーブルに並んだ。
朝だけじゃなく、その晩も、その翌朝も。
いつものように大量に作ったらしいシチューを、無くなるまで食べさせる気でいる嫌がらせのような行為も、いつもと変わらずだった。
変わったのは俺だけ。口数が減り、最低限のことしか話せないでいる。
明らかにいつもと違う俺を気にも留めず、奈央はコーヒーが飲みたいと平然と注文してくる。
黙って淹れてやるコーヒーを、相変わらず美味しいと言って飲む奈央は、本気で俺との時間を卒業するまで続けるつもりでいるらしい。
ほとんど自分の部屋に戻らなくなった奈央は、俺が食欲なくても毎日毎日飯を作り、俺の部屋で勉強もするようになった。
ただ、今までと違うのは、英語と数学だけに徹底的に力を入れているようで、それが嫌でも留学のためだと思わせる。
夜になれば同じベッドに入って、腕枕をする気分じゃない俺の腕に縋りつくようにして眠って……。
そんな奈央の寝顔を見ていると、あと数ヶ月でこんな時間は儚く消えるのに、こいつには寂しさの欠片もないんじゃないかと思えてくる。
もしかしたら『大切』とは言っても、俺とは違って、恋愛感情とは別の何かではないのかと、疑念すら湧いてくる。
果てには、思わせぶりに俺に寄り添い眠る奈央を、力づくで自分のものにしてしまおうかと、どす黒い感情までが顔を出す有り様だった。
黒い感情をどうにか振り切り、隣で眠る奈央から逃げるようにベッドを這い出る深夜。リビングで酒を煽り、そのままソファーで微睡んで、そして一人朝を迎える。
そんな生活が数日を過ぎ、行き場のない想いを抱えたままの俺が、遂に我を忘れ暴挙に出たのは、暦が十一月になって直ぐの事だった。
分からないのならいっそ、奈央が進むべき道を応援し、黙って背中を押してやるべきなのか。
奈央を引き留め、自分のものにしたいと願う俺には、どうすべき道が正しいのかが分からなかった。
予定では、帰宅する足取りは軽く速いはずだったのに、今じゃ一変し、鉛と化した足。
重く感じる足で遠回りをして時間を稼いでみても、俺の中の混乱は消えない。
読みたいものもないのに本屋に立ち寄り、次には目的もなくコンビニに入り、無意味に店内をうろつく。
散々遠回りをしながら、それでも確実にマンションへと近づき、普段の三倍の時間を要しながらも、気付けば自宅のドアの前。
結局は、この数時間で混乱を収められず、溜息一つ溢してドアに鍵を差し込んだ。
開けたドアからは、差し込む明りと共に、キッチンからの匂いが漂ってくる。
混乱さえしていなければ、腹に刺激をもたらすだろう旨そうな匂いだ。
「敬介、お帰り。なに突っ立ってるの? ご飯出来てるよ。早く食べよ」
混乱している俺とは対照的に、リビングの扉からひょっこりと顔を出した奈央の様子は、二者面談が嘘だったんじゃないのかと、錯覚さえ起こしそうなほど普通だった。
リビングに入れば、俺達が過ごしてきた大切な時間が当たり前のようにあるのに、俺の心は一向に晴れない。
バランスも彩りも良い料理がテーブルに並んで、俺の隣には奈央がいて。
「いただきます」
料理を口に運ぶ奈央は、驚くほど以前と同じ普段通りで……。その全てに今日の俺はついていけない。
「敬介、食べないの? 冷めちゃうよ?」
どうして、そうやって普通にしていられるんだ。俺が困惑してるって、奈央が気付かないわけないだろ。
N.Yの話には触れず、何食わぬ顔して食事をする奈央は、
「残さずしっかり食べてね」
俺が漸くスプーンを手にしたのを認め、どこまでも変わらぬ態度で接してくる。
「なぁ、何で普通にしてられんだよ。他に言うべきことがあんだろ?」
「言うべきこと? 特にはないけど」
食べながらチラッと俺を見ただけの奈央に、そうあっさり返された俺は、クリームシチューを掬ったスプーンを、皿の上に静かに置いた。
――何も言うことはない?
奈央がN.Yに行ってしまえば、この大切だと思ってた二人の時間はなくなんだぞ?
こうして当たり前のように過ごそうとするおまえは、時が来ればこの時間をあっさり捨てんのか?
残される俺は、どうすりゃいいんだよ。奈央がいなくなんのが分かってて、それまで普通に俺に過ごせって言うのか。
自信がついた時、気持ちを伝えるって言ったって、それはいつだ?
