教師と生徒とアイツと俺と

本宮瑚子

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111. 繋がる時間、永遠に。-3

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「一体全体、どう言うことだろうな。この状況は」

 卒業式から三年と数カ月。
 面接の書類で知った、まさかのスキップで大学を卒業していた奈央は、当時より髪が短くなり肩下に触れる程度。緩めにかかったウェーブと嫌味のないメイクで、元々整っていた顔は更に磨きがかかり、眩暈さえ覚える。
 鼓動の高鳴りが収まらないまま、俺の執務室でテーブルを挟んで座る奈央に、意を決して問い掛ければ、

「第一希望の企業の面接に来た、それ以外に答えようがないけど?」

 シレッと返事が返って来た。
    ──これが三年以上振りに交わす会話だろうか。
 そもそも、奈央が中途採用試験を受けたと知ったのは、数十分前だ。
 親父から渡された封筒に入ってた書面は、今日の面接を通知するもの。事実をそのまま口頭で伝えれば済むものの、奈央にも送っただろうそれを、わざわざ紙面で見せる辺り親父の意図が垣間見れる。

「話を端折はしょりすぎだ! 先ずは俺に連絡すべきだろ?」
「敬介に? そちらの会社に入りたいからコネで入社させて下さいって?」
「そう言うこと言ってんじゃねぇよ。第一、俺の電話には出ねぇし、おまえが帰国することすら俺は知らなかったんだぞ?」
「え?」

 ……え? って何故驚く。

「帰国予定なら、由香に伝言頼んでおいたけど?」

 何もかも知っておきながら、林田のヤロー! 
 やっぱり全てはアイツのせいか!

「聞いてねぇし。とにかくだ。林田より先に、俺に連絡くれても良かったんじゃねぇのか?」
「必要以上に敬介と話したくなかった」

 目も合わさずポツリ溢された奈央の言葉に

「え?」

 今度は俺が愕然とする番だった。と当時に、ズキンと胸に痛みが走り、一瞬にして駆け巡るのは不吉な予感。

 ……話したくなかったって、どう言うことだよ。

 頭に浮かぶのは、林田に見せられた写真の男の存在だった。



 離れていても心は一つだって思っていたのは、俺の自惚れだったのか? もう心変わりしたのか? だから、俺と違ってそんなにも冷静でいられるのかよ。

 確かに、三年とちょっとの時間は決して短い時間じゃない。人の想いが揺らぐには充分だとも言える。
 考えたくもない思考に取り憑かれ、決意を以て奈央をとっ捕まえたつもりが、奈央の一言で気持ちは一気にしなしなと萎む。
 それを掻き消すように頭を振る俺を、

「あのさ?」

 黙って見ていたらしい奈央が、憐れむような眼差しを向けながら口を開いた。

「何か敬介勘違いしてない?」
「…………何がだ」
「私が敬介と必要以上に話したくなかった理由」
「……」
「私が敬介と話したくなかったのは、話せば就職の話題は避けられない。それが嫌だったからよ」
「なんでだよ。うちを受ける気があんなら、それこそ俺に言やぁいいじゃねぇか」
「だから、それが嫌だったの」

 心底、“嫌” を強調するように深い溜息を吐いた奈央は、更に重ねた。

「敬介に知られたら敬介が介入してくるじゃない。実際、こうして面接も邪魔されたわけだし。だから言いたくなかった」

 ……って事は、俺自身を嫌ってって訳じゃねぇのか?

 俺が奈央の就職希望先を知れば、それこそ奈央が言ったように、コネ入社になり兼ねない行動を取ると危惧して、それで……。

「敬介、顔が気持ち悪い」

 ホッとした気持ちがダイレクトに表情に表れたらしい俺に、奈央の辛辣な言葉が突き刺さる。あまりの言われようだ。


    確かに、ニンマリとだらしない顔を晒した自覚はある。にしても、気持ち悪いってのは酷いだろ。そう思いながらも、突破口を見つけた俺は文句を言うつもりなどない。
 咳払いを一つすると、努めて冷静な声を出した。

「奈央、本気か? 本気でうちに就職する気があるのか?」
「勿論。自分の力を発揮したい。そう思える場所はここにしかないと思ってる」

 真っ直ぐ俺を見て、キッパリと言い切った奈央。そう言うと思っていた。
    奈央の性格を考えれば、中途半端な気持ちで、うちの社を受けるような奴じゃない。本気だからこそだ。
 だから俺は、一か八かの賭けに出る。
    奈央に何と言われようとも、俺には時間がない。どんなやり方でも、俺は奈央を手に入れる。それに、俺がこれから伝える事は、全て嘘偽りのないものだ。

