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85. 見つめる未来-5
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どれくらい歩いたのか。目的も決めずに歩き続けた俺は、繁華街から少し離れた場所で、個人経営だろうと思われる居酒屋を見つけ、暖簾をくぐった。
「いらっしゃいませ!」
中は意外と広く、威勢の良い五十代らしきオヤジさんに出迎えられ、空いてる席に適当に座る。
見渡す店内は、数席空いているだけで、結構な客入りだ。
サラリーマンがほとんどで、愚痴やら何やら、日ごろのストレスを発散しているのだろうが、時折、連れ達と笑顔を挟んで酒を酌み交わす姿を見れば、俺が一番覇気の無い顔をしているに違いなかった。
お通しを持って来た店員に、食欲はなくても、礼儀として何品か軽めのつまみを頼み、酒は店員がお勧めだと言う米焼酎をボトルごと頼んだ。
ロックグラスにアイスを落とし、そこにダブル以上の量の酒を並々と注ぐ。
油断すれば直ぐにでも浮かんでくる、哀しげな奈央の顔を掻き消すように、水を飲むかの如く流し込んだ酒は、俺の喉と胃を、ヒリヒリと焼きつけるように熱くした。
……潮時だな。解放してやんねぇと。
そんな考えが自然と生まれる。今夜、自分がしでかした事を鑑みれば、それが一番良いと思えた。
どんなに足掻いてみたところで、奈央の自由は奪えないし、奪ってはいけない。
何より、奈央を思うあまり負の感情が暴走し、アイツを傷つけないとも限らない…………今夜みたいに。
自信がなかった。こんな行動に出てしまった自分に。狂気にも似た想いに駆られるほど、奈央を求めてしまう自分自身に。
奈央には自由と共に未来がある。まだまだこれからの長い先がある。狭い環境だけに閉じ込めることが、奈央に取って幸せであるはずがない。
飛び出した未来に、こんな俺よりももっと相応しい男だっているはずだ。
カラン。
解けた氷が音を立て、空のグラスに酒を足す。
足しては飲んで、飲んでは足して。
速いスピードで、透明な液体を消費していく。
飲めば飲むほど身体はアルコールに屈しそうになるのに、頭の芯までは酔いきれなかった。
アイツを快く送り出してやろう。そう考えられるくらいには、まともだ。
頑張って来い! と、笑って言ってあげれば良い。アイツが望むなら、卒業まで傍にいてもいい。あと数ヶ月、どんなに負の感情が湧きあがっても、今度こそ自分をコントロールして抑え込む。
俺にとって何よりも怖いのは、奈央から笑顔を奪ってしまうこと。あんな顔をさせてしまうことだ。
奈央が傷つくのが、俺にとっては何よりも怖くて辛い。今夜それを、俺は改めて思い知った。
ただ……、と思ってしまうのは、やはり頭の神経まではアルコールに侵されていないせいか。
ただ出来ることなら、アイツの言う大切な人ってヤツを、違う言葉で訊いてみたかった。
ネックレスを肌身離さずつけるくらいには、大切だと思っていてくれているのなら、本当の想いを確かな言葉で訊いてみたい。
そんな風に、この期に及んでも思う自分が滑稽で、テーブルに並んだつまみを箸でつつきながら、自嘲的な笑みを溢す。
……俺だって伝えていないのに、随分と勝手な話だ。
大事だからこそ容易くは言えないと、決定的な言葉は告げずに今まで来た。教師と生徒の関係だからという理由も勿論ある。
けれど、それだけじゃない。
中途半端に過ごして来た俺には、まだそんな資格がないと思った。
目先の事だけじゃない。何年も、何十年も、その先の事を考えれば、尚更にそう思えた。
自分の宿命から目を反らし、逃れたままじゃいけないと……。
だから俺は、来年の四月から沢谷の跡取りとして生きていくと決めた。
奈央も俺もあの高校を卒業し、自分の足元を固めスタートラインに立った時。初めて、奈央からの信頼も得られ相応しい男に近づけるんじゃないかって。それまでは、決定的な言葉はお預けだって。
でもその時が来たら、二人で歩く未来も見据えて、俺は俺の全ての想いを奈央に告げる、そう思っていたのに。今となっちゃ、それすらも叶わな────ん!?
唐突に感知した違和感に、巡らせていた思考を中断し、手にしていた箸を置く。
いくらも残っていない酒を飲み、そこにミネラルウォータだけを注ぎ足してはそれも飲み干して、ゴクリと喉を鳴らす。
……同じじゃねぇか? 同じこと、俺もしてんじゃないのか?