向こうの大学に行けば、年単位で離れ離れになるのは確実だ。第一、俺が大切だって言うんなら、二人の時間を捨ててまでN.Yに行く必要なんてねぇだろ。相応しくないかどうかなんて、俺が決めることだ。
「敬介、ご飯はちゃんと食べて?」
料理にも手をつけられないほど、ぐるぐる渦巻く疑問符を抱え悩む俺に、無神経にも奈央が言う。
「おまえは平気なのか? 何年も離れることになっても、おまえは平気なのかよ」
静かに問う俺に、奈央は食事を中断させた。
「私の進路なら担任に伝えたし、敬介に話すことは何もない」
「は? なんだよそれ。担任の前に俺は一人の男だ! おまえみたいに器用に態度なんて変えられねぇんだよ!」
教室でもそうだったように、奈央の考えに追い付かず、自然と声が大きくなる。
そんな俺に、奈央は身体ごと向き合った。
「人は変わる時が来る。変わらなきゃならない時があると思う。私も、敬介も。だから、こんな時間はずっと続かない」
「続くも続かねぇも、おまえ次第だ。奈央が傍にいりゃ何も変わんねぇだろうが!」
「ううん」そう言って奈央は首を振った。
「きっと続かないと思う。だからこそ、今しかない敬介との時間を、私は大切にしたい」
「分かんねぇよ」
噛みあわない会話に、深い溜息が落ちる。
「奈央は難しく考えすぎなんだよ。俺には、今の奈央の考えが全然分かんねぇ」
「私は、敬介のこと良く分かるよ。私も同じ。私も敬介と同じように思ったの」
「……」
「だから、私はN.Yへ行こうと思ったし、それを変えるつもりはない」
「随分と曖昧な言い方すんだな。そんなんで分かるかよ。……なぁ、奈央? 俺が行くなって言ったらどうする? それでも、おまえは行くのか?」
冷静を心掛けるも、どうしようもなく声は上擦る。
奈央の答えを予想しつつ、それとは真逆の俺が望む答えを言ってくれ、と願い待つたった数秒がやけに長く感じた。
「うん、行く」
やはり望んだものとは違う答えか。そう思っても引き下がれない俺は、
「俺が全力で阻止しようとしても?」
「行くよ」
奈央の意志を変えられるどころか、揺さぶることすら出来ない。
「ねぇ、忘れてない? 私には、やりたいことが見つかったの。たとえ敬介でも、それを止める権利はない」
毅然と言い放つ奈央に、俺はもう押し黙るしかなかった。
「それに、敬介はそんなことしない。敬介が私の立場なら、きっと同じようにすると思うから…………シチュー冷めちゃったね。温め直してくる」
笑みまで見せて立ち上がった奈央は、その後も態度が変わることはなかった。
いつも通りに振舞う奈央。それが奈央の言う、俺との時間を大切にしたいという気持ちの表れだとしたら、俺にとっては苦痛でしかない。
いつかは、この時間がなくなる。そう思うと遣りきれなくて、割り切って今だけを楽しもうだなんて、気持ちの変換は出来そうになかった。
口数の減った俺は食欲も消え失せ、奈央の作ってくれた手料理を、その夜、初めて皿に残した。
変わらない日々が俺を追い詰め、平然と振舞う奈央に混乱は増し続ける。
「責任持って食べてもらうから」
俺が奈央の手料理を初めて残した日の翌日。朝からシチューがテーブルに並んだ。
朝だけじゃなく、その晩も、その翌朝も。
いつものように大量に作ったらしいシチューを、無くなるまで食べさせる気でいる嫌がらせのような行為も、いつもと変わらずだった。
変わったのは俺だけ。口数が減り、最低限のことしか話せないでいる。
明らかにいつもと違う俺を気にも留めず、奈央はコーヒーが飲みたいと平然と注文してくる。
黙って淹れてやるコーヒーを、相変わらず美味しいと言って飲む奈央は、本気で俺との時間を卒業するまで続けるつもりでいるらしい。
ほとんど自分の部屋に戻らなくなった奈央は、俺が食欲なくても毎日毎日飯を作り、俺の部屋で勉強もするようになった。
ただ、今までと違うのは、英語と数学だけに徹底的に力を入れているようで、それが嫌でも留学のためだと思わせる。
夜になれば同じベッドに入って、腕枕をする気分じゃない俺の腕に縋りつくようにして眠って……。
そんな奈央の寝顔を見ていると、あと数ヶ月でこんな時間は儚く消えるのに、こいつには寂しさの欠片もないんじゃないかと思えてくる。
もしかしたら『大切』とは言っても、俺とは違って、恋愛感情とは別の何かではないのかと、疑念すら湧いてくる。
果てには、思わせぶりに俺に寄り添い眠る奈央を、力づくで自分のものにしてしまおうかと、どす黒い感情までが顔を出す有り様だった。
黒い感情をどうにか振り切り、隣で眠る奈央から逃げるようにベッドを這い出る深夜。リビングで酒を煽り、そのままソファーで微睡んで、そして一人朝を迎える。
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