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第一章

1. 残してきた恋人

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「うわ、なんですか! この荷物の山は!」

 午後からの勤務であった護衛官であるエリックは、待機していた執務室の前、姿を現した上司に対して、あるまじき気さくさで声をあげた。

「勿論、シルビアに用意したものだ」

 部下の無礼なる態度も気にも留めず、執務室の中へと歩を進めて答えるのは、エリックの上司であり、この部屋の主である、アデイン国第三王子――――クリストフェル・アデイン、その人である。

 高身長、かつ無駄のない引き締まった身体。ダークブロンドの短髪に、切れ長のひとみ。その眸は、ペリドット石のように透明感のある薄い緑色で、筋の通った鼻に薄い唇と、全てのパーツの配置バランスが完璧な容貌の王子である。
 一見、涼しげな目元のせいで冷たくも見えるが、端正な顔立ちであるのは確かだ。

 その仮にも王子であるクリストフェルの両手には、色とりどりの包み袋が四つほど握られている。更には、主から遅れて入室してきた、もう一人の護衛官であるダニエルの腕の中には、積み重ねられた箱が収まっていた。

「…………これ全部がプレゼント?」

 ソファーにどかりと座ったクリストフェルを、ちらりと見遣みやったエリックが呟けば、テーブルの上に箱を置いたダニエルが、「いいや」と首を振った。

「まだお買いになられていないものもある。明日の昼また出直すそうだから、エリック、今度は護衛頼むな」

 護衛というよりは荷物持ちとなりそうだが、ダニエルの説明によるところ、エリックの明日の昼休憩は削られること確定だ。
 せめて昼飯くらいゆっくり食わせてくれ、と肩を竦めるエリックなど、視界にも入っていないだろうクリストフェルは、懐に忍ばせていた手紙を取りだした。







 クリストフェルは、手紙と並べられたプレゼントとを交互に見る。他に買い足すものを確認するために。

 全ては離れて暮らす恋人を思ってのことだ。
 寂しい思いをさせているシルビアに、せめてプレゼントを贈るくらいしか、今のクリストフェルにしてやれることはない。それが恋人としての義務であり責任なのであろう⋯⋯⋯⋯恐らく、多分。


 母国アデインに残してきた恋人のシルビアと離れて四ヶ月。クリストフェルは国を離れ、今は同盟国である、バルド国にいる。三国合同訓練による兵士育成、並びに軍事演習などを行うためだ。

 三国とは、アデイン国、バルド国、そしてもう一つ。元はアデインと統一国だった、ヴァスミル国で成り立つ同盟国を指す。

 アデインとヴァスミルは、パール河を挟んで東西に分かれ、両国の北側はヴェルダ山脈がそびえ立つ。その山脈を越えた先にバルド国があり、大陸が続く。

 アデイン、ヴァスミルとは違い、同盟国以外の国と陸続きの地にあるバルド国。だからこそ、この地で合同訓練を行う必要性があった。

 侵略など馬鹿なことを考えようものなら、我ら三国で迎え撃つぞ、と陸続きにある他国への牽制のために。


 互いに協力する関係になってから、約八百年。我ら三国は、魔力持ちがいるという共通項があるが、力関係は同等であり、軍事だけでなく、長きに渡り密な良好関係を維持し続けている。

 三国の平穏を守るため、いては世の人々の幸せのためと信じ、違えることのない、違えてはならない共同体制。

 ──何故にそこまで。

 諸外国からすれば当然浮かぶ疑問だろうが、取り繕った答えしか明かさず、真実は秘匿としているのだから、首の傾げ具合も相当なものだ。実に不思議な結び付き、と思われていることだろう。

 そのような固い絆の間柄ゆえ、制度も整えられている三国間では民の留学も多い。無論、王族もだ。

 現に今、クリストフェルと同い年で、親友とも呼べるこの国の王太子──マティアス・ハルクロードは、我が国へ留学中だ。

 また、国を越えて商売を立ち上げるのも比較的容易にでき、人の交流も盛んなことから、同盟国は極めて身近に感じる外国なのだ。

 だからだろう。

 バルド行きが決まった時には、

『一緒に連れてって欲しい。私も行ってみたい』

 と、シルビアに泣いてせがまれた。無理だと告げても、なかなか納得はしてくれず、なだめるのに相当な時間を要したほどだ。

 結婚しているならいざ知らず、いくら友好関係である国とはいえ、安易に同行させられるほど甘い任務ではない。遊びに行くわけではないのだから。


 王族であり防衛軍所属の自分には責務がある。アデイン国軍事組織から選ばれし五十人の隊員を率いるという、大事な責務が。
 牽制が第一の目的であるから小規模だが、決して、生半可な気持ちで務められるものではない。