感じた違和感に何かを掴めそうで、更に水を追加して、一気に体内へ流し込んだ。冷たい水が頭をすっきりとさせ、冷静に俺達二人の言動を比較してみる。
相応しくないと言って、奈央は留学を決めた。資格がないと思って、俺は宿命を受け入れようとしている。
俺を大切な人と表現した奈央と、好きだの、愛してるだのと、直接的な言葉を使わなかっただけで、出来うる限りの気持ちは伝えて来た俺。
その時が来たら気持ちを伝える、と奈央はそう言った。その時が来たら、全ての想いを俺も告げるつもりでいた。
留学の話を訊くまでは、まだ想いの全てを告げられなくても、一緒に過ごすこと自体を止めようとは思わなかった俺と、今の時間を大切にしたいからと、卒業まで俺の傍にいるらしい奈央。
絡み合う一本の糸が解ける感覚を覚える一方で、自惚れなんじゃないかと、自信のない気弱な思考が邪魔をする。
それでも、一度浮かんでしまった仮説に思念は傾き、思わずにはいられない。やっている事は同じじゃないのかと。
想いを告げるタイミング設定が違うだけで、後は何ら違いはないのではないのか、と。
想いを遂げるため、俺が沢谷の人間として生きていく選択をしたように、奈央にとっての留学がそれだとしたら……。
だとしても、留学まですることはない、と思ってしまう俺は、何処までも器が小さいらしい。
父親の世界に近付き、理解したいのなら、それは歩み寄りを見せた奈央の成長であり、夢だとも言える。だが、そんなものは俺の傍にいれば嫌でも叶う。
奈央の実の父親や、水野の父親がいる世界に、俺も身を置くんだ。
新しく始まる生活は、目まぐるしくなるだろうけれど、黙ってずっと俺の傍にいれば、その世界を覗くことも可能だし、徐々に理解だって深められるはずだ。と、何処までも夢みたいに自分勝手に思う。
だけど仮にもし、俺の傍にいることでその世界を知ることが出来たとしても、奈央は黙ってジッとしている女じゃないか、とふと思う。
大人しく守られてりゃいいものを、きっと奈央なら、俺の力になろうと必死になって知識を高めるに違いない…………って、待てよ?
奈央のヤツ、それでN.Y行くって言い出したんじゃねぇよな。ま、まさかな……。
都合良く夢物語に浸る自分の思考を慌てて打ち消す。
そんなはずない。いくらなんでも、それこそ自惚れだ。
第一、奈央は俺が沢谷で働くことを知らない。
教師を辞めるとは言っても、その先の身の振り方までは教えてはいない……はずだけども。と、思考が尻窄みになり、そう言えば、アイツは神戸に帰ってたんだよな、と思いあたってハッとなる。
俺とこういう間柄になる前から、俺を沢谷の人間だと知っていた奈央のことだ。大企業である水野の人間である奈央なら、それを知っていても不思議ではなかった。
俺が後を継ぐ意志を固めたことだって、立場ある人間なら、恐らくその情報を掴んでいるだろう。神戸に帰っていた奈央は、それを耳にしたんじゃないのか?
いや、それより前に、勘の良い奈央ならある程度の察しはついていたか。そう考えれば、奈央が言っていた全てが繋がるような気がした。
「いらっしゃいませ!」
中は意外と広く、威勢の良い五十代らしきオヤジさんに出迎えられ、空いてる席に適当に座る。
見渡す店内は、数席空いているだけで、結構な客入りだ。
サラリーマンがほとんどで、愚痴やら何やら、日ごろのストレスを発散しているのだろうが、時折、連れ達と笑顔を挟んで酒を酌み交わす姿を見れば、俺が一番覇気の無い顔をしているに違いなかった。
お通しを持って来た店員に、食欲はなくても、礼儀として何品か軽めのつまみを頼み、酒は店員がお勧めだと言う米焼酎をボトルごと頼んだ。
ロックグラスにアイスを落とし、そこにダブル以上の量の酒を並々と注ぐ。
油断すれば直ぐにでも浮かんでくる、哀しげな奈央の顔を掻き消すように、水を飲むかの如く流し込んだ酒は、俺の喉と胃を、ヒリヒリと焼きつけるように熱くした。
……潮時だな。解放してやんねぇと。
そんな考えが自然と生まれる。今夜、自分がしでかした事を鑑みれば、それが一番良いと思えた。
どんなに足掻いてみたところで、奈央の自由は奪えないし、奪ってはいけない。
何より、奈央を思うあまり負の感情が暴走し、アイツを傷つけないとも限らない…………今夜みたいに。
自信がなかった。こんな行動に出てしまった自分に。狂気にも似た想いに駆られるほど、奈央を求めてしまう自分自身に。
奈央には自由と共に未来がある。まだまだこれからの長い先がある。狭い環境だけに閉じ込めることが、奈央に取って幸せであるはずがない。
飛び出した未来に、こんな俺よりももっと相応しい男だっているはずだ。
カラン。
解けた氷が音を立て、空のグラスに酒を足す。
足しては飲んで、飲んでは足して。
速いスピードで、透明な液体を消費していく。
飲めば飲むほど身体はアルコールに屈しそうになるのに、頭の芯までは酔いきれなかった。
アイツを快く送り出してやろう。そう考えられるくらいには、まともだ。