「奈央の希望部署は、経営企画部だったよな?」

 奈央は静かに頷いた。
 さっき目を通した書類に目を通して分かった、奈央の希望部署。そこは、うちの社においても優秀なエリート集団が揃っている部署でもある。社にとっての中枢とも言えるだけに担う責任は大きく、ハードワークになるのは避けられない。尤も、大学をスキップして卒業した奈央の学歴を見れば、その中でも引けはとらないだろうし、奈央なら意地でもやり通すだろう。

「俺としては、経営企画部より俺の秘書として右腕となり補佐して欲しいと思ってる」
「それは、沢谷敬介としての個人的感情が優先されての希望?」
「否定はしない。だが、長いスタンスで見れば、社としてもメリットが大きいはずだ」
「……」
「どっちみち、俺が奈央の素性はばらしちまったからな。俺が一言言えばそれで全ては決まる」

 但し、お前が本気で嫌がるのなら、この限りではない。という注釈は、俺に有利に働くよう省かせて貰う。
 いざとなれば、親父が介入してくるだろうし、奈央の希望は通るかもしれない、と言うことも同様に省く。
 今はまだ馬鹿丁寧に教えてやるつもりはない。全ては、絶対に譲れないものの為に。



「つまり、私が何を希望しても所詮無駄だってこと?」

 眉ひとつ動かさず射ぬいてくる視線と、淡々とした声で確認をしてくる奈央は、感情を顕にするより迫力がある。
 冷たい空気を意図も簡単に作り出し、嫌でも肌でビシビシと感じる。
 だけど、ここで引き下がるわけにはいかない。
 射竦められ、硬直しそうになる寸でで何とか持ち堪える俺だって、相当に必死だ。

「まぁ、奈央の人事に限って言えば、全ての権限は俺に託されてると思ってくれていい」

 愛する女に見つめられたら、照れと愛しさが相まって、顔が赤らんでも可笑しくない。しかし、だ。少なくとも今の状況は、それとは程遠い。
 本気で視線だけで俺にダメージを与えるつもりなのか、瞬きもせずに無遠慮に突き刺してくる奈央の目は、まさに凶器と言ってもいい。顔が赤らむどころか青ざめしそうなほどだ。

「あ、あのな? そんなに怒んなよ」
「……」
「仕方ねぇだろ。おまえの立場バラしちまったし」
「……」
「……っ、だから、んな睨むなっ!」

 そう言ったところで、眼差しが和らぐ気配はなく、恐々と窺いながら話を続けた。

「俺が今まで働いてきて一番感じたこと。それは、信用の出来るブレーンを作ることだ。勿論、優秀であって貰わなければ困る」
「……」
「俺はこの世界でスタートを切っちまったからな。これから先も立ち止まる事は許されない。ましてや、ジュニアだからって甘えていられるほど生温い世界じゃねぇし、いつどこで誰に足を引っ張られるかも分からない俺には、絶対的存在のブレーンが必要だ」

 そこまで言い切った俺は、身を正して奈央を正面から見据えた。

「改めて沢谷ホールディングスの専務として言う。水野奈央さん、俺に力を貸して欲しい。あなたの力を最大限に活かせるのは俺だと言い切れるし約束もする。おまえの全てを俺に預けてくれ」

 そう言って一呼吸置くと、徐にソファーから腰を上げた。


 向かった先は俺のデスク。
 引き出しから、事前に用意していたものと合わせ、ニ通の紙を引っ張り出すと、再び奈央の前へと戻り、手にした契約書類をテーブルに置いた。

「どちらかにサインしろ。どちらにサインしても、おまえを俺の秘書として採用する」
「……」
「ただ、条件は違う。俺に権限は託されたと言ったが、おまえの意見も尊重しなきゃならねぇしな。だから決断しろ。二つある書類のどちらかに名前を書き込め」

 偉そうに言ってはみたものの。どちらに奈央が書き込むのか、あくまで賭けに出た俺にとっては不安しかない。落ち着きなくまた腰を上げた俺は、窓辺に立ち煙草を取り出した。
 奈央に提示した二枚の紙は、秘書となるのは決定でも内容は全く異なる。どちらを選ぶかは奈央次第。
 だが、奈央が書き込むものは俺の希望と一緒であって欲しい、そう僅かな期待に望みを賭けて、祈るように時を待った。

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