 隊員達は半年ほど訓練に参加し帰国するが、しかし、アデイン国側の指揮官を務めるクリストフェルとその側近達は、二年の任期だ。
 つまり、あと一年八ヶ月もの間、半年ごとに国から送られてくる新たな兵士を受け入れながら、この地に留まらなければならない。

「先は長いな」

 溜息に混じって、無意識に心の声が漏れた。

「シルビアさんと会えないのが辛いんすね」

 誤って滑り落ちた言葉を、直ぐ様、背後に立つエリックが拾って茶化した。
 そうじゃない、と否定したいが説明するのは面倒で、言葉を選ばず吐息で返す。

 恋人に会えず嘆く情けない男だと思われてもかまわない。かまわないから、これ以上、話を掘り下げてくれるな。と吐き出した息に願いを込める。

「まあ、こんなにプレゼント買っちゃうくらいですもんね。溺愛じゃないっすか。しっかし、これ。手紙でシルビアさんにおねだりされちゃったとか?」

 残念ながら願いは届かなかったらしい。
 話が止まるどころか、身を乗りだしプレゼントを覗き見るエリックは、興味津々な様子で訊いてくる。
 吐息に隠した心模様を汲み取れなどと高度な技、エリックには所詮無理な話だったか。黙々と、買った物を袋や箱から取り出し並べているダニエルとは大違いだ。

 エリックの物言いは、日頃から従者にあるまじきものではあるが、他の目がある時は相応な振る舞いをするため問題はない。とがめようとも思わない。
 寧ろ、裏表のない明けけな会話は貴重で、好ましくさえ思っている。

 しかし、この話題ばかりは別だ。胃がずしりと重くなる。
 だが、最後に付け加えられた質問には答えざるを得なかった。シルビアが悪く思われるのは本意ではない。

 クリストフェルは、手紙を折り畳んで軍服の衣嚢いのうにしまうと、諦めて重い口を開いた。

「シルビアにねだられたわけじゃない。辛い思いをさせてるんだ。せめてこれくらいはしてやりたい」

 事実、強請られてはいない。そんなことは、手紙には書かれていなかった。

「うひょー、熱々!」

 妙なテンションでの冷やかしを背中に受けながら、但し、と心の中で注釈をつける。『直接的にはな』と。


 手紙の内容は泣き言だ。
 バルド国に来て四ヶ月。片手ほどの文のやり取りをしてきたが、もれなく全てが泣き言だった。
 だが、今までは淋しい胸中を切々と綴っていただけだったが、今回は違った。あまりにも具体的すぎた。

『逢えなくて淋しい』

 挨拶代わりのこの文言から始まった後は、どれだけ自分が辛い思いをしているか、延々と訴えが続く。


 近づいてくる貴族達は、自分を馬鹿にしている。突然お茶に誘われたりもするが、それに相応しい服がない。宝石もない。見せ物の如く店に来られて労働の邪魔をされる。だから働けない。働かなければ生活が出来ない。教養を身につけたいが本を買う余裕などあるはずがない──以下略。


 直訳するとこのような、ないない尽くしの嘆きだ。
 もう少しやんわりとした文面ではあったが、紙面を埋め尽くす負の感情に目が回りそうだ。

 果たしてこれは陳情書なのか、恋文なのか。

 まだ離れて四ヶ月でのこの状況。
 この先もシルビアの精神が安定するとは限らない。そう考えると気は遠くなり『先は長いな』と、また思考が舞い戻る。

 せめてクリストフェルへの労いの一言でもあれば、と逆にこちらが嘆きたくなるが、それでは駄目だ。
 かさず己を叱咤し、芽生えた心情を意識の外へと意図して外す。こんなもの、大層ご丁寧に持っていたところで、ろくなことにはならない。

 四の五の言わずに、出来うる限りシルビアのうれいは取り除いてやるべきだ。プレゼントの十や二十で気持ちが晴れるなどとは思ってはいないが、多少の慰めになるのなら、これくらい用意しよう。

 そもそも、大変な思いをさせるかもしれないと知りつつ、交際へと踏み切ったのはクリストフェル自身だ。

 食堂で働く平民の娘と知りながら、恋人にしたのだから──。

 クリストフェルの恋人というポジションは、あらゆる意味で人の興味をひく。
 立場の違いがあれば尚更で、思惑含みの数多あまたの視線を向けられては、嘆きたくなるのも無理からぬことだ。
 それを受け止めてやれるのは、自分しかいない。そして、理解してやれるのも。

 いつからだろうか。太陽のように眩しく弾けた笑顔が見られなくなったのは。
 笑顔を失った原因がクリストフェルにあるのなら、取り戻せるのもまた、クリストフェルだけなのだろう。それが義務であり責任なのだ、恐らくは──いや、絶対に。


 軽く目を閉じ、出会った頃の笑顔を思い浮かべてみる。

 しかし、かすみがかかったようにぼやけるばかりで、どう頑張ってみても脳裏に描くことは出来なかった。

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