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101. 旅立ちの時-5
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「いつまでそこにいるんですかー」
突然、襲いかかって来た棒読みのセリフに、ビクッと肩を震わせ振り返れば、
「ほら、奈央行っちゃったし、いつまでもそこにいないのー」
ニタニタ笑う林田と、申し訳なさそうに肩を竦める裕樹がいた。
……つーか、こいつら見てたんだな。
背中に嫌な汗を感じながら浮かぶ照れ臭さは、俺の表情にもしっかりと刻まれていたらしい。
「大丈夫、大丈夫。誰にも言わないし、大事な場面は見ないでおいてあげたから」
ニタニタ顔を止めようとはしない林田の手は、見ていないとアピールするように、目元を両手で覆っている。
でもよ、林田。その指の間、隙間ありまくりなんだけど!
「悔しかったら林田。おまえもイイ男でも捕まえろよ」
極り悪さを開き直りで覆い隠して反撃すれば、
「はぁ? 別に全然悔しくないしね! てか、人の心配より遠距離恋愛の自分を心配すれば~?」
「大きなお世話だ! 心配なんて全く必要ねぇし! それより卒業したんだから、さっさと帰れよ」
「うわっ、可愛い生徒に何そのセリフ!」
「…………」
「なに目を彷徨わせてんのよ! 可愛い生徒なら目の前にいるっつうの!」
俺と林田との攻防戦が始まり、延々と続く。
それでも……。
「まぁ、寂しい時は、いつでも構ってあげるからさ」
それが林田の気遣いだって分かっている。
「絶対に好きな人の助手席にしか乗らないし、自分が免許取ったら、真っ先に好きな人を乗せる! なんて子供の頃に言ってた可愛い奈央ちゃんの代わりにはならないだろうけど?」
俺の知らない奈央の一面まで教えてくれる、林田の優しさだって知っている。そして、きっと裕樹も。
「きもっ! 沢谷ニヤケ過ぎ」
「うっせぇっ! 例え寂しくなったとしても、俺は林田じゃなく裕樹に連絡する」
「たまには男二人もいいですね。先生、いつでも電話OKですから」
「はっ? 裕樹までなんなわけ?」
だから俺は、二人の優しさに気付かぬフリをして便乗する。
「そこは私も誘うべきでしょ! 奈央とまでは言わないけど、折角こんなイイ女が近くにいるんだから」
「「…………そうだな」」
「二人揃って何なの、その間は!」
「いやいや、林田も充分イイ女だって。なぁ、裕樹?」
「だから沢谷、目を泳がせるなっ!」
「勿論、俺も由香はイイ女だって思ってるよ」
「裕樹まで目を反らして言うな~っ!」
三人で言い合いながら払拭するのは、寂しさの残滓。
林田と裕樹を見送る為、正門まで歩くその距離を、俺達はワイワイガヤガヤと騒がしさで埋め尽くした。
*
卒業式も終わって、奈央も見送って……。夕方には、福島先生をはじめとする、三年を受け持っていた先生達と一緒に繁華街へと繰り出した。
ぽっかり何かが抜け落ちた様な、それでいて喜びと達成感と、更には、もっとこうしてあげれば良かったと言う僅かな後悔と。三年担任の誰しもが、複雑な感情を持ち合わせながらの飲み会は、酒は進んでも食事に手を伸ばす者は少なく、また俺もその一人だった。
卒業生達の思い出に花を咲かせ、その度に複雑な気持ちが押し寄せ……。そんな繰り返しの飲み会も、明日も学校があるのを理由に、最後は卒業生達の輝かしい未来を願ってグラスを掲げ、早目のお開きとなった。
ぶらぶらと、ゆったりとした足取りの帰り道。途中、コンビニに立ち寄ってから帰宅した家の中は、当然真っ暗だ。
明りを点け、コンビニ袋から取り出したミネラルウォーターを冷蔵庫にしまう為に入ったキッチンで、俺は今日一日を振り返っていた。
朝から目覚まし時計を操作されたことや、誰にも告げずに旅立とうとした奈央のことを。
全部、奈央の計算だったんだろ?
そんなの初めから分かっていた。俺を遅刻させようとしたのは、ただの悪戯なんかじゃない。離れ離れになってしまう二人の間が、寂しさで埋もれてしまわないよう、敢えて朝から顔を合せないようにしたんだ。
誰にも言わず旅立とうとしたのも同じ理由だ。出来るのなら、笑顔のまま離れられるように、と。
誰にも言わずに旅立つことは、俺が許さなかったから計算は狂っただろうけど、笑顔で離れることは出来た。奈央の気持ちが分かるからこそ、奈央の望む通り笑顔のままで。
……でもな、奈央。
────これは反則だ。
俺は手にしていたミネラルウォーターを、キッチンの大理石カウンターの上に静かに置いた。
目の前には、慌ただしい朝には気付かなかったものが置いてある。その上には、目覚まし時計と同じように紙が貼られていて、それを読んだ俺は、誰もいないこの場所で一人言葉を溢した。
「こんな計算までしてたのかよ……」
【敬介、食事だけはしっかり摂ってよね】
IHヒーターに乗っかった大きな鍋。貼り付けられた紙を剥がし蓋を開ければ、そこには大量のカレーが作られていて、
「また分量間違えちゃったんだな」
届かない相手に言葉を投げかけながら、鍋を火に掛ける。
覗いた炊飯器もタイマーにしてあったのか、しっかりご飯が炊かれていて、温まったカレーと共に皿によそった。
顔を合わせないだけじゃなく、コレを作るためにわざと俺を寝かせておいたとは、流石に俺も気付かなかったじゃねぇかよ。
奈央が神戸に帰っていた時、食事が喉を通らずやつれたことがあって以来。奈央は、俺の食事に対してかなり気に掛けてくれていた。
今回も、そうなるんじゃないかと、きっと奈央は心配してこのカレーを作ってくれたのだろう。俺からすれば、自分の食生活の方をよっぽど気に掛けて欲しいと思っているのに。
……だけどな、奈央? 一言だけ付け加えさせてもらうなら、
「やっぱりこの量は間違ってんだろ」
一人突っ込みを入れてから手を合わせ、奈央の手料理を初めて食べた時と同じ味のカレーを口に運ぶ。
どんなに食べても、朝晩と食べ続けても、五日分はあるだろうと思われる鍋の中のカレー。
「足んねぇよ……こんなんじゃ…………全然足んねぇ」
目の前のカレーが滲んで見えるのは、温めすぎて立ち上る湯気のせいだ。
俺は静かな部屋で一人、目を拭いながらカレーを食べた。
遠く離れてしまった奈央に心配掛けさせないためにも、黙々と食べ続けた。
たった五日分しかないカレーに、胸を撫でるような優しい愛情を感じながら……。
突然、襲いかかって来た棒読みのセリフに、ビクッと肩を震わせ振り返れば、
「ほら、奈央行っちゃったし、いつまでもそこにいないのー」
ニタニタ笑う林田と、申し訳なさそうに肩を竦める裕樹がいた。
……つーか、こいつら見てたんだな。
背中に嫌な汗を感じながら浮かぶ照れ臭さは、俺の表情にもしっかりと刻まれていたらしい。
「大丈夫、大丈夫。誰にも言わないし、大事な場面は見ないでおいてあげたから」
ニタニタ顔を止めようとはしない林田の手は、見ていないとアピールするように、目元を両手で覆っている。
でもよ、林田。その指の間、隙間ありまくりなんだけど!
「悔しかったら林田。おまえもイイ男でも捕まえろよ」
極り悪さを開き直りで覆い隠して反撃すれば、
「はぁ? 別に全然悔しくないしね! てか、人の心配より遠距離恋愛の自分を心配すれば~?」
「大きなお世話だ! 心配なんて全く必要ねぇし! それより卒業したんだから、さっさと帰れよ」
「うわっ、可愛い生徒に何そのセリフ!」
「…………」
「なに目を彷徨わせてんのよ! 可愛い生徒なら目の前にいるっつうの!」
俺と林田との攻防戦が始まり、延々と続く。
それでも……。
「まぁ、寂しい時は、いつでも構ってあげるからさ」
それが林田の気遣いだって分かっている。
「絶対に好きな人の助手席にしか乗らないし、自分が免許取ったら、真っ先に好きな人を乗せる! なんて子供の頃に言ってた可愛い奈央ちゃんの代わりにはならないだろうけど?」
俺の知らない奈央の一面まで教えてくれる、林田の優しさだって知っている。そして、きっと裕樹も。
「きもっ! 沢谷ニヤケ過ぎ」
「うっせぇっ! 例え寂しくなったとしても、俺は林田じゃなく裕樹に連絡する」