頑張って来い! と、笑って言ってあげれば良い。アイツが望むなら、卒業まで傍にいてもいい。あと数ヶ月、どんなに負の感情が湧きあがっても、今度こそ自分をコントロールして抑え込む。
俺にとって何よりも怖いのは、奈央から笑顔を奪ってしまうこと。あんな顔をさせてしまうことだ。
奈央が傷つくのが、俺にとっては何よりも怖くて辛い。今夜それを、俺は改めて思い知った。
ただ……、と思ってしまうのは、やはり頭の神経まではアルコールに侵されていないせいか。
ただ出来ることなら、アイツの言う大切な人ってヤツを、違う言葉で訊いてみたかった。
ネックレスを肌身離さずつけるくらいには、大切だと思っていてくれているのなら、本当の想いを確かな言葉で訊いてみたい。
そんな風に、この期に及んでも思う自分が滑稽で、テーブルに並んだつまみを箸でつつきながら、自嘲的な笑みを溢す。
……俺だって伝えていないのに、随分と勝手な話だ。
大事だからこそ容易くは言えないと、決定的な言葉は告げずに今まで来た。教師と生徒の関係だからという理由も勿論ある。
けれど、それだけじゃない。
中途半端に過ごして来た俺には、まだそんな資格がないと思った。
目先の事だけじゃない。何年も、何十年も、その先の事を考えれば、尚更にそう思えた。
自分の宿命から目を反らし、逃れたままじゃいけないと……。
だから俺は、来年の四月から沢谷の跡取りとして生きていくと決めた。
奈央も俺もあの高校を卒業し、自分の足元を固めスタートラインに立った時。初めて、奈央からの信頼も得られ相応しい男に近づけるんじゃないかって。それまでは、決定的な言葉はお預けだって。
でもその時が来たら、二人で歩く未来も見据えて、俺は俺の全ての想いを奈央に告げる、そう思っていたのに。今となっちゃ、それすらも叶わな────ん!?
唐突に感知した違和感に、巡らせていた思考を中断し、手にしていた箸を置く。
いくらも残っていない酒を飲み、そこにミネラルウォータだけを注ぎ足してはそれも飲み干して、ゴクリと喉を鳴らす。
……同じじゃねぇか? 同じこと、俺もしてんじゃないのか?
感じた違和感に何かを掴めそうで、更に水を追加して、一気に体内へ流し込んだ。冷たい水が頭をすっきりとさせ、冷静に俺達二人の言動を比較してみる。
相応しくないと言って、奈央は留学を決めた。資格がないと思って、俺は宿命を受け入れようとしている。
俺を大切な人と表現した奈央と、好きだの、愛してるだのと、直接的な言葉を使わなかっただけで、出来うる限りの気持ちは伝えて来た俺。
その時が来たら気持ちを伝える、と奈央はそう言った。その時が来たら、全ての想いを俺も告げるつもりでいた。
留学の話を訊くまでは、まだ想いの全てを告げられなくても、一緒に過ごすこと自体を止めようとは思わなかった俺と、今の時間を大切にしたいからと、卒業まで俺の傍にいるらしい奈央。
絡み合う一本の糸が解ける感覚を覚える一方で、自惚れなんじゃないかと、自信のない気弱な思考が邪魔をする。
それでも、一度浮かんでしまった仮説に思念は傾き、思わずにはいられない。やっている事は同じじゃないのかと。
想いを告げるタイミング設定が違うだけで、後は何ら違いはないのではないのか、と。
想いを遂げるため、俺が沢谷の人間として生きていく選択をしたように、奈央にとっての留学がそれだとしたら……。
だとしても、留学まですることはない、と思ってしまう俺は、何処までも器が小さいらしい。
父親の世界に近付き、理解したいのなら、それは歩み寄りを見せた奈央の成長であり、夢だとも言える。だが、そんなものは俺の傍にいれば嫌でも叶う。
奈央の実の父親や、水野の父親がいる世界に、俺も身を置くんだ。
新しく始まる生活は、目まぐるしくなるだろうけれど、黙ってずっと俺の傍にいれば、その世界を覗くことも可能だし、徐々に理解だって深められるはずだ。と、何処までも夢みたいに自分勝手に思う。
だけど仮にもし、俺の傍にいることでその世界を知ることが出来たとしても、奈央は黙ってジッとしている女じゃないか、とふと思う。
大人しく守られてりゃいいものを、きっと奈央なら、俺の力になろうと必死になって知識を高めるに違いない…………って、待てよ?
奈央のヤツ、それでN.Y行くって言い出したんじゃねぇよな。ま、まさかな……。
都合良く夢物語に浸る自分の思考を慌てて打ち消す。
そんなはずない。いくらなんでも、それこそ自惚れだ。
第一、奈央は俺が沢谷で働くことを知らない。
教師を辞めるとは言っても、その先の身の振り方までは教えてはいない……はずだけども。と、思考が尻窄みになり、そう言えば、アイツは神戸に帰ってたんだよな、と思いあたってハッとなる。
俺とこういう間柄になる前から、俺を沢谷の人間だと知っていた奈央のことだ。大企業である水野の人間である奈央なら、それを知っていても不思議ではなかった。
俺が後を継ぐ意志を固めたことだって、立場ある人間なら、恐らくその情報を掴んでいるだろう。神戸に帰っていた奈央は、それを耳にしたんじゃないのか?
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