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3巻
3-3
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あ、鏡の光が消えた。通話終了ってことかな? ふうっと息を吐き出したレオナール様が、少し安心したみたいな顔になる。彼は続けて、セドリック君に声をかけた。
「これでひとつ布石は打てたかな。あとはリズに結界で囲ってもらう範囲でも確認して待とうか」
「そうですね、地図を貰って参ります」
「なら、共に行こう。私もそろそろ仕事に戻らねばならないからな」
セドリック君と侯爵が連れ立って出ていくのを見送る。さて、ちょっと暇が出来たかな。近くにあった、花に覆われていない椅子に腰を下ろす。レオナール様も隣に座って、自分の膝にジルを抱き上げた。
「リリー、疲れてない?」
「大丈夫です。レオナール様、少し時間があるようですし、よろしければ精霊狩りについて教えていただきたいのですが」
せっかくだから気になったことを聞いてみた。すると、ジルの髪を撫でつつレオナール様が頷く。
「精霊狩りは、精霊を捕らえたり自身に取り込んだりすることで、精霊の力を無理矢理利用することを言う。僕の知る限り、過去に現れた精霊狩りの中で今回みたいに精霊を取り込むのは、僕と同じような黒髪の人間とその精霊が関わっていたはず」
「と、言うと?」
「稀に、黒髪と契約した精霊で、自分を保てない個体が現れるんだ。その場合、他の精霊を取り込むことで存在を維持しようとする。それを精霊食いって言う。でも、今回は――」
「契約している人間が黒髪ではなかった。だから妙だと思われているのですか?」
思案顔のまま、レオナール様は言葉を続けた。
「考えられる可能性はみっつ。ひとつは、その男が精霊を取り込む能力を持った魔獣と契約している。ふたつ目は、精霊を使役する道具を使っている。そしてみっつ目が、赤い犬が黒髪の人間の精霊で、一緒にいた男は契約者ではないって可能性。もしもこの場合なら、何故精霊が契約者以外に従っていたのかまではわからないけど」
「精霊さんが契約者以外に従うのは、どういった場合ですか?」
「契約者がその人に従うよう命じているか、あるいはその人に懐いている場合。契約に抵触しないない限りは従うことがあるらしい」
「なら、黒髪の人間が、目撃された背の高い男性に従うよう命じている可能性もあるでしょうか」
私がそう言ったら、レオナール様は首を横に振った。
「いや……黒髪と生まれつき契約している精霊は別。特に精霊食いをするほど不安定な精霊なら、よほどのことがない限りは契約者の傍を離れない。自らの存在を維持するには、契約者の存在が不可欠だから」
「……それでも、契約者と離れる必要があるとしたら」
たとえばだけど、契約者を人質にされて無理矢理言うことを聞かされているとか。
多分レオナール様も同じ考えなんだろう、しかめっ面をしている。
「もしも、その黒髪も精霊もまだ幼いのなら、人質にされていたり脅迫を受けていたりする可能性も、あり得なくはない」
そんな話をしていたら、レオナール様の影から白い小さな猫が音もなく現れた。
久々に見る、シドさんのもうひとつの姿だ。今回、シドさんは王都で調べ物をしてからの合流だったし、一緒には来なかったんだよね。
『マスター、頼まれていた調べ物が終わったぜ』
「ありがとう、それで?」
『最近では、黒髪の精霊狩りの存在は把握されていない。ただ一度だけ、四年前に精霊狩りと言えなくもない事件があったらしい』
シドさんの話に頷きつつ、レオナール様は四年前、と呟く。
「詳しく」
『おう。ナズル領で、とあるはぐれの魔法使いが死んでいて、そいつが契約していた精霊が行方不明になった。んで、その魔法使いが死ぬ前日、小さな子供を連れた男が魔法使いを訪ねて来ていたのを、近くの村の住人が目撃していた』
「死因は?」
『不明だ。たまたま近くを通りかかった狩人が、庭で倒れてるのを見つけたらしい。いつも一緒にいた精霊の姿はなく、魔法使いは一気に老け込んだような見た目をしていたとか』
「……魔力の枯渇を起こしていた?」
『おそらくな。精霊はそれっきり行方不明のままだ。現場近くで別の精霊に話を聞いてきたが、確かにその頃、妙な気配と恐怖を感じた日があったらしい』
真面目な話をしているのに、シドさんの見た目が非常に可愛らしい白猫なせいで、色々と台無し……あれ、待って。なんかちょっと引っかかった。
「ナズル領?」
私の呟きに、レオナール様が顔を上げて問いかけてくる。
「リリー、ナズル領がどうかした?」
「いえ、ただあそこの……そう、そうだわ。確かあの地はミュラ信仰の発祥の地で、それを思い出しただけです」
よかった、思い出せた。こういうのって、思い出せないままだと気持ちが悪いからね。……あれ、なんでレオナール様は唖然とした顔をしているの?
「リリー、それ本当?」
「え、あ、はい。確かミュラ信仰の創始者が、ナズルの出身だったはずです」
この世界の宗教は多神教であり、基本的にどの神様を信仰するのも自由。神様たちは天上界にいて、地上を精霊たちに任せ、稀に加護を与えるそうだ。その神様たちを祀る神殿と、各地に置かれた教会が主な信仰の場所で、自分の信仰に沿って祈ることが認められている。
特に人気があるのは、正義と平和の神リュティスと、慈悲と平和の女神リスペア。この二神は結界とか治癒魔法に関するわかりやすい加護をくれるから、信仰が集まりやすいみたい。他にも鍛冶の神や商売の女神など、色々な神様がいる。
名前の通りミュラという愛を司る女神を信仰するミュラ信仰は、確か三代前の王の時代に生まれた、まだまだ新しい宗派。ミュラの女神が女性を守るという触れ込みから、女性に人気があり、メイドの間でも知られている神様だ。
そして、その教会が虐げられた女性の逃げ場にもなっている関係で、秘密主義の部分が強い。
本当にミュラの女神がいるのかは、私も知らないけどね。私が知ってる神様は、転生する直前に会った少年だけだったから。
「ミュラ信仰の発祥地だと、なにか問題があるのでしょうか?」
私が訊ねれば、レオナール様が頷いた。
「もちろん、ミュラ信仰そのものは悪くない。でも、一部に過激派がいたはず」
「過激派?」
「女神の名の元に世界を調律し直さなければならないという考えで動き、あちこちで問題を起こしてる。彼らは発祥地に本拠を持っているって噂なんだ」
私の知っている神々のイメージと異なり、思わず首を傾げてしまう。
「神々は世界の均衡を保つために、地上を精霊に任せ天上界から見守っているのでは……」
「彼らは精霊たちが神々を天上界に追いやったから、精霊がいなくなれば神々が戻ることが出来ると考えているみたいだ。つまり、精霊を敵視している」
その言葉を聞いた瞬間、私の中に湧き上がったのは怒りの感情だった。
私は神々の諍いに巻き込まれて死んだから、神々を恨まなかったと言ったら嘘になる。でも、この世界に転生する選択肢と、残していくみんなの『幸せ』を約束してくれたあの方を知っている。
『――幸せに、なってね』
そう言祝いでくれた優しさを知っているから、あの方を侮辱する言葉は許せないんだ。
私に幸せになってほしいと言ってくれた神様が――泣いていた私に何度も謝り、自分の無力さを嘆いていたあの方が、精霊の消失を望むなんてありえない。
もし本当にそうだったら、あの方は私にこそ精霊を狩る力を与えたはず。私がここにいるのは、あの方が力を貸してくれたからなんだもの。
でも、私に精霊狩りの力はない。
だから信じられる。あの方は、精霊がいなくなることを望んでなんかいないって。
「その過激派が精霊を狩るための手段を手にいれたとしたら、当然使うだろうね……ナズル領をもう少し探ってみるにしても、一度城に戻って精霊以外にお願いしなくては駄目。シドや他の契約者を危険な目に遭わせるわけにはいかない」
レオナール様が思案しつつ言うと、シドさんが抗議の声を上げる。
『マスター、俺なら大丈夫だぞ?』
「僕が嫌だ。僕はシドを失いたくない」
『お、おう』
あ、シドさんが照れた。猫だから表情はわからないけど、耳をペタンとさせて、尻尾をぴんと立てている。というか、行動がまんま猫ですね、外見に引っ張られるんですか?
私が面白がって観察していたら、セドリック君が戻ってきた。
「マリエル殿、お待たせしました」
「ありがとう、セドリック」
地図を持ってきたセドリック君と話すために立ち上がる、レオナール様とジル。瞬きひとつで人の姿になったシドさんは、私の隣に腰を下ろし、こちらを見つめてニッと口の端を上げた。
「もう少し暇だろうし、俺と話をしてよーぜ」
「あ、はい。猫の姿はやめたんですか?」
「あ? あー……話すならこっちの方がいいだろ」
「猫の姿は久しぶりだったので、少しさびしい気もします」
ちょっと茶化すように言ったら、シドさんは困ったみたいに笑う。
「男には見栄ってもんがあるんだよ」
「見栄?」
「ま、気にすんな。んで、なにを話すか……おい、セドリック。なに笑ってやがる」
ふいに、シドさんが据わった目で少し離れたところに立つセドリック君を見る。
「いえ、なんというかもう」
あ、本当だ。いつの間にかセドリック君が笑っている。なにか面白いことでもあった?
「まぁ、あれです。大変ですね、と頑張ってくださいとだけ」
「おう、本当にな」
……なにを頑張るのかは聞かないでおこう。いい予感がしないもの。
「ところでリリー。さっきの、なんでナズル領がミュラ信仰の発祥地って知ってたんだ? マスターのあの反応を見る限り、一般的な知識じゃねぇだろ。相当驚いてたぞ?」
「ああ、あれはですね。母の営む飲食店にミュラ信仰の信者が布教に来たことがあるんです。女一人で切り盛りしているので、万が一男性に悪さをされたら、ここに逃げれば守りますよ、といった内容で。その時に母が、ナズル領が本拠地だと聞き出していました」
母さんには敵わなかったんだよね、あの勧誘の人。情報を引き出すだけ引き出されて、ポイって感じだった。秘密主義だったみたいなのに。
「リリーの母親も、娘と同じでなかなかとんでもねーな」
「なんか言い方があれですが、母に似ていると言われるのは嬉しいです」
身内贔屓だけど、母さんはかっこいいからね。ああいう女性になれたらと、目標にしているんだ。
「それに、そもそも父がいないというわけではありませんから、ミュラ信仰に入る理由もなかったんですよね。たしかに仕事の関係で帰ってくることはあまり出来ませんが、それはもう仲のいい夫婦ですよ」
「へー、リリーの父親か。どんな人だ?」
「……とても母を愛している人です。それこそ、お兄ちゃんと私が恥ずかしくて逃げ出すくらいに」
父さんは母さんが本当に大好きで、母さんもあんまり表には出せないけど父さんを愛している。羨ましいくらいお互いを想っている夫婦なんだけど、スイッチが入るとすっごいイチャイチャしてるんだよね……
「仲いいのか」
「ええ、とても」
深々と頷けば、シドさんの目が楽しげな光を宿した。
「で、リリーはどんな男が好みなんだ?」
「また唐突な話題転換ですね。いい予感がしないので、答えたくないです」
「え、いーじゃん。教えろって」
「嫌ですー」
なんでそんな質問するの? なんて聞くのは自爆ものだから、嫌です以外は言えない。シドさん油断ならないな!
内心焦っていたら、レオナール様がこちらを向いた。
「リリー、ちょっと来て」
「はいっ!」
これぞ天の助けとばかりに、レオナール様のところに急いで行く。すると、びっくりした顔をされた。
「そんなに慌てて、どうしたの?」
「シドさんにちょっといじめられていただけです」
「……シド」
「ちょ、言いつけんな! マスターも本気で睨むなって!!」
あわあわし始めたシドさんを見て、私はくすりと笑う。嫌だと言っているのに、何度も聞くからですよ。
ふと、レオナール様が首を傾げて訊ねる。
「ちなみに、なにを言われたの?」
「言われたといいますか、私の好みの男性について聞かれたんです」
「前に話してくれたあの人でしょう?」
あっさり言ったレオナール様。そういえば、前世のことは伏せつつ、昔、恋人がいたって話をしたっけ。そう思って頷こうとしたけど……私は、違和感を覚えて止まってしまう。
「違うかもしれません」
「そうなの?」
「好みの男性像ですよね? だとしたら……あの人は違いました」
あの人は優しかったけど、私に弱いところを少しも見せてくれなかった。それで心の距離を感じたこともある。
恋人なら、もうちょっと頼ったり甘えたりしてくれても良かったんじゃないかな。いつだって私は守られるばかりでなにも出来ず、歯痒かった。私にはもっと、お互いに支え合える人がいいのかもしれない。
「なんだよ、マスターには話すのかよ」
ふいに、シドさんが不服そうな顔で口を挟む。
「だってレオナール様は、私の昔のことを知っていますもの。でもシドさんは知らないでしょう?」
「じゃあ教えろよ」
「え、嫌です」
あ、シドさんが落ち込んじゃった。でも、やっぱりシドさんに言うのは、変な流れになってしまいそうで嫌だ。
「……たとえ私がどんな秘密を持っていても、それごと受け入れるからいい。そうおっしゃってくださるレオナール様だから、話そうと思えたんです」
「……わぁったよ」
まっすぐ見つめて思いを口にすれば、はぁ、とシドさんがため息を吐いた。
それにしても、自分でも不思議だけれど、私はどれだけレオナール様に心を許してるのかな。この世界、いや前世の家族以上に信頼していると思う。もしかすると、あの人よりも。
……ああ、いけない、あの声を思い出してしまう。
『――』
記憶の中から繰り返し『私』を呼ぶ、優しい声。だからこそ心が痛む。
わかっている。忘れていない。だから、どうか。どうか。
……どうか?
「リリー」
頬に感じたぬくもりにハッとして顔を上げると、気遣うように私を見つめるレオナール様がいた。彼は大きな手で、私の頬に慎重に触れている。
「レオナール様、私」
「いい。シドが、ごめん」
レオナール様もシドさんも、なにも悪くない。悪くないよ。だから謝らないで。
謝らなければならないのは、跪いて許しを請わなければならないのは、私。
「私は、レオナール様のお傍にいたいです」
許して欲しい。あの人と生きる選択肢を選ばないでおきながら、レオナール様の傍にいたいと思う、ずるくて弱い私を。
「傍にいて、リリー」
繰り返し『私』を呼ぶ声を聞きつつも、縋るような気持ちでレオナール様の手に自分の手を重ねる。すると、私を宥めるみたいに彼の親指が頬を撫でた。
不思議なことに、それだけで心が落ち着き、私は自分を取り戻していく。
安堵に泣きそうな気持ちでいれば、レオナール様が淡く笑う。それが本当に優しいから、つられて私も微笑むことが出来た。
「……ありがとうございます、レオナール様。もう大丈夫です」
「ん。よかった。じゃあこの地図なんだけど……」
名残惜しそうに手を離したレオナール様が示したのは、いくつかの貴族の領地だった。
「リリー、この中で内情がわかる家、いくつある?」
「内情ですか。とりあえずルブラック子爵とペリンドン男爵の家には、以前派遣されましたから、その頃の情報でしたら。あと、ランデル子爵は噂を知っているくらいですかね」
「充分。聞きたいのはひとつだけ。リリーが知る限り、この中でミュラ信仰に関わる家は?」
「ルブラック子爵ですね。正確にはその令嬢ですが、重い病気になった時に家族でミュラ信仰に入っていたはず。ランデル子爵も確かそうですよ」
レオナール様に問われるまま、私は記憶を引っ張り出して答える。
「ペリンドン男爵はセルリアン信仰だったので、違うはずです」
言ってから気付く。今レオナール様が示した領地の貴族たちは、どの家も大きい船が泊められる規模の港を持っている。
「港を持つ貴族になにか?」
「気付いた? ちょっと考え事。確証はないけど」
港に注目するなら、レオナール様が考えているのは、移動手段や運搬手段についてかなぁ……
あれ、なんかまた引っかかったよ。運搬ってことは……
「どうでもいいが、なんであの雰囲気から普通に仕事の話になるんだ、この二人……」
「私もそう思いました……」
考え込んでいたら、いつの間にかシドさんとセドリック君が妙に生ぬるい視線でこっちを見ていた。どうして二人とも、そんな疲れ果てたような顔をしているの?
「マスターがふがいないのか、リリーが鈍感なのか、なんなんだよもう!!」
シドさんが頭をばりばり掻いて怒鳴るので、驚いてしまう。
「え、なんでいきなり怒られるのですか」
「今回はシドさんが正しい気がします」
「セドリック君まで!?」
えええ、私が鈍感って、どういうこと?
仕事の話をしたらおかしいのかな。でも大事なことだし……
そうそう、港のある貴族のなにが引っかかって……あ、運搬。運搬が出来るわけだ。
「運搬するといえば、重いものとか数が多いものとかですよね。でも、なにが……」
そうだ、数が運べるじゃない。それで、客船なんて言葉もあるくらいだし、荷物以外に人も運べるってことだよね……人?
ああ、そっか。なんで忘れていたんだろう。レオナール様からわざわざ注意されていて、ジルも狙われていたのに。
「船を使うなら、攫われた行方不明の子供も運べる」
私の口からこぼれた言葉に、レオナール様が頷いた。
「リリーもそう思った?」
「ええ。レオナール様は今回の件と行方不明の件が、繋がっていると思っているのですね?」
「ん。まだ証拠はないんだけど」
レオナール様は羽ペンをトン、とペン立てに戻し、大きく息を吐き出す。
「僕が知ってるだけでも、行方不明者は相当な数だ。それを誰にも知られずどこかに連れ去るには馬車だと目立つ。どうしても食事や休憩が必要だから。でも、船なら全部船内で済む」
「確かに。それに、眠らせて箱にでも入れてしまえば、港で怪しまれることもないでしょうし」
「それに加えて今回の事件だ。ああ、令嬢には安全な場所へ避難してもらわなくてはならない。エルフの里か、あるいは結界のしっかりした場所……王城とか」
「城はやめた方がいいです。不特定多数の人が出入りしすぎる。あそこで守ろうとするなら後宮に入れる覚悟が必要ですが、ミリアム様にそんなことを言い出したら、リディアーヌ様と二人で城を崩壊させてやりますよ」
実際に王家のメイドとして働いた経験で知っているんだけど、城ってなにかを隠すのには向かない。そこで政務を行う関係上、ある程度開かれた場所でなければならないから。
それでも、もし妙齢の女性を隠すのなら王太子の後宮が一番。だけど、これは私の大事な元主で、王太子妃のリディアーヌ様が傷つくことになるから絶対に駄目だ。
そこで、私は別の提案をする。
「いっそレオナール様の屋敷に引き取るのも、ひとつの手ではありますよ。私がいつもいますし」
「いや、出来ればそれはしたくない。僕の家の結界は特殊だから、新しい住人が来るなら張り直さなきゃならないんだ。その隙を狙われたらまずい。今回は精霊狩りがいる以上、少しの油断も出来ないし、危険すぎる」
「そうですか……ですが私の思いつく結界のしっかりした場所と言いますと、あとは神殿くらいしか」
「そうだよね。でも、それはよくないんでしょう?」
光の属性じゃない年頃の女性が神殿に入るのは、結婚前の禊の儀式としてか、一生を神殿に捧げる場合。もしミリアム様が神殿に行けば、間違いなく縁談に響く。それは非常にまずい。
でも、この屋敷ではミリアム様を守り切れない。どうしたらいいだろう。
みんなで考え込んでいると、レオナール様がふっと視線を外へ向けた。
「来た」
「来たって……先ほどの、魔法で話されていたお二方ですか?」
「ん。迎えに行く。リリーも来て」
レオナール様に手を差し出されたので、その手を取って立ち上がる。私もって、なんで?
「セドリックとジルはここにいて」
レオナール様の指示に、セドリック君が首を傾げる。
「マリエル殿?」
「リズがいるから、リリーを連れていきたい」
「……あ、はい。承知いたしました。お気をつけて」
あれ、「お気をつけて」って、どういう意味? 今から来る二人は仲間だよね。それなのにどうしてレオナール様はこんなに警戒していて、セドリック君も納得したのだろう。
「リリー、行くよ」
「あ、はい」
「お父さん、お母さん、いってらっしゃーい」
ジルに見送られつつレオナール様と歩き出せば、いつの間にかまた猫の姿になったシドさんが足元にいた。
「シドさん」
『よお、リリー。大変だぞー、これから』
少し嫌な顔をするレオナール様に、シドさんが低く笑う。
「シド、うるさい」
『だってそうじゃねーか。リリーを呼んだのもリズ対策だろ?』
だから、リズさんって味方だよね? なんで対策とかって話になっちゃうのさ。
不安になってきた私は、シドさんに訊ねた。
「シドさん、差し支えなければ、これからお会いするお二方について教えていただけますか?」
『おう。ヨシュアは魔力食いって特殊な能力を持った男でな、相手の魔力を奪って自分の魔力として使うことが出来る。しかもその相手は、人でも魔獣でも精霊でも構わないらしい。これってかなり凄い能力なんだぜ』
なるほど、他の魔力を取り込んで自分の魔力にするから、魔力食いなんだ。
「ヨシュア様は無差別に魔力を奪うのではなく、ご自分で魔力を手に入れる対象を制御出来るのでしょうか」
そう聞いたら、シドさんは猫の目を真ん丸にしてから、また細める。
『どうしてそう思った?』
「もしも無差別だったり、なんらかのきっかけで発現したりするような場合は、私にそうやって話はしないと思いました。いくらレオナール様の腕輪があっても、私は魔法に対して無力です。だから近付くなと警告するでしょう? シドさんは優しいもの」
『優しい……それって、本当に気がねえみたいだな……』
あれ、シドさんがなんか考え出しちゃった。ぶつくさ呟いているけど、後半はよく聞こえない。私、変なことを言ったかな?
「レオナール様、シドさんって優しいですよね?」
「ん。優しい」
だよね、私の認識は間違っていないはず。
じゃあ、なんで若干落ち込んでいるように見えるんだろう?
まぁいいか、他にも聞きたいことがあるし。
「これでひとつ布石は打てたかな。あとはリズに結界で囲ってもらう範囲でも確認して待とうか」
「そうですね、地図を貰って参ります」
「なら、共に行こう。私もそろそろ仕事に戻らねばならないからな」
セドリック君と侯爵が連れ立って出ていくのを見送る。さて、ちょっと暇が出来たかな。近くにあった、花に覆われていない椅子に腰を下ろす。レオナール様も隣に座って、自分の膝にジルを抱き上げた。
「リリー、疲れてない?」
「大丈夫です。レオナール様、少し時間があるようですし、よろしければ精霊狩りについて教えていただきたいのですが」
せっかくだから気になったことを聞いてみた。すると、ジルの髪を撫でつつレオナール様が頷く。
「精霊狩りは、精霊を捕らえたり自身に取り込んだりすることで、精霊の力を無理矢理利用することを言う。僕の知る限り、過去に現れた精霊狩りの中で今回みたいに精霊を取り込むのは、僕と同じような黒髪の人間とその精霊が関わっていたはず」
「と、言うと?」
「稀に、黒髪と契約した精霊で、自分を保てない個体が現れるんだ。その場合、他の精霊を取り込むことで存在を維持しようとする。それを精霊食いって言う。でも、今回は――」
「契約している人間が黒髪ではなかった。だから妙だと思われているのですか?」
思案顔のまま、レオナール様は言葉を続けた。
「考えられる可能性はみっつ。ひとつは、その男が精霊を取り込む能力を持った魔獣と契約している。ふたつ目は、精霊を使役する道具を使っている。そしてみっつ目が、赤い犬が黒髪の人間の精霊で、一緒にいた男は契約者ではないって可能性。もしもこの場合なら、何故精霊が契約者以外に従っていたのかまではわからないけど」
「精霊さんが契約者以外に従うのは、どういった場合ですか?」
「契約者がその人に従うよう命じているか、あるいはその人に懐いている場合。契約に抵触しないない限りは従うことがあるらしい」
「なら、黒髪の人間が、目撃された背の高い男性に従うよう命じている可能性もあるでしょうか」
私がそう言ったら、レオナール様は首を横に振った。
「いや……黒髪と生まれつき契約している精霊は別。特に精霊食いをするほど不安定な精霊なら、よほどのことがない限りは契約者の傍を離れない。自らの存在を維持するには、契約者の存在が不可欠だから」
「……それでも、契約者と離れる必要があるとしたら」
たとえばだけど、契約者を人質にされて無理矢理言うことを聞かされているとか。
多分レオナール様も同じ考えなんだろう、しかめっ面をしている。
「もしも、その黒髪も精霊もまだ幼いのなら、人質にされていたり脅迫を受けていたりする可能性も、あり得なくはない」
そんな話をしていたら、レオナール様の影から白い小さな猫が音もなく現れた。
久々に見る、シドさんのもうひとつの姿だ。今回、シドさんは王都で調べ物をしてからの合流だったし、一緒には来なかったんだよね。
『マスター、頼まれていた調べ物が終わったぜ』
「ありがとう、それで?」
『最近では、黒髪の精霊狩りの存在は把握されていない。ただ一度だけ、四年前に精霊狩りと言えなくもない事件があったらしい』
シドさんの話に頷きつつ、レオナール様は四年前、と呟く。
「詳しく」
『おう。ナズル領で、とあるはぐれの魔法使いが死んでいて、そいつが契約していた精霊が行方不明になった。んで、その魔法使いが死ぬ前日、小さな子供を連れた男が魔法使いを訪ねて来ていたのを、近くの村の住人が目撃していた』
「死因は?」
『不明だ。たまたま近くを通りかかった狩人が、庭で倒れてるのを見つけたらしい。いつも一緒にいた精霊の姿はなく、魔法使いは一気に老け込んだような見た目をしていたとか』
「……魔力の枯渇を起こしていた?」
『おそらくな。精霊はそれっきり行方不明のままだ。現場近くで別の精霊に話を聞いてきたが、確かにその頃、妙な気配と恐怖を感じた日があったらしい』
真面目な話をしているのに、シドさんの見た目が非常に可愛らしい白猫なせいで、色々と台無し……あれ、待って。なんかちょっと引っかかった。
「ナズル領?」
私の呟きに、レオナール様が顔を上げて問いかけてくる。
「リリー、ナズル領がどうかした?」
「いえ、ただあそこの……そう、そうだわ。確かあの地はミュラ信仰の発祥の地で、それを思い出しただけです」
よかった、思い出せた。こういうのって、思い出せないままだと気持ちが悪いからね。……あれ、なんでレオナール様は唖然とした顔をしているの?
「リリー、それ本当?」
「え、あ、はい。確かミュラ信仰の創始者が、ナズルの出身だったはずです」
この世界の宗教は多神教であり、基本的にどの神様を信仰するのも自由。神様たちは天上界にいて、地上を精霊たちに任せ、稀に加護を与えるそうだ。その神様たちを祀る神殿と、各地に置かれた教会が主な信仰の場所で、自分の信仰に沿って祈ることが認められている。
特に人気があるのは、正義と平和の神リュティスと、慈悲と平和の女神リスペア。この二神は結界とか治癒魔法に関するわかりやすい加護をくれるから、信仰が集まりやすいみたい。他にも鍛冶の神や商売の女神など、色々な神様がいる。
名前の通りミュラという愛を司る女神を信仰するミュラ信仰は、確か三代前の王の時代に生まれた、まだまだ新しい宗派。ミュラの女神が女性を守るという触れ込みから、女性に人気があり、メイドの間でも知られている神様だ。
そして、その教会が虐げられた女性の逃げ場にもなっている関係で、秘密主義の部分が強い。
本当にミュラの女神がいるのかは、私も知らないけどね。私が知ってる神様は、転生する直前に会った少年だけだったから。
「ミュラ信仰の発祥地だと、なにか問題があるのでしょうか?」
私が訊ねれば、レオナール様が頷いた。
「もちろん、ミュラ信仰そのものは悪くない。でも、一部に過激派がいたはず」
「過激派?」
「女神の名の元に世界を調律し直さなければならないという考えで動き、あちこちで問題を起こしてる。彼らは発祥地に本拠を持っているって噂なんだ」
私の知っている神々のイメージと異なり、思わず首を傾げてしまう。
「神々は世界の均衡を保つために、地上を精霊に任せ天上界から見守っているのでは……」
「彼らは精霊たちが神々を天上界に追いやったから、精霊がいなくなれば神々が戻ることが出来ると考えているみたいだ。つまり、精霊を敵視している」
その言葉を聞いた瞬間、私の中に湧き上がったのは怒りの感情だった。
私は神々の諍いに巻き込まれて死んだから、神々を恨まなかったと言ったら嘘になる。でも、この世界に転生する選択肢と、残していくみんなの『幸せ』を約束してくれたあの方を知っている。
『――幸せに、なってね』
そう言祝いでくれた優しさを知っているから、あの方を侮辱する言葉は許せないんだ。
私に幸せになってほしいと言ってくれた神様が――泣いていた私に何度も謝り、自分の無力さを嘆いていたあの方が、精霊の消失を望むなんてありえない。
もし本当にそうだったら、あの方は私にこそ精霊を狩る力を与えたはず。私がここにいるのは、あの方が力を貸してくれたからなんだもの。
でも、私に精霊狩りの力はない。
だから信じられる。あの方は、精霊がいなくなることを望んでなんかいないって。
「その過激派が精霊を狩るための手段を手にいれたとしたら、当然使うだろうね……ナズル領をもう少し探ってみるにしても、一度城に戻って精霊以外にお願いしなくては駄目。シドや他の契約者を危険な目に遭わせるわけにはいかない」
レオナール様が思案しつつ言うと、シドさんが抗議の声を上げる。
『マスター、俺なら大丈夫だぞ?』
「僕が嫌だ。僕はシドを失いたくない」
『お、おう』
あ、シドさんが照れた。猫だから表情はわからないけど、耳をペタンとさせて、尻尾をぴんと立てている。というか、行動がまんま猫ですね、外見に引っ張られるんですか?
私が面白がって観察していたら、セドリック君が戻ってきた。
「マリエル殿、お待たせしました」
「ありがとう、セドリック」
地図を持ってきたセドリック君と話すために立ち上がる、レオナール様とジル。瞬きひとつで人の姿になったシドさんは、私の隣に腰を下ろし、こちらを見つめてニッと口の端を上げた。
「もう少し暇だろうし、俺と話をしてよーぜ」
「あ、はい。猫の姿はやめたんですか?」
「あ? あー……話すならこっちの方がいいだろ」
「猫の姿は久しぶりだったので、少しさびしい気もします」
ちょっと茶化すように言ったら、シドさんは困ったみたいに笑う。
「男には見栄ってもんがあるんだよ」
「見栄?」
「ま、気にすんな。んで、なにを話すか……おい、セドリック。なに笑ってやがる」
ふいに、シドさんが据わった目で少し離れたところに立つセドリック君を見る。
「いえ、なんというかもう」
あ、本当だ。いつの間にかセドリック君が笑っている。なにか面白いことでもあった?
「まぁ、あれです。大変ですね、と頑張ってくださいとだけ」
「おう、本当にな」
……なにを頑張るのかは聞かないでおこう。いい予感がしないもの。
「ところでリリー。さっきの、なんでナズル領がミュラ信仰の発祥地って知ってたんだ? マスターのあの反応を見る限り、一般的な知識じゃねぇだろ。相当驚いてたぞ?」
「ああ、あれはですね。母の営む飲食店にミュラ信仰の信者が布教に来たことがあるんです。女一人で切り盛りしているので、万が一男性に悪さをされたら、ここに逃げれば守りますよ、といった内容で。その時に母が、ナズル領が本拠地だと聞き出していました」
母さんには敵わなかったんだよね、あの勧誘の人。情報を引き出すだけ引き出されて、ポイって感じだった。秘密主義だったみたいなのに。
「リリーの母親も、娘と同じでなかなかとんでもねーな」
「なんか言い方があれですが、母に似ていると言われるのは嬉しいです」
身内贔屓だけど、母さんはかっこいいからね。ああいう女性になれたらと、目標にしているんだ。
「それに、そもそも父がいないというわけではありませんから、ミュラ信仰に入る理由もなかったんですよね。たしかに仕事の関係で帰ってくることはあまり出来ませんが、それはもう仲のいい夫婦ですよ」
「へー、リリーの父親か。どんな人だ?」
「……とても母を愛している人です。それこそ、お兄ちゃんと私が恥ずかしくて逃げ出すくらいに」
父さんは母さんが本当に大好きで、母さんもあんまり表には出せないけど父さんを愛している。羨ましいくらいお互いを想っている夫婦なんだけど、スイッチが入るとすっごいイチャイチャしてるんだよね……
「仲いいのか」
「ええ、とても」
深々と頷けば、シドさんの目が楽しげな光を宿した。
「で、リリーはどんな男が好みなんだ?」
「また唐突な話題転換ですね。いい予感がしないので、答えたくないです」
「え、いーじゃん。教えろって」
「嫌ですー」
なんでそんな質問するの? なんて聞くのは自爆ものだから、嫌です以外は言えない。シドさん油断ならないな!
内心焦っていたら、レオナール様がこちらを向いた。
「リリー、ちょっと来て」
「はいっ!」
これぞ天の助けとばかりに、レオナール様のところに急いで行く。すると、びっくりした顔をされた。
「そんなに慌てて、どうしたの?」
「シドさんにちょっといじめられていただけです」
「……シド」
「ちょ、言いつけんな! マスターも本気で睨むなって!!」
あわあわし始めたシドさんを見て、私はくすりと笑う。嫌だと言っているのに、何度も聞くからですよ。
ふと、レオナール様が首を傾げて訊ねる。
「ちなみに、なにを言われたの?」
「言われたといいますか、私の好みの男性について聞かれたんです」
「前に話してくれたあの人でしょう?」
あっさり言ったレオナール様。そういえば、前世のことは伏せつつ、昔、恋人がいたって話をしたっけ。そう思って頷こうとしたけど……私は、違和感を覚えて止まってしまう。
「違うかもしれません」
「そうなの?」
「好みの男性像ですよね? だとしたら……あの人は違いました」
あの人は優しかったけど、私に弱いところを少しも見せてくれなかった。それで心の距離を感じたこともある。
恋人なら、もうちょっと頼ったり甘えたりしてくれても良かったんじゃないかな。いつだって私は守られるばかりでなにも出来ず、歯痒かった。私にはもっと、お互いに支え合える人がいいのかもしれない。
「なんだよ、マスターには話すのかよ」
ふいに、シドさんが不服そうな顔で口を挟む。
「だってレオナール様は、私の昔のことを知っていますもの。でもシドさんは知らないでしょう?」
「じゃあ教えろよ」
「え、嫌です」
あ、シドさんが落ち込んじゃった。でも、やっぱりシドさんに言うのは、変な流れになってしまいそうで嫌だ。
「……たとえ私がどんな秘密を持っていても、それごと受け入れるからいい。そうおっしゃってくださるレオナール様だから、話そうと思えたんです」
「……わぁったよ」
まっすぐ見つめて思いを口にすれば、はぁ、とシドさんがため息を吐いた。
それにしても、自分でも不思議だけれど、私はどれだけレオナール様に心を許してるのかな。この世界、いや前世の家族以上に信頼していると思う。もしかすると、あの人よりも。
……ああ、いけない、あの声を思い出してしまう。
『――』
記憶の中から繰り返し『私』を呼ぶ、優しい声。だからこそ心が痛む。
わかっている。忘れていない。だから、どうか。どうか。
……どうか?
「リリー」
頬に感じたぬくもりにハッとして顔を上げると、気遣うように私を見つめるレオナール様がいた。彼は大きな手で、私の頬に慎重に触れている。
「レオナール様、私」
「いい。シドが、ごめん」
レオナール様もシドさんも、なにも悪くない。悪くないよ。だから謝らないで。
謝らなければならないのは、跪いて許しを請わなければならないのは、私。
「私は、レオナール様のお傍にいたいです」
許して欲しい。あの人と生きる選択肢を選ばないでおきながら、レオナール様の傍にいたいと思う、ずるくて弱い私を。
「傍にいて、リリー」
繰り返し『私』を呼ぶ声を聞きつつも、縋るような気持ちでレオナール様の手に自分の手を重ねる。すると、私を宥めるみたいに彼の親指が頬を撫でた。
不思議なことに、それだけで心が落ち着き、私は自分を取り戻していく。
安堵に泣きそうな気持ちでいれば、レオナール様が淡く笑う。それが本当に優しいから、つられて私も微笑むことが出来た。
「……ありがとうございます、レオナール様。もう大丈夫です」
「ん。よかった。じゃあこの地図なんだけど……」
名残惜しそうに手を離したレオナール様が示したのは、いくつかの貴族の領地だった。
「リリー、この中で内情がわかる家、いくつある?」
「内情ですか。とりあえずルブラック子爵とペリンドン男爵の家には、以前派遣されましたから、その頃の情報でしたら。あと、ランデル子爵は噂を知っているくらいですかね」
「充分。聞きたいのはひとつだけ。リリーが知る限り、この中でミュラ信仰に関わる家は?」
「ルブラック子爵ですね。正確にはその令嬢ですが、重い病気になった時に家族でミュラ信仰に入っていたはず。ランデル子爵も確かそうですよ」
レオナール様に問われるまま、私は記憶を引っ張り出して答える。
「ペリンドン男爵はセルリアン信仰だったので、違うはずです」
言ってから気付く。今レオナール様が示した領地の貴族たちは、どの家も大きい船が泊められる規模の港を持っている。
「港を持つ貴族になにか?」
「気付いた? ちょっと考え事。確証はないけど」
港に注目するなら、レオナール様が考えているのは、移動手段や運搬手段についてかなぁ……
あれ、なんかまた引っかかったよ。運搬ってことは……
「どうでもいいが、なんであの雰囲気から普通に仕事の話になるんだ、この二人……」
「私もそう思いました……」
考え込んでいたら、いつの間にかシドさんとセドリック君が妙に生ぬるい視線でこっちを見ていた。どうして二人とも、そんな疲れ果てたような顔をしているの?
「マスターがふがいないのか、リリーが鈍感なのか、なんなんだよもう!!」
シドさんが頭をばりばり掻いて怒鳴るので、驚いてしまう。
「え、なんでいきなり怒られるのですか」
「今回はシドさんが正しい気がします」
「セドリック君まで!?」
えええ、私が鈍感って、どういうこと?
仕事の話をしたらおかしいのかな。でも大事なことだし……
そうそう、港のある貴族のなにが引っかかって……あ、運搬。運搬が出来るわけだ。
「運搬するといえば、重いものとか数が多いものとかですよね。でも、なにが……」
そうだ、数が運べるじゃない。それで、客船なんて言葉もあるくらいだし、荷物以外に人も運べるってことだよね……人?
ああ、そっか。なんで忘れていたんだろう。レオナール様からわざわざ注意されていて、ジルも狙われていたのに。
「船を使うなら、攫われた行方不明の子供も運べる」
私の口からこぼれた言葉に、レオナール様が頷いた。
「リリーもそう思った?」
「ええ。レオナール様は今回の件と行方不明の件が、繋がっていると思っているのですね?」
「ん。まだ証拠はないんだけど」
レオナール様は羽ペンをトン、とペン立てに戻し、大きく息を吐き出す。
「僕が知ってるだけでも、行方不明者は相当な数だ。それを誰にも知られずどこかに連れ去るには馬車だと目立つ。どうしても食事や休憩が必要だから。でも、船なら全部船内で済む」
「確かに。それに、眠らせて箱にでも入れてしまえば、港で怪しまれることもないでしょうし」
「それに加えて今回の事件だ。ああ、令嬢には安全な場所へ避難してもらわなくてはならない。エルフの里か、あるいは結界のしっかりした場所……王城とか」
「城はやめた方がいいです。不特定多数の人が出入りしすぎる。あそこで守ろうとするなら後宮に入れる覚悟が必要ですが、ミリアム様にそんなことを言い出したら、リディアーヌ様と二人で城を崩壊させてやりますよ」
実際に王家のメイドとして働いた経験で知っているんだけど、城ってなにかを隠すのには向かない。そこで政務を行う関係上、ある程度開かれた場所でなければならないから。
それでも、もし妙齢の女性を隠すのなら王太子の後宮が一番。だけど、これは私の大事な元主で、王太子妃のリディアーヌ様が傷つくことになるから絶対に駄目だ。
そこで、私は別の提案をする。
「いっそレオナール様の屋敷に引き取るのも、ひとつの手ではありますよ。私がいつもいますし」
「いや、出来ればそれはしたくない。僕の家の結界は特殊だから、新しい住人が来るなら張り直さなきゃならないんだ。その隙を狙われたらまずい。今回は精霊狩りがいる以上、少しの油断も出来ないし、危険すぎる」
「そうですか……ですが私の思いつく結界のしっかりした場所と言いますと、あとは神殿くらいしか」
「そうだよね。でも、それはよくないんでしょう?」
光の属性じゃない年頃の女性が神殿に入るのは、結婚前の禊の儀式としてか、一生を神殿に捧げる場合。もしミリアム様が神殿に行けば、間違いなく縁談に響く。それは非常にまずい。
でも、この屋敷ではミリアム様を守り切れない。どうしたらいいだろう。
みんなで考え込んでいると、レオナール様がふっと視線を外へ向けた。
「来た」
「来たって……先ほどの、魔法で話されていたお二方ですか?」
「ん。迎えに行く。リリーも来て」
レオナール様に手を差し出されたので、その手を取って立ち上がる。私もって、なんで?
「セドリックとジルはここにいて」
レオナール様の指示に、セドリック君が首を傾げる。
「マリエル殿?」
「リズがいるから、リリーを連れていきたい」
「……あ、はい。承知いたしました。お気をつけて」
あれ、「お気をつけて」って、どういう意味? 今から来る二人は仲間だよね。それなのにどうしてレオナール様はこんなに警戒していて、セドリック君も納得したのだろう。
「リリー、行くよ」
「あ、はい」
「お父さん、お母さん、いってらっしゃーい」
ジルに見送られつつレオナール様と歩き出せば、いつの間にかまた猫の姿になったシドさんが足元にいた。
「シドさん」
『よお、リリー。大変だぞー、これから』
少し嫌な顔をするレオナール様に、シドさんが低く笑う。
「シド、うるさい」
『だってそうじゃねーか。リリーを呼んだのもリズ対策だろ?』
だから、リズさんって味方だよね? なんで対策とかって話になっちゃうのさ。
不安になってきた私は、シドさんに訊ねた。
「シドさん、差し支えなければ、これからお会いするお二方について教えていただけますか?」
『おう。ヨシュアは魔力食いって特殊な能力を持った男でな、相手の魔力を奪って自分の魔力として使うことが出来る。しかもその相手は、人でも魔獣でも精霊でも構わないらしい。これってかなり凄い能力なんだぜ』
なるほど、他の魔力を取り込んで自分の魔力にするから、魔力食いなんだ。
「ヨシュア様は無差別に魔力を奪うのではなく、ご自分で魔力を手に入れる対象を制御出来るのでしょうか」
そう聞いたら、シドさんは猫の目を真ん丸にしてから、また細める。
『どうしてそう思った?』
「もしも無差別だったり、なんらかのきっかけで発現したりするような場合は、私にそうやって話はしないと思いました。いくらレオナール様の腕輪があっても、私は魔法に対して無力です。だから近付くなと警告するでしょう? シドさんは優しいもの」
『優しい……それって、本当に気がねえみたいだな……』
あれ、シドさんがなんか考え出しちゃった。ぶつくさ呟いているけど、後半はよく聞こえない。私、変なことを言ったかな?
「レオナール様、シドさんって優しいですよね?」
「ん。優しい」
だよね、私の認識は間違っていないはず。
じゃあ、なんで若干落ち込んでいるように見えるんだろう?
まぁいいか、他にも聞きたいことがあるし。
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