「たまには男二人もいいですね。先生、いつでも電話OKですから」
「はっ? 裕樹までなんなわけ?」
だから俺は、二人の優しさに気付かぬフリをして便乗する。
「そこは私も誘うべきでしょ! 奈央とまでは言わないけど、折角こんなイイ女が近くにいるんだから」
「「…………そうだな」」
「二人揃って何なの、その間は!」
「いやいや、林田も充分イイ女だって。なぁ、裕樹?」
「だから沢谷、目を泳がせるなっ!」
「勿論、俺も由香はイイ女だって思ってるよ」
「裕樹まで目を反らして言うな~っ!」
三人で言い合いながら払拭するのは、寂しさの残滓。
林田と裕樹を見送る為、正門まで歩くその距離を、俺達はワイワイガヤガヤと騒がしさで埋め尽くした。
*
卒業式も終わって、奈央も見送って……。夕方には、福島先生をはじめとする、三年を受け持っていた先生達と一緒に繁華街へと繰り出した。
ぽっかり何かが抜け落ちた様な、それでいて喜びと達成感と、更には、もっとこうしてあげれば良かったと言う僅かな後悔と。三年担任の誰しもが、複雑な感情を持ち合わせながらの飲み会は、酒は進んでも食事に手を伸ばす者は少なく、また俺もその一人だった。
卒業生達の思い出に花を咲かせ、その度に複雑な気持ちが押し寄せ……。そんな繰り返しの飲み会も、明日も学校があるのを理由に、最後は卒業生達の輝かしい未来を願ってグラスを掲げ、早目のお開きとなった。
ぶらぶらと、ゆったりとした足取りの帰り道。途中、コンビニに立ち寄ってから帰宅した家の中は、当然真っ暗だ。
明りを点け、コンビニ袋から取り出したミネラルウォーターを冷蔵庫にしまう為に入ったキッチンで、俺は今日一日を振り返っていた。
朝から目覚まし時計を操作されたことや、誰にも告げずに旅立とうとした奈央のことを。
全部、奈央の計算だったんだろ?
そんなの初めから分かっていた。俺を遅刻させようとしたのは、ただの悪戯なんかじゃない。離れ離れになってしまう二人の間が、寂しさで埋もれてしまわないよう、敢えて朝から顔を合せないようにしたんだ。
誰にも言わず旅立とうとしたのも同じ理由だ。出来るのなら、笑顔のまま離れられるように、と。
誰にも言わずに旅立つことは、俺が許さなかったから計算は狂っただろうけど、笑顔で離れることは出来た。奈央の気持ちが分かるからこそ、奈央の望む通り笑顔のままで。
……でもな、奈央。
────これは反則だ。
俺は手にしていたミネラルウォーターを、キッチンの大理石カウンターの上に静かに置いた。
目の前には、慌ただしい朝には気付かなかったものが置いてある。その上には、目覚まし時計と同じように紙が貼られていて、それを読んだ俺は、誰もいないこの場所で一人言葉を溢した。
「こんな計算までしてたのかよ……」
【敬介、食事だけはしっかり摂ってよね】
IHヒーターに乗っかった大きな鍋。貼り付けられた紙を剥がし蓋を開ければ、そこには大量のカレーが作られていて、
「また分量間違えちゃったんだな」
届かない相手に言葉を投げかけながら、鍋を火に掛ける。
覗いた炊飯器もタイマーにしてあったのか、しっかりご飯が炊かれていて、温まったカレーと共に皿によそった。
顔を合わせないだけじゃなく、コレを作るためにわざと俺を寝かせておいたとは、流石に俺も気付かなかったじゃねぇかよ。
奈央が神戸に帰っていた時、食事が喉を通らずやつれたことがあって以来。奈央は、俺の食事に対してかなり気に掛けてくれていた。
今回も、そうなるんじゃないかと、きっと奈央は心配してこのカレーを作ってくれたのだろう。俺からすれば、自分の食生活の方をよっぽど気に掛けて欲しいと思っているのに。
……だけどな、奈央? 一言だけ付け加えさせてもらうなら、
「やっぱりこの量は間違ってんだろ」
一人突っ込みを入れてから手を合わせ、奈央の手料理を初めて食べた時と同じ味のカレーを口に運ぶ。
どんなに食べても、朝晩と食べ続けても、五日分はあるだろうと思われる鍋の中のカレー。
「足んねぇよ……こんなんじゃ…………全然足んねぇ」
目の前のカレーが滲んで見えるのは、温めすぎて立ち上る湯気のせいだ。
俺は静かな部屋で一人、目を拭いながらカレーを食べた。